プロポーザル

 僕はプロポーザル(提案書)を書くのが好きだ。

 新しい研究、新しい製品、新しい実践、新しい本、新しい番組。

 このヨノナカには、何かをはじめようとするとき、何かをカタチにしたいと思うときに、必ずといってよいほど、プロポーザルが必要になる。

 プロポーザルをを「カタチ」にするときには、いろいろな制約や条件がでてくる。そうした制約や条件は、必ずしも論理的でも合理的でもない。納得できない条件、腑に落ちない事情 - 人は、そうした制約や条件の中で、苦闘し、モノゴトを「カタチ」にする。

 そうしたプロセスは楽しみではあるが、同時に、プロジェクトX的なドロドロとした「生みの苦しみ」も伴う。しかし、プロポーザルには、まずはそうした苦しみがない。

 「こう言ったら、オモシロイことになるだろうな」「こんなことを指摘できたら、○○の考えをもっている人はビビルだろうな」「こんなことしたら、愉快だろうな」といったことを想像しつつ、そのプロセスを楽しむことができる。

 だからプロポーザルを書くことはやめられない。しかし、残念なのは、時間をかけてプロポーザルを書くヒマが最近とれないことである。

 やっつけ仕事にはならないようにはしているつもりだけれども、かつて、かけることのできた時間の3分の1程度で、completeさせなければならない。それができなければ、次のプロポーザルの〆切が迫ってくる。

 そうはいっても、プロポーザルを書くのは、やはり楽しい。

 しかし、同時に、このままのペースで書き続けると、いつか手痛い「しっぺがえし」を食らってしまうような気がしてならない。それが怖い。

 皆さんは、そんな風に思うことありませんか?

  

投稿者 jun : 2005年4月18日 20:30