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"Transvaai Daisy" by Miwa
2005/01/31 ナカハラアンテナ 最近、僕の興味をひいたコト、モノ、ヒト。 --- ハーバードケネディスクールといえば、世界で最も有名な行政大学院。本書は、ケネディスクールの雰囲気、授業の様子を伝える良著であると思う。よほど、ケネディスクールのスゴサを伝えたいのか、倒置法や体言止めをやや駆使しすぎの章があって、気になったけれども。 ビジネスセクターを対象にした専門大学院が、ビジネススクールなら、こちらが対象にしているのはパブリックセクター。しかし、本書を読んでいると、そうした二分法があまり意味をなさないことに気づく。なぜなら交渉術や組織論、リーダーシップ論は、どちらの学校でも御知られている内容だから。「行政大学院の専門性とは何か?」「ビジネススクールの専門性とは何か」について考えさせられた。 --- グローバリゼーションと新保守主義が台頭し、教育が市場化されていく現代。教育という思想をもう一度立て直すための思想的模索。 特に冒頭に述べられた下記の引用が印象的だった。
--- 朝日新聞朝刊にのっていた下記のホテルプラン。「男ひとりホテルでくつろぐ」ことが、今、HOTらしい。
一瞬笑ってしまったのは、京王プラザのプランで「有料テレビ」が1本無料で楽しめること。「俺の時間」って、それかい! 本日の朝刊1面には、元・リクルート渡辺さんの雑誌「男の隠れ家」の広告ものっていました。お元気なご様子。 その隣には「銀座にこだわるオトナのための月刊誌 Straight」の広告も。「今、銀座で遊ぶということ」「椅子で選んだレストランバー25軒」らしい。 いずれにしても、ターゲットは金銭的余裕があり、日々モウレツに働き、遊び上手なホワイトカラー30代〜50代か。このマーケットが、今、激戦なのかもしれない。 --- 続いてAERAネタ。 先週の特集だった「地方出身者と都市出身者の格差」については、かなり実感をもって読むことができた。 特集で述べられていたとおり、地方出身者と都市出身者では、子ども時代の文化資本、大学時代の金銭的余裕、マイホームの問題、子育ての問題、など様々な点で格差があることは否めないと思う。 教育学研究に、こうした視点から切り込んだ研究ってあるのかな、と興味をもった。 2005/01/30 109 先週末、カミサンと渋谷にいったときのこと。「渋谷の中心にあるデパート109(イチマルキュー)」のことが、ふとしたおりに話題になった。 彼女「109(イチマルキュー)って変なナマエだよね」と言うから、すぐに同意できず、「そうかなぁ」と答えた。 「109(イチマルキュー)って何のことだろうね」と、またもや変なことを聞くから、「そりゃ、東急だから109(トーキュー)でしょ」と答えた。 カミサン、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてる。 渋谷に毎日7年通っても、「109」が「東急」だってことを知らない人もいる。 2005/01/29 叶庵 先日、山内さんに連れて行ってもらった蕎屋の味がどうにも忘れられず、都内での会議終了後、また、いそいそと昼飯を食いに出かける。
田舎せいろ大盛りを注文。麺はどっしりとした香りと味。「つゆ」をつかわずともおいしくいただける。店構えは小さくて狭い。だけど、麺はこの場所で打っているから折り紙付きである。 前に連れて行っていただいた「古式そば」も美味しかった。が、個人的にはこちらも捨てがたい。癖になっているので、きっと数日後にはまたでかけると思う。
なぜだか知らんが、最近、蕎がたまらん。 2005/01/28 崩落 僕は一ヶ月におよそ30冊程度の本を読む。一ヶ月に30冊ということは、1日平均1冊。僕の行っている読書が、文字通りの「読書」であるのならば、その数字は不可能である。 「読む」といっても、一字一句精読するわけではない。「読む」というより、「情報の抽出」に近い。 その本で言いたいことを抽出し終わったら、その本を読むのはやめる。また、もしその本に言いたいことが明確に感じ取れなかったら、いくら途中であっても、それ以上は読まない。オモシロクなければ読むのをやめる。要は、その本で何が書いてあるかがわかればよい。平均すると、たぶん60%くらいしか全文を読んでいない、と思う。 確か夏目漱石(森鴎外かも)だったと思うが、読書について、彼はこんなことを言っていたはずである。
至極名言だと思う。この言葉を僕が聞いたのは、17歳かそのあたりの頃だったと思うが、それからというもの、本を読むことが心の底から好きになった。いわゆる学校的な「読書」からの呪縛からときはなれたのかもしれない。 いずれにしても、今の僕にとって本を読むことは仕事である。好むと好まないとにかかわらず、僕は読み続けなければならない。 --- ところで、読み終えた本は自宅からすべてNIMEの自分の研究室に宅急便で送られる。おおよそ一ヶ月に一回であろうか、信じられないほど重い段ボールが届く。 しかし、その研究室も今や満タンである。これまでは、何とかかんとかダマシダマシ、本を積み上げてきたが、ついに先日、事件が起きた。 午前中、書類を片づけていたときのことである。ドサッバタバタバタバタという大きな音がして、ひとつの棚が崩れてきた。棚自体は鉄でできている。が、とうとう重さにたえられなくなったらしく、棚をとめる部材が壊れてしまったのである。 崩落は崩落をよぶ。上の棚が壊れたので、下の棚にも被害は広がる。かくして10数秒のうちに、床には無数の本が散乱することになってしまった。 書棚崩落! 茫然自失・・・。片づけなくてはいけない・・・トホホ・・・僕、「お片づけ」は苦手なのに・・・。ただでさえ仕事が忙しいのに、また余計な手間が増えた。 --- 苦手な「お片づけ」をする前に、前にしばらく考えた。これまでのように、1つの棚に隙間なく本を詰め込むことは可能である。やってやれないことはない。だけど、そもそも重さが耐えきれない。ていうか、無理なのである。 結局、お片づけをするのはやめた。床に散らばった本の30%だけを棚に戻し、ついに「禁断の床」に本を積み上げていくことにした。
次は、まさか床が抜けんだろうな・・・(笑)。 2005/01/27 近況 週末病院。服薬は続けるものの、普段通りの生活をしてよいとのこと。嬉しい。オチャケも、少しなら解禁となった。量は相当押さえている(自主規制)。 土曜日、午後、お台場のフジテレビへ。 フジテレビ@お台場、とっても天気がよい日だった 今日は、「ポンキッキーズ21」の制作スタッフの方々と初顔合わせ、そして議論。ポンキッキの放映開始が1973年。僕が生まれたのが1975年であるから、それは、僕よりも歴史が長い。子どもの頃見ていた番組に、自分が関わりをもつことになろうとは、どうにも不思議な感じがする。
--- 週末こなした、その他の仕事。 企業人材育成本第2弾、企画書執筆! いくつかの関連書籍の読み込み。ふーむ、関連書籍は、こうきたか。 Project Fish、企画書執筆。これは、山口さん@宮崎大学、西森さん@NIME、望月さん@神戸大学との共同研究。2月初旬の企画会議に向けて。 来週の講演資料をまとめる。 そして人生は続く。 2005/01/26 神様 思いついた! 急いでProject Fishの企画書を取り出す。 2005/01/25 ジャンプコード 少し大きなものをまとめて買わなければならず、先日、レンタカーを借りて渋谷にいった。交通網が異様に発達した東京では、車をもたずとも電車でどこへでも行くことができる。そうはいっても、重いモノなどをまとめて買うにはやっぱり不便で、我が社では、たまにレンタカーを借りて、ショッピングにでかける。 首都高にのり30分で渋谷。某秘密のパーキングエリアに車をとめ、パルコ8Fにある、お気に入りの和食レストランで、まずは腹ごしらえ。
DEN ROKUENTEIは、よい食材を、工夫をこらした調理法、ステキな器でサーブしてくれるので、僕のお気に入りである。たまにカミサンと渋谷で待ち合わせて食事をすることがあるが、DENはよくいくレストランのひとつである。 もしランチにここでお食事をするのなら、僕のおすすめは、「海鮮茶漬け」である。薄口の出汁とごはん、それに焼き魚や刺身がついてくる。 ごはんと出汁は、おかわり自由。特に出汁のおいしさが際立つ一品で、先日行った際も、おかわりしてしまった。 昼間っから、満腹になってしまったので、食事後は、気合いをいれてショッピングをする。少し古くなった風呂場の椅子、洗面おけなどを買い、先日空だきをしてしまったケトルを探す。 あと、前々から個人的に試してみたいと思っていた、アロマテラピーのグッズなども買いに行く。おやすみ前の読書の際に、香りを楽しむことで、Stressed outしてしまったココロとカラダを休めることができるだろうか、と思っている。 はぁ、今日はよい買い物ができた。満足、満足と駐車場に戻る。「さぁ、帰りに温泉でもよっていこうか」なんて考えているうちに、悪夢が。 なんと!、ヘッドライトをつけたままにして、バッテリーがあげてしまったのである! いくらキーを回しても、「キュイー」というゴマちゃんの鳴き声のような音しか、聞こえてはない。おまけに、小雪もちらついてくる。寒い。 あー、最悪。免許取得後ペーパーのカミサンは何がおこったのか、茫然自失としている。 「でも、まぁ、こういうことはよくある」・・・。 僕が北海道にいた頃は、何度か経験したことがあった。冬はマイナス20度をこえる北海道では、昔は、車のエンジンがかからないことがままあったから、僕は意外と楽天的であった。 「まぁ、どの車でもジャンプコードくらいはもっているだろ」と脳天気に考えていたのである。 しかし、ここは北海道ではない! 結局、近くをとおりかかったトラックの運転手さんが、ジャンプコードをもっていたので、借りることができて、一件落着。でも、1時間くらいはロスった気がする。 教訓 2005/01/24 人に憶えられる 高校時代の同級生で、今は都内で弁護士をやっている浅野くんと、ボストンのマンションに宿泊したことがあり、某銀行に勤務している星田君と、先日銀座で逢った。 (ちなみに、星田君は僕のルームメイトの友人だった。そして星田君と浅野君は、大学時代、同じ寮で4年を過ごした。How small the world is!) 浅野君、星田君とはいろんな話をしたが、特に盛り上がったのは、「キャリアの節目」の話であった。 僕らは今30歳を目前にしている。既に仕事には十分慣れ、この数年間で、自分の仕事のスタイルみたいなものを築き、ある程度の業績をだせるようになってきた(僕の場合は、まだチンチクリンな業績だが)。 そして30歳という年齢は、おそらく、このままこのスタイルを続行すべきなのか、あるいは、ここで大きな方針転換をすべきなのか、について、一番最初に悩みはじめる年齢ではないのだろうか・・・。 僕らは、自分がどういうことを成し遂げたいのか、自分の立場から話をした。弁護士、銀行、研究者と業種は変わっているものの、それぞれ課題が共通しているところもあることに驚かされた。 ドラッカーの名言にこんなものがある。
前に日記でも話をしたことがあると思うんだけど、僕は、よく「自分が、他人から○○屋さんとよばれるのか」について考えることがある。「○○○○屋」さんではないし、「○○○○○○○○屋」さんでもない。あくまで、そこに入るのは2文字である。 思うに「人によって憶えられること」というのは、この「○○」に集約できるほど短くなければダメなのである。 あと20年・・・嗚呼ずいぶんと長い気もするけれど、あと20年後に、僕は50歳になる。そのことは確実であり、僕は1秒たりとも、そこから逃げることはできない。一度の人生、僕はそれを無駄に過ごしたくはない。
「また逢おう」といって、銀座の交差点で分かれた。 2005/01/23 野ブタ。をプロデュース 我ながらミーハーだと思いながら、第41回文藝賞を受賞した作品「野ブタ。をプロデュース」を読んだ。 自らを装い、演出することで、学校のみんなから好かれ、人気者として暮らす高校生の修二。その彼が、転校早々、「キモイ」というレッテルを張られ、いじめられっ子になってしまった「信太(野ブタ)」を、人気者としてプロデュースするストーリー。 本のタイトルは、言うまでもなく「つんく」によってプロデュースされた「モーニング娘。」を意識している。 この作品、生徒同士の会話や修二の独白が、センスがあってオモシロク、あっという間に読み終えてしまった。
いったん「野ブタ。」に張られてしまった「キモイ」の否定的スティグマ。このスティグマの張り直しをすべく、彼は自分の「印象」を修二にあずける。 修二はプロデューサーとして、まずは「野ブタ。」の外見を変える。さらに効果的な印象操作(impression management:アーヴィン=ゴフマン)を行うべく、「キモイ」のスティグマを変容させる十分な強烈な出来事を、つくりだし、自らも役者となって演出する。「印象」に従って、「人間関係」は変わる。かくして、「野ブタ。」は人気者になっていく。 わたしが見ている<あなた>は、誰がプロデュースした<あなた>ですか? 2005/01/22 ゆあーん 19日付け朝日新聞に「中山文部科学大臣、総合的な学習の時間削減を示唆」のニュースが掲載された。 このところわき起こる学力低下問題への対応として、主要教科の授業を増やすため、2年前に導入されたばかりの総合的な学習の時間の削減を含めた、カリキュラム全体の見直しを行うことを、大臣が示唆したというのである。 新聞には、大臣の発言に対して「発言が軽い。軽すぎる」という教師からの声が掲載された。また、大阪教育大学の長尾教授は下記のように発言している。
この方針転換ともとれるニュースに対して、日頃僕の日記を読んでくれている現場の先生方から下記のような感想が届いた。
「総合的な学習の時間」の実施からわずか2年。 教育学者の中には、そこに振り子を想定すること自体が、もともとおかしいのであって、「教科学習」と「総合学習」、「学力」と「生きる力」は、本来トレードオフの関係にあるものではない、と、数年前から指摘している学者もいた。しかし、その声は空しく響く。 ゆあーん、ゆあーんと教育が揺れている。 2004/01/21 ポスト2005 朝、満員電車に飛び乗って、丸の内へ。 文部科学省生涯学習政策局の「ポスト2005年における文部科学省のIT戦略のあり方に関する調査研究会 生涯学習等分科会」....うーむ、ナマエが長い....に参加する。 12月の日記に書いたが、この分科会の目的は「2005年以降の文部科学省のIT戦略」を考えること」にある。今日は2回目の会合となった。 下記は、今日の会議で勉強になったこと。 ---
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--- 今日の会議では、僕もお時間をいただいて、プレゼンテーションをさせてもらった
短い時間でどの程度お伝えできたかはわからないが、自分としては、結構、気合いをいれたつもりであった。一研究者の研究成果 - それもケツが青い研究者のつぶやき - が、政策に何らかの貢献ができる機会はそうそう多いわけじゃないからね。それに、フルブライトとNIMEがくれた9ヶ月間で、僕が得たものから、ほんのちょっとでも貢献させてもらえればな、と思いました・・・珍しく謙虚に。 --- その後、幕張。ハーバード教育大学院博士課程の桑原さんが帰国なさったということで、田口さん、僕、彼女でランチ。元気そうで何よりだった。もう少し時間があったらよかったんだけど、その後、僕は予定が入っていたので中座。 夕方、再び東京へ。某企業にて講演。ディスカッションはかなり盛り上がった。言いたいこと言いまくり。ハラ痛いけど、吠えたぞ、久しぶりに。 今日は、疲れた。あー、疲れた、温泉いきてー。まぁ、無理だな、今週は忙しいし。イエかえって、プロジェクトXでも見よう。 そして人生は続く。 2004/01/20 SEA教育フォーラム 下記のようなフォーラムがありますので、ご紹介します。 僕自身、ソフトウェア技術会の同フォーラムに参加するのははじめてなのですが、当日は「ワークプレイスラーニング研究序説」と題したお話をしたいと思っています。 一般に、教育工学というと「教育現場からルールを発見し、それをそのまま現場に適用する学」として認識されていますが、1980年代に噴出した批判をうけて、そのあり方も変わってきています。しかし、このことは十分に理解されているとは言えません。 「企業における学習研究」そして「企業への学習研究の貢献」をともに高めるためには、どうすればよいのか。僕の関心はそこにあります。 当日は私の方からは短いプレゼンテーションを行います。明確な答えは僕にはありません。ですが、このプレゼンテーションをきっかけとして、「実践」と「研究」のかくも怪しい関係について、様々な方々とディスカッションできればと思っていますが、どうなることやら・・・。 お申し込みは、こちらのWebサイトにあるように行って頂ければ幸いです。
2005/01/19 オススメ ここ最近で行ったレストランで、美味しかったところを紹介。
五反田「ゆうぽうと」前の交差点の一角にある和食ビストロの店。予算に応じたおまかせ料理。季節に応じた食材を使った和食をつくってくれる。先日、東京にすむ叔父、叔母、従兄弟の家族、カミサンと僕でいった。 前菜はカモ、鯛など。その日の焚き物はホタテ、新鮮なブロッコリーが付け合わせ。ボリュームはかなり多い方。焼きおにぎりがでたあと、豚の角煮風の煮物。揚げ物はカキフライ。かぼちゃのデザートなど。 特に絶品だったのは、カキフライ。僕は毎年正月に、厚岸の笹原水産から生牡蠣をとりよせているが、それに勝るとも劣らない新鮮さ。 飲み物は、魔王などの有名焼酎ほか、ワインも多数取りそろえている様子。「こんなワインを飲みたい」と告げると、マスターおすすめのワインがサーブされる。 当日は、樽の香りが強いオーストラリアかアメリカ産の「シャルドネ」と、若くても良いのでどっしりとしたカベルネ=ソーヴィニオンを注文。期待通りのワインがサーブされた。 スバラシイ。 ---
渋谷で焼酎の飲める店といえばここ。 何度か行ったことがあるが、場所がわかりにくいのが難点。マップを確認しておでかけください。 2005/01/18 トップダウン 「トップダウン」という言葉からは、通常、「上意下達」がイメージされる。「上」できまった内容が、そのまま「下」に伝えられ実行される。そうしたものを、一般的に、我々は「トップダウン」とよぶ。 トップマネジメントが意志決定を迅速に行うことすらできれば、「上意下達で意志を伝えること」そのものは簡単なことである。 しかしここで押さえておく必要があるのは、「トップダウンで意志を上意下達すること」と「トップダウンによって伝えられた意志が実行されること」は、全く別のことである、ということである。これはアタリマエのことなのであるが、陥りやすい罠でもある。 上意下達で、トップの意志が伝えられても、現場が動かないことはおうおうにしてある。 その意味で、やや逆説的ではあるが、トップダウンを現実のものとしたいのであれば、上意下達だけではうまくいかない。 現場の意見に耳を傾け、現場の仕事のやり方を理解するだけでなく、できれば現場の人間を意志決定に参加させたりするなどの工夫が必要になる。 現場の実情を知り、それに合致した意志決定を行い、それをいっきに伝えることで、トップダウンによるマネジメントが実効をもつ。 意志決定できない組織のトップも困ったものだが、実効のないトップダウンマネジメントも、現場にとっては、それ以上に迷惑きわまりない。日々の事件は現場で起き、ただでさえクソ忙しいのに、実情にあわない意志決定によって、事件の処理スピードや処理クオリティが悲劇的に悪化していくからである。 悲劇は現場で起きている! 2005/01/17 オヤジの時代 去年、「大学経営戦略セミナー 社会人大学院の未来」を、一緒に企画・推進したリクルートの渡辺さんが、本年1月同社を退職し、新しい会社に栄転なさった。少し前からそのことについてはおききしていたが、先日、正式にご連絡をいただいた。 渡辺さんとは、「社会人大学院へ行こう!」出版のときからのおつきあいである。 確かあのときは暑い日が続いており、Tシャツにジーンズでリクルート社を訪問したはずだ。今から考えれば汗顔の至りであるが、渡辺さんは真剣に企画を検討してくださり、協力を約束してくれた。 新しい会社で渡辺さんは、出版局長として「男の隠れ家」という雑誌の編集・出版・営業を統括なさるのだという。今までにも輪をかけてお忙しい日々が続くのであろうが、くれぐれもお体にご自愛なさっていただきたい。
「男の隠れ家」は、都会の喧噪、家族から離れ、男が貴重な時間を過ごすための空間についての専門雑誌であるようだ。 「人口減少経済の新しい公式」を持ち出すまでもなく、2009年には日本の人口は減少に転じ、未曾有の超高齢化社会 - オヤジの時代が出現する。 きっと、オヤジをマーケットにしたこの手の雑誌は、これから部数を増していくのだろうと思う。 残念なことに僕自身は、まだこの雑誌を手に取ったことはないのだが、今度、書店でチェックしてみたいと思う。 2005/01/16 海外にいる日本人 「海外にいる日本人」のことについて、先日、ある人と歓談した。 日々の業務に忙殺される今となっては、なんだか「あれは夢だったのではないか」とたまに思うこともあるんだけど、僕は数ヶ月前まで、確かに海外で暮らしていた。 そこでは、いろいろな国籍をもつ人々との、たくさんの「出逢い」があったわけだが、たくさんの日本人にもあった。日本にいては、決して出逢うことすらなかった異領域の人たちと、たくさん出逢うことができたのは、望外の幸せであったと言える。 ところで、「海外にいる日本人」についてだが、ホントウにいろいろな人がいる。「海外にいる日本人」と一括りにして「彼らは○○である」と論じるのは大変危険だ。まずはそのことを肝に銘じたい。 たくさんの優秀な人 - きっとこの人は、その領域で、この国をしょってたっていく人なんだろうな、と思う人もいる。その一方で、目的を失っている人もいる。 「あなたのような人がいれば、我が国の未来も安泰ですな」と思わせてしまうような人がいる一方で、正直、「同じ日本人として、わたしは恥ずかしいよ」と思わせてしまうような「痛い日本人」もいる。 特に僕が「痛い日本人」だなぁ、と思った人は2種類にわけられる。 前者については、村上春樹がエッセイの中で痛烈に批判している
あーいるいる、こういう人。官庁とか会社とかにかかわらずだけどね。 もちろん、村上のいうように「オモシロイ人」「勉強熱心な人」もいる。僕が1ヶ月ルームシェアした彼は、ある官庁で働いているが、その彼などは、こちらの方がアタマが下がるほど勉強熱心だったし、オモシロい人だった。 しかし、村上がいう「ちょっと変な人」も少ないわけではないことを告白せねばなるまい。そういう人は、ハッキリ言って、あることを誤解している。「どんなにアナタがエラクても、そのことを何とも思わない人がいる」ってことである。 たとえば、課長補佐だか、課長だか、部長だか、主任だか知らないけれど、そんなことは会社や官庁の世界の身分制度に絡み取られていない僕にとっては、ハッキリ言って、どーでもいいことである。僕だけじゃなくて、そこでマスターやドクターを取得しようと頑張っている、多くの日本人留学生にとっても、どーでもいいことである。 「へ、で?、それってエライんですか?」「部長と課長って、どっちがエライんですか?」という感じである。まして、異国にいるのだから、なおさら「どーでもいい」。 そういう人たちが、「ローカルには通用するヒエラルキー」を他の人たちにわからせようとしているのを見ると、僕は、ハラがたつというよりも、ハッキリ言って痛々しかった。
--- あと、もうひとつ僕が苦手だったのは、「日本や日本人のことをとにかく悪くいう人」である。別に海外にでたからといって、プチ=ナショナリズムに僕がめざめたわけではない。僕はことさら「日本が好き」ではないし、「食べちゃいたくなるほど日本人が好き」なわけではない。 しかし、どうにも目を覆いたくなるほど、そういう人たちの「日本バッシング」は激しい。どんな話をしていても「これだから、日本はダメなんだ」「だから日本人は嫌いなんだ」といった具合で、話す前から結論は見えているのである。横で話していて、あまりいい気はしないし、結論は見えているので、オモシロクも何ともない。 「まぁ日本が嫌い、日本人が嫌い」というのは、別に個人の好き勝手だから、それを口にだすことは自由である。しかし、概して、そういう人たちはオモシロイもので、「日本を知らないことが多い」。これが大問題なのである。人のことを言えるほどではないが、「勉強が足りないな」と思ってしまう。 たとえば、そういう人たちと政治の話をする。歴史の話でもいいし、はたまた僕の専門の教育の話でもいい。概して、どんな話題であっても、彼らが語る「日本の現状」というのは、オソロシいほど、ステレオタイプで、マスコミによって増幅されていて、手あかがつきまくった言説であることが多い。 たとえば教育だったら、「日本の教育は画一的だからダメだ、それに対してアメリカの教育は主体的だ」といったような、箸にも棒にもかからないような教育言説を持ち出し、すべてを演繹的に判断してしまう。そして、対してアメリカの教育を語るときは、ひとつの事例から、過剰なまでの帰納的推論を行い、一般化をしてしまう。 「確かに昔はそう言われていたけど、現実は違ったと言われているよね。それに、今は、もうそういう時代でもないでしょ」と言ったって、まず話を聞いてない(こういう人は人の話を聞かないことが多い!)。 おそらくは、「日本や日本人のことが嫌い」というのが一番最初にあって、それを裏打ちするような言説を、いろいろな領域で集め、同時にアメリカのステレオタイプ(これはよいイメージをもつ)と対照させることで、彼/彼女たちの「日本バッシング」は進行していくんだろう、と推察される。 そういう人たち、僕は苦手だ。 --- まぁ、そういう痛い日本人もいるが、ホントウにアタマが下がる人たちもいる。 異国に暮らし、そこで勉強をするというのは、言うのは簡単だけど、並の根性でできることではない。もう少し時間がたったら、是非、そういう人たちと再会し、近況を報告しあいたいな、と思っている。 その日まで僕も頑張らなくてはな。 2005/01/15 男性化粧品 本日の朝日新聞朝刊に、「男性化粧品が流行っている」という記事があった。オシャレにお金をかける男性が、ファッション業界、化粧品業界、マスコミから新たなマーケットとして注目されているのだという。 以前この日記でもメトロセクシャルということばを紹介したが、まさにこのメトロセクシャルを対象にした、様々な化粧品、グッズが開発されはじめてきているのだという。
個人的には、男性が外見にお金をかけるのはいいことだと思う。 僕らが子どものときから聞かされた「人間は上っ面より内面」という規範は、ある意味では正しいが、常に真の命題でもない。大切なことは、外見、内面の区別なく人を見抜くことにあるのであって、ことさら外見の価値を低くする必要もない。外見と内面は、決して常にトレードオフの関係にあるのではない。 僕自身はしたことはないけれど、時には化粧とまではいわずとも、お肌の手入れくらいはした方がいいときもあるんだろう。 小ぎれいになれるのなら、なった方がいい。 2005/01/14 なぜわたしは書くのか 早いものでWebで「日記」を書き始めてから、もう7年目になる。もっとも日付はめちゃくちゃだし(今日の日記だって日付は狂ってる)、内容もおおよそ日記っぽくないので、この雑文が日記と呼ぶものに値するかどうかはわからない。しかし、「雑文」と呼んで公開するのはあまりにキャッチーではないので、一応「日記」と呼ぶことにしている。 よく他人から受ける質問に「いつ日記を書いているのですか?」というのがある。 「ネタはどこから仕入れるのですか」というのもよく聞かれるが、この問いに対する答えも、やはり一様ではない。前日に読んだ本、新聞記事、日々の生活などから、常にネタを探している。ネタは、一応、数日間ストックされることが多い。数日間たってみても、オモシロそうだな、書きたいな、と思うものだけについて、公開することにしている。 とまぁ、この種の問いはよく聞かれることだから、まぁ、あまり考えずにいつも受け答えをしているんだけど、つい先日、ある人にこういう問いを投げつけられた。 「中原さんはなぜ書くのですか?」 うーむ・・・これは深い。 ひとつの凡庸な答えは、「毎日を丁寧に生きたいから」である。 しかし、「毎日を丁寧に生きるためだけに日記を書いている」というのは、僕の場合、どこかにウソがあるような気もする。それは綺麗すぎる理由である。もっと功利的な動機もあるはずだし、一方で、もっと精神にねざすような根元的な思いもあるような気がする。しかし、どうしても、それはうまい言葉にならない。 僕は、なぜ書いているんだろう? 2005/01/13 講義 先日、山内さんが担当なさっている東京大学教育学部の授業「学習環境デザイン論」で、「コミュニティ・オブ・プラクティス:企業と学習」に関する講義を行った。状況論的学習論、実践共同体という近年の学習研究の概念を紹介し、それを導入し知識創造を行おうとしている企業の実際の事例を紹介するのが、本講義の目的である。 出身学部である「教育学部」での講義ということもあり、実はちょっぴり緊張していた。1998年にここを卒業して以来、授業が行われる「教室」に入るのはこれがはじめてのことであったからかもしれない。 講義自体は、反省点の多い拙いものではあったが、何とかかんとか、学生の皆さんに自分が伝えたいと思っていたことは、お話したつもりである。 僕がこの講義で喋りたかったことは2つであった。
この2つの命題の重要性を前に、僕がどの程度、それを伝えることに貢献できたかは、非常に心許ない。 しかし、あとでコメントシートを読むと、「教育学が会社の中でも生かせることは気づきませんでした」であるとか、「教育学はとても役にたつとおっしゃっていたことが、印象的でした。教育学は学校現場以外では役にたたないとおもっていました」といったような感想があった。 また質疑応答の時間には、「企業を対象にした教育学研究の難しさはどこにあるのか、その難しさを回避する方法論的課題は何か」「コミュニティ創造を支援する際、実際にどのように研究者がクライアントと接し、どう振る舞い、支援を行うのか」といった、非常に専門的なこと話題が及んだ。 素直に、僕は嬉しい。 --- 彼らの多くは、class of 2006。つまりは、2006年に東京大学教育学部を卒業する。彼らの中の何人かと、またどこかの「実践の現場」で会えるといいなぁ、と思った。 そして人生は続く。 2005/01/12 コミュニケーションデザインセンター 年末のことだったか、あるメーリングリストで、「大阪大学がコミュニケーションデザインセンターという新しい教育・研究施設を立ち上げる」ということを知った。
このセンターは、コミュニケーションサイエンス研究の拠点であるとともに、博士号取得者に対する講座を開講するという。大阪大学の博士号取得者は、将来的に、この講座の受講が卒業要件となるようだ。 専門領域にしか興味が籠もりがちな研究者のタマゴたちを、社会の開くことをめざすのだという。究極の目的は、社会と大学とのあいだに、コミュニケーションの回路を築くことであろう。そのための教育・研究手法としては、ワークショップなどを用いるようである。専任教員には、劇作家の平田オリザさんらが就任する予定であるという。 この理念のもとに教育や研究がなされるということになれば、とても、オモシロそうである。是非、一度、訪問させていただきたいものである。 ところで、東京大学にも先日「コミュニケーションセンター」が、赤門のすぐ横にできた。こちらでは、グッズの販売、広報資料の配付、キャンパスツアーなどを行っていくようである。
全く異なるアプローチを行っているものの、東京大学にしても、大阪大学にしても「社会と大学のつながりを向上させる」という目的は共通している。 大学は、もう、独りじゃいられない。 2005/01/11 子ども番組 先日、東京大学BEAT講座で公開研究会が開催された。以下は、小平さち子先生@NHK放送文化研究所の講演メモ。「子ども番組の歴史」「子ども番組の最近の特徴」などについてご講演なさった。
追伸. 研究会に行く前、お昼を、そば屋の名店「神田まつや」で食べる(写真左)。僕は「もり」を2枚。カミサンは鴨南を食べた。まつやのそばは、いわゆる「更級系」。しっかりとしたコシと香りがある。汁はややあまいが、濃い。次は、夕方にでかけ、池波正太郎よろしく、「のり」や「板わさ」で一杯ひっかけたいものだ。横の人が食べていた「ごまそば」がおいしそうだった。近くには、名店「神田やぶ」がある(写真右)。
2005/01/10 大学人 村上春樹のエッセイ「やがて哀しき外国語」を読み直し、思わず、苦笑してしまった。「大学村スノビズムの興亡」と題されたエッセイについてである。 このエッセイで、村上は、「アメリカの大学人は、大学人ならばかくあるべしといった規範で、お互いを縛り、かつそれによって外部を区別して、生きていること」を指摘している。 少し長くなるが、引用してみよう。
「アメリカの大学人は上記のとおりであるが、日本の大学人はここまで規範はないだろう」と村上は指摘する。しかし、僕の経験からすれば、日本の大学人もある意味で、似たような「かくあるべし」をたくさんもっているように思う。 「かくあるべし」という嗜好の偏りだけで話しが済むのなら、まだいいほうではないだろうか。気になるのは、「話法」や「言い回し」も大学人は独特であるように思う。これは、またゆっくり時間のあるときにでも話そう。
いずれにしても、村上が上記のエッセイで書いていることは、村上自身の「学習」の過程である。村上は、プリンストン大学村の実践に、正統的にかつ周辺的に参加していた。 「かくあるべし」や「話法」や「言い回し」を、少しずつ体得していく過程の中で、少しずつ、人は大学人になっていく(大学人であることに自信をもてるようになる)。 そういう視点から読んだので、このエッセイ、とてもオモシロく読めた。 2005/01/09 北海道 北海道の実家から送ってもらった「毛ガニ」と「いくら」を食する。「毛がに」「いくら」ともに、あっさりとした塩味。おいしゅうございました。ありがとう。また送ってね。
2005/01/08 雪 先日、北海道に帰省した。車に乗っていて、ふと気づいたこと。それは、道路の両側にうずたかく積まれた雪山に登って、遊んでいる子どもたちを、ひとりも見なかったこと。 かつて、北海道の子どもにとって、雪は、無限のプレイグラウンドだった。 昔は雪が多かった。 雪山の高さも、2メートルや3メートルになることはザラだったし、ひどいときには、電線に手が届いた(これは我が人生においてもっとも危険な瞬間のひとつだったと思っている)。そんな「山」を次々と征服して、家路につくのである。これがオモシロクないわけがない。 冬になれば子どもたちは、「つなぎ」のスキーウェアを着るから、雪に戯れ、濡れてしまうことはそれほど問題ではない。本来ならば20分もあるけば、家につくものを、そうやって遊びながら帰るので、平気で1時間や2時間がたってしまう。 オナカがすけば、雪を食む。 両親は「雪は汚いからやめなさい」といつも言っていたが、そんなことは知ったことではない(事実汚いことは間違いない)。中には、氷柱(つらら)を舐めるツワモノもいて、たまにハライタをおこしていた。 ともかく、僕らは雪と一緒に大きくなった。少し大きくなってからは、近くにある山に毎日スキーにでかけた。1シーズン中、何度でもリフトに乗ることのできる「シーズン券」というものを、持っていた。大阪人でなくても、この種のチケットをもったからには、「モトをとらなくては」いけない。よって、「1日に60回以上リフトに乗ることをよし」としていた。今から考えれば、スゴイ体力である。週末となれば、1日100回以上リフトに乗ることもザラだった。 単に滑るだけではあきたらず、ジャンプ台をつくったり、モーグルのコブをつくったりして、雪と戯れ遊んでいた。時には、スキーコースそのものをつくったこともあった。 僕らがつくったコースには、たとえば「いい湯だなコース」とかいうネーミングをつけたコースもあった。 「いい湯だなコース」には、温泉の流れる小川が途中であって、その直前にはジャンプ台がもうけられている。ジャンプ台に急加速して入っていって、思い切り飛ばなければどうなるか。そう、スキーをつけたまま、温泉に入浴することになってしまうのである。半端でなく、恐ろしい。 --- 「いい湯だなコース」のような、危険きわまりないコースを、今の子どもたちもつくっているのか、どうか僕は知らない。先日はあまり子どもの姿を見なかったんだけど、「川口浩探検隊」をしている子どもが、今はいないのかどうかも、僕にはわからない。 しかし、願わくば、昔僕らが遊んだように、今日を生きる北海道の子どもたちにも「雪」をエンジョイして欲しいな、と切に思う。 「雪」以外に遊ぶものがないのが、かつての北海道の冬である。しかし、僕にとって、「雪」以上にクリエィティビティやイマジネーションを育んでくれた遊びは、そうそうなかったように思う。 2005/01/06 老舗の味 「老舗の味」・・・最近、僕のココロを魅了してやまないワードである。 思わずお取り寄せをしたくなったり、遠くからでも食べに行きたくなるような、昔ながらの伝統的な食材を、実際に自分の舌で試してみたくなってきた。 いきなりこんなことを言うのにはワケがある(悲しいワケ・・・トホホ)。 最近、めっきりお酒が飲めなくなったことが直接の原因である。 そのことがきっかけで、甘いものや、ゴハンと一緒にたべるようなものであっても、好き嫌いせず食べるようになった。悲しい現実をいつまでも、マイナスにとらえていても、仕方がない。お酒を控えているぶん、新しいものを知りたい。 そんなことを思っていたら、今日、カミサンの実家のお母さんから、2つの食材をおくっていただいた。早速、試食してみた。おいしゅうございました。ありがとうございました。
2005/01/04 目がうすうす こんばんこ 大阪大学大学院の研究室の後輩、重田君に教えてもらったオバカFlashネタ。年末、BS2でやっていた冬ソナの再放送を何回か見ていただけに、思わずわらってしまった。
最初の出だし、「目がうすうす こんばんこ」までが好きだ。 2005/01/03 Pray 一般に、年始年末、仏壇の前で、神棚の前で、手をあわせる機会が多くなります。
生きていけば、そんな、たくさんの「無力」を否が応でも知ることになります。そんなとき、僕らは「祈る」のです。いいえ、祈るしかないのです。 --- 今年の年始も、いくつもの「無力さ」に祈りました。 2005/01/02 もしも生まれ変わったら もしも生まれ変わることができるのだとしたら、ひとつやってみたいと思う仕事が、僕にはある。雑誌の記者である。 雑誌といっても、「女性自身」とか「SPA」とか「Men's Non-no」とか、そういうのじゃない。ANAやJALの機内誌とか、AERAの記事の一部に漂うような雰囲気の、しっとりとした記事を、僕は書きたい。 たとえば、紀行文、ステキな人物の紹介、こだわりの一品の紹介、食べ歩きに関する記事などがあるだろう。 1ページにフチなし印刷されたステキな写真。じっくりと読ませるような文章。落ち着いたレイアウト。 僕に、「しっとりとした文章」を書く能力がないことが、この上なく残念ではあるが、チャレンジしてみたいとは思う。 別にこういったからといって、自分の現在の仕事に不満をもっているわけではさらさらない。自分の現在の仕事も大好きである。あくまで想像上の話だ。 --- あと数十分で飛行機は目的地につく。 2005/01/01 一年の計 ここ数年、「元旦に一年の計をたてること」をよしとしている。今年も紅白歌合戦を見ながら、来年のことを考えた(ドラクエのラスボスのような美川ケンイチは、毎年のことながら痛い)。 ところで、2004年1月1日、僕はどんな計をたてたのか。今からちょうど一年前の日記を見ると、下記のようにある。
この目標は、ある程度は達成できたと思う。 去年ほど、多様な人々に - 話す言葉も、文化も考え方も違う人々に出会った年はない。そのひとつひとつの出会いに、僕は時に「驚き」と「反発」、「ため息」と「あこがれ」を感じた。 自ら2004年に書いていたように、2005年は「新たな研究の輪郭を描く年」である。 ということで、2005年は、下記の文字に設定したい。
様々な人々とのネットワークの中で、これまでの経験を生かしつつ、何かを成し遂げたい。 |
NAKAHARA,Jun
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