「続・今、教師が熱い!」

 先日、「今、教師が熱い」というエントリーを書き込みました。

今、教師が熱い
http://www.nakahara-lab.net/mt/archives/2005/07/post_86.html

 すると、blog人生3ヶ月にして最も多いコメントが寄せられました。4連発の君島さんをはじめ、皆さん、ありがとうございます。

 特に今回は、現職の先生方からコメントが寄せられ、その内容は、とても考えさせられる内容でしたので、ここでも紹介しようと思います。寄せられたご意見・ご感想に関して、僕もコメントさせていただきました。

まずは「通りすがりの現職教員」さんから。

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>はじめまして.
>中原さんのBlog拝見させてもらっています.

ありがとうございます。
励みになります。

>>カリキュラムをどう作るかは、教育学部でどう研究・
>>教育しているのですか。そしてそれは教育原理とい
>>う理論とどうつながっているのですか

>現場では,こういうことは,ある意味どうでもいいし,
>知らなくても,すばらしい教育を提供できることもあります.
>社会的構成主義とか…難しい教育理論など知らなくても
>実際には,昔から試行錯誤されている教授法のひとつの
>ようにも感じます.

確かにそうですね。

理論を知らなくても、素晴らしい教育を提供出来る可能性があります。
知っていても、ショボイ教育しかができない可能性もあります。

三十路寸前、中原淳、お調子ものですので、またまた調子こいてくっちゃべると、

知らないが故に、ショボイ教育しかできない可能性もあります。
知っていて、なおかつ素晴らしい教育ができる可能性もあります。

要するに、4つの場合にわかれます。
人生いろいろ、教育もいろいろです。
アタマだけがデカイ人、実践させたらスゴイ人、両方できる人、
いろんな人がいるのでしょう。

ところで、教育理論は、敢えて簡単なことをコムズカシク
しゃべっているような感じがありますね。

おっしゃるように、それは、昔から人々が「アタリマエ」に
やっていたことを、言葉をかえ、品をかえ、繰り返している
ようにも見えるかもしれません。

ただ2つ敢えて申し上げあげたいのは、

1つめは、

よい理論ほど実際に役にたつものはない

ということです。
これはクルト=レヴィンという人の言葉です。

ある程度勉強した上で(勉強は必要です)、なんかうさん
臭いな、わかりにくいな、役にたたなそうだな、と感じたら、
それは理論がショボイのです。
そんな理論をアリガタガル必要はありません。

たしか夏目漱石の言葉だったと思うのですが、「人間には本
を途中でやめる権利」というのがある、というのがありますね。

本を読んでみる。何をいっているんだかさっぱりわからない。
そういうときには、おかしいのは「本」の方です。
それと同じではないか、と思っています。

あともう一つ。

理論というのは、現場に適用するためだけに存在しているのでは
ありません。

いつもアタリマエにやっていることを「説明」する機能も
あります。日々の雑事にまみれ、「日々何気なくやってはいる
けれど、自分には気づかない」ことが、人間にはあります。

そうしたことを敢えて違っためがねで見つめてみる。
その瞬間に、今まで見えなかったことが見えるようになる。

よい理論には、そうした機能があるんだと思います。
むしろ、そうした性格の方が強いかもしれません。

僕は、いつも社会人大学院生の方々にお話していることがあります。
社会人大学院生の方々は、何かの問題感心を抱えて、大学院にきます。
そして、一見役には立たなそうな理論を学ぶ。いったん現場を離れて。
そのことを「棚卸し」と表現する方もいます。

で、僕は、いつもこういうお話をします。

「一度、大学院にきて、いろいろなことを知ると、
シャバには戻れませんよ」

もちろん、文字通りの意味ではありません。それが証拠に、
社会人大学院生の方々は、シャバにもどり、仕事場に帰っていきます(笑)。

むしろ、言いたいことは、こういうことです。

「よい理論を知って、一度、自分のやってきたことを、見つめ
なおすと、それを知らなかった頃の自分には、戻れなくなりますよ
今まで見えなかったものが見え始め、気づいてなかった意味に
気づくようになります。その意味で、元の道には戻れませんよ」

すべての理論がそういう機能をもっているかどうかは、
わかりません。

先生にとって、実践的で、洞察にみちた理論が見つかると
よいですね。

>でも,今,一番切実に感じることは,こういうことを,
>じっくりと考えられる位のが時間が欲しいということです.
>公務員批判のもとなのか…時代の流れなのかわかりませんが
>今,教員に余裕がなく,日々の雑務で手一杯です.
>むしろ,自分で必要だと思う研修すら行えません.

これは大問題ですね。

創造力と洞察力にあふれた日々を生きるためには、「余裕」が必要
だと思います。

どこの業界でもある程度はそうなんでしょうけど、忙しい人は
より忙しくなっている気がします。

ところで、マスコミの批判の中には、確かに、「それは教育の
問題か?」と思わせるものが数多くありますね。それがカタル
シスにつながるのでしょう。

僕は、学生時代からいつも言っている言葉に、「教育はコエダメじゃ
ない」というのがあります(笑)。

教育社会学者の広田先生の言葉ですが、「教育にはできること」
と「教育にできないこと」があります。
それをクソ○ソ一緒にして、教育のせいにされて、お門違いの
批判をされることが、ままありますね。何でもかんでも、教育
の領域に押し込めば、問題は解決すると思っている。

僕らは、そういう議論に時に「No」を突きつける必要が
あるのだとおもいます。「それは教育では解決出来ません」
できないことには、はっきり「できない」といった方がよいのです。
「できないこと」を知ると、「できること」がわかります。

マスコミの単調な論調 - もちろん、すべてがそうではありませんが -
ホントウに困ったものだと思っています。

>私は団塊ジュニアと言われる世代で,それこそ倍率100倍
>とかいわれる時代に必死に勉強して教員になりました.
>ある意味,運良く合格した10年目の教員です.
>職場には自分が最年少で,上は5つも離れています.
>前後がまるでいない状態です.ここで急に「教員養成バブル」
>になって新卒教員がたくさんくることをかんがえると
>恐ろしいです…

これは恐ろしい事態ですね。

上の世代がごっそり抜け、一番、少ない数の少ない世代が、
組織のハブとなり、かつ、教育機能まで担わされる。

フツウの会社でも同じような事態は進んでいます。
まだ成長の途上にある若手社員が、教育機能を担わされ、
最もキツイ立場におかれる。

が、教員の場合、さらに悲劇的なのは、通常の会社よりも
「いびつ」な人口動態にあると思います。

>今,私たちがうけている10年次研修もひどいものです.
>大量採用のころの教師たちが、いわゆる「団塊の世代」の
>教師たちが講師になって,何日もかけて講義を行っています.
>必死に勉強しなくてはならなかった私たちにとって
>当然既知である内容や思いつきのような教員研修です.
>(中略)
>現在,私たちは,法令で定められた日数をこなすばかりの
>研修を行っています.10年目の教員が行っているのは,
>動物園に行ったり,山登りをしたり,歌を歌ったり…
>それこそ税金の無駄遣いと言われそうな研修と
>せいぜい指導要領に書いている内容の確認です.

ここは、僕の最も興味を持ったことでした。
そして、リサーチクエスチョンとして、非常に重要な
内容になるな、と思いました。

教員研修は、1)誰が教員になって、2)どのような学習目標のもと、
3)どのような内容を、3)どのようなタイミングで、4)どのような
手法で、行っているのでしょうか。

ある程度の情報は、Web等でもわかるのでしょうが、実際は
どうなのでしょう。こうしたことがらを、エスノグラフィックに明らかに
するとオモシロい研究になりそうな予感がしますね。

いったい、現場では何が行われていて、何が伝達されているのか。
何が学ばれているのか。

「こういうコースが提供されています、そんなことWeb見たらわかる
じゃないですか」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、「コースがあること」と、「そのコースが適切な学習カリキュラム
になっているか」どうかは、全く別のことです。提供はされていても、
ちっとも学べないカリキュラムもあります。

寡聞にして、僕は、この種の研究が存在するのかしないのか、
わかりません。

もし、このblogをお読みの現職の先生方がいらっしゃったら、
教員研修の実態を教えて頂きたいものです。

そういえば、かつて、京都大学に内地留学なさっていた静岡
の鈴木先生が、「IT教員研修」のことについては論文を
お書きになっていました。エスノグラフィーの手法を用いた、
オモシロイ研究でした。「IT教員研修のエスノグラフィー」ですね。

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お次は、「現職教員2」さんです。

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>いつもブログを拝見しています。

ありがとうございます。
精進します。

>>こうした現状をよそに、塾産業は、新たなマーケット
>>を求めて、新規サービスを展開しようとしている。
>>教員の「授業スキルの向上」「指導力育成」ということです。

>現場では、授業スキルの向上の大切さを痛感し、教師もがん
>ばっています。しかし、実際は授業スキルだけあっても学級
>経営は成り立ちません。
>教室には特別支援を必要としている児童やいろいろな事情の
>家庭の児童がいます。その対応に時間とエネルギーも使います。
>その他、休憩時間にはいろいろな雑務が待っています。
>でも、子どもの「わかった!」という笑顔のために少しずつ
>でも進んでいきたいと願っています。
>これからもいろいろな情報をよろしくお願いします。

まさにおっしゃるとおりですね。

教員として働くには何が必要か?

その問の答えは、決して、「授業スキル」だけではありません。
学級経営もあるでしょうし、心の問題に関する知識、地域に
関する知識があります。

どんな教育を提供すれば、教員を研修出来たことになるのか?

この問題を考えるためには、「教師とは何か?」「教育とは何か?」
「学校は何をすべきところか?」という問題にぶちあたります。

ホントウに深い問題です。

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以上です。
ともかく、お二人の先生方、コメントをありがとうございました!


追伸
 TREE blog更新しました、 「高大連携とeラーニング」!

 TREE blog
 http://tree.ep.u-tokyo.ac.jp/
 

  

投稿者 jun : 2005年7月29日 19:12