The Long & Winding Road - 2005/01


    
"Transvaai Daisy" by Miwa 


2005/01/31 ナカハラアンテナ

 最近、僕の興味をひいたコト、モノ、ヒト。

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杉村太郎(編)(2005) ハーバード・ケネディスクールでは、何をどう教えているか. 英治出版, 東京

 ハーバードケネディスクールといえば、世界で最も有名な行政大学院。本書は、ケネディスクールの雰囲気、授業の様子を伝える良著であると思う。よほど、ケネディスクールのスゴサを伝えたいのか、倒置法や体言止めをやや駆使しすぎの章があって、気になったけれども。

 ビジネスセクターを対象にした専門大学院が、ビジネススクールなら、こちらが対象にしているのはパブリックセクター。しかし、本書を読んでいると、そうした二分法があまり意味をなさないことに気づく。なぜなら交渉術や組織論、リーダーシップ論は、どちらの学校でも御知られている内容だから。「行政大学院の専門性とは何か?」「ビジネススクールの専門性とは何か」について考えさせられた。

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広田照幸(2004) 教育. 岩波書店, 東京

 グローバリゼーションと新保守主義が台頭し、教育が市場化されていく現代。教育という思想をもう一度立て直すための思想的模索。

 特に冒頭に述べられた下記の引用が印象的だった。

デスクの前に座って、キーボードをたたいているわれわれが、手を汚してトイレを掃除してくれる人々の10倍、我々が使っているキーボードを組み立てている第三世界の人々の100倍の報酬をもらっているというのは耐えきれない、と思うように、私たちの子どもを育てるべきである。(省略)子どもたちは、一方で飢えている人がいるのに、他方では過食の人がいるという事態を確実になくすためには、世界がどのように変わればよいのかについて、できるだけ早い時期に考え始めるべきである。

R.ローティ「成就されざる予言と輝かしき希望」 上記文献より引用

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 朝日新聞朝刊にのっていた下記のホテルプラン。「男ひとりホテルでくつろぐ」ことが、今、HOTらしい。

 京王プラザホテル
  http://www.keioplaza.co.jp/reserve/men.html

 ホテルオークラ
  http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/stay/plan/gentletime.html

 一瞬笑ってしまったのは、京王プラザのプランで「有料テレビ」が1本無料で楽しめること。「俺の時間」って、それかい!

 本日の朝刊1面には、元・リクルート渡辺さんの雑誌「男の隠れ家」の広告ものっていました。お元気なご様子。

 その隣には「銀座にこだわるオトナのための月刊誌 Straight」の広告も。「今、銀座で遊ぶということ」「椅子で選んだレストランバー25軒」らしい。

 いずれにしても、ターゲットは金銭的余裕があり、日々モウレツに働き、遊び上手なホワイトカラー30代〜50代か。このマーケットが、今、激戦なのかもしれない。

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 続いてAERAネタ。

 先週の特集だった「地方出身者と都市出身者の格差」については、かなり実感をもって読むことができた。

 特集で述べられていたとおり、地方出身者と都市出身者では、子ども時代の文化資本、大学時代の金銭的余裕、マイホームの問題、子育ての問題、など様々な点で格差があることは否めないと思う。

 教育学研究に、こうした視点から切り込んだ研究ってあるのかな、と興味をもった。


2005/01/30 109

 先週末、カミサンと渋谷にいったときのこと。「渋谷の中心にあるデパート109(イチマルキュー)」のことが、ふとしたおりに話題になった。

 彼女「109(イチマルキュー)って変なナマエだよね」と言うから、すぐに同意できず、「そうかなぁ」と答えた。

 「109(イチマルキュー)って何のことだろうね」と、またもや変なことを聞くから、「そりゃ、東急だから109(トーキュー)でしょ」と答えた。

 カミサン、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてる。

 渋谷に毎日7年通っても、「109」が「東急」だってことを知らない人もいる。
  世の中、いろんな人がいるねぇ。


2005/01/29 叶庵

 先日、山内さんに連れて行ってもらった蕎屋の味がどうにも忘れられず、都内での会議終了後、また、いそいそと昼飯を食いに出かける。

叶庵
http://www1.odn.ne.jp/~cin78380/map.htm

 田舎せいろ大盛りを注文。麺はどっしりとした香りと味。「つゆ」をつかわずともおいしくいただける。店構えは小さくて狭い。だけど、麺はこの場所で打っているから折り紙付きである。

 前に連れて行っていただいた「古式そば」も美味しかった。が、個人的にはこちらも捨てがたい。癖になっているので、きっと数日後にはまたでかけると思う。

古式そば
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0102/M0013000341.html

 なぜだか知らんが、最近、蕎がたまらん。


2005/01/28 崩落

 僕は一ヶ月におよそ30冊程度の本を読む。一ヶ月に30冊ということは、1日平均1冊。僕の行っている読書が、文字通りの「読書」であるのならば、その数字は不可能である。

 「読む」といっても、一字一句精読するわけではない。「読む」というより、「情報の抽出」に近い。

 その本で言いたいことを抽出し終わったら、その本を読むのはやめる。また、もしその本に言いたいことが明確に感じ取れなかったら、いくら途中であっても、それ以上は読まない。オモシロクなければ読むのをやめる。要は、その本で何が書いてあるかがわかればよい。平均すると、たぶん60%くらいしか全文を読んでいない、と思う。

 確か夏目漱石(森鴎外かも)だったと思うが、読書について、彼はこんなことを言っていたはずである。

 「我々は本を読む自由を有している。が、同時に本を途中で読みやめる自由も有している」

 至極名言だと思う。この言葉を僕が聞いたのは、17歳かそのあたりの頃だったと思うが、それからというもの、本を読むことが心の底から好きになった。いわゆる学校的な「読書」からの呪縛からときはなれたのかもしれない。

 いずれにしても、今の僕にとって本を読むことは仕事である。好むと好まないとにかかわらず、僕は読み続けなければならない。

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 ところで、読み終えた本は自宅からすべてNIMEの自分の研究室に宅急便で送られる。おおよそ一ヶ月に一回であろうか、信じられないほど重い段ボールが届く。
  なにせ自宅は狭い。よって、なるべく本は置かないようにしている。

 しかし、その研究室も今や満タンである。これまでは、何とかかんとかダマシダマシ、本を積み上げてきたが、ついに先日、事件が起きた。

 午前中、書類を片づけていたときのことである。ドサッバタバタバタバタという大きな音がして、ひとつの棚が崩れてきた。棚自体は鉄でできている。が、とうとう重さにたえられなくなったらしく、棚をとめる部材が壊れてしまったのである。

 崩落は崩落をよぶ。上の棚が壊れたので、下の棚にも被害は広がる。かくして10数秒のうちに、床には無数の本が散乱することになってしまった。

 書棚崩落!

 茫然自失・・・。片づけなくてはいけない・・・トホホ・・・僕、「お片づけ」は苦手なのに・・・。ただでさえ仕事が忙しいのに、また余計な手間が増えた。

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 苦手な「お片づけ」をする前に、前にしばらく考えた。これまでのように、1つの棚に隙間なく本を詰め込むことは可能である。やってやれないことはない。だけど、そもそも重さが耐えきれない。ていうか、無理なのである。

 結局、お片づけをするのはやめた。床に散らばった本の30%だけを棚に戻し、ついに「禁断の床」に本を積み上げていくことにした。
  床・・・ここだけには手をつけたくなかったが、今となっては仕方がない。背に腹はかえられないのだ、許せ。

崩落からの復帰
   
  

 次は、まさか床が抜けんだろうな・・・(笑)。
  まぁ、床が抜けるほど本が読むことができたら、それはそれで嬉しいことである。


2005/01/27 近況

 週末病院。服薬は続けるものの、普段通りの生活をしてよいとのこと。嬉しい。オチャケも、少しなら解禁となった。量は相当押さえている(自主規制)。

 土曜日、午後、お台場のフジテレビへ。

フジテレビ@お台場、とっても天気がよい日だった

 今日は、「ポンキッキーズ21」の制作スタッフの方々と初顔合わせ、そして議論。ポンキッキの放映開始が1973年。僕が生まれたのが1975年であるから、それは、僕よりも歴史が長い。子どもの頃見ていた番組に、自分が関わりをもつことになろうとは、どうにも不思議な感じがする。

 ポンキッキーズ21 
  http://www.fujitv.co.jp/b_hp/pkies/

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 週末こなした、その他の仕事。

 企業人材育成本第2弾、企画書執筆! いくつかの関連書籍の読み込み。ふーむ、関連書籍は、こうきたか。

 Project Fish、企画書執筆。これは、山口さん@宮崎大学、西森さん@NIME、望月さん@神戸大学との共同研究。2月初旬の企画会議に向けて。

 来週の講演資料をまとめる。

 そして人生は続く。


2005/01/26 神様

 思いついた!
 クリエィティブの神様が降りてきた!
 キタ━(°∀°)━ッ!!   (神戸大学の望月君のマネ)

 急いでProject Fishの企画書を取り出す。


2005/01/25 ジャンプコード

 少し大きなものをまとめて買わなければならず、先日、レンタカーを借りて渋谷にいった。交通網が異様に発達した東京では、車をもたずとも電車でどこへでも行くことができる。そうはいっても、重いモノなどをまとめて買うにはやっぱり不便で、我が社では、たまにレンタカーを借りて、ショッピングにでかける。

 首都高にのり30分で渋谷。某秘密のパーキングエリアに車をとめ、パルコ8Fにある、お気に入りの和食レストランで、まずは腹ごしらえ。

 DEN ROKUENTEI
  http://r.gnavi.co.jp/g045624/

 DEN ROKUENTEIは、よい食材を、工夫をこらした調理法、ステキな器でサーブしてくれるので、僕のお気に入りである。たまにカミサンと渋谷で待ち合わせて食事をすることがあるが、DENはよくいくレストランのひとつである。

 もしランチにここでお食事をするのなら、僕のおすすめは、「海鮮茶漬け」である。薄口の出汁とごはん、それに焼き魚や刺身がついてくる。

 ごはんと出汁は、おかわり自由。特に出汁のおいしさが際立つ一品で、先日行った際も、おかわりしてしまった。

 昼間っから、満腹になってしまったので、食事後は、気合いをいれてショッピングをする。少し古くなった風呂場の椅子、洗面おけなどを買い、先日空だきをしてしまったケトルを探す。

 あと、前々から個人的に試してみたいと思っていた、アロマテラピーのグッズなども買いに行く。おやすみ前の読書の際に、香りを楽しむことで、Stressed outしてしまったココロとカラダを休めることができるだろうか、と思っている。

 はぁ、今日はよい買い物ができた。満足、満足と駐車場に戻る。「さぁ、帰りに温泉でもよっていこうか」なんて考えているうちに、悪夢が。

 なんと!、ヘッドライトをつけたままにして、バッテリーがあげてしまったのである!

 いくらキーを回しても、「キュイー」というゴマちゃんの鳴き声のような音しか、聞こえてはない。おまけに、小雪もちらついてくる。寒い。

 あー、最悪。免許取得後ペーパーのカミサンは何がおこったのか、茫然自失としている。

 「でも、まぁ、こういうことはよくある」・・・。

 僕が北海道にいた頃は、何度か経験したことがあった。冬はマイナス20度をこえる北海道では、昔は、車のエンジンがかからないことがままあったから、僕は意外と楽天的であった。

 「まぁ、どの車でもジャンプコードくらいはもっているだろ」と脳天気に考えていたのである。

 しかし、ここは北海道ではない!
  東京でジャンプコードをもっている車は皆無であった!
  何台の車に声をかけても、「いや、もってない」という声しか帰ってこない。
  半べそ状態。さっきまでの幸せな気分はどこ行った?

 結局、近くをとおりかかったトラックの運転手さんが、ジャンプコードをもっていたので、借りることができて、一件落着。でも、1時間くらいはロスった気がする。
  あー、焦った・・・それにしてもホッとしたわ。

 教訓
  東京ではバッテリーをあげないこと!


2005/01/24 人に憶えられる

 高校時代の同級生で、今は都内で弁護士をやっている浅野くんと、ボストンのマンションに宿泊したことがあり、某銀行に勤務している星田君と、先日銀座で逢った。

(ちなみに、星田君は僕のルームメイトの友人だった。そして星田君と浅野君は、大学時代、同じ寮で4年を過ごした。How small the world is!)

 浅野君、星田君とはいろんな話をしたが、特に盛り上がったのは、「キャリアの節目」の話であった。

 僕らは今30歳を目前にしている。既に仕事には十分慣れ、この数年間で、自分の仕事のスタイルみたいなものを築き、ある程度の業績をだせるようになってきた(僕の場合は、まだチンチクリンな業績だが)。

 そして30歳という年齢は、おそらく、このままこのスタイルを続行すべきなのか、あるいは、ここで大きな方針転換をすべきなのか、について、一番最初に悩みはじめる年齢ではないのだろうか・・・。

 僕らは、自分がどういうことを成し遂げたいのか、自分の立場から話をした。弁護士、銀行、研究者と業種は変わっているものの、それぞれ課題が共通しているところもあることに驚かされた。

 ドラッカーの名言にこんなものがある。

私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人一人に「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこう言った。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね。」

今日でも私は「何によって人に憶えられたいか」を自らに問い続ける。これは自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう、仕向けてくれるからである。

P.F.ドラッカー(2003) 仕事の哲学. ダイアモンド社, 東京

 前に日記でも話をしたことがあると思うんだけど、僕は、よく「自分が、他人から○○屋さんとよばれるのか」について考えることがある。「○○○○屋」さんではないし、「○○○○○○○○屋」さんでもない。あくまで、そこに入るのは2文字である。

 思うに「人によって憶えられること」というのは、この「○○」に集約できるほど短くなければダメなのである。

 あと20年・・・嗚呼ずいぶんと長い気もするけれど、あと20年後に、僕は50歳になる。そのことは確実であり、僕は1秒たりとも、そこから逃げることはできない。一度の人生、僕はそれを無駄に過ごしたくはない。

 僕は、何によって人に憶えられたいのだろう?

 「また逢おう」といって、銀座の交差点で分かれた。
  それぞれの心の中で、この問いだけが響いていた。


2005/01/23 野ブタ。をプロデュース

 我ながらミーハーだと思いながら、第41回文藝賞を受賞した作品「野ブタ。をプロデュース」を読んだ。

 自らを装い、演出することで、学校のみんなから好かれ、人気者として暮らす高校生の修二。その彼が、転校早々、「キモイ」というレッテルを張られ、いじめられっ子になってしまった「信太(野ブタ)」を、人気者としてプロデュースするストーリー。

 本のタイトルは、言うまでもなく「つんく」によってプロデュースされた「モーニング娘。」を意識している。

 この作品、生徒同士の会話や修二の独白が、センスがあってオモシロク、あっという間に読み終えてしまった。

自分が他人と会わないからといって、一人の世界をつくってしまうヤツ。そんなヤツは弱すぎる。障害物があるからって、違うコースを走るのか。そんなもの全部キレイにかわして走ればいいんだ。ウソでもでまかせでも、なんでも使えばいい。どうせ死ねば灰になる。抜かれる舌など残っていないのだから。

野郎がたくさん群がるビデオゲームコーナーを抜ければ、今度はうるさいキャハハ声がボックスから響くプリクラコーナー。一昔前は並べられた台からのびるたくさんの生足が見られたものだが、今はその狭いボックスの中にドロドロした女の世界が詰め込まれている。決してでしゃばらずに、自分がかわいく写ろうとする戦い。そういえば、ある一定の角度に自信がある女は、毎回その角度で写るようにしていると聞いたことがある。虚しい努力だ。おまえの生きてる世界は3Dだっつーの。

マリ子には気づかれているのかもしれない。今日、いやもっと前からオレが着ぐるみ被って楽しく演じていることに気づかれたのかもしれない。せっかく、どこかのアミューズメントパークの、かわいらしいキャラクターの着ぐるみを着て、みんなに愛されているのに、その視界のために明けられた真っ暗なでかい口の奥に潜む、乾いた、無表情の俺がマリ子には見えているのかもしれない。

「嘘とか、ホントとか、そんなの重要か?おまえよく知っているだろ?それが重要じゃないから、おまえ、今人気者になってんだろ?」
「今はそんなこと関係ないっすよ」
「関係なくねぇよ。大事なのは具現化したもの、言葉がウソでもホントでも、伝わった結果が真実ってヤツだろ」

白岩玄(2004) 野ブタ。をプロデュース 河出書房新社, 東京

 いったん「野ブタ。」に張られてしまった「キモイ」の否定的スティグマ。このスティグマの張り直しをすべく、彼は自分の「印象」を修二にあずける。

 修二はプロデューサーとして、まずは「野ブタ。」の外見を変える。さらに効果的な印象操作(impression management:アーヴィン=ゴフマン)を行うべく、「キモイ」のスティグマを変容させる十分な強烈な出来事を、つくりだし、自らも役者となって演出する。「印象」に従って、「人間関係」は変わる。かくして、「野ブタ。」は人気者になっていく。

 わたしが見ている<あなた>は、誰がプロデュースした<あなた>ですか?


2005/01/22 ゆあーん

 19日付け朝日新聞に「中山文部科学大臣、総合的な学習の時間削減を示唆」のニュースが掲載された。

 このところわき起こる学力低下問題への対応として、主要教科の授業を増やすため、2年前に導入されたばかりの総合的な学習の時間の削減を含めた、カリキュラム全体の見直しを行うことを、大臣が示唆したというのである。

 新聞には、大臣の発言に対して「発言が軽い。軽すぎる」という教師からの声が掲載された。また、大阪教育大学の長尾教授は下記のように発言している。

「総合的学習テストの点数ではなく、生きる力をめざすもので、臨時教育審議会以来の流れに沿ってでてきた。学力低下問題が起きたらすぐに見直すのは、大臣としてあまりに定見と責任感がない。文科相の態度に、導入のために何年も苦労してきた学校現場は混乱し、そっぽをむくのではないか(省略)現場は大臣の思いつき発言に左右されず、目の前の子どもを見つめて実践を重ねて欲しい」

(朝日新聞 2004年1月19日朝刊)

 この方針転換ともとれるニュースに対して、日頃僕の日記を読んでくれている現場の先生方から下記のような感想が届いた。

「わたしたちのこの数年間は何だったのでしょうか」
「教科重視とか言っていて、また数年たったらひっくり返すのではないかと思うと、やりきれなくなります」

 「総合的な学習の時間」の実施からわずか2年。
  「教科学習」と「総合学習」、「学力」と「生きる力」とのあいだに釣られた振り子は、ゆあーん、ゆあーんと振れている。

 教育学者の中には、そこに振り子を想定すること自体が、もともとおかしいのであって、「教科学習」と「総合学習」、「学力」と「生きる力」は、本来トレードオフの関係にあるものではない、と、数年前から指摘している学者もいた。しかし、その声は空しく響く。

 ゆあーん、ゆあーんと教育が揺れている。


2004/01/21 ポスト2005

 朝、満員電車に飛び乗って、丸の内へ。

 文部科学省生涯学習政策局の「ポスト2005年における文部科学省のIT戦略のあり方に関する調査研究会 生涯学習等分科会」....うーむ、ナマエが長い....に参加する。

 12月の日記に書いたが、この分科会の目的は「2005年以降の文部科学省のIT戦略」を考えること」にある。今日は2回目の会合となった。

 下記は、今日の会議で勉強になったこと。

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1.LearnDirect
  LearnDirectは、16歳以上を対象にした、イギリスのビジネス関連生涯学習コンテンツで、自己啓発などの目的で誰でも利用可能なんだという。

 LearnDirect
  http://www.learndirect.co.uk/

 2000年にサービスがはじまって、現在、130万人が受講し、受講された総コース数は300万に至るのだそうだ。フリーター対策などの施策だそうである。
 
  このUKの取り組みを参考に、日本でも「草の根eラーニングシステム」というプロジェクトが、省庁間連携で実施されているそうだ。そういえば、産業能率大学の古賀さんなどから、少しナマエだけは聞いたことがあった。

 一般にPCに対する親和性が低く、学習意欲もそれほど高くない同層を対象にしたオンライン教育には、それなりの難しさがあるんだろうな、と思った。

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2.eラーニング産業発展法
  eラーニングに加熱する、お隣の韓国では「eラーニング産業発展法」という法律が施行されたのだという。どんな法律なのか、ご存じの方、どなたか教えてください。

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3.予算
  行政がある施策をうつ際、一般に、よく関心が集まるのは「どのくらいの予算規模なのか?」ということ。たとえば、先のLearnDirectなどは、一年間の運営経費が400億円から500億円。システムの構築費がLMSが100億。インフラが100億なのという。

 しかし、「予算規模」と同じくらい大事なことは、「で、実際に誰に予算が配られ、誰が手を動かすのか?」ということと「で、誰に対して、どのくらい普及効果があったのか」というこ

となのだ、と改めて認識した。

 「予算が誰の手にわたり、それで誰が手を動かし、誰が受益者で、効果は何であったのか」という一連の問いのシークエンスに答えることが重要だということに、何人かの先生方の話を聞きながら、気がついた。

 「何を今更、そんなこと抜かすなってんだ。アタリマエダのクラッカーじゃねーか、バカヤロー」と怒られそうな気もするが、僕にとっては、ホホーっと思う瞬間だった。

 ほんでもって、この一連のシークエンスに目を向けた際、日本の教育業界の場合、一番問題になりそうなのは「誰が手を動かすか?」というところではないかと思った。

 たとえば米国では、ここに星の数ほどのNPOやNGOがある。そこには専門性をもったスペシャリストがいて、それなりのクオリティでワークショップを行ったり、教材を開発したりすることができる。それに対して、日本では、こうした層が非常に弱い。最近になって少し大きなNPOやNGOがでてきたけれども、米国のそれとは規模、そして、研究員の専門性に雲泥の差がある。

 将来、教育NPOや教育NGOで働ける、専門性のあるスペシャリスト「手が動く教育の専門家」「教育のわかる開発者、デザイナー」を養成することが、重要なのではないかと思った。それは長期的な投資になるだろうが、ゆっくりと、だが、唯一確実に成果がでるのではないだろうか。

 「またそれかい」と怒られそうだけど、あらゆるところで噴出する教育のサプライサイドの問題の多くは、官民とわず働くことのできる教育プロフェッショナルを十分に養成できていないことにあるんじゃないかな、と思う。少なくとも、そうした人材が生まれることで、より円滑にモノゴトが進むことだけは確信する。

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4.NPO法人 シニアSOHO 堀池さんの話
  今日の会議には、三鷹市でNPO法人 シニアSOHOの代表をなさっている堀池さんが、ゲストとしてプレゼンテーションを行ってくださった。

 NPO法人 シニアSOHO
  http://www.svsoho.gr.jp/

 シニアSOHOは、「やる気があって健康な元気な元企業人(高齢者)たちが集まって、得意技を生かした仕事をするためのプラットフォームと機会を提供すること」を目的としたNPO。具体的には、三鷹市の「常設コンピュータ無料相談所」にシニアを講師として派遣したり、杉並区の「IT講習」を請け負ったりしているのだという。現在、シニアSOHOに参加する会員は、120名。その中には、100万から400万までの年収を稼ぎ出す人もいるそうだ。

 堀池さんのプレゼンテーションはとってもオモシロかったし、示唆に富んでいた。

「元気な高齢者っていうのは、皆さんが考えているより忙しいんです。会社時代にできなかったことが、6つも7つもあるんです。だから、皆さん、こうしたNPOで仕事をする時間を見つけるのが大変なのです。今の若い人と違って、自由になる時間なんてあんまりないんです。」という言葉は、モノスゴク印象的に残った。

 暇人だと思われてるぞ、ワカモノたちよ!

 「若いくせに、やりたいことが見つからない」とか言ってる場合じゃないだろ、と思っちゃうね、意欲とかパワーの点で高齢者に負けてどうする!

 自戒を込めて。

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 今日の会議では、僕もお時間をいただいて、プレゼンテーションをさせてもらった
  内容は、先日の教育システム情報学会のシンポジウムでお話しした内容に、行政へのインプリケーションを加筆したものである。データ・事例には、吉田先生、田口さんらと進めていた本に収録されているものを使った。

 主張はシンプル、下記のとおり。

1.教育コンテンツ大国をめざすのなら、教育コンテンツを生み出す裏方の人材育成を大学院レベルの教育で実現するべき

2.現在のままでは、大学eラーニング/大学の知識の公開は、組織構造的にこれ以上の推進はできません。1によるスペシャリスト人材を柔軟に雇用する組織をつくるべき

3.1と2を具体的にどう行えばよいかは、米国大学/米国大学院の成功事例や組織体制から学べるものが多いと思います。

 短い時間でどの程度お伝えできたかはわからないが、自分としては、結構、気合いをいれたつもりであった。一研究者の研究成果 - それもケツが青い研究者のつぶやき - が、政策に何らかの貢献ができる機会はそうそう多いわけじゃないからね。それに、フルブライトとNIMEがくれた9ヶ月間で、僕が得たものから、ほんのちょっとでも貢献させてもらえればな、と思いました・・・珍しく謙虚に。

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 その後、幕張。ハーバード教育大学院博士課程の桑原さんが帰国なさったということで、田口さん、僕、彼女でランチ。元気そうで何よりだった。もう少し時間があったらよかったんだけど、その後、僕は予定が入っていたので中座。

 夕方、再び東京へ。某企業にて講演。ディスカッションはかなり盛り上がった。言いたいこと言いまくり。ハラ痛いけど、吠えたぞ、久しぶりに。

 今日は、疲れた。あー、疲れた、温泉いきてー。まぁ、無理だな、今週は忙しいし。イエかえって、プロジェクトXでも見よう。

 そして人生は続く。


2004/01/20 SEA教育フォーラム

 下記のようなフォーラムがありますので、ご紹介します。

 僕自身、ソフトウェア技術会の同フォーラムに参加するのははじめてなのですが、当日は「ワークプレイスラーニング研究序説」と題したお話をしたいと思っています。

 一般に、教育工学というと「教育現場からルールを発見し、それをそのまま現場に適用する学」として認識されていますが、1980年代に噴出した批判をうけて、そのあり方も変わってきています。しかし、このことは十分に理解されているとは言えません。

 「企業における学習研究」そして「企業への学習研究の貢献」をともに高めるためには、どうすればよいのか。僕の関心はそこにあります。

 当日は私の方からは短いプレゼンテーションを行います。明確な答えは僕にはありません。ですが、このプレゼンテーションをきっかけとして、「実践」と「研究」のかくも怪しい関係について、様々な方々とディスカッションできればと思っていますが、どうなることやら・・・。

 お申し込みは、こちらのWebサイトにあるように行って頂ければ幸いです。

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第13回 SEA(ソフトウェア技術者協会)新春教育フォーラム
「教育工学の現状を切る:教育は理論と実践を尊重しているか」
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 SEA恒例の新春教育フォーラムを下記の要領で開催します。
  SEAの教育分科会(SIGEDU)では、過去18年間教育工学について
多くの議論を繰り返して、効果的な教育を効率的に実践するための
情報交換をしています。

1. 開催日程
2005年1月28日(金) 13:30-

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2. 開催場所
東京都南部労政会館
東京都品川区大崎1-11-1 ゲートシティ大崎 ウエストタワー2階
地図: http://www.sea.jp/Maps/NanbuRousei.html

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3. 実施内容

パネラー:

森和夫(東京農工大学)「職業としての大学教員を分析する」
新井吾朗(職業能力開発総合大学校)「公共職業能力開発を切る」
中原淳(メディア教育開発センター)「企業内人材開発HRを切る」
池田真司(リコーテクノシステムズ)「教育体系開発ID手法を切る」
甲圭太(長岡技術科学大学)「計算機援用教育CBTを切る」

コーディネータ・プログラム委員長:
米島 博司(NECテレネットワークス)

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4.スケジュール
13:00     会場受付開始
13:30〜14:45 パネラ紹介と各パネラのポジションスピーチ
14:45〜15:00 コーヒーブレイク(ご歓談の時間)
15:00〜16:45 全体討論
16:45〜17:00 エンディング

お申し込みは下記のWebサイトにあるやり方をご参照ください!
http://www.sea.jp/SIGEDU/forum.htm

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2005/01/19 オススメ

 ここ最近で行ったレストランで、美味しかったところを紹介。

オントレ・ドゥ・シャトウ
http://gourmet.livedoor.com/isch/ek270/000/read/1/
品川区西五反田1-24-6 タキゲンビル2F
TEL : 03-5496-1668
  
※現金支払い、カードは別途手数料がかかる
※おそらく予約必要

 五反田「ゆうぽうと」前の交差点の一角にある和食ビストロの店。予算に応じたおまかせ料理。季節に応じた食材を使った和食をつくってくれる。先日、東京にすむ叔父、叔母、従兄弟の家族、カミサンと僕でいった。

 前菜はカモ、鯛など。その日の焚き物はホタテ、新鮮なブロッコリーが付け合わせ。ボリュームはかなり多い方。焼きおにぎりがでたあと、豚の角煮風の煮物。揚げ物はカキフライ。かぼちゃのデザートなど。

 特に絶品だったのは、カキフライ。僕は毎年正月に、厚岸の笹原水産から生牡蠣をとりよせているが、それに勝るとも劣らない新鮮さ。

 飲み物は、魔王などの有名焼酎ほか、ワインも多数取りそろえている様子。「こんなワインを飲みたい」と告げると、マスターおすすめのワインがサーブされる。

 当日は、樽の香りが強いオーストラリアかアメリカ産の「シャルドネ」と、若くても良いのでどっしりとしたカベルネ=ソーヴィニオンを注文。期待通りのワインがサーブされた。

 スバラシイ。

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おじゃったもんせ
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0101/P016685.html
渋谷区道玄坂1−17−12 野々ビル1F
電話 03-3780-6737

 渋谷で焼酎の飲める店といえばここ。
  「宮崎産地鶏のもも炭火焼き「カマンベール朴葉焼」「地鶏の卵焼き」「自家製さつま揚げ」などが美味。

 何度か行ったことがあるが、場所がわかりにくいのが難点。マップを確認しておでかけください。


2005/01/18 トップダウン

 「トップダウン」という言葉からは、通常、「上意下達」がイメージされる。「上」できまった内容が、そのまま「下」に伝えられ実行される。そうしたものを、一般的に、我々は「トップダウン」とよぶ。

 トップマネジメントが意志決定を迅速に行うことすらできれば、「上意下達で意志を伝えること」そのものは簡単なことである。

 しかしここで押さえておく必要があるのは、「トップダウンで意志を上意下達すること」と「トップダウンによって伝えられた意志が実行されること」は、全く別のことである、ということである。これはアタリマエのことなのであるが、陥りやすい罠でもある。

 上意下達で、トップの意志が伝えられても、現場が動かないことはおうおうにしてある。
  「現場が動かない」とは「現場の人間がトップの意志に対して抵抗する」という意味だけではない。むしろ、そういう明示的な「抵抗」なんて、そうそうあるわけじゃない。 頻繁に起こるのは、現場がトップの意志を忠実に実行しようとしても、トップの意志が現場に全くあっていないものであったりして、実行ができない、という場合である。

 その意味で、やや逆説的ではあるが、トップダウンを現実のものとしたいのであれば、上意下達だけではうまくいかない。

 現場の意見に耳を傾け、現場の仕事のやり方を理解するだけでなく、できれば現場の人間を意志決定に参加させたりするなどの工夫が必要になる。

 現場の実情を知り、それに合致した意志決定を行い、それをいっきに伝えることで、トップダウンによるマネジメントが実効をもつ。

 意志決定できない組織のトップも困ったものだが、実効のないトップダウンマネジメントも、現場にとっては、それ以上に迷惑きわまりない。日々の事件は現場で起き、ただでさえクソ忙しいのに、実情にあわない意志決定によって、事件の処理スピードや処理クオリティが悲劇的に悪化していくからである。

 悲劇は現場で起きている!


2005/01/17 オヤジの時代

 去年、「大学経営戦略セミナー 社会人大学院の未来」を、一緒に企画・推進したリクルートの渡辺さんが、本年1月同社を退職し、新しい会社に栄転なさった。少し前からそのことについてはおききしていたが、先日、正式にご連絡をいただいた。

 渡辺さんとは、「社会人大学院へ行こう!」出版のときからのおつきあいである。
  就職して数ヶ月たったばかりの夏、「社会人大学院の本をつくりませんか」とリクルート社に、飛び込み企画をお持ちしたのが、最初の出逢いだったはずだ。

 確かあのときは暑い日が続いており、Tシャツにジーンズでリクルート社を訪問したはずだ。今から考えれば汗顔の至りであるが、渡辺さんは真剣に企画を検討してくださり、協力を約束してくれた。

 新しい会社で渡辺さんは、出版局長として「男の隠れ家」という雑誌の編集・出版・営業を統括なさるのだという。今までにも輪をかけてお忙しい日々が続くのであろうが、くれぐれもお体にご自愛なさっていただきたい。

 男の隠れ家
  http://www.fujisan.co.jp/Product/308

 「男の隠れ家」は、都会の喧噪、家族から離れ、男が貴重な時間を過ごすための空間についての専門雑誌であるようだ。

 「人口減少経済の新しい公式」を持ち出すまでもなく、2009年には日本の人口は減少に転じ、未曾有の超高齢化社会 - オヤジの時代が出現する。

 松谷明彦(2004) 人口減少経済の新しい公式 日本経済新聞社, 東京

 きっと、オヤジをマーケットにしたこの手の雑誌は、これから部数を増していくのだろうと思う。

 残念なことに僕自身は、まだこの雑誌を手に取ったことはないのだが、今度、書店でチェックしてみたいと思う。


2005/01/16 海外にいる日本人

 「海外にいる日本人」のことについて、先日、ある人と歓談した。

 日々の業務に忙殺される今となっては、なんだか「あれは夢だったのではないか」とたまに思うこともあるんだけど、僕は数ヶ月前まで、確かに海外で暮らしていた。

 そこでは、いろいろな国籍をもつ人々との、たくさんの「出逢い」があったわけだが、たくさんの日本人にもあった。日本にいては、決して出逢うことすらなかった異領域の人たちと、たくさん出逢うことができたのは、望外の幸せであったと言える。

 ところで、「海外にいる日本人」についてだが、ホントウにいろいろな人がいる。「海外にいる日本人」と一括りにして「彼らは○○である」と論じるのは大変危険だ。まずはそのことを肝に銘じたい。

 たくさんの優秀な人 - きっとこの人は、その領域で、この国をしょってたっていく人なんだろうな、と思う人もいる。その一方で、目的を失っている人もいる。

 「あなたのような人がいれば、我が国の未来も安泰ですな」と思わせてしまうような人がいる一方で、正直、「同じ日本人として、わたしは恥ずかしいよ」と思わせてしまうような「痛い日本人」もいる。

 特に僕が「痛い日本人」だなぁ、と思った人は2種類にわけられる。
  「アンタがエライことなんてしらねーよとつっこみたくなる日本人」と、「日本や日本人のことが、何が何でも嫌いな日本人」である。

 前者については、村上春樹がエッセイの中で痛烈に批判している

「ニューヨークから電車で帰ってくるときに、たまたま日本人の男と隣になったら、それが派遣組の役人で「僕は・・省で・・課長補佐(だかなんだか)をしていてね、共通一次は・・・点なんだよ」と延々まくしたてられたらしい。馬鹿馬鹿しいのでろくに当てをしなかったら、腹をたてて憎々しげな捨てぜりふを残して向こうにいったという。
  
(省略)
  
もちろんアメリカにきている官庁派遣の人たちがみんなこんな風だというわけではなくて、僕が会った中には、くだけたオモシロイ人もいた。きちんとマジメに勉強している気持ちのよい人々にも知り合った。まともな人はたぶんまともなんだと思う。十把一絡げに人間を論じることは、僕の好むところではない。でも、はっきりいって、ちょっと変な人が多いことも事実である。これは僕だけの偏見じゃなくて、多くのフツウの人々の共通した意見である。
  
(省略)
  
役所だけでなく、エリート企業に勤めている人にも、いささか問題のある人が多かった。(省略)さすがに一般会社で働いているから純粋培養官庁系「共通一次男」ほど常軌を逸していないけれど、何をそんなにエバッているのだろうと思うような人が散見される。

村上春樹(1997) やがて哀しき外国語. 講談社, 東京

 あーいるいる、こういう人。官庁とか会社とかにかかわらずだけどね。
  何だかしらないけれど、自分の会社のヒエラルキーを、見知らぬ国で偶然であった僕に当てはめようとする人。

  もちろん、村上のいうように「オモシロイ人」「勉強熱心な人」もいる。僕が1ヶ月ルームシェアした彼は、ある官庁で働いているが、その彼などは、こちらの方がアタマが下がるほど勉強熱心だったし、オモシロい人だった。

 しかし、村上がいう「ちょっと変な人」も少ないわけではないことを告白せねばなるまい。そういう人は、ハッキリ言って、あることを誤解している。「どんなにアナタがエラクても、そのことを何とも思わない人がいる」ってことである。

 たとえば、課長補佐だか、課長だか、部長だか、主任だか知らないけれど、そんなことは会社や官庁の世界の身分制度に絡み取られていない僕にとっては、ハッキリ言って、どーでもいいことである。僕だけじゃなくて、そこでマスターやドクターを取得しようと頑張っている、多くの日本人留学生にとっても、どーでもいいことである。

 「へ、で?、それってエライんですか?」「部長と課長って、どっちがエライんですか?」という感じである。まして、異国にいるのだから、なおさら「どーでもいい」。

 そういう人たちが、「ローカルには通用するヒエラルキー」を他の人たちにわからせようとしているのを見ると、僕は、ハラがたつというよりも、ハッキリ言って痛々しかった。

※公平を期すために付記しておくが、会社や官庁だけでなく、大学人の中に「ローカルなヒエラルキー」を無理矢理、他人にわからせようとやっきになる人はいる。「白い巨塔」を持ち出すまでもなく、段階は少ないものの、大学にだってヒエラルキーは立派に存在している。

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 あと、もうひとつ僕が苦手だったのは、「日本や日本人のことをとにかく悪くいう人」である。別に海外にでたからといって、プチ=ナショナリズムに僕がめざめたわけではない。僕はことさら「日本が好き」ではないし、「食べちゃいたくなるほど日本人が好き」なわけではない。

 しかし、どうにも目を覆いたくなるほど、そういう人たちの「日本バッシング」は激しい。どんな話をしていても「これだから、日本はダメなんだ」「だから日本人は嫌いなんだ」といった具合で、話す前から結論は見えているのである。横で話していて、あまりいい気はしないし、結論は見えているので、オモシロクも何ともない。

 「まぁ日本が嫌い、日本人が嫌い」というのは、別に個人の好き勝手だから、それを口にだすことは自由である。しかし、概して、そういう人たちはオモシロイもので、「日本を知らないことが多い」。これが大問題なのである。人のことを言えるほどではないが、「勉強が足りないな」と思ってしまう。

 たとえば、そういう人たちと政治の話をする。歴史の話でもいいし、はたまた僕の専門の教育の話でもいい。概して、どんな話題であっても、彼らが語る「日本の現状」というのは、オソロシいほど、ステレオタイプで、マスコミによって増幅されていて、手あかがつきまくった言説であることが多い。

 たとえば教育だったら、「日本の教育は画一的だからダメだ、それに対してアメリカの教育は主体的だ」といったような、箸にも棒にもかからないような教育言説を持ち出し、すべてを演繹的に判断してしまう。そして、対してアメリカの教育を語るときは、ひとつの事例から、過剰なまでの帰納的推論を行い、一般化をしてしまう。

 「確かに昔はそう言われていたけど、現実は違ったと言われているよね。それに、今は、もうそういう時代でもないでしょ」と言ったって、まず話を聞いてない(こういう人は人の話を聞かないことが多い!)。

 おそらくは、「日本や日本人のことが嫌い」というのが一番最初にあって、それを裏打ちするような言説を、いろいろな領域で集め、同時にアメリカのステレオタイプ(これはよいイメージをもつ)と対照させることで、彼/彼女たちの「日本バッシング」は進行していくんだろう、と推察される。

 そういう人たち、僕は苦手だ。

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 まぁ、そういう痛い日本人もいるが、ホントウにアタマが下がる人たちもいる。

 異国に暮らし、そこで勉強をするというのは、言うのは簡単だけど、並の根性でできることではない。もう少し時間がたったら、是非、そういう人たちと再会し、近況を報告しあいたいな、と思っている。

 その日まで僕も頑張らなくてはな。


2005/01/15 男性化粧品

 本日の朝日新聞朝刊に、「男性化粧品が流行っている」という記事があった。オシャレにお金をかける男性が、ファッション業界、化粧品業界、マスコミから新たなマーケットとして注目されているのだという。
 
  現代は明日がわからぬリストラ時代。そんな時代にあっては、男性も外見に磨きをかけ、自己表現を行った方がいいということになるのだろうか。

 以前この日記でもメトロセクシャルということばを紹介したが、まさにこのメトロセクシャルを対象にした、様々な化粧品、グッズが開発されはじめてきているのだという。

Metrosexual(メトロセクシャル)
  
若くて高収入で都市部に住み,女性的ファッション-センスや文化的趣味をもつ(異性愛者の)男性。エステに通う男性など。近年アメリカで,新しい市場層として注目されている。メトロセクシュアル。
〔作家のマーク=シンプソン(Mark Simpson)による造語。都市住民(メトロポリタン)と異性愛者(ヘテロセクシュアル)の合成語。同性愛者(ホモセクシュアル)に加えて異性愛者も女性的な文化嗜好(しこう)を持ち始めたことから〕

Goo国語辞典より引用、一部省略

 個人的には、男性が外見にお金をかけるのはいいことだと思う。

 僕らが子どものときから聞かされた「人間は上っ面より内面」という規範は、ある意味では正しいが、常に真の命題でもない。大切なことは、外見、内面の区別なく人を見抜くことにあるのであって、ことさら外見の価値を低くする必要もない。外見と内面は、決して常にトレードオフの関係にあるのではない。

 僕自身はしたことはないけれど、時には化粧とまではいわずとも、お肌の手入れくらいはした方がいいときもあるんだろう。

 小ぎれいになれるのなら、なった方がいい。
  理由、その方が気持ちよさそうだし、なんかオトク感がありそうだから。
  素朴にそう思う。


2005/01/14 なぜわたしは書くのか

 早いものでWebで「日記」を書き始めてから、もう7年目になる。もっとも日付はめちゃくちゃだし(今日の日記だって日付は狂ってる)、内容もおおよそ日記っぽくないので、この雑文が日記と呼ぶものに値するかどうかはわからない。しかし、「雑文」と呼んで公開するのはあまりにキャッチーではないので、一応「日記」と呼ぶことにしている。

 よく他人から受ける質問に「いつ日記を書いているのですか?」というのがある。
  答えは一様ではない。大学に向かう電車の中、研究の合間、お昼を食べながら、あるいは、夜ゴハンを食べたあと・・・暇を見つけて僕は日記を書いている。

 「ネタはどこから仕入れるのですか」というのもよく聞かれるが、この問いに対する答えも、やはり一様ではない。前日に読んだ本、新聞記事、日々の生活などから、常にネタを探している。ネタは、一応、数日間ストックされることが多い。数日間たってみても、オモシロそうだな、書きたいな、と思うものだけについて、公開することにしている。

 とまぁ、この種の問いはよく聞かれることだから、まぁ、あまり考えずにいつも受け答えをしているんだけど、つい先日、ある人にこういう問いを投げつけられた。

 「中原さんはなぜ書くのですか?」

 うーむ・・・これは深い。
  いったい、僕は、なぜ書いているんだろう。
  誰かに強制されているわけではないし、カネが儲かるわけでもない。それなのに、なぜわざわざ僕は毎日ヒーコラヒーコラ、ネタを探しあるいて、この場に「書いて」いるんだろう?

 ひとつの凡庸な答えは、「毎日を丁寧に生きたいから」である。
  誰の言葉だったかは忘れたが、日記を書いて生きるということは、毎日を丁寧に生きることにつながる。日々、アンテナを高くして生きて行かなくてはならないし、そこはかとなく浮かびくる感情や考えを、常にココロに書き留めておかなくてはならない。だから、日々を丁寧に生きるようになる、このことは間違いない。そして、僕自身も、そう願っていることは否めぬ事実である。

 しかし、「毎日を丁寧に生きるためだけに日記を書いている」というのは、僕の場合、どこかにウソがあるような気もする。それは綺麗すぎる理由である。もっと功利的な動機もあるはずだし、一方で、もっと精神にねざすような根元的な思いもあるような気がする。しかし、どうしても、それはうまい言葉にならない。

 僕は、なぜ書いているんだろう?
  わからぬままに、僕は書く。


2005/01/13 講義

 先日、山内さんが担当なさっている東京大学教育学部の授業「学習環境デザイン論」で、「コミュニティ・オブ・プラクティス:企業と学習」に関する講義を行った。状況論的学習論、実践共同体という近年の学習研究の概念を紹介し、それを導入し知識創造を行おうとしている企業の実際の事例を紹介するのが、本講義の目的である。

 出身学部である「教育学部」での講義ということもあり、実はちょっぴり緊張していた。1998年にここを卒業して以来、授業が行われる「教室」に入るのはこれがはじめてのことであったからかもしれない。

 講義自体は、反省点の多い拙いものではあったが、何とかかんとか、学生の皆さんに自分が伝えたいと思っていたことは、お話したつもりである。

 僕がこの講義で喋りたかったことは2つであった。

1) 実践コミュニティに代表されるとおり「一見、無意図的に見える学習の場」を「意図的」につくりだすことことの難しさ。このパラドクスはどこに由来するか。教育学研究者には、そのとき、何ができるか?

2) 企業の学習の場のデザインであっても、教育学研究の知見は役にたつし、社会において教育学のニーズは確実に増しているのだということ。教育学研究の対象は、学校や先生や子どもだけじゃなく、社会に開かれているのだ、ということ。

 この2つの命題の重要性を前に、僕がどの程度、それを伝えることに貢献できたかは、非常に心許ない。

 しかし、あとでコメントシートを読むと、「教育学が会社の中でも生かせることは気づきませんでした」であるとか、「教育学はとても役にたつとおっしゃっていたことが、印象的でした。教育学は学校現場以外では役にたたないとおもっていました」といったような感想があった。

 また質疑応答の時間には、「企業を対象にした教育学研究の難しさはどこにあるのか、その難しさを回避する方法論的課題は何か」「コミュニティ創造を支援する際、実際にどのように研究者がクライアントと接し、どう振る舞い、支援を行うのか」といった、非常に専門的なこと話題が及んだ。

 素直に、僕は嬉しい。
 「単細胞だな、アンタは」とバカにされそうだが、それでも嬉しい。
 講義の出来は反省すべき点が多いが、僕は、学生の皆さんと話ができて、楽しかった。

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 彼らの多くは、class of 2006。つまりは、2006年に東京大学教育学部を卒業する。彼らの中の何人かと、またどこかの「実践の現場」で会えるといいなぁ、と思った。

 そして人生は続く。


2005/01/12 コミュニケーションデザインセンター

 年末のことだったか、あるメーリングリストで、「大阪大学がコミュニケーションデザインセンターという新しい教育・研究施設を立ち上げる」ということを知った。

 大阪大学 大学最新トピックス
 http://koho.jim.osaka-u.ac.jp/pub/00001003/index.html#article0

 大阪大学コミュニケーションデザインセンター プレゼンテーション
 http://www.osaka-u.ac.jp/jp/saishin/ponchi.pdf

 このセンターは、コミュニケーションサイエンス研究の拠点であるとともに、博士号取得者に対する講座を開講するという。大阪大学の博士号取得者は、将来的に、この講座の受講が卒業要件となるようだ。

 専門領域にしか興味が籠もりがちな研究者のタマゴたちを、社会の開くことをめざすのだという。究極の目的は、社会と大学とのあいだに、コミュニケーションの回路を築くことであろう。そのための教育・研究手法としては、ワークショップなどを用いるようである。専任教員には、劇作家の平田オリザさんらが就任する予定であるという。

 この理念のもとに教育や研究がなされるということになれば、とても、オモシロそうである。是非、一度、訪問させていただきたいものである。

 ところで、東京大学にも先日「コミュニケーションセンター」が、赤門のすぐ横にできた。こちらでは、グッズの販売、広報資料の配付、キャンパスツアーなどを行っていくようである。

 東京大学コミュニケーションセンター
  http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/d04_09_j.html

 全く異なるアプローチを行っているものの、東京大学にしても、大阪大学にしても「社会と大学のつながりを向上させる」という目的は共通している。

 大学は、もう、独りじゃいられない。


2005/01/11 子ども番組

 先日、東京大学BEAT講座で公開研究会が開催された。以下は、小平さち子先生@NHK放送文化研究所の講演メモ。「子ども番組の歴史」「子ども番組の最近の特徴」などについてご講演なさった。

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■子ども番組の歴史

・1959年 おかあさんといっしょ
・1969年 Sesame Street
  →現在120ヶ国で放送されている
  →各地でローカライズされた各国版のセサミストリートが
   既に22〜23ほど放送されている
・1970年代
  「ひらけポンキッキ」「あそびましょ パンポロリン」
  「カリキュラマシーン」「ワンツージャンプ」などが開発
  幼児向け番組の研究開発が盛んになる
・1979年 Neckelodeon(ニコロデオン)
  →子ども向けの専門チャンネルはじめて生まれた
    ・これ以降、子ども番組の量的拡大
    ・アメリカのアニメーションが、イギリスに流入
・1990年代〜2000年 幼児向け番組の、さらなる増加
    ・Oobi
     →人間の「手」を使ったパペットによる演出
    ・Takalani Sesame
     →アフリカ版のセサミストリート
     →エイズウィルスに感染している女の子が登場人物
      に入っている
    ・Jesse & Luka
 
 
■世界の子ども向け番組に見る最近の特徴
 
1.社会の現実を直視する番組の重視
  →子ども向けニュース番組(情報番組)が増えている
   ・Newsround
   ・Logi!
   ・Nick news
    →1991年スタート、米国にて
    →湾岸戦争をきっかけに、社会の現実を伝える子ども
     向けの番組をつくる
    →9/11のときも生放送を行っている
   ・Mon Kanar
   ・TV School week journal
   ・週間こどもニュース(NHK)
    →1994年スタート
 
2.幼児向け番組の充実
  →人気キャラクターや登場人物を使って、重要事件
   (同時多発テロ、イラク戦争)のショックをやわらげる
 
3.参加型番組の増加と多様化
  →子どもたちが番組の内容に関与する
   ・ドイツの子どもニュース(Logo!) 
    →子どもたちがリポータ役をつとめる
   ・ドイツのクイズ番組(Just Super!)
   ・オランダ向けの幼児向け番組(Deksels)
    →子どもにキッチンでどういうものをつくりたいか?を
     前もって調べておいて、子どもが実際につくる
    →視聴する子どもたちが、自分たちにもできるのではない
     かと錯覚する
 
 
4.番組ウェブサイトの進展
 
  ・現在はパソコンとの連動
   →将来的にはモバイルも
   ・Mister Rogers
    →1968年以来のアメリカの幼児番組
   ・Zoom
    →アメリカの小学生向けのマガジン番組
    →Webがもっとも充実している番組
 
 
■メディアの影響
 
・懸念されるメディアの影響の対応策
   →1990年代の世界の動向
    ・US型
     →Vチップ、番組ランク付け
    ・UK型
     →自主規制
 
 
■課題解決へ向けてのアプローチ
 
   1.子ども向けテレビ発展のための国際的な協力関係
    →制作者のネットワーキング
     ・国際コンクールの開催
       ・「プリ=ジュネス」1964年からドイツで開催
         →ミュンヘン市の子どもたちが審査に参加する
       ・「日本賞」1985年から日本で開催
 
     ・子どもとメディア世界サミット 1995年から
       →教育学者、制作者に加え、世界のティーンたちが
        集まり、子どもとメディアのかかわりについて議論
 
   2. 長期的展望のもとでの調査研究の必要性
    →子どもによい放送プロジェクトによるフォローアップ調査
     ・NHK放送文化研究所+専門分野の研究者
     ・0歳からの子どもの発達過程の中で、メディアとの関係
      を長期間追跡する
 
 
■親と子どもの視聴行動
 
・親のTV視聴の仕方、テレビ番組の選好は、子どもに学ばれる
  →親がながらテレビをするうちは、子どももそうなる

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追伸.

 研究会に行く前、お昼を、そば屋の名店「神田まつや」で食べる(写真左)。僕は「もり」を2枚。カミサンは鴨南を食べた。まつやのそばは、いわゆる「更級系」。しっかりとしたコシと香りがある。汁はややあまいが、濃い。次は、夕方にでかけ、池波正太郎よろしく、「のり」や「板わさ」で一杯ひっかけたいものだ。横の人が食べていた「ごまそば」がおいしそうだった。近くには、名店「神田やぶ」がある(写真右)。

そば屋
   
  

  


2005/01/10 大学人

 村上春樹のエッセイ「やがて哀しき外国語」を読み直し、思わず、苦笑してしまった。「大学村スノビズムの興亡」と題されたエッセイについてである。

 このエッセイで、村上は、「アメリカの大学人は、大学人ならばかくあるべしといった規範で、お互いを縛り、かつそれによって外部を区別して、生きていること」を指摘している。

 少し長くなるが、引用してみよう。

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 僕の知っているプリンストン大学の関係者は、みんな毎日「NYタイムズ」をとっている。(省略)そして、「NYタイムズ」を取っていないと(僕が)いうと、もっと変な顔をする。そして話題をすぐに変えてしまう。

 (省略)

 これと同じようなことは、ビールについてもいえる。僕が見たところでは、プリンストン大学の関係者は、だいたいにおいて輸入ビールを好んで飲むようである。ハイネケンか、ギネスあ、ベックか、そのあたりを飲んでおけば、「ただしきこと」と見なされる。(省略)しかしバドワイザー、ミケラブ、ミラー、シュリッツあたりを飲んでいると、やはり怪訝な顔をされることが多いようである。

 (省略)

 この国では、バドワイザーが好きで、レーガンのファンで、スティーブンキングはは全部読んでいて、客が来るとケニーロジャースのレコードをかけるというような先生がいたら、たぶんまわりの人間から、あまり相手にされないのではないだろうか。

 相手にされないということは、つまり家に招いたり招かれたりという大学社会内交際からはみ出すと言うことで、そうなると、現実的に大学で生き残っていくということは、学者としてよほど優れた業績をあげていないかぎり、かなり難しくなるだろう。

 (省略)

 映画はヨーロッパ映画や実験的な映画が好ましいし、音楽はクラシックか知的なジャズが好ましい。車はあまり目立たないものがコレクトであるようだ。

 (省略)

 とにかくまぁ、いろいろときまりがあるのだ。はじめはよくわからないけれど、大学社会の中で暮らしていると、だんだんとそういう細かい呼吸が飲み込めてくる。これはコレクトだな、これはインコレクトだなというのも、おおよそわかってくるようになる。

村上春樹(1997) やがて哀しき外国語より引用、一部省略

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 「アメリカの大学人は上記のとおりであるが、日本の大学人はここまで規範はないだろう」と村上は指摘する。しかし、僕の経験からすれば、日本の大学人もある意味で、似たような「かくあるべし」をたくさんもっているように思う。

 「かくあるべし」という嗜好の偏りだけで話しが済むのなら、まだいいほうではないだろうか。気になるのは、「話法」や「言い回し」も大学人は独特であるように思う。これは、またゆっくり時間のあるときにでも話そう。

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 いずれにしても、村上が上記のエッセイで書いていることは、村上自身の「学習」の過程である。村上は、プリンストン大学村の実践に、正統的にかつ周辺的に参加していた。

 「かくあるべし」や「話法」や「言い回し」を、少しずつ体得していく過程の中で、少しずつ、人は大学人になっていく(大学人であることに自信をもてるようになる)。

 そういう視点から読んだので、このエッセイ、とてもオモシロく読めた。


2005/01/09 北海道

 北海道の実家から送ってもらった「毛ガニ」と「いくら」を食する。「毛がに」「いくら」ともに、あっさりとした塩味。おいしゅうございました。ありがとう。また送ってね。

北海道
   
  


   

2005/01/08 雪

 先日、北海道に帰省した。車に乗っていて、ふと気づいたこと。それは、道路の両側にうずたかく積まれた雪山に登って、遊んでいる子どもたちを、ひとりも見なかったこと。

 かつて、北海道の子どもにとって、雪は、無限のプレイグラウンドだった。
  雪が大量に降れば、道路の両脇に雪山ができる。学校の帰り道、友達のうちで遊んだ帰りなどには、「川口浩探検隊」と称して、毎日のようにそこを登って帰宅する。

 昔は雪が多かった。

 雪山の高さも、2メートルや3メートルになることはザラだったし、ひどいときには、電線に手が届いた(これは我が人生においてもっとも危険な瞬間のひとつだったと思っている)。そんな「山」を次々と征服して、家路につくのである。これがオモシロクないわけがない。

 冬になれば子どもたちは、「つなぎ」のスキーウェアを着るから、雪に戯れ、濡れてしまうことはそれほど問題ではない。本来ならば20分もあるけば、家につくものを、そうやって遊びながら帰るので、平気で1時間や2時間がたってしまう。

 オナカがすけば、雪を食む。

 両親は「雪は汚いからやめなさい」といつも言っていたが、そんなことは知ったことではない(事実汚いことは間違いない)。中には、氷柱(つらら)を舐めるツワモノもいて、たまにハライタをおこしていた。

 ともかく、僕らは雪と一緒に大きくなった。少し大きくなってからは、近くにある山に毎日スキーにでかけた。1シーズン中、何度でもリフトに乗ることのできる「シーズン券」というものを、持っていた。大阪人でなくても、この種のチケットをもったからには、「モトをとらなくては」いけない。よって、「1日に60回以上リフトに乗ることをよし」としていた。今から考えれば、スゴイ体力である。週末となれば、1日100回以上リフトに乗ることもザラだった。

 単に滑るだけではあきたらず、ジャンプ台をつくったり、モーグルのコブをつくったりして、雪と戯れ遊んでいた。時には、スキーコースそのものをつくったこともあった。

 僕らがつくったコースには、たとえば「いい湯だなコース」とかいうネーミングをつけたコースもあった。

 「いい湯だなコース」には、温泉の流れる小川が途中であって、その直前にはジャンプ台がもうけられている。ジャンプ台に急加速して入っていって、思い切り飛ばなければどうなるか。そう、スキーをつけたまま、温泉に入浴することになってしまうのである。半端でなく、恐ろしい。

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 「いい湯だなコース」のような、危険きわまりないコースを、今の子どもたちもつくっているのか、どうか僕は知らない。先日はあまり子どもの姿を見なかったんだけど、「川口浩探検隊」をしている子どもが、今はいないのかどうかも、僕にはわからない。

 しかし、願わくば、昔僕らが遊んだように、今日を生きる北海道の子どもたちにも「雪」をエンジョイして欲しいな、と切に思う。

 「雪」以外に遊ぶものがないのが、かつての北海道の冬である。しかし、僕にとって、「雪」以上にクリエィティビティやイマジネーションを育んでくれた遊びは、そうそうなかったように思う。


2005/01/06 老舗の味

 「老舗の味」・・・最近、僕のココロを魅了してやまないワードである。

 思わずお取り寄せをしたくなったり、遠くからでも食べに行きたくなるような、昔ながらの伝統的な食材を、実際に自分の舌で試してみたくなってきた。

 いきなりこんなことを言うのにはワケがある(悲しいワケ・・・トホホ)。

 最近、めっきりお酒が飲めなくなったことが直接の原因である。

 そのことがきっかけで、甘いものや、ゴハンと一緒にたべるようなものであっても、好き嫌いせず食べるようになった。悲しい現実をいつまでも、マイナスにとらえていても、仕方がない。お酒を控えているぶん、新しいものを知りたい。

 そんなことを思っていたら、今日、カミサンの実家のお母さんから、2つの食材をおくっていただいた。早速、試食してみた。おいしゅうございました。ありがとうございました。

老舗の味
   
  

  

左は1781年創業「神宗」の塩昆布。ふっくらとした炊かれた昆布は、濃厚な塩味。素材のもつ潮の味も残っている。右は、1803年創業の京菓子屋「鶴屋吉信」の葛湯。


2005/01/04 目がうすうす こんばんこ

 大阪大学大学院の研究室の後輩、重田君に教えてもらったオバカFlashネタ。年末、BS2でやっていた冬ソナの再放送を何回か見ていただけに、思わずわらってしまった。

 冬ソナ 日本語訳
 http://www.geocities.jp/ikahomanji/home/fuyusona.html

 最初の出だし、「目がうすうす こんばんこ」までが好きだ。


2005/01/03 Pray

 一般に、年始年末、仏壇の前で、神棚の前で、手をあわせる機会が多くなります。

 どんなに頑張っても、人にはかなわぬことがある
 どんなにココロをつくしても、何一つ助けにすらならぬことがある
 どんなにあがなっても、運命としか言えぬものがある

 生きていけば、そんな、たくさんの「無力」を否が応でも知ることになります。そんなとき、僕らは「祈る」のです。いいえ、祈るしかないのです。

 ---

 今年の年始も、いくつもの「無力さ」に祈りました。
  この祈りが、「あなた」に届きますよう


2005/01/02 もしも生まれ変わったら

 もしも生まれ変わることができるのだとしたら、ひとつやってみたいと思う仕事が、僕にはある。雑誌の記者である。

 雑誌といっても、「女性自身」とか「SPA」とか「Men's Non-no」とか、そういうのじゃない。ANAやJALの機内誌とか、AERAの記事の一部に漂うような雰囲気の、しっとりとした記事を、僕は書きたい。

 たとえば、紀行文、ステキな人物の紹介、こだわりの一品の紹介、食べ歩きに関する記事などがあるだろう。

 1ページにフチなし印刷されたステキな写真。じっくりと読ませるような文章。落ち着いたレイアウト。

 僕に、「しっとりとした文章」を書く能力がないことが、この上なく残念ではあるが、チャレンジしてみたいとは思う。

 別にこういったからといって、自分の現在の仕事に不満をもっているわけではさらさらない。自分の現在の仕事も大好きである。あくまで想像上の話だ。

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 あと数十分で飛行機は目的地につく。
 もしも生まれ変わったら...機内誌を手に取りながら、そんな想像にふけってみた。


2005/01/01 一年の計

 ここ数年、「元旦に一年の計をたてること」をよしとしている。今年も紅白歌合戦を見ながら、来年のことを考えた(ドラクエのラスボスのような美川ケンイチは、毎年のことながら痛い)。

 ところで、2004年1月1日、僕はどんな計をたてたのか。今からちょうど一年前の日記を見ると、下記のようにある。

 「逢」

 というわけで、あーでもない、こーでもないとひとしきり考えて、ようやく一文字を選んだ。2004年の計は、「逢」である。

 おそらく、2004年の僕は、今まで見知ったこともない海外の様々な人々に出会い、様々な場に参加するだろう。様々な研究知見に出会い、時にため息混じりになることもあるだろうし、勇気づけられることもあるだろう。そのような一つ一つの「逢」から、2005年からはじまる新たな研究の輪郭を描いていかねばならぬ。

 この目標は、ある程度は達成できたと思う。

 去年ほど、多様な人々に - 話す言葉も、文化も考え方も違う人々に出会った年はない。そのひとつひとつの出会いに、僕は時に「驚き」と「反発」、「ため息」と「あこがれ」を感じた。

 自ら2004年に書いていたように、2005年は「新たな研究の輪郭を描く年」である。
  2005年、僕も30歳になる。孔子曰く、「吾十有五而志于学、三十而立」。

 ということで、2005年は、下記の文字に設定したい。

 「起」

 様々な人々とのネットワークの中で、これまでの経験を生かしつつ、何かを成し遂げたい。
 一年後のこの時間、僕は、どんな反省をしているだろうか。それは、今の僕は、知るよしもない。


 NAKAHARA,Jun
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