The Long & Winding Road - 2005/03


    
" Tulips in winter " by Miwa 

過去の日記はこちら!


2005/03/31 さらばNIME

 今日は、教員としてNIMEに通勤する最後の日である。

 「とうとうこの日がきたのだなぁ」という感じがする。僕がNIMEに助手として着任したのは25歳。それからはや4年・・・今から考えると、短かったなぁという思いもするし、長かったなぁという風にも思う。

 NIMEにいるあいだ、本当に僕はいろいろなことを自由奔放にさせてもらった。時間的な余裕もずいぶんいただいたし、研究費も非常に恵まれていた。

 そうした環境の中で、ライフワークである遠隔協調学習の研究はもとより、iii onlineの立ち上げ、exCampusの開発、マサチューセッツ工科大学への留学など、時間を惜しんで、僕は研究に打ち込めた。博士号取得のため、仕事内容に配慮してもらったこともあった。

 「自由奔放にのびのびと研究をさせてもらった」という点でいえば、おそらく、僕は日本で一番幸運な助手のひとりであったと思う。この点は、感謝しすぎてもしすぎることはない。筆舌につきる。

 僕は本日をもってNIMEを辞職し、明日から都内の大学に勤務する。仕事内容は、「大学教育の情報化」に関する各種プロジェクトの立ち上げ、また研究の推進である。またゼロからのスタートだ。頑張ろうと思う。

 最後に、この4年間、僕の研究生活を支えてくれたすべての人々に感謝したいと思う。一人一人の名前は挙げることはしないけれど、僕のアタマの中には、優しくしてくれた、あるいは時に厳しく指導してくれた、多くの人々の顔が、とめどもなく浮かんでくる。

 本当にありがとうございました。

 もう少しで海浜幕張駅である。かくして、最後の「通勤」は終わった。
  それでも、人生は続く。

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追伸.
  先日、ついに20万アクセスを達成した。明日からはじまる新生活、そして、この20万ヒットを記念して、NAKAHARA-LAB.NETは、明日よりblogする。これまでいろいろな理由でblog化には躊躇してきたが、もうそろそろよいだろう。

 新生NAKAHARA-LAB.NET blogでまた逢いましょう!


2005/03/30 ショック

 最近言われてショックだったこと。

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 毎日新聞のWeb版「Mainichi Interactive」に掲載された下記の写真(Mainichi Interactiveより転載)を見て、ある人に言われたこと。

 中原君、めがねかけると「おすぎとピーコ」のピーコみたい!

 「冗談じゃねーぞ、そりゃ、ねーだろ」と思ったけれども、確かにどことなくピーコ(ここをクリック)みたいだ!

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 僕は、12月から髪を切らないで伸ばし続けていたんだけど(単なる無精)、ある人にこう言われた。

 ていうか、その後ろ髪、ワイルドを通り越して、汚らしいよね!

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 みんなで、言いたいこといいやがって!


2005/03/29 ユビキタスラーニング推進協議会

 「携帯電話などのモバイル情報端末を活用した学習環境」を議論する「ユビキタスラーニング推進協議会」の第一回大会が開かれた。

 この協議会、総務省の情報政策に寄与するために設立されている。設立発起人総会では、山内さんが協議会会長、僕が副会長をつとめさせていただくことになった。

ユビキタスラーニング推進協議会
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050329k0000m040047000c.html

IT Media
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0503/28/news070.html

 海外でm-learningというと、一般には「PDAを活用した学習」をさす。一方、日本ではPDAは市場を失いつつあり、ケイタイの一人勝ち状態にある。

 もしユビキタスラーニングのプラットフォームが、ケイタイということになるならば、日本はこの領域でフロンティアになる可能性がある。しかし、そのためには超えなければならないカベも大きい。

 標準化云々の技術的課題も重要であるが、それと同じくらい重要だと思われるのは、「モバイルで学ぶ必然性のある具体的な学習活動、利用シーン」を、エンドユーザーに、社会に、どれだけビビットに提案できるかどうかにあると思う。

 関係者は「ケータイは学習のツールになるぞ」ということに関して、十分その可能性を信じているのかもしれないが、エンドユーザー、社会一般には、まだまだである。そのメリット、学習効果などを、具体的な利用シーンと同時に、どれだけ伝え、裾野を広げていくかが重要だと個人的には思う。

 若輩者ではあるが、そうしたお手伝いができればと思う。


2005/03/28 いろいろ

 面接、面談、講演、研究PRのときなど、要するに「他人に印象を残したい」ときに絶対に使ってはいけない言葉に「いろいろ」があると思う。

 「わたしは、これまでいろいろとやってきました・・・」
 「このシステムには、問題がいろいろとあるんですが」
 「この研究結果については、いろいろと議論があるわけで」

 とまぁ、こんな感じで、「いろいろ」は使われる。

 しかし問題は、「いろいろありましてねー」という言葉を使っているとき、当の本人のアタマの中には、文字通り、「いろいろなモノ」が浮かんでは消えているんだけど、赤の他人には全くそれがイメージできない、ということである。はぁそうですか、「いろいろ」なんですねー、という感じで、それ以上、イメージを膨らませようとはしなくなってしまう。敢えて問いただすことは、滅多にない。

 そして「問いただされない」ことはより深刻な事態をひきおこす。それ以上質問が差し挟まれないために、「いろいろ」を使う本人の方は、「いろいろ」の中身を他人にわかってもらえていると錯覚しがなのである。かくして「いろいろ」を使う方、聞く方のあいだに、カベができあがる。

 ふだんの会話ならばそれでよい。モノゴトの詳細に至るまで認知的資源を振り分ける必要はない。しかし、「他人に印象的にモノゴトを伝えたいとき」には、そうはいかない。そういうときには、認知的資源を最大限、自分の話に振り向けてほしい。そういうときは、「いろいろ」はなるべく使わない方が効果的だと思う。

 ところが、自戒をこめて言うんだけど、これがなかなかそうはいかない。「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」といったどこぞの国の首相の迷言は、まぁ、ワキにおいておいたとしても、僕らはついつい、一番「いろいろ」を使ってはいけないところで、それを使ってしまう。

 たとえば、これから何かの面接を控えているひとは注意した方がよいと思う。僕も面接官の立場で面接に何度かのぞんでいるが、「いろいろ」ほどよく使われていて、そして、受験者の人となりを曖昧にしてしまうことばはない。

 面接官は、あなたの具体的な経験が聞きたい。具体的なエピソードが知りたい。起承転結、オチのある話を望んでいる。そのエピソードから学んだ、あなたの教訓を参考にして、人となりを判断したい。「いろいろ」という言葉では決して形容できない、生の声を望んでいるのである。

 「いろいろ」は便利な言葉である。
  しかし、その便利さ故の諸刃の剣的性格を、その言葉はもっている。


2005/03/27 とうとう発売!

 この日記でも何度か紹介させていただいたことのある本、「大学eラーニングの経営戦略:成功の条件」が発売になりました。本書は、大学がeラーニング、遠隔教育を実施していくときのコスト、組織、支援体制、効果に焦点をあてた本です。

吉田文・田口真奈・中原淳(編著)(2005) 大学eラーニングの経営戦略:成功の条件. 東京電機大学出版会, 東京

 目次は下記です。もしよろしければご一読いただければ幸いです。

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第T部 IT化とeラーニングの概況
  1章 進むIT化と進まぬeラーニング
   1 日本の大学のIT化は遅れている?
   2 大学教育のIT化
   3 ITによる教育内容の配信
   4 ITよる授業の配信
   5 学内のIT戦略と組織構造

第U部 国内大学eラーニングの成功事例
  2章 eラーニングによる教育と社会サービス
     東京大学の事例  
   1 情報学環とiii online
   2 iii online―3つの目標
   3 iii onlineの概要
   4 iii onlineの組織
   5 アンケート調査の結果から
   6 アクセスログの分析から
   7 研究の発展
   8 実施にあたって困難だった点
   9 コストとメリットのバランスと将来課題

 3章 個別学習型eラーニングの実践とシステム評価
     玉川大学の事例
   1 eラーニング・システム導入の経緯と発展
   2 システム・スタッフの役割
   3 新たなプラットフォームの選定に向けて
   4 BlackboardとLearning spaceの比較
   5 LMS評価の結果と今後の計画

 4章 産官学のアライアンスによる実践教育と教育国際化を目指すeラーニング
     青山学院大学の事例
   1 はじめに
   2 eラーニングの障壁
   3 eラーニングの「3ない」阻害要因の克服
   4 AMLプロジェクトのねらいと研究テーマ
   5 AMLプロジェクト運営のための制度,ヒト,モノ(+技術開発),カネ
   6 プロジェクト活動によるeラーニング正規授業の実践
   7 産官学共同研究と教育の国際化を推進するA2ENプロジェクトの展開
   8 おわりに

 5章 eラーニングによる教養教育と生涯学習
     佐賀大学の事例
   1 ネット講義をどのように始めたか
   2 ネット講義実験サイトの構築
   3 ネット講義スタート(2002年度前期)
   4 ネット講義の状況(2002年度後期)
   5 2年目を迎えたネット講義(2003年度)
   6 ネット講義の新たな展開
   7 生涯学習としての活用
   8 eラーニングへの期待

 6章 全学規模による大学院講義のインターネット配信
     東北大学の事例
   1 はじめに
   2 ISTU立ち上げ時における課題
   3 「大学院教育情報学研究部・教育部」の同時開設
   4 ISTUにおけるコンテンツ作成の実際
   5 ISTUの現状
   6 おわりに

第V部 先進地アメリカからの示唆
  7章 eラーニングを支えるテクノロジー
   1 はじめに
   2 どんなシステムがあり,利用されているのか
   3 LMSとは何か?―混乱していくテクノロジーの名称
   4 標準化とコンテンツの流通
   5 CMSによるeラーニング・サイト運営の可能性
   6 eラーニング・テクノロジーの近未来―アメリカの事例

 8章 eラーニングを支えるスペシャリスト
   1 はじめに
   2 出版モデルによるコースの開発
   3 リエゾンという役割
   4 スペシャリストをどこで育てるのか

第W章 キーワードの検証―成功の条件
  9章 技術・コスト・教育効果とその先にあるもの
   1 なぜ技術・コスト・教育効果なのか
   2 技術・コスト・教育効果の検証
   3 日本のeラーニングの特徴
   4 経営戦略としてのeラーニング
   5 eラーニングのグランド・デザイン

おわりに


2005/03/27 不覚にも

 いやー、不覚にも、金八先生の最終回で涙してしまった(笑)。
 「狩野伸太郎君」の「答辞」の文章、演技はよかったぞ。ソーラン節の演出はいただけないけど。

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 それにしても、そんなにこの国のドラッグ汚染は広がっているのだろうか・・・。こちらの方は、大変深刻である。


2005/03/26 ポケットマネー

 今日はNIMEで、結城皖曠先生の退官記念講演、退官&異動者を囲む研究開発部主催のパーティが開かれた(パーティに参加してくださった諸先生方、そして準備を担当してくださった田口さん、西森さん、事務補佐員の方々、ありがとうございました。とても楽しい会でした)。

 結城先生は、NTTアドバンステクノロジーから8年前にNIMEに着任。NTT時代は、ファクシミリの国際標準化に従事なさっていた。

 今日の退官記念講演は、この国際標準化の話。様々な利害と思惑がからむ標準化のテーブルの席上の話は非常にオモシロかった。

 特に印象に残ったのは、結城先生がパーティの最後におっしゃっていた言葉。

(何かモノを開発するとき、コトをおこすときは)自分のポケットマネーならそうするだろうか?、と問い直すことが重要だ。その感覚さえもっていれば、たいていのことは間違ったことはしない。

 至極名言だと思った。

 教育システムの開発にからむオカネ、国の教育施策実施にかかる費用、本当に何かモノをつくったり、ヒトを雇ったりするには、莫大な費用がかかる。

 もちろん「橋をつくる」「アナを掘る」とかいう「ドケン」とかの世界とかだと、ゼロが2個も3個も4個も違うんだろうけど、たとえ教育の世界でも費用は莫大なのだ。

 僕も就職して以来、様々な研究開発プロジェクトにかかわってきたし、国の教育システム開発のお手伝いをしてきた。

 かつての僕は、そうしたプロジェクトの費用を聞くたびに、「ひゃー、そんなかかるのかいな!」といちいち驚いていたのだが、だんだんとその感覚がマヒしていたことに気がついた。それが「過剰に安いなぁ」と思ったことはないんだけど、あまり関心をはらわなくなってしまったのは事実であった。

 自分のポケットマネーなら、本当に、僕らはそうしただろうか?
 
  僕は、この言葉を肝に銘じたい、と思った。

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付記.

 ちなみに、教育システムを開発する側にとっても、この言葉は含蓄にとむ。自分の開発した教育システムが受け入れられるか、受け入れられないかを問う「第一の質問」として、「自分のポケットマネー(時間でもいいよ)を払ってでも、受けたいサービスか」と問うことが重要である。

 教育システムの開発をする側は、通常、マーケティングなどの活動を通じて、ユーザーの志向やニーズを調査している。しかし、ここでの「ユーザ」は顔の見えない3人称的他者である。そうした意見も重要ではあるが、まずは1人称の視座から考えることが、役にたつのではないかと思う。

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追伸.
  お金のことといえば、先日ある方とこんな話をした。「大学院生の頃、研究費を数万円くれる」と言われたら、小躍りしていたよねー」と。

 確かにそうである。もし万が一、公募とかにあたって、数十万もらったとしたら、ノーベル教育賞くらい取ってやるか、くらいの勢いだったような気もする(もちろん錯覚極まりないし、自己認識の甘さはこの上ない・・・反省)。

 若気の至りといえばそれまでだが、なぜあまり費用をかけずとも、大学院生の頃はプロジェクトを運営できたのか。いくつか理由があるが、最大の理由は、自分自身で「何でもやったから」である。

 マシンの組み立てから、ネットワークの設定、BIOSやOSのセットアップ、プログラミング、デバッグ、アンケートの作成、SPSSを使っての分析・・・すべて自分の力で、時間に換算できないほど大量の時間を、それに費やしていた。時給換算すると、本当にものすごい金額の仕事を、自分という「無料の労働力」を駆使して、こなしていた。

 そして、そうしたひとつひとつの作業こそが、学習そのものだったのだ。研究をしつつ、研究するとは何かを学んでいたことになる。
(僕は、大学院生が先生から潤沢な資金を割り当てられ、こうした最下流の作業を体験することなく研究だけを行っていくことには、あまり賛成できない。それは非常に重要な学習のリソースを失うことになりかねない)

 もちろん、今の僕にはこうした作業をすべてこなすことは不可能である。あまりに忙しいし、それとは異なったタイプの作業が満載である。しかし、時に、そういう時代が懐かしくなるし、その原点に戻りたくなる。

 たとえお金をかけなくてもステキなモノができるかもしれない。
 たとえ数千万かけたとしても、後にも先にもそのとき限りの、ペンペン草しかはえないモノしかできないかもしれない。


2005/03/26 大学もプロの時代!

 毎日Interactiveに、立命館が「大学経営のプロフェッショナルを養成する大学付属機関」をつくったというニュースがのっていた。

大学経営のプロを養成(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050323ddlk26040324000c.html

 このページでは、何度も何度も述べているとおり、教育の業界は望むと望まないとにかかわらず、「プロフェッショナル」が(少なくとも今よりは)活躍する時代に入っていくと思う。大学経営だって、まさにしかりである。

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 ところで、これはまた別の機会に述べることにするが、最近、大学は、事務官と教官がコラボレーションできてはじめて、すごい能力を発揮できるんだなぁと今更ながらに思っている。アタリマエのことかもしれないが、それを実感しつつある。「どちらか一方が強くても、弱くてもダメなんだ」ということをひしひしと思う。

 レスが早く、指摘は的確で、予算の執行方法・ネゴの方法を体得している事務官が、どれほどアリガタイものか。「教員にはできないこと、思いをよらないこと」を彼らは、気をきかせて実現してくれる。

 そういう事務の方と仕事をしているとき、僕は、幸せを感じた。
 そして願わくば、彼の配慮に報いる仕事がしたいと思った。


2005/03/25 パンツの丈はもっと苦手だ!

 「前日の日記」に引き続き「苦手シリーズ」!

 何を隠そう、僕は、「ズボンの丈を切る」のが苦手である。「切る」といっても、もちろん自分で「丈」をチョキチョキと切るわけではない。店員さんに採寸してもらって、切ってもらう。

 だけど、これが悲劇のはじまりである。今まで生まれてこのかた、「丈」がちょうどよい長さだった試しがない。いつも短いか、長いかである。できあがった「丈」を確認して、いつも「悔しい」思いをしている。先日、コムサで、前に買ったことのある黒いパンツと同じものを買ったのだが、これを買うハメになったのは、前のパンツの裾をつめるときに異常なほど短かくしてしまったからである。トホホ、カネねーのによ。

 ところで先日、村上さん@京都外国語大学の過去の日記を読んでいたら、こんな記事を引用しておられた。

 村上さん@京都外国語大学
  http://www.murakami-lab.org/masayuki/blog/diary/
 

 男性の皆様、見られてますよ(毎日新聞)
  http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/fashion/news/20050222ddm013100039000c.html

 なにやら、独身女性が男性を品定めするときに一番ポイントになるのは「男性を品定めする「パンツ丈」であるらしい。なんと!、合計96%の独身女性が「気になる」と指摘している!

 だめじゃん! あーあ

 まぁ、今さら「独身女性」にモテることを求めているわけではないのだが(求めていたら、やや問題があるらしい!?)、それにしても「うわっ、あの人、ヤバッ!、めちゃダサやなー」とは思われたくない。そりゃ、誰も思われたくないだろ。

 ちきしょー、誰か、コンサルティングしてくれ。
  絶対、丈切るの苦手なヤツ、オレだけちゃうで。儲かると思うねんけど。


2005/03/24 法律は苦手だ

 現在、僕が開発にたずさわっている某プロジェクト。このプロジェクトには、今まで僕が経験したことのない作業がたくさん含まれているんだけど、そのひとつに「法律文書の作成」がある。

 著作権、知的財産権、著作人格権、クリエイティブコモンズ、GPL・・・「知的財産担当の方々」との打ち合わせでは、それこそ、いろんな法律用語が飛び交うのだが、この打ち合わせを通して、僕ははたと気がついたことがあった。

 僕は法律が苦手なんだ!

 どうにも、こうにもこの種の話を聞いていると、アタマがパニックになってしまう。全く意味がわからない。さっき確認していた「あのこと」をつぎの瞬間には忘れている。開き直っているわけではない。本当に真剣に話を聞いていても、どうにも思考がついていかないのである。「法律の学習障害」というものがあるのかどうなのかは知らないが、かなりそれに近い。

 会議やプロジェクトは、非常に経験深い先生方のおかげで、無事に進行している。なんとかキャッチアップせねばと思っているのだが、どうも僕の思考は、リーガルマインドというものから遠いようである。

 それにしても、恐ろしいのは、かつて僕は大学受験の際、後期は北海道大学の法学部を受験していたことである。「社会とか好きだから法学部を選んだ」わけであるが、今から考えるとアンポンタン極まりない。きっと法学部に進学していたら、完全にドロップアウトし、「ニート」になっていたのではないかと思う。

 人間、向き不向きというものが、確実にある。


2005/03/23 精力的な

 先日、溝上さん@京都大学にご著書を献本いただいた。溝上さんの新編著は、「大学教育の改善にいかすことのできる心理学の研究知見」を扱っている。

溝上慎一・藤田哲也 (編)(2005) 心理学者、大学教育への挑戦. ナカニシヤ出版, 京都

溝上慎一さんのWeb
http://www.highedu.kyoto-u.ac.jp/mizo.htm

 従来より、認知心理学者の一部が、「教育評価」を語ったり、「教科教育の改善」のために提言を行っていたことがあったが、「大学教育」を対象にしたものは、管見に関する限り、これまでなかった。その意味で、新たな研究フィールドを築く貴重な一冊になるのではないかと思う。

 それにしても、いつもいつも思うことだが、溝上さんは、どうしてクオリティを維持したまま、こんなにたくさんの本を編んだり著したりすることができるのだろうか。前著「現代大学生論−ユニバーシティ・ブルーの風に揺れる」も、非常にオモシロイ本であった。

溝上慎一(2004) 現代大学生論 ~ユニバーシティ・ブルーの風に揺れる. NHKブックス

 「あのー、睡眠とってますか?」と思わずお尋ねしたくなってしまう。彼の著作を楽しみにする一方で、彼のご健康を祈ってしまう。くれぐれもお身体ご自愛していただきたいものである。

 最後に、このたびの献本に対し、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


2005/03/22 近況

 某日

 東京女子医大病院。持病に対して、漢方の処方箋をもらう。とても優しい女医さんだった。「これから一緒に病気を治しましょうね」と言われて、「はい、先生についていきます!」と力強く答える。激しく動機づく。病は気から。

 午後、某プロジェクト。知財部との著作権、知的財産権に関するミーティング。最初ご挨拶だけを行い、会議を中座。次の面談へ。夕方、某省の人、シンクタンクの方と、次の日の会議の打ち合わせを行う。

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 次の日

 午前、IBMのセミナーに参加。とてもオモシロかった。途中で中座し、山内さんと丸の内ビルディングでランチ。またもやご馳走になってしまった。ありがとうございました。ランチ終了後、霞ヶ関某省へ。昨日に引き続き会議。プレスリリースの日程などが決まる。夕方、山本さんと「今後の研究計画や作業分担」等について打ち合わせ。何事も最初が肝心である。

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 某日

 デザイナーの吉田さんから、某プロジェクトのデザイン案が示される。どれもいいな、と思うが、これから1つを選ばなくてはならない。どのように選考を進めるか、思案する。各所にメール。

 午後、テキサス大学の青木先生が研究室を訪問。青木先生は、現在、健康情報学をテキサス大学で教える一方で、「健康 - 情報 - 教育」に関するNPOを日本で経営なさっている。まだお若く、とても好感のもてる方だった。

非営利活動法人(NPO) ヘルスサービスR&Dセンター
http://www.chord-j.info/

 このNPOでは、携帯電話を使って糖尿病患者に対する教育を行うソフト「INSLOT」を開発している。

INSULOT
http://www.cs-oto.com/jcmi2004/paper/jcmi24/paper/x10400/p10400.html

INSULOT
http://www.diabetesincontrol.com/modules.php?name=News&file=article&sid=2554

 また、同NPOが受け皿となって、テキサス大学健康情報大学院の正規の修士号を受講できるプログラムも提供している。

 青木先生によると、「こんなことして文部科学省がなんにも言わなかったんですか?」とよく人に聞かれるらしいが、全く何も言われなかったとのこと。もう既に、大学のグローバル化は、はじまっていることを実感。

 今後、BEATの研究などとうまく連携していけるとよいな、と思った。

 ちなみに、青木先生の研究室のご訪問のきっかけになったのは、僕のWebだった。このところ、海外大学の学生の方々、教員の方々から、よくメール等をいただく。

 もし僕の研究等に興味をもっていただけたのなら、是非、ご連絡をいただければと思う。時間が許す限りお逢いして、お互いに研究のプレゼンテーションを行い、可能な範囲で協力し合える関係をつくれればと思う。それらの方々によると、海外に留学して一番ツライのは、日本に帰国したときに、なかなか研究のネットワークに入っていけないことらしい。ネットワークの中に入るためには、研究会などを開き、いろいろな方々に自分の研究を知ってもらうことが重要だろう。

 研究領域が近く、また時間が許し、「Give and Take」の関係が保持できる方となら、そういうお手伝いは積極的にしていきたいと思っている。

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 某日

 某プロジェクト。デザイナー、システム開発者、サーバ運用者などが一同に集まる会議。デザイン案も絞り込み、何とかめどがみえる。ホッとした。

 夕方、メディア教育開発センターで某パーティ。とても嬉しかった。ありがとうございました。カラオケで絶叫しすぎて、ノドいてー。

 あとから気づいたけど、かなり飲んでいたんだなぁ、この日。おうちに返ってきて、ペットボトル2リットル飲み干しそうになっているときに気がついた。

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 某日

 午前、水越先生と打ち合わせ。昼、プロジェクトFishの定例ミーティング。東京、千葉、神戸、宮崎をむすんでのテレビ会議。

 午後、某プロジェクトの関係で、小宮山副学長(4月より東大総長に就任予定)にお時間をいただく。ブリーフィング。ホッとした。この日の会議は、本部等8Fでの会議であったが、その階は、とても国立大学の中とはオモエナイほど格好よかった。秘書さんと思われる人も、受付に4〜5名いて、なんだか民間企業の受付みたいだった。

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 昨日

 山本さんと定例の打ち合わせ。昼から、様々な事務処理。午後、国立科学博物館へいき、会議。非常に感触がよかった。至急、研究計画の策定に入る。三上さんに感謝。

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 本日

 八重樫さんご婚約、およびみんなの門出を祝う会。八重樫さん、吉田さん、田口さん、川口さん、望月君、久松君、椎木さん夫妻、われわれ夫妻で新宿で飲んだ。「百式」の管理人をやってらっしゃる田口さんと、教育のことなどいろいろ話した。アカデメディアという異業種交流会をやっていらっしゃるとのこと。久松君は一度参加してオモシロかったらしい。僕も機会を見つけて参加してみたい、なと思った。ともかく、八重樫さん、おめでとう。そして吉田さん、幹事お疲れ様でした。

 百式
 http://www.100shiki.com/

 アカデメディア
 http://blog.academedia.jp/

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 そして人生は続く


2005/03/21 ばかものよ

 ある人のblog(本当はここからリンクしたいのだが、彼女はそのサイトをあくまで個人的なものとして運用しているのでやめておくけど)にあった詩、とても懐かしいな、と思った。

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自分の感受性くらい
茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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 「茨城のり子」さんといえば、上記の「自分の感受性くらい」はとっても有名だけれども、中学校だったかな、教科書にのってたよなぁ、確か「私が一番きれいだったとき」?とかいう反戦詩だったような・・・。

 彼女の詩集は、高校時代によく読んだけれども、力強くてね。なんかね、こういう力強い女性の言葉に僕は、なぜか惹かれるね。

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ

 ばかものですみません(笑)


2005/03/20 恋愛相談

 昔は大得意であったのに、いまや全く苦手になってしまったものに「恋愛相談」がある。

 「○○さんのことが好きなんだけど、どうしたらよいだろうか」
  「○○くんとは結婚を前提でおつきあいしているんだけど、なかなか成就しない、どうしたらよいだろうか」

 それほど数が多いわけではないけれど、たまーに、こんな僕でも恋愛相談を受けることがある。で、受けるのはいいんだけど、最近の僕は、こうした相談に対して、まともな答えをかえすことができたことはほとんどないと思う。ていうか、記憶にない。

 いつも、「そうだねぇ・・・」とか、「それはむずかしいねぇ」とかいって、お茶を濁している。徹底的な「聞き役」に徹する以上のことを、僕はできない。

 しかし、かつての僕は、こんな煮え切らない答えをする人間ではなかった。どちらかといえば、「○○なときは○○すべし」といった具合に、「細木和子」並の自信と厚かましさをもって、他人の相談に答えていたような気がする。

 もちろん、かつての僕がだした「答え」が、よい処方箋だったわけではない。いや、むしろ悪い。友人の土田君は、ことある毎に、僕に常に恋愛のアドバイスを求め、合計「12連敗」という悲惨な、そして「前人未踏の記録」をうちたてることになった(土田、残念!、でも僕に恋愛相談をする君にも責任がある!?)

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 いずれにしても、かつての僕は、自らが「処方箋」と信じる答えを、明確に、かつ単刀直入に口にすることが気がする。そして、今はそれができない。そのことだけは間違いがない。

 それはなぜか?

 その理由は、僕が恋愛に対する「規範的アプローチ」を採用せず、「解釈的アプローチ」に徹するようになった、ということもできる(ちなみに、両アプローチは教育学の常識。当然ここでの意味は、それとは異なるよ)。

 蓋し、かつての僕は、「規範」に生きていたような気もする。他人の恋愛に対して、「規範的アプローチ」をもって、判断を行っていた。

 「男だったら○○すべし」「オンナだったら、○○して当然だ」「恋愛とはかくあるべし」...こういった類の、ハーバード大学 サマーズ学長まっさおのステレオタイプ(規範)に、かつての僕はとらわれていた。そして、こうした基準をもとに、すべてを裁断していたのだ。だから僕は饒舌であった。

 しかし、大学に入り、少しずつ年を経る毎に、僕の中の規範は急速に失われた。正確にいうならば、あらゆる規範を相対的に考える位置を見つけたのかもしれない。

 ある規範をもとに、何かを判断するということに興味がなくなったし、それが不可能であることを知った。たとえば、かつて高校時代に胸をときめかせて読んだ!?スタンダールの恋愛論の「結晶作用」も色褪せて見えるようになってしまった。

 それよりは、むしろ、個々人が持つ恋愛の規範を併置したところに自分をおき、各人がそうした規範をなぜ発達させたのか、また、それが愛する人との出逢いによって、どのように変化することを余儀なくされているのか、そのことがかの人の人生にどのような意味をもつのか、といったことに興味をもった。

 こうした関心は、「一銭の得」にもならんし、「ペンペン草」さえ生えない。が、何だかそういう生々しい恋愛のプロセスの方が、聞いていてオモシロイと思うようになったし、それを聞くことこそが、他人にできることではないのかな、と思うようになった。

 かくしてぼくは言葉を失った。あの「饒舌さ」は消えてしまった。そして、恋愛相談には応じられないカラダになってしまった。

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 先日、久しぶりにある人から恋愛相談を受けた。やっぱり僕は饒舌に相談には答えることはできなかったけど、彼がなぜ、そのことを問題に思っているのかを、感じることはできた。

 いずれにしても、僕の恋愛相談には、一切、答えはない。まぁ、「12連敗」の記録づくりを支援した男だけに、間違ったアドバイスをすることだけは自信がある(苦しい思いをしたい人は、僕に相談するといい。もれなく、ツライ目にあえます)。

 だけれども、よくよく考えてみると、人は恋愛相談をする際には、既に「明確な答え」を自分で見つけているような気もする。そう考えると、恋愛相談とは何か、ますますわからなくなってくる。


2005/03/19 科学と社会

 竹内結子が主演しているドラマ「不機嫌なジーン」を毎週楽しみにしている。

 ドラマがはじまった当初は、あんまり関心はなかったんだけれども、1)ドラマの舞台が大学院だということ、2) カミサンが南原教授のファンで「フガーフガー」と鼻息まじりで見ているので、何となく、僕もつられて見るようになってしまった。

 現在ドラマは9話目。残り2話を残すだけとなった。このドラマ、全くのドタバタ・コメディではあるけれど、ときどき、興味深いテーマを扱っている。

 恋物語とともに現在ドラマの中で問題になっているテーマは、竹内結子が恋する南原教授が、かつて若かりし頃、有明海の干拓事業のアセスメントの仕事を受けた際、「干拓を行っても周囲の環境に与える影響は少ない」と結論するレポートを作成したということである。

 要するに、ここで問題になっているのは、ある政策の妥当性を保証するような研究を受けるべきか、否かということである。もちろん、その意志決定の背後には、「研究費を確保できるか否か」「若い研究者が大学にポストをえられるか、否か」といった問題などが横たわっていることは言うまでもない。

 南原教授はいう。

 「社会とかかわろうとするとき、科学者は無力だ」

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 程度の差こそはあれ、このような事態は、何も南原教授だけに起こることではないし、動物科学だけの話だけではない。教育学だって同じである。

 どんなに教育学者が政治的中立な研究を心がけ、何者からも自由に教育学研究を行おうとしても、政治的中立性は確保できると考えることは夢想である。「何かのムーヴメントを起こそう」という教育学者がいるとすれば、いわんやをやである。研究費の問題、一見、研究とは離れたところにあるかのように感じる課題から、目をそらして研究ができる人は、それほど多いわけではない。

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 コメディドラマ「不機嫌なジーン」を透かしてみれば、研究と政治、研究と社会のビミョーな関係が見て取れる。そんなことを考えながら、このドラマを見ている人は、そう多くはないとは思うけれども。

 かくいう僕も、竹内結子の圧倒的な「可愛らしさ」「可憐さ」を前に、ほとんど、そんなムズカシイことは左脳の端に消えている。


2005/03/18 現場

 今、僕はシステム開発の案件を2件抱えている。このところ、そのための企画書、指示書を書いたり、工程表とにらめっこしたりすることが多い。

 夜中、ふとしたおりに目がさめる。ふとコンピュータの電源をつけ、飛び交う電子メールを1通1通みていると、「現場に帰ってきてしまった」と思ってしまう。それはカラダ的にはツライ。だけれども、ひとつひとつアイデアがカタチになるのは楽しい。こうした規模の開発は、exCampus以来になる。

 ボストンから帰国し、はやいもので半年が過ぎようとしてる。
  僕は、今、現場にいる。


2005/03/17 学習者の視点

 僕には「勘」がある。恋愛や金銭に関する「勘」は全く働かないけれど、こと「学習システムが機能するか、どうか」「この教育プログラムがうまくいくかどうか」に関しては、なぜだかわからないけれど、「勘」が働く。

 この仕事をしていると、よく「新しい学習システム」のプレゼンテーションを聞くことが多いのだが、そういったとき、「あっ、これはここを変えなければ長続きしない学習になるな」だとか、「これはきっと学習者に受け入れられないな」といった感じで、直感が働く。

 しかし、その勘とやらを種明かしすると、結構簡単なことであったりする。それはいくつかの項目(プロダクションルール!?)で表すことが可能であるような気もするけれど、一番重要なことは下記である。

 学習者がそれを用いること自体に「意味」を見いだせない学習システムは、それがどんなに優れた理論に裏打ちされ、最先端のテクノロジーを駆使し、綿密に計画され、設計されていようとも、学習者がその利用に一縷の希望を見いだせる「凡庸」で「稚拙」で「単純」なシステムに秀でることはない。

 なんじゃそりゃ、と思われるかもしれないが、この命題をクリアするのは単純でいて、難しい。「設計者からみた学習システムの利点」と「学習者からみた学習システムの利点」を区別した方がいい、というただそれだけのことなんだけど、これが、なかなかうまくはいかない。

 ともすれば「設計者」の「理屈」や「願望」といったものを押しつけてしまう結果になるから注意が必要だ。これは自戒をこめて言っている。本当に、油断をすると、すぐにそうなってしまう。

 学習者中心主義への道は、言うは易いが、行うは難し。


2005/03/16 山内研究室合宿

 先日、山内研究室@東大の合宿に3年ぶりに参加させて頂いた。

 合宿では、「高齢者を対象にした国際協調学習に関する研究」(折茂さん)、「Webリテラシーの育成をめざした教育プログラムの開発」(椎木さん)、「デザイン概念を用いた教科情報の教科書のテクスト分析」(八重樫さん)などの研究発表を聞いた。今すぐに論文投稿できそうな研究ばかりで、とてもオモシロかった。

 夜は、例のごとく飲んだ。佐藤さん、荒木さんと「女子高で3年間を過ごすメリット」に関する話で盛り上がった気がする。今日発売のAERAも特集は「女子高」だった。数日間だけ、「時代」を先取りしていたのかも。

 また都合をあわせて参加させていただきたい、と思っている。

合宿
   
  

   

左の写真は、研究会の様子。合宿といえども、キチンと勉強する。一番右は、鵜飼医学部長(白い巨塔)・・・じゃなくて八重樫さん、似ていると思うのは僕だけか!?。右の写真は、みんなでとった写真。


2005/03/15 冬ソナのいろいろ

 我ながらオモシロイなぁ、と思うことは、大学の先生方で「冬のソナタを1話でも見たことがある」という人に出会ったことがない、という事実である。少なくとも僕のまわりでは。

 しかし、先生方は決して「冬のソナタ」の話についてこれないわけではない。むしろ、率先して話題をリードする。

 「僕/わたしは、残念ながら、見たことがないよ」とおっしゃるにもかかわらず、語り始めるとすごい。「冬のソナタによる韓国経済への波及効果」「冬のソナタに代表される韓国の著作権問題」といったテーマにいつのまにか話題がすり替わっていて、議論が白熱する。

 確かに大学の先生方は忙しい。ドラマを見る暇なんてないのかもしれない。なんかこういってしまうと、「自分の暇人ぶり、ミーハーぶり」を露呈してしまっているようでイヤなんだけど。

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 冬のソナタといえば、先日、義母からこんな話をきいた。彼女の知り合いには、「冬のソナタにハマり興奮しすぎて、既に終わっていた生理が復活した人がいるらしい」。

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 同じ番組に対する反応は、人それぞれ違う。


2005/03/14 急募! 求むインストラクショナルデザイナー

 ナレッジプラットフォームという会社を経営する一色さんから(彼女は東大山内研究室OB、ハーバード大学院を卒業後、スタンフォード大で勤務なさっていて、そのときにはじめて逢った!ちょうど、僕が就職して1日目のことだった!)、下記のような人材を募集を行っているという話をきいた。もし興味のある方がいらっしゃったら、下記にご連絡を!

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ナレッジプラットフォーム株式会社は、シンガポール、インド、パキスタン、東京に拠点を置くeラーニングコンテンツプロバイダーです。弊社では現在、下記人材の募集をしています。ご関心のある方は、是非ご応募下さい。

■職種
インストラクショナルデザイナー

■雇用形態
正社員

■仕事内容
コンテンツ開発のためのインストラクショナルデザイン、開発支援の仕事です。弊社シンガポールオフィス、ニューデリーオフィスのプロジェクトマネージャー、開発担当者との協力のもと、業務を進めていただきます。

■勤務時間
9:30-18:00 (時間外勤務あり)

■休日・休暇
完全週休2日(土・日)、祝日、年末年始、夏季、慶弔、有給休暇

■給与
応相談

■応募条件
(1) 人材育成もしくはeラーニング開発経験者
(2) 英語コミュニケーション力(TOEIC 900点以上基準)をお持ちの方
(3) 主体的に行動できる方

■応募方法
メールまたは郵送にて、履歴書(写真貼付)を下記まで送付して下さい。追ってご連絡いたします。

ナレッジプラットフォーム株式会社 採用担当
〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-1-12 虎ノ門ビル8F
e-mail: info-j@knowledgeplatform.com

■ナレッジプラットフォーム株式会社ウェブサイト
http://www.knowledgeplatform.com (英語)
http://www.knowledgeplatform.com/japan (日本語)


2005/03/13 リーダー

 「リーダーシップ」の背後に、常についてまわるのが「責任」だと思う。

 たとえば、あなたがプロジェクトでリーダーを名乗るのならば、当該プロジェクトをデッドラインを守り、予想された成果をあげる「責任」が、あなたにはある。またプロジェクトメンバーの行為によってもたらされる不利益に関して、毅然な態度で説明を行う責任がある。また、プロジェクトの成果に関して、メンバーが納得する方法で、それを分配し、動機を維持する責任がある。

 それらを果たせないならば - イヤ、違うな、果たせないというよりも、果たそうと努力することすらしないのならば、頼むからリーダーにはなって欲しくない、と個人的には思う。はっきり言って、迷惑である。

 人生は無限に続くようでいて有限だ。これらの「責任」の持とうとしないリーダーの下で、短い人生を浪費するほどばかげたことはない。

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 が、短い社会人経験で恐縮だが、現実は、なかなかそうはいかない。

 「うまくいったとき」だけリーダーを名乗り、「失敗したとき」には、「オレはきいてない」と開き直る<リーダー>がいる。「聞いていないこと」自体が、あなたの過失なのだと指摘しても、そういう人は首を縦にはふらない。

 いつのまにか「自らの判断」を覆したとしても、なんら説明する責任を負わず、ごまかす<リーダー>もいる。あなたは自分の判断を覚えていなくても、末端のメンバーは必ずそれを覚えている。あなたが「ごまかすことができた」と思っていても、たいていは「失敗」している。メンバーはそんなにバカではない。

 はたまた「クレジット」に自分の名前を入れることには熱心だが、プロジェクトのメンバーの名前を入れることには、全く無頓着な<リーダー>もいる。プロジェクトにアイデア出しをしても、全くそれが反映されない。Take all、それ以上、以下でもない。かくして「やる気」は激しく失われる。

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 僕はいまだ「リーダー」の位置にはいないペーペー者である。だからこんなことを言えるのかもしれない。そして、今、ここで述べていることは近い将来、程度の差こそはあれ、僕に跳ね返ってくることなのかもしれない。いや、確実に返ってくるのであろう。きっと痛い思いもするのだろう。

 「だけれでも」である。僕はやはりここで述べようと思う。近い将来の自分に自戒をこめる意味でも言っておいた方がいいように思う。

 「オレは聞いてない」と開き直られている人、「うまくごまかされているフリ」をしている人、すべてをリーダーにもっていかれている人・・・そういう同世代の友人たちが苦しんでいるところを見たり、聞いたりすることがなんと多いことか。激しい怒りならまだマシだが、途方にくれたため息とともに、それらが語られることが、なんと多いことか。

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 間違ったリーダーの下で仕事をすることほど、損害の大きいことはないな、と思う。


2005/03/12 学校経営品質

 先日、日本IBMの奥さんから、IBM Bussiness Consultingの主催するセミナーのお知らせをいただいた。ちょうど丸の内での会議と会議のあいだに予定があいていたので、1時間だけ出席することにした。

 この日のセミナーは、「学校経営品質を向上させる活動」に関するもの。具体的には、管理職や現職教員が、いくつかの質問項目から構成させる「アセスメントチェックシート」に回答することを通して、教育目標を明確にし、また日々の教育活動を内省するきっかけにするというもの。

 いわゆる企業でいうところの「Plan-Do-See」のサイクルをそのまま学校に導入し、教員の指導力向上、サービス力向上に役立てようとする考え方である。

 この日は、三重県立松阪高等学校の校長である中沢薫氏、イリノイ州のある学区の前・教育委員長ジョン=カニヤーズ氏が講演なさっていた。

 特に、印象に残ったのは、ジョン=カニヤーズ氏が、非常に聞きやすい英語で「We make product」とおっしゃっていたこと。もちろん、Productとは、教育の質のことである。

 またカニヤーズ氏は、「企業と学校の教育現場における90%の問題は、人に問題があるのではない、システムに問題がある」と述べていた。学校のプロダクトたる「教育の質を向上させる」ためには、個人の努力だけでなく、学校全体のシステムの継続的改善が必要なのであろう。そして、継続的改善のための手段が、先にのべた「アセスメントチェックシート」、いわゆる自己評価ということになるのだろうか。

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 学校を企業、教育を製品のメタファで語ることは、なにも今日になってはじめてでてきたものではない。古くは、1960年〜70年代に頻出している考え方である。古くは、1900年代には既に「学校」を「工場」のメタファにたとえる産業主義の教育論が生まれていた。

 しかし、最近、地方分権の議論がまきおこっている。程度の差こそはあれ、中央が教育を完全にコントロールする時代は、過去のものになろうとしている(地域間格差の拡大問題、補助金の問題など、この問題は他の大きな問題を孕んでいる。単に中央の権限を地方にすげかえるだけでは、改悪といわざるを得ないと個人的には考える。詳しくは、また別の機会にでも)。

 米国でNCLB(No Child Left Behind Act)がはじまったあたりから僕は、地方の教育委員会を対象にした教育コンサルティングサービス、評価支援サービスが登場することは予見しており、いろいろな場所でその到来を語ってきた。ようやく日本でも、そうしたサービスに注目が集まっているようであった。事実、当日のセミナーでは、教育委員会の方、行政担当者の参加が多かった。

 地方の教育委員会、個々の学校の力量がとわれる時代に突入している。



2005/03/11 国際シンポ

 マサチューセッツ工科大学からセンベンさん、イギリスからはベンさんを招いて開催された国際シンポの様子が、毎日新聞の「Mainichi Interactive」に掲載された。

 毎日インタラクティブ
  http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050310k0000e040070000c.html

 やや手前味噌になるけれども、今回の国際シンポ終了後、いろいろな方々からお褒めの言葉をいただいた。

 マサチューセッツ工科大学で、ちょうど僕の隣の部屋に研究室があって、いつも優しくしてくれていたセンベンさん。出逢いは本当に「偶然」であったけれども、今回、彼が日本にきてくれて本当によかったと思っている。

 下の写真は、シンポジウムがはじまる2時間前に、本郷キャンパスの近くの「湯島神社」に彼らを案内したときのもの。この日は、よい天気で梅が本当にキレイだった。

湯島神社
   
  

   

ベンさん、梅茶を飲んでいる。みんなで「おみくじ」をやった。なぜか僕は「大吉」だった。過去10年以上、「大吉」なんてひいたことないので、びっくり。ホンマカイナ。

  
湯島神社
   
  

   

左の写真は、センベンさんと僕。右の写真は、センベンさんがプレゼンテーションを行っている様子。

  

2005/03/10 胃フォト交換会

 カミサンの友人である「りえ」さんからメールがきた。なにやら、最近、「慢性胃炎+急性胃炎+逆流性食道炎」と診断されたらしく、その相談らしい。以前僕も同じ病気に苦しんだ経験があったから、相談することにしたのだろう。

 りえさんは、ある出版社で働く非常に優秀な編集者である。
  彼女の特集記事は、僕も何度か読んだことがあるが、どれも力作で非常にオモシロイ。取材のため、世界各国をとびまわることもある。

 きっとそんな激務の中で、日に日に彼女の「上部消化器」は弱っていたのだろう。徹夜も多いだろうから、コーヒーもがぶがぶと飲む。それに加えて、無類のワイン好き。いつも記憶を失っている(そんなに飲むなよ・・・)。
  無理がたたって、ある臨界点までいってしまい、カラダが悲鳴をあげてしまったのではないかと推察される。

 何通かメールをやりとりして、結局、年度末の忙しさが終わった頃に一度あって、「胃フォト交換会をしようね」ということになった。自分の胃フォトを、どうしても僕に見て欲しいし、僕のそれと自分のものを比べてみたいのだという。

 まぁ、そのことでどれだけ彼女が安心するのかはわからないけど、僕自身、他人の胃フォトも見てみたい気はする。比べてみて悲惨な方にはなりたくないけれども。

 まぁ、勝ち負けじゃないんだけどなぁ。きっと、「買った」「負けた」とかぎゃーぎゃーと騒いで、また飲むんだろうな。だめじゃん、それじゃ。


2005/03/09 フォーマル

 最近、スーツとかジャケットとかを着る機会が本当に多い。4年前就職してからというもの、基本的には、夏はジーンズとTシャツ、冬はジーンズとパーカーを通してきたぼくであったが、ここにきて、やむにやまれずスタイルを変えている。

 さすがに外の人の参加が多くなる、わりかしフォーマルな会議で、ジーンズをはいていく勇気はない。どんなにそれがその人のポリシーであっても、はたまた自分が大学人であっても、やはりちょっと眉をひそめられてしまうだろう。

 まぁとはいえ、フォーマルな格好をしていると、「シャキーン」というカンジになって、たとえば背筋がのびるし、ココロもひきしまるように感じるから、そんなに悪いことだけではない。肩がこるのは本当にいただけないけれども、これは慣れるんだろうか。

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 ファッションといえば、先日創刊したばかりの男性ファッション雑誌「UOMO」を、カミサンが見てみたいらしく「がるるー、がるるー」と何度も何度も言ってくるので、仕方なく買った。メトロセクシャル的な男性向けの雑誌で、装丁やレイアウトは、女性ファッション雑誌のそれを導入しているところが新しいのだという。

 僕も少し中をのぞいてみたけど、なんだか気後れしてしまった。UOMOは、40代を対象にしているらしいんだけど、「こんなオシャレなオヤジ、怖いよ」というカンジである。まぁ、色のあわせ方なんかのためには参考にはなるだろうけど。

 それにしても、モデルの着ているジャケットの値段が15万〜20万なのを見て、やや怒りがわいてきた(笑)。サラリーマンの平均おこづかい額は5万円くらいであるが、絶対に無理だよね、フツーの人は。でも、世の中には、このようなお品を「さーっ」と買える「オヤジ」がいるんだろうね(哀)。

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 話をもとに戻して、まぁともかく今日もフォーマルな日だ。
 今日は何色のジャケットにしようか。


2005/03/08 スネオ毛

 なんだか、最近、「ゴダイゴ」づいている。
 
  きっかけはポンキッキ。先日紹介した「青い空、白い雲」の作曲家が、元・ゴダイゴのタケカワユキヒデだったことから、「うーん、こちらも久しぶりに聞いてみよう」とベスト版を買った。

 タケカワユキヒデ
  http://www.mediatv.ne.jp/musicpro/takekawa/
 
  ゴダイゴのデータベース
  http://city.hokkai.or.jp/~m_ada/godiego.html

 僕がゴダイゴにはじめて出逢ったのは、たぶん、小学校に入る前の頃。夏目雅子と堺正章のでていた「西遊記」のテーマ曲「モンキーマジック」という曲に魅せられ、両親にゴダイゴのカセットテープを買ってもらったことが最初だったと思う。うーん、歌詞カードをみなくても、聞いているだけで次から次へと歌詞がでてくる、不思議で不思議でしゃーないが、当時暗記していたのだろうか。

Every child has a beautiful name
a beautiful name, a beautiful name
呼びかけよう名前を 素晴らしい名前を
(ビューティフルネーム)

The galazy express 999 will take you on a journey
A never ending journey, A journey to the star
(銀河鉄道999)

Holy , holy and bright
A star is shining so holy and bright
(ホーリー&ブライト)

 ゴダイゴが活躍していたのは1970年後半から1980年代にかけて。もう20年から30年も前の話だ・・・。それにしても、最近、どうも僕はナツメロばかりだなぁ。

 でも、なんか「昔の方がよい曲が多かったように思う」のは、僕がオヤジ化してきたことの単なる証左なのだろうか。

 そういえば、たまに僕はカミサンとカラオケにいくんだけど、カラオケボックスにはいる前にいつもお互いに「今日はナツメロ特集にしよう」と言い合っているような気がする。

 しかし、考えてみれば、これは大嘘である。お互いに「新曲」はわからないものだから、「ナツメロ特集にしよう」とエクスキューズしているだけなのだ。素直に「新曲がわからない」といえばいいのに。というわけで、カミサンの歌う「南野洋子」の「はいからさんが通る」を毎回聞くことになる(笑)。

 そうだ、先日、知り合いの大学生のblogを見ていたら、「今日はトラジ・ハイジ、イズミカワソラ、スネオヘアー、オーノキヨフミ、堂島孝平をカラオケで歌った」なんてことが書いてあった。

 ・・・
 
  彼女があげた歌い手は、恥ずかしながら誰一人わからない(笑)
  誰よ? スネオヘアーって。スネオの毛、スネオ毛・・・。


2005/03/08 ポスト2005年会議

 早朝起床。腹筋。朝風呂。朝刊購読。ガーッとメールチェック。
  ここでメールを処理できるかできないかで、僕の一日の忙しさは、変わる。

 丸の内へ。文部科学省 生涯学習政策局による「ポスト2005に向けた生涯学習の情報化検討委員会. 生涯学習等分科会」(うーん、毎度ながらの反応であるがタイトルが長い!)に参加。

 今日の会議では、これまでの議論をラップアップし、具体的に2005年以降に文部科学省が行う施策案について検討した。

 クローズドな会議なので、あんまり詳しいことは言えないけど、今日印象的だったこと。

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1.「動きだす生涯学習」という概念

 これは佐伯先生@青山学院大学がおっしゃっていたこと。

 これまでの生涯学習は、いわゆる「勉強」であり、どこぞの先生や講師の人がさずける「アリガタイ教え」を学ばせていただきます、というかたちで行われたいた。

 しかし、何かを学ぶということは、「何かをはじめる、自分が動くということ」である。「何かをはじなきゃならない」から、「何かを学ぶ」。「何かを学ぶ」から、より「動くことができるようになる」。

 比喩的ではあるが、要するに実践と学習の不可分性について、佐伯先生は主張なさっていた。「動く生涯学習」という概念は、オモシロイと思った。

 前に僕も会議で発言したことなんだけど、「生涯学習」という概念には、どこか「負のイメージ」がつきまとっている。なんか「リタイアした人がアリガタイ教養を身につける」みたいなイメージ。

 それはそれでいいんだけど、生涯学習がもっと「実践」とリンクしてますよ、という風に主張することで、どちらかといえば「静かにお説を拝聴する生涯学習」というからイメージの改善をはかることはできるはずだし、それによって、魅了される学習者もいるはずだな、と思った。

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2.教育に無償はない

 よく義務教育をひきあいにだし、「教育でお金儲けをするとは何事だ!」「教育は無償であるべきだ」と怒る人がいる。

 要するに、「教育」という「崇高な営み」の前には、「オカネ」の話は似つかわしくない、ってことで、感情的になっちゃう。あとは義務教育は無償だから、教育には「オカネがかからない」と思いこんでしまう。

 この日記でも何度も書いていますが、教育には「聖性」というものが付与されやすいから、そういう話になりがちですね。

 だけど、よーく考えてみると、「無償の教育なんて存在していない」ということは、誰でもわかることです。

 たとえば義務教育は「無償に見えている」だけで、本当は恐ろしいほどのオカネがかかっている。みんなで税金をはらって、巨額の費用をかけて教育という営為を成立させているのです。だけれども、義務教育にかかわる人の中には、コスト意識がたりない人がいる。

 一見無償にみえるものの背後で、いったいいくらのオカネがやりとりされているか、想像力を働かせたほうがいい。

「教育が無償でできるなんてとんでもない!、どんなにオカネがかかっているか!」

 ある民間企業出身の委員の方が発言なさっていた。
  なるほどな、と思った。

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3.現場の求める!?

 もうひとりの民間企業出身の委員の方が発言なさっていたオモシロかった話。

 その方は、「教育ソフトの開発」なんかも経験なさっている方。で、その彼が、教育ソフトに関して、小学校、中学校の現場の先生の意見を求めると、こういうのが多いのだそうだ。

 「現場が真に求めている教育ソフトは見あたらないねぇ」
 
  だけど、その方いわく、「教育ソフトの開発」で現場の先生が関与しないものは、いまやほとんどないんだって。どんなかたちであれ、かならず、開発には現場の先生がかかっている。

 現場で求めるものをつくらなければ売れないから、必死で、現場のニーズをひろい、現場の知恵をいれてつくっているそうです。議論をしてコンセプトをつくり、授業案をつくって、試作して・・・マジメにつくっているところは、本当に労力をかけてつくっている。

 だけども、先生方は一様に判で押したように「現場が真に求めるもの」はないっていう。そして、この反応は何十年も変わらない

 その方いわく、「この不一致はどうも奇妙でならない」んだそうです。現場の先生は「現場が求める教育ソフトはない」といいながら、違う理由があるんじゃないか、とつい思ってしまうそうなんですね。

「そもそも今までの授業のやり方をかえたくない」とか、「コンピュータスキルが不足していて、教育ソフトそのものを使えない」とかね。

 このあたり、本当のところはわからないけれどね。だけど、「現場が真に求めている」の「真に」というあたりは、なんだかなぁ、とは感じます。

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 次回のポスト2005会議は、報告書の作成。いよいよクライマックスです。

 そして人生は続く。


2005/03/06 BEAT公開シンポジウム終わる

 昨日、BEAT公開シンポジウムが終わった。

 イギリスのNESTA Future Labからベンさん、MITからセンベンさんに3時間にわたって、Cutting edge learning technologyについて話をしてもらった。質疑応答なども非常に活発で、盛会であった。

 フォレスト本郷での懇親会のあと、Tokyo Dome Hotelのバーに移動して、みんなで飲んだ。この数日、彼らのアテンドで英語漬けだったため、疲れていたのだろうか、ちょっと酔いが回るのがはやかった。

 帰り際、センベンさんにこう言われた。

「じゅんさん、今度は僕が君をアメリカに招きたい。君がオモシロイと思う日本のLearning technologyを紹介して欲しい。今後、そうやって情報交換をしていこう」

 なんだかとっても嬉しかった。センベンさん、また逢おう。


2005/03/05 モテ

 このところ新聞や電車で、女性雑誌の広告を見ていると、「モテ」という言葉が、本当に目につく。

 たとえばこんな広告だ。

 「これで決まり、男にうける春のモテ服」
  「運命がかわる新モテ髪」

 要するに、「男にモテる」ことがすべての至上命題かのようである。このような風潮はいつからはじまったのかはしらないが、一昨年、ボストンから帰国した当初、とてもびっくりした覚えがある。

 ちなみに、上記の女性誌は、だいたい10代後半から20代を対象にしたもの。30代を対象にしたものに関しては、こうなる。

 「見せない地味女、見せすぎコムスメより・・・
  モテる30オンナはチラみせ上手
  あなたに必要なのは、若さじゃなくてテクニック」

 そうかテクニックか(笑) 見せないのも、見せすぎなのもイケないのね。

 まぁ、これらはキャッチコピーだからね、青筋たてて真に受けなくてもいい。だけど、こういう文句が今の女性のメンタリティに訴えかけるようにデザインされているのは間違いないわけで、そういう意味では、本当に時代は変わったなぁ、と思ってしまう。

 かつての女性雑誌の中には、「男への非依存」と「自分自身のキャリアをもつこと」を目標に、ファッションスタイルのみならず、女性の新しいライフスタイルを提案しようとしていた志の高いものがあった。

 また、そこまで志は高くなくとも、女性雑誌の多くは「モテようとすること」とは対極にあるテイストで、ファッションをつたえ、流行をつくりだしていたように思う。

 しかし、そうしたテイストは、今の、少なくとも日本では(世界はしらん)、全く「色あせて」見えるようである。
 「なんだかんだいっても、モテた方が幸せな人生をおくれる」。一言でいってしまえば、そういうことなのかもしれない。

 一昨年、「負け犬の遠吠え」という本が出版され、その主張が曲解され「負け犬 vs 勝ち犬」の論争!?が起きたことがあったが、「負け犬」というラベルが人々に受け入れられ、消費されること自体が、時代のうつりかわりを如実に物語っている。

 もちろん、そのことを僕が「よし」と思っているわけではない。むしろ、ここまで「振れる」と何だか気後れしてしまうのも事実である。

 ちなみに、誤解をさけるためにいっておくが、僕はかつての「男への非依存!非依存、こびてどうする」という過剰な論調にも気後れする。同様に、先に述べたように「モテなきゃしゃーない」という論調にも辟易としてしまう。「これから時代のオンナは右向け右、前へならえ」、みたいな論調 - そのオンナとは何処の誰のことを言っている、と思わず考えてしまうような十把一絡げの議論 - はあまり好きではない。

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 ともかく、しばらく「モテブーム」は続きそうな予感がする。本当にほとんどの雑誌がその調子だからな。でも、その次には、何がくるんだろう。密かに、月曜日の朝刊の雑誌広告を、いつも楽しみにしている。


2005/03/04 ひとりワーキンググループ

 先日、ある人と話していたときに、「ひとりワーキンググループ」という言葉がでてきて、爆笑してしまった。

 その人は、ある大プロジェクトに属していて、プロジェクト内のいくつかの仕事を日々ヒーコラヒーコラとこなしていたらしい。仕事量は半端ではない。それなのに、人は自分だけ。過酷な労働環境である。

 そのときに思いついた言葉が「ひとりワーキンググループ」。

 本来ならばプロジェクトの下に「ワーキンググループ(作業班)」をつくって、複数の人たちでこなすべき大量の仕事を、自分ひとりだけでこなさなければならない状態に追い込まれたときに、この言葉を使うらしい。その人は、かつて「ひとりワーキンググループ」をいくつも掛け持ちして、大プロジェクトを支えていた。

 たったひとりのワーキンググループ(笑)。うーん、皮肉な言葉だね。でも、よくありそうな話だよね。

 思わず苦笑してしまうが、その実、どこからか哀しさがただよってくる言葉である。


2005/03/03 八代亜紀

 風呂場で演歌を歌うのが好きだ。

 ジョージ山本、吉幾三、北島三郎、細川たかしあたりが僕の18番だが、今日は、禁じ手「八代亜紀」を知らず知らずのうちに口ずさんでいた。カミサンに「風呂場で演歌を歌ってたら、オヤジって言われるよ」と言われてはじめて気がついた!

 八代亜紀、彼女の歌で一番好きなのは「舟唄」である。「あめあめふーれ、ふーれ」の「雨の慕情」もよいが、「舟唄」の渋さにはまける。

 お酒はぬるめの 燗がいい
 肴はあぶった イカでいい
 女は無口な ひとがいい

 (八代亜紀「舟唄」より)

 いやー、渋い。メロディも渋いが、歌詞もいぶし銀である。まだ僕はこの境地には達していないな。

 しっかし、この歌詞、少し間違えやすいのが難点だとも思う。何気なく「舟唄」を口ずさむとき、僕はいつも、歌詞を下記のように間違えてしまう。

 お酒はぬるめの 燗がいい
 女はあぶった イカでいい

 と、ここまで気持ちよく「おいおい!」と気づくことが、なんと多いことか(笑)。女はイカかい!、ここで間違えるの僕だけ?。

 舟唄は名曲だ。


2005/03/02 近況

 このところ、ウ○コが漏れちゃうくらい忙しい!
 下記、最近あったこと。

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 「ケータイを活用した科学教育コンテンツ開発プロジェクト : FISH」、企画内容がかたまる。先週、大房さん@NHK Educational / 光学姉妹にあって、プロジェクトのディレクションを依頼。今週、テレビをにぎわす、あの人物の事務所にアポイントメントをとっていただけるとのこと。

 今回のプロジェクトが成功すれば、僕的には「一皮むける」きっかけになると思っている。
 めざしているのは「研究のための研究」ではない。雑誌論文になること「だけ」をめざさない。世の中の人々にも理解できて、楽しんでもらえて、しかも、研究としても成立することをめざしたい。それはチャレンジングな課題である。

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 某プロジェクト。先日、東京大学本部で、各大学の代表があつまり連絡会がひらかれた。山本さん、吉田さんらと協力し、ステキなサイトをつくりたい。

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 某省某課の方にあう。今年の春から2年間の期間で立ち上げられる協議会に委員として参加することがきまった。メーカー、アカデミック、行政など、様々なプレーヤーが参加する。東大BEAT講座での研究と連携し、取り組んで行ければと思っている。

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 週末、東大の同期「窪田君」の結婚式に参加。2次会は、窪田君が大学2年のときに働いていた料理屋で開催。

 店内は山小屋風。果実酒、ワインなど、非常に充実していた。

山麓酒菜麓屋

 それにしても、窪田、幸せそうだった。真っ赤な顔してたけど、お酒によっているのか、恥ずかしがっているのか。奥様は、なんとベ○ッセで勤務なさっているとのこと。What a small world !

 久しぶりにみんなともあった。卒業してはや7年。今では全く異なった領域で働いているが元気そうだった。

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 iTree論文が、なんとCSCL2005にFull paperとして採録!、ということで、徹夜をかましてなんとかカメラレディ投稿〆切に間に合わせた・・・ホッとした。

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 今話題のフジテレビの小畑プロデューサーより研究室に電話。「ポンキッキ」の番組制作プロジェクトに、本格的にかかわらせていただくことになりそう。詳細はまた今度。

 実は、先日、ポンキッキの公開録画にカミサンといっしょにでかけたのだが、とてもおもしろかった。あっという間の1時間でした。でもさ、なんせ感動したのは、ショーの一番最初に、この曲がかかったとき。

青い空 白い雲 どこまでどこまで続く
ぼくの夢は高く 雲を超えてゆくよ
今聞こえてくるのは、草と木の歌
光の言葉 風のささやきに 誘われてゆこう
ぼくの夢は高く 虹を超えてゆくよ

青い空 白い雲 どこまで どこまで遠く
僕の夢を乗せて 雲を超えて行くよ
今聞こえてくるのは 草と木の歌
光の言葉風の囁き、僕にはわかるんだ

 「あれっ、どこかで聞いた曲だなー」と思ったら、急にね、ポロポロとなんだか涙がでてきそうになった。歌詞は覚えていないはずなのに、勝手に言葉がでてくるんだよね。不思議なものです。

 そう、この曲は、僕たちが子どもの頃、ポンキッキのオープニングでかかっていた曲です。かはしかつみさんという元・タイガースの人がうたっているんだって。でも、CD化されてない。

 この曲、CD化してほしいわ。1曲だけでも買うと思う。

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 某ソフトウェアをサーバにインストール。こういう作業は久しぶりだった。データベースの設定に少しとまどったものの、30分くらい悩んで、うまくいった、理由はわかんないけど。

 4月某日、何かがおこります。

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 今週は、MITからセンベン君がくる。週末にあるBEAT国際シンポジウムでキーノートスピーチをしていただくため。週末にかけては、そのための予定で目白押し。ドコモモバイル研究所とBEAT共催の研究会、夕食会などなど。

 センベン君にはMIT滞在時、本当にお世話になったので、恩返しをしなくてはならんな、と思っている。

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 そして人生は続く。


2005/03/01 ホリエモンはフミエモンか?

 最近、いろいろな機会でひとにあうと、必ず話題にでてくることに「ライブドアの堀江社長 vs フジテレビの攻防」がある。

 「ホリエ社長の行った時間外取引をどう思うか?」
 「ニッポン放送の新株予約権の発行をどう思うか?」

 反応は多種多様である。よく「35歳以上はアンチ・ホリエ、35歳以下はホリエ・マンセー」と言われるが、少なくとも僕の経験に関する限り、話はそう単純ではないようだ。年齢というよりも、その人の所属する社会、文脈に依存しているような気がする。

 僕のあった大学人の多くは、基本的には「ホリエ社長の行為」に一定の理解を示している人が多い気がする。「ネット企業というものは、すべてを飲み込む運命にある」というホリエ社長の言葉どおり、そういう人たちは今回の出来事を「オールドエコノミーに対するニューエコノミーの挑戦」ととらえている傾向がある。

 それにしても、ここまで話題を提供する経営者も少ない(それは彼の戦略であるのだが)。トヨタの社長のナマエを知らない人は多いと思うけど、ホリエ社長を知らない人は、あまりいないような気がする。

 さらに彼の行っているビジネスが、常に賛否両論をまきおこし、いわゆる「踏み絵」のように機能していることも非常に興味深い。人がホリエ社長を語るとき、その背後には、その人がかかえる価値観が見え隠れする。しばらくは、彼から目が離せない。

 ところで話はかわるが、本日の朝日新聞によると、日テレの氏家氏がホリエ社長のルックスについて苦言を呈した。

 「公の場でネクタイを着用しないことは、非常識はなはだしい」とのことである。いつもパーカーにジーンズで仕事場にいく人間の一人としては、「そんなものなのか」と思ってしまった。

 本日の新聞で、ホリエ社長は「ピンクのセーター」をきていた。
  いい色だな、と思った。


 NAKAHARA,Jun
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