ピアノの思い出
北海道の実家にいる。
実家にはいろいろと懐かしいものがあり、ここだけ時間が止まっているような感覚に、時に襲われる。
実際はもちろん錯覚だ。両親の頭髪は、久方ぶりに逢うたびに、白い模様を変えている。時間が止まっていることは、断じてない。
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リビングにあるピアノに触れてみる。今から25年前に両親が僕のために買ってくれたピアノだ。蓋をあけたら、少し埃の匂いがした。
ポンと鍵盤をはじく。ピアノから音がもれた。「ドの鍵盤」から、「ドの音」がでてればいいのだけれども、もう使う人間のいなくなったピアノからは、少しだけ低い音がでた。
きっと、僕が家をでて、おそらく十数年、調律をしていないんだろうと思う。もうこの家に、ピアノを弾く人は誰もいない。たまに帰ってくる子どもが、懐かしがって鍵盤をはじくくらいだ。
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ちょっと弾いてみるか、と腰をあげた。こんなに鍵盤って重かったんだなぁとあらためて思った。重い鍵盤に運指はぎこちなく。両手は強張って、もうどうにもならない。
まぁ、僕はピアニストではない。メロディだけでもいいだろう。好きな曲を、いい加減に弾いてみた。
シューベルト・セレナーデ
http://www.piano.or.jp/enc/audio/izumi/sbrt_srnd.m3u
ベートーベン・月光
http://homepage2.nifty.com/sakura-classic/midi-data/beethove/op27-2-1.mid
ショパン・ノクターン1番 OP.9-1
http://aqua.oheya.jp/mu/html/1.html
どれも思い出深い曲だ。その曲を弾いたときのこと、自分がそのとき何をしていたか、それにまつわる思い出が、走馬燈のように脳裏をかけめぐる。「音」は強力な記憶のクエリーであるようだ。
かつて、晴れた日に窓をあけて、ピアノをひくことが好きだった。僕は「譜面を読んでそのとおり弾くこと」、つまりは練習が嫌いだったので、あんまりうまくはなれなかったけれども、まぁ、思いついたときに、好きな調子で、自由気ままに弾いていた。
ここが田舎だからだろうか、ピアノを弾く男の子が珍しく、「ピアノをひくなんて、オマエは女みてーだ」と囃し立てられたこともあった。うるせー、ボケナス。
練習があまり好きではなかったので、何度かやめようと思ったこともあった。「僕、ピアノをやめたい」・・・そう言ったときの両親の悲しい顔が、まだ忘れられない・・・・今になって考えたら、ローンが残っていたからかな(笑)
ともかく、今となっては、ピアノをやっていて、本当によかったと思っている。
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先日、ある人から「もう一度、ピアノをはじめた」と話をうかがった。仕事の忙しい合間をぬって、何とかかんとか練習をしているんだという。そういえば、僕の学部時代の指導教官は、定年間近でフルートをはじめた。早朝、彼の研究室からは、フルートの音が響いていた。そういう人は少なくないんだろう。
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僕も、もう一度、やってみようかな・・・と少しだけ考えた。
できるかな。
いや、辛いかな・・・。
どうかな・・・
答えはペンディング。
とりあえず、明日、東京に戻る。
投稿者 jun : 2006年10月28日 23:50