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"Transvaai Daisy" by Miwa
2004/12/30 パーティ 先日、カミサンの高校時代の友人らと、クリスマスパーティをやった。今回の会場は、2年間のシラキウス大学での留学を終え、帰国したばかりの金澤くんのお宅だった。
金澤君、かんちゃんには大変お世話になった。おかげさまで、大変楽しい時間を過ごすことができた。本当におじゃましました。ありがとうございました。 2004/12/29 ポスト2005 「2005年以降の文部科学省のIT戦略」を考える会議「ポスト2005に向けた生涯学習の情報化検討委員会」の末席に僕も委員として加わった。 僕の参加した分科会は、佐伯先生@青山学院大学が主査をつとめていらっしゃる生涯学習等分科会。 大学関係からは、国立情報学研究所の新井先生、名古屋大学の梶田先生、お茶ノ水女子大学の坂元先生、東京工業大学の中山先生などが委員として参加なさっていた。 会議の一日目の内容は、文部科学省、事務局をつとめる「みずほ総研」からのプレゼンテーションが主だった。最近の政策、海外の動向など非常に勉強になった。 この会議において、僕がもし発言を許されるのだとしたら、是非お話ししたいことは「eラーニングの実務を担当し、教育コンテンツの開発現場で仕事を行っていける人材をシステマティックに育成していく必要性」についてである。 月並みな言い方だが、海外の大学、企業に比べて、日本に不足しているのは、システムやコンテンツではなく、人材であると僕は思う。それも、具体的かつ実践的に人材をシステマティックに育成する仕組みにあるような気がする。 会議終了後、NTTデータの吉川さんと丸ビルでランチをした。京都豆腐の名店「藤野」。おぼろ豆腐丼をいただいた。おいしゅうございました。
吉川さんには、いろいろな話を伺った。特に印象深かったのは、携帯電話の商用サイトの話であった。携帯電話を使って商用のサービスを提供するときには、「1年半くらいで資金を回収できるようにしなければならない」そうである。 理由は、1)携帯電話のサービスは、ユーザーに消費され、飽きられるのがそもそも早い、2)携帯電話の機種交代のサイクルが早く、すぐに動作保証ができなくなってしまう、からであるらしい。 よって、携帯電話を、PCを代替するような本格的な学習プラットフォームとして開発するには、経営的観点からおのずと限界がある。サイクルが早いため、投資額を増やすことができないから、それを本格的な学習システムとして開発するのはそもそも不可能である。故に、携帯電話を用いた教育システムは、PCを利用したそれとは違う、第三の道を模索しなければならない、という話であった。 一般にモバイルラーニングといえば、「PCでできることを携帯でもできるようにすること」がまず目指されることが多い。しかし、そういう開発方針は、「携帯電話を用いる必然性がない」だけでなく、そもそも事業成立がムズカシイ、という指摘は、僕にとって非常に新鮮だった。 次回のポスト2005会議は、1月中旬である。また委員の方から、オモシロイ話が聞けることをたのしみにしている。 --- 追伸. 2004/12/28 きっかけ ふとした瞬間に出会った「もの」や「人」が、のちに、自分の人生を変えるほどの大きな意味をもつことが、この世の中には確かにある。 僕が大学に入った頃の話である。駒場での授業にあまり「ノリ」きれなかった僕は、情報処理南棟というところで、日々、コンピュータを触って生きていた。 受験を終え、見るからに浮き足立っている同級生たちの「ノリ」には、何だか気後れしたし、授業には学ぶ意味を見いだせずにいた(今になって考えれば、格好をつけずにみんなとはしゃいで遊べばよかったと、ココロの底から後悔している)。 ある日、情報処理南棟からの帰り道、いつものように大学生協にいったら、玄関のあたりにひとつの雑誌を見つけた。「アクセス」という名前の雑誌だった。 アクセスは大学生協が、コンピュータ教育を普及させるために製作した販促用の雑誌で、中には、「コンピュータを活用して教育を行っている全国の大学の研究室」が紹介されていた。 偶然見つけた雑誌の記事。そこで、僕は、のちに自分が通うことになる研究室の紹介記事を見た。 いつもお世話になっている山内さん@東大が、当時は阪大の助手として勤務なさっており、研究室の研究環境について紹介していた。阪大の研究室には、「ひょうたん型」の大きな机が、ドカーンと置いていて、ゼミのときにはその机をつかってディスカッションするんですよ、というような話だった気がする。 また、先輩である九州産業大学の佐野さんが、当時は修士課程に所属しており、卒論で開発したソフトウェアを紹介していた。とても楽しげな様子であった。 「へー、世の中には、こんな研究をしているところもあるんだ。オレも、こういうところで勉強したいなぁ」 と、何だかうらやましく思ったことを覚えている。 アクセスはフリーペーパーだったので、ひとつ持ち帰った。しかし、それ以来、数年ものあいだ、その雑誌は僕の部屋の押入の深いところに押し込まれ、読まれることは一度もなかった。 僕が再び、このときの「アクセス」を見つけるのは、数年後、大学院に合格し、大阪にいく直前である。住み慣れた部屋を引き払うため、大掃除をしているとき、数年前に大学生協からとってきた、少し色あせた雑誌を見つけた。 「えっ、この研究室、今からオレが学ぶところじゃん」 本当にびっくりしたことを思い出す。 数年前に読んだ雑誌の記事が、大学院進学のきっかけになったのか、それは僕にはわからない。もしかすると、意識の深いところで、うっすらとした記憶が残っていたのかなぁ、と思うときもある。ホントウのところは、全くわからない。 まぁいい。いずれにしても、そういう出会いの連鎖の果てに、今、僕はここにいる。このことだけは間違いない。 2004/12/28 何ができないか 先日、大変よいコトバにであった。「すべてが自己責任」という最近のヨノナカの風潮に対して、警鐘を鳴らすコトバ。
自己責任の風潮の中で、本来、個人が自己の責任において「決められないこと」までもが、責任の範疇に含められようとしていることに対する、に対する批判とも読める。 調子にのって、少しコトバ遊びをしてみた。
アタリマエのことだが、忘れられがちである。とても重要だと思う。 あらゆる社会問題の解決を、学校、教師に帰属させる、あまりにも安易で、果てしなく有害な教育言説、教育論は、もういらない。 2004/12/27 学校改革 このところ、学校改革に関する本を立て続けに読んだ。 藤原氏は、元リクルートフェロー。現在は、杉並区立和田中学校の校長として忙しい毎日を過ごしていらっしゃる。 「前例主義を廃すること」を目標にかかげ、強力なリーダーシップと、リクルート時代に築いた人脈をもとに、学校改革を行っている。
藤原さんの学校改革のひとつとして注目されているのは、「よのなか科」の授業である。授業では、「ハンバーガー1個」を素材として、政治や経済の本質(よのなか)のことを総合学習する。
--- 佐藤先生の著作は、茅ヶ崎市立浜之郷小学校における改革の様子を伝えるもの。既に、NHKなどで何回か番組が放映されている。
同校では、佐藤氏の考えを大幅に取り入れ、「同僚性(Colledgeality)」「学びの共同体(Community of learners)」という理念をかかげた学校改革を行った。佐藤氏をはじめとする何人もの教育研究者が学校に出向き、その改革のサポートを行った。 校内研修を活発にし、教師同士が忌憚なくお互いの実践に意見をいいあう時間を増やした。また、授業をよくするための時間を増やすために、細かな校務分掌を解体する組織改革を行った。これらの改革は、校長であった故・大瀬敏昭氏のリーダーシップのもとで遂行された。 --- 学校改革を促進するもの 両事例に共通するのは、1)校長の強力なリーダーシップがあること、2)校外の専門人材をリソースとしていること、3)学校のコアコンピタンスである授業から見直す、という点にあるように思う。 --- 追伸. 先日の検査結果の値は、ようやく正常範囲になりました。本調子にはまだ遠いのでまだ安心することはできませんが、ホッとしました。ご迷惑をおかけしている皆さん、本当にすみません。メールなどで温かいコトバをかけてくださったありがとうございました。 2004/12/26 クリスマス 恒例の今年のクリスマスディナーは、プティ=プドンにてフランス料理をいただいた。 コースは、「ガチョウのフォアグラのパテ」「ウズラのスープ」「オマール蝦のサラダ」「和牛のロース」などであった。代官山の旧山手通り沿いにあり、雰囲気は大変良い。ボリューム満点、おいしゅうござった(やや食い過ぎ注意報気味)。
今年も残すところあと1週間。 2004/12/25 奈良臭 うちのカミサンは奈良出身である。「鹿の数が人間の数より多い」という、あの奈良である。 先日、彼女は、10年ぶりの高校の同窓会に出かけた。クラスメートたちとは、久しぶりにあう。 同窓会は盛り上がったらしい。医師になったもの、お笑い芸人をやめ今大学に通っているもの、一児の母になったフライトアテンダント、マンションを買ったばっかりの編集者。様々な人たちが、昔話に花をさかせた。 楽しかった・・・ただひとつの出来事をのぞいては。 それは、ある口の悪い男の子が、カミサンが席を立ち上がったときに、おそらくはジョークで言い放った一言である。
自宅に帰ってくるなり、「今日はショックだった、ショックだった、あの男、キーッ、キーッ」という。この一言に相当の衝撃を受けていた。 仕方がないので、「変わらないというのは、ほめコトバでもある」と慰めた。が、しかし、どうにも「オマエからは奈良臭がする」の方は、どうにもフォローができなかった。そりゃ無理だ、僕のせいじゃない。 それにしても、僕からは北海道臭がするんだろうか、ふと思った。 2004/12/24 勉強会 僕は、これまでいくつもの勉強会(研究会)を主催してきた。 先日、金井嘉宏先生の「企業者ネットワーキングの世界」という本を読みなおしたら、ふだん、僕が、「勉強会」に対して思っていることと、まさに同じ内容が書いてあったので、驚いた(同書は、「知識創造企業」とともに、僕が、スゴイと思っている経営学の書物である。経営学という枠を飛び越え、エスノグラフィーとしても秀逸だと思う)。 同書に紹介されていたのは、横浜ベンチャービジネスクラブという勉強会を立ち上げた柳田さんという人が、勉強会冒頭の自己紹介の場面で「今日は勉強しにきました」という人に対して、やや辛辣にあたったことがある、という話である。 柳田さんはあるとき、「勉強に来ないでください。勉強だけでためにくているのならかえってください」ということがあったのだという。それは勉強がテイクだけを念頭におくからだそうだ。 勉強会や研究会の正否は、言うまでないことだが、ギブ&テイクにある。ギブをしなければ、テイクをする資格はない。しかし、勉強会などを開催していると、そういうルールを無視する人にたまに出会う。 そういう人たちは、勉強会を「どこかからアリガタイ理論が降臨してくる場」「誰かがわかりやすくムズカシイ理論を説明してくれる場」だと勘違いしている。 中には「何もギブしないのに、「今日の勉強会はつまんなかった」と文句だけを述べる「ツワモノ」もいる。そういうヤツには、アッパーラリアットををおみまいしたくなる(余談だが東京で研究会や勉強会をやると、ドタキャンが本当に多く、こちらも延髄切りをおみまいしたい衝動にかられる。いつもはあんまり思わないんだけど、募集人数をしぼっているときなどは、本当に困ってしまう。その人が申し込んだせいで、誰かの参加希望を断わっているからである。本来ならば、一緒に学ぶことができた人なのに、と思ってしまう。ちなみに、ドタキャンは同じ人であることが多く、たぶん癖になっているんだろうと思う)。 金井先生がいみじくもいうように、「互恵の精神は、勉強会のような自助・互助ネットワークに不可欠」である。 もちろん、僕は柳田さんのように激しくはないので、「帰ってください」と言うことはもちろんない。ただ、その気持ちはわかる。そういうことがあるたび、勉強会や研究会のマネジメントの難しさを、感じてきた。 これとはちょっと内容が違ったことではあるが、僕自身が違和感を感じていて、使いたくない言葉もある。勉強会が終わったあとなどに、「今日は刺激をもらいました」という答えだけはしたくない。 「刺激」を「刺激」というコトバで終わらせず、「なぜ、今、自分が刺激を受けた、と言うにいたったのか」について、つまりは「刺激を受けてしまった自分」を深く考えることを心がけたい。 人はのど元過ぎれば熱さを忘れる。 ともかく、勉強会は、自分だけで読めない量の文献をいっきに読むよい機会になるし、研究者同士が本音で語り合うよい機会になる可能性がある。それは互助的な学習の場であり、刺激を相互に与えあう場であり、刺激を受けた自分自身をリフレクションする場である。 僕が僕らしく学ぶため、今後も、いろいろな場を準備していきたいと思っている。 2004/12/23 ケータイ、ネット、テレビ 東京大学大学院 情報学環 BEAT講座では、下記のような公開研究会を開催します。ふるってご参加いただければ嬉しいです。
2004/12/22 藤本さん来研 ペンシルバニア州立大学の博士課程で、「ゲームを活用した学習」に関する研究をしている藤本さんが、メディア教育開発センターの僕の研究室を訪ねてくださった。
藤本さんとは、これまで何度かメールをやりとりしただけで、今回お逢いするのがはじめて。 実際お逢いすると、とても気さくな方で、はじめてとは思えないほどリラックスして話をすることができた。よかった、よかった。 藤本さんとは、いろいろな話をしたが、特に印象に残っている話のは、インストラクショナルデザインのこと。 日本では、「インストラクショナルデザイン」と、いわゆる学習科学の研究者が主張する「学習環境デザイン」の知見は、まったく別物としてとらえられる傾向がある。が、最近、一部のアメリカの研究者が、この2つの「デザイン」の知見の融合に取り組んでいるのだという。 ペンシルバニア州立大学には、かつてSRI(Stanford Research Institute)にいたクリス=ホドレイ(彼スタンフォードであったことがある。とても優秀な研究者)がいるが、彼はそうした役割を果たすことを期待されているそうだ。 また、学習科学以外でも動きがある。何人かのインストラクショナルデザインの研究者は、教材開発だけを研究対象にするのではなく、教材を導入する場の環境整備からその効果までをエスノグラフィーでまとめる、という研究に着手しているのだという。 --- 実は、僕もこのテーマで論文を書こうとしていたところであったから、こうした「融合」の動きには、激しく同意できる。 日本ではインストラクショナルデザインは、教材開発のためのヒューリスティックな手法としてしか理解されていない。そうした部分だけが、「意図的」に切り取られて普及している。もちろん、それ自体に意味がないわけではない。それは非常に役に立つ知見である。 しかし、インストラクショナルデザインが、他の教育学の知見から切り離され、それ自体が「閉じた理論系」をなし、「普及」していることが、僕にはとても「奇妙」に聞こえる。 実際にステキな学習環境をつくろうというのならば、インストラクショナルデザインの知見は、学習科学の知見や、エスノグラフィーなどの手法と組み合わされるべきだし、研究者はそのために理論融合をはかるべきである。 --- 藤本さんは、これから「オンラインコミュニティ(セカンドライフを過ごせるオンラインコミュニティ)と学習」に関する研究を進めていくのだという。 またお逢いして、お話できるといいな、と思う。 2004/12/21 アンリ=シャルパンティエ 午前中、図書館で新聞記事の検索。プリントアウトしたら、100p以上でてきた。シコシコと読むしかない。 午後、東京大学大学院の荒木さんと酒井君の研究について、お話を聞かせてもらった。 荒木さんの研究は、「企業のウチとソトで行われる学習」に関するもの。事例を集めていけば、とても斬新な研究になるのではないか、と思った。 酒井君からは、博士論文の構想を聞いた。なるほど、遠隔地にいる教師たちのコミュニティで、こういう風なツールの使い方もあるのか、と勉強になった。 勉強のあとで、山内さんをまじえて、みんなでケーキを食べた。ケーキは、おいしゅうござった(酒井君ありがとう)。アンリ=シャルパンティエという、とても有名な神戸のケーキ屋さんのものだとのこと。
山内さんによると、アンリ=シャルパンティエ(舌かみ切りそうだ)と双璧のケーキ屋さんに、アンテノールというのがあるのだそうだ(ともに神戸のケーキ屋さんらしい)。
うーむ、恥ずかしながら、ケーキは全くの門外漢だったな。勉強になりました。 2004/12/20 教育学部・大学院の将来像 もう今年も、残すところあと10日である。朝、ふとカレンダーを見て、びっくりした。月並みな言い方だが、この1年、なんと早かったことか。MIT留学をふくめ、今年もいろいろなことがあったけど、今となっては、それも「夢」のように、「遠い過去」のように感じてしまう。 --- 週末、「教育学部・大学院の未来」に関する、佐藤学氏の論文を読んだ。
本論文の冒頭で、佐藤氏は「教育学部は存亡の危機に立っている」とはじめる。
などの方針をしめした2002年文部科学省による「国立の教員養成系大学・学部のあり方に関する懇談会」の答申を引用し、教育学部の危機をうったえる。 教育学部の危機の原因は何か。佐藤氏は、まず文部科学省の近年の教師政策が、あまりに無策・無責任・であることを痛烈に批判する。ここで批判されているのは、教員免許をもたない教師や校長の採用、企業やデパートにおける教員研修、などである。これらの施策は、いずれも「教師の専門職化」という教師教育学の理念に反するものである。 その一方で、「教師政策の無策と混乱の責任を文部科学省に帰するのは、文部科学省の政策担当者以上に無責任だ」として、教育研究者を批判する。「どれほどの教育研究者が、教師と教育学部の未来を約束する現実的な政策を提示しているのか」疑問であるという。 論文の最後には、佐藤氏の改革案として、下記が提示されている。その中でいくつかを取り上げてみよう。
要するに、教職を専門職と位置づけなおした上で、その専門職を養成する機関として教育学部を位置づけようということだろうか。おそらく、そこで追求される専門性とは、ドナルドショーンの提示した「反省的実践家」概念に整合性のあるものとなるのだろう。 --- 佐藤氏が批判する、文部科学省の教師教育政策の首尾一貫性のなさには、激しく同意する。「学校マネジメントに民間の発想をいれる」だとか、「リストラされた会社員を教師として雇用する」などの政策に関しては、、一見「もっともらしく見える改革」のようでいて、その実は、何の根拠もないように思う(理論的根拠すら、もちろんのことない)。 「民間の発想をいれれば、なぜ、学校がよくなる」のか、「民間出身の教員免許を持たぬ人を、学校現場に導入することが、なぜよいことなのか」、誰が説明できるのだろうか?それは、ほとんど行政担当者や政治家の思いつきで実行に移されているようにしか見えない。 未来の教師教育はどのようにあるべきで、大学院はそれに対して何ができるのか。昨今、教育の専門職大学院の実現に関する議論がはじまっているようである。 「現実的政策」を議論するのは、今、まさにこのときなのかもしれない。 2004/12/19 合唱コンクール 先日、カミサンと押入の整理をしていたとき、昔のアルバムを見つけた。アルバムの写真には、中学生から高校生にかけての、まだ目に皺のまったくない僕が写っていた。思わず手鏡を持ち出し、現在の顔と比べた。なるほど、目尻の皺だけでなく、鼻の横にも、かつてはなかった深い皺を発見した。 皺ばっかり注目していても、こればっかりはしゃーない。アルバムをパラパラとめくっていると、1枚の写真に目がとまり、思わず苦笑してしまった。 目がとまった写真は、我が高校が誇るクラス対抗の合唱コンクールのときの写真である。「ウォーリーをさがせ」ではないが、上の写真の中に僕が見つかっただろうか。 そう、最後列のちょうど真ん中で、サザエさんのようなカツラをかぶって女装しているのが僕である。ばーちゃんにつくってもらったドレスをきて、メイクなども完璧にやったことを思い出す。 「人と同じことはしない」・・・昔から、この性格だけは変わらないらしい。今から考えれば、「サザエさんカツラの女装」でオリジナリティを発揮しなくてもよいのに、と思ってしまうが、若気の至りなので致し方ない。 我が母校では、毎年1度6月に市民ホールを借り切って合唱コンクールを実施していた(今もやっているのかな?)。生徒は2ヶ月くらいにわたって、自主的に練習をかさねる。楽曲を決め、ホールを借り切り、自分たちで衣装などもつくり、この合唱コンクールに挑む。そこにかける労力、時間はすごいもので、ある先生は「合唱コンクールさえなければ、うちの高校の合格率は5%はあがる」と言っていた。 高校生の時からアホ丸出しであるが、懐かしい。 2004/12/18 ハーブティ ハーブティの話。 先日土曜日、早稲田大学の内川さんが、無印良品でハーブティを買ってきてくれた(ありがとう!)。おうちで、ひとつひとつ味見をした。どれもステキな香りだった。
特に、ドライアップルとレモングラスをまぜた「アップルレモン」は、美味しかった。先日、Botanicalsで飲んだ「白雪姫の夢」のようだったが、白雪姫の方はローズヒップがはいっているので、やや「すっかい」(酸っぱいの北海道便)。 僕はどうも「舌」がオコチャマなので、すっかいハーブティは苦手みたいだ。ただ、「すっかくない」ハーブティというのは、なかなか、これまた難しい。なかなかないんだ、これが。 というわけで、ハーブティ探しの旅は続く。 2004/12/17 ワークショッパーは育成可能か? 先日、東大BEAT講座の公開研究会で、僕は短いワークショップをオーガナイズした。構成は非常に単純なものだったが、やっていて結構おもしろかった。 「これはヤミツキになる可能性があるな。なんかの機会を見つけてまたやろう」と思った。実は、来年度、僕は都内の某ミッション系私立大学で「教育方法」の非常勤の授業を引き受ける予定である。願わくば、この授業の中でもショートワークショップを盛り込みたい、と思っている。 ところで、東大のワークショップには、同志社女子大学の上田先生も参加してくださった。上田先生といえば、この業界では「ワークショップの父」みたいな方であり、僕自身も、カミサンともども、いつもお世話になっている。 ワークショップ終了後、上田先生とお話をする機会があった。話題は「ワークショップをやる人」=「ワークショッパー」というのは、果たして育成なのだろうか?、ということに及んだ。 近年、多くの企業では、製品開発や知識創造の手法としてワークショップに注目するところが増えているのだという。上田先生自身も、様々な企業でワークショップを実施したことがあるそうだ。もし、ワークショッパーが育成可能ならば、こうした企業で働ける可能性のある人材が、教育の世界から供給可能になる。 ワークショップの育成モデル・・・。 ワークショップと一口にいっても、いろいろなものがあるから、一概には言えないことは確かである。しかし、それぞれの領域において必要とされる固有の知識は別としても、少なくとも、ワークショッパーに共通する1)知識ドメイン、2)育成モデルを見定める必要がある。 上田先生と一緒に「あーでもない、こーでもない」と言いながら、考えたが、結局答えはでなかった。またお逢いするときまでには、もう少し具体的な議論ができるように考えておきたいな、と思っている。 2004/12/16 レベッカ 僕、ひそかに「レベッカ」好きです。先日、勢いあまって告白してしまった、ナガブチツヨシと同じくらい、好きなんです。 レベッカは、きっと今の小学生、中学生、高校生あたりは知らないバンドですね。「知っている」という人は、ごめんなさい、ある程度の年だと思います。20歳以上かな。 本当にレベッカがすごかった時代を知っているのは、僕らの年代になるのではないでしょうか。少なくとも25歳以上だと思います。 日本がまだ元気だった頃、そう、レベッカは1980年代に全盛時代を迎えました。
当時小学生だった僕は、AMラジオから流れるその曲を聴きながら、「Kissを経験すると、その代償にオカンの顔が見れなくなるのか、まぁ、そんなことなら別にいいけど」と思ってました。 --- いとこのターチャンにもらったテープ入っていて、よく車の中で聞いていたのが「Motor Drive」。この曲がはやった頃は、誰もが「いそがなきゃ、出遅れちゃう」と思っていた頃だったのかもしれません。
--- Monotone Boyはステキなビートの曲です。僕はこの曲を自己流にアレンジし、エレクトーンで、弾いていました。 僕は幼稚園からピアノをずっと習っていたのですが、どうしても、途中でエレクートンも弾きたくなってしまい、親にねだって、買ってもらったのです。 当時の価格で50万円くらいした、と思います。これ以外にも、ずいぶん、親には教育にお金をかけてもらいました。そのほとんどが不良債権化しているような気もしますが・・・申し訳ない。
--- 子どもながらに、密かにワクワクしながら聞いていたのが、「Love passion」です。この曲もエレクトーンで弾いてました。 なんせかんせ、歌詞がワクワクします。要するに、「一人の男をめぐって、2人の女が胸を揺らしてアマゾネス!」なわけです(意味不明)。そのうち、なぜだか知らないけれど、ゴングがなっちゃう(笑)。 「なんとオトナの女同士は刺激的なのだ、僕もはやくオトナになりたい、なりたい」と思っていました。残念ながら、オトナにはなったものの、いまだ「アマゾネス」状態に悶絶したことはありませんが。
--- 最後に密かな名曲だと思うのが、「Maybe Tommorow」です。この曲は、本当にきれいな曲です
--- 下記に昔のジャケットを見つけました。ジャケットに時代は感じるものの、決して、そのサウンドは古くないと思います。
押入の奥にしまったレベッカのレコード、CD。 2004/12/15 独白 発病してからはや1ヶ月。思えば、この1ヶ月間は、自分の仕事のあり方、生活のあり方を根本から見直すよい期間だった。 僕は性格上、自分を「抜き差しならない状態」に追い込んで、何とかかんとか、これまで生きてきた。たぶん、自分にあまり自信がないから、そうやって自分を追い込まないとならなかったし、きっと、そうすることで「怠けること」を防止していたんだと思う(元来、僕は怠けものだと思う)。
中学校1年生の国語の教科書に、そんな随筆があったことを思い出す。 僕にとっての「あの丘」は、まだまだ遠くにあり、少し湿った磯の匂いさえもまだ感じることができない。匂いすら遠くにあることに、焦っていたのかもしれない。「後ろ」を振り返ったり、立ち止まったりすることに恐れさえ感じていたのかもしれない。 しかし、今はそういう時期なのだ、それはそれで仕方がないのだ、よかったのだと自分を慰める。立ち止まっていても、「あの丘」はまだ遠くに<ある>。それは逃げていったりはしない。それは<ある>。<なくなった>のではない。そう言い聞かせる。 そうするより他に選択肢がないのだ。今の僕のカラダ - それは僕のカラダであるはずなのに、僕の命令をきこうとしない。カラダは僕の意志とは違ったところで、何かを訴えかけているのかもしれない。 先日、知人にこう言われた。
笑っちゃうほど「借金」は増えてたんだな・・・。アタマにヤキが回って、複利計算を間違えたか。ご利用は計画的に。
自分に言い聞かせ続けた1ヶ月間。そうはいっても、心苦しさを感じないわけではない。この1ヶ月、様々な人に迷惑をかけていることである。なにせ、仕事の効率はおそらく20%程度になっていると思う。 最大に困っているのは、会議やミーティングを行っている際に、「集中力が切れてしまうこと」である。何とか笑顔を取り繕っていても、苦渋の表情は隠せない。 自分の「ダメダメぶり」は、十分承知しているつもりである。そのことは、僕が一番痛いほどわかっている。もちろん、こうした「ダメダメぶり」の責任はすべて僕にある。自己管理能力が低かったせいである。プライベートなことを、僕は言い訳にはしたくない。
そんなことを考えているうちに名前を呼ばれた。診察に向かわなきゃ。 2004/12/13 東大生と多摩美大生 今から10年ほど前の話になる。僕がまだ東大教育学部で学んでいた頃、多摩美術大学 須永先生が「情報デザイン演習!?(たぶん)」という演習授業を開講なさっていた。 この演習授業の目的は、「コンピュータ(Director)を使って経験を可視化すること」。みんなで東京大学のキャンパスをまわり、「そこを歩いた経験」を、抽象的な「丸」や「三角」「四角」の図形に抽象化し、ムービーをつくる。 ムービーの制作は、3名の東大生と数名の多摩美術大学の学生さんが、グループになってこれに取り組んだ。演習の最後には、外部の人たちも招待する展覧会をひらき、作品を相互に批評しあう。10年近く前のことなのに、今でもアリアリと思い出せるほど、非常にインテンシヴで、思い出に残る授業だった。 ところで、この演習で作品を創っていた過程で、僕はあることに気がついた。東大生と多摩美術大学の学生さんの作品制作方法の違いである。 どちらかというと、東大生(自分も含めて)の作品製作の手法は、自分の経験を対象化し、まず分析する。そのあとで、綿密にシノプシスを書いて、つまり最初に緻密なプランをたてて、それをひとつひとつDirector上に表現していくようなかたちで作品をつくるというものだった。 制作の途中で、何度かプラン通りにいけないところがでてくる。そうすると、東大生は、決まって、途中まで制作した作品をあきらめ、またプラン作りに戻る。なかなか作品はできあがらない。 それに対して、多摩美術大学の学生さんは、あまり最初話をつめない。グループで話し合っているときに、いきなりおもむろにコンピュータに向かい、さささっと「仮の作品」をつくり、「こんなんじゃないよね」と言いながら、また、カタチをかえていく。 仮の作品つくる。あくまで「仮」である。そのことは百も承知している。それを、何度も何度もブラッシュアップして、最終的な完成物に近づけていくのである。作品製作にかかる時間は圧倒的に少ない。作り終えることのできない生徒は、皆無である。 この違いを発見したとき、僕は「なるほど」と思った。モノをつくるときには、自分のつくっているモノと対話的に、そのつどそのつど、モノのかたちを変化させ、最終的なかたちに近づいていくことが重要なのだ、ということに気がついた。もちろん、この事実は、僕がこの授業から得ることのできた最高の知恵だった。 思うに、モノをつくった経験のない人ほど、まず手を動かさない。アタマでうんうんうなって考える。必死になって考えるが、やはり机上の空論である。実際につくっていくときには、矛盾がでてくる。それまで考えていた思考が振り出しに戻る。 それに対して、モノをつくったことのある人は、一見場当たり的にモノをつくる。哲学者「パース」のいうところのアブダクション(仮説的な演繹)が、ところどころに介在する。今ある制約の中で、ベストだと思われるカタチをいったんつくって、そのカタチを対話的にブラッシュアップしていく。 このことは、どこまで普遍化できるかどうかはわからないが、かなりの創作活動に当てはまるような気がする。もちろん、物作りを行う前に、綿密な設計が必要になる創造物もあるから一概にはいえない(原子炉が場当たり的な設計では困る)。しかし、我々が行うようなデザイン(可塑性があるもの)とかには、多摩美術大学の学生が採用した方法の方が、効率的だと思う。 もちろん、「考えること」を軽視したいわけじゃない。「考えること」は必要である。しかし、どうやらモノをつくるときには、「動くこと」と「考えること」をAd Hocに組み合わせながら、遂行した方がいいのではないかと思う。 2004/12/11 学校教育と企業内教育 少し前のことになるが、偶然出会ったあるコンサルタントの方と議論になったことがある。「大学と企業はどのような関係にあるべきか」ということに話が及んだ際、その人は、こう言った。
「あぁ、また、いつものがはじまったか」と思いつつ、まずは話を聞いた。彼が話を終えたあと、僕は、彼の誤解をとくために議論を挑んだ。それにしても、こういう「明らかなる事実誤認」、言葉を換えるのならば、「甚だしく傲慢な企業人の言説」は、どこの誰が一番最初に生み出したのだろう? 確かに、企業の業務を遂行するために必要な知識は、企業内の教育によって、獲得される。しかし、企業内の教育が円滑に機能するのは、新入社員たちが、既に学校教育において基礎的知識や概念を体得しているからである。 読み書き算ができない人間に、伝票の切り方、レジの打ち方を教えることはできない。プレゼンテーションだってつくることができないし、提案書だってかけない。グラフだって読めなければ、ましてや表計算なんてできるわけがない。つまり、学校教育の土台があるからこそ、企業内教育が円滑にいく。 学校教育の土台なしで、企業が独立に教育しうることと言えば、さしずめ「名刺の渡し方」のような作法か、「課長より先にかえってはならない」といった類の「ヒドゥンカリキュラム」による「不条理な慣習の押しつけ」くらいである。 そうであるにもかかわらず、この「コンサルタント君」のように、企業人の中には、学校教育を正当に評価しない人が少なからずいる。企業とは万能な組織で、すべてがその中で完結しているかのように思っているふしがある。 「学校教育には期待しない」と言ってのけるのは簡単だ。しかし、そう言い捨てるのならば、「学校教育が担ってきたこと」すべてを引き受ける覚悟を持って欲しい、と思う。 そう簡単に「学校教育がいらない」とは言えないはずである。そして、もはやアタリマエのことであるが、学校教育が衰えたとき、企業活動も衰える。 追伸. 先週土曜日に、東京大学にて開催された公開研究会「モバイルする!?科学教育」の様子が、毎日新聞のWeb版(毎日インタラクティヴ)に掲載されました。
2004/12/11 大学院 はてなダイアリー「思考錯誤」を読んで、ふと考えこむ。
上記によると、研究者になるためのコストは、最低でも「最低1500万円」はかかるそうだ。それほどのコストがかかるにもかかわらず、決して、全員が研究者になれるわけではない。「研究者になろうとすること」は、きわめてデンジャラスな選択である。 山田昌弘氏の近著「希望格差社会」には、「一生アカデミックポストにつけない博士号取得者が、これから年間7000人ずつあらわれる」とあった。数十年後には、こうした人々が何十万人にも達する。 文部科学省の大学院重点化策が実施されたのが1990年代。この時期に、大学院生の数は急激にふくれあがった。本政策の関係者には、そのころから、このような状態がやがて生まれることは予見できたと思う。ペーペーの大学院生だった僕ですら、まわりを見ていて、近いうちにそういう状態がくることは、確実に予想できたくらいだから、「賢明」なる彼らが予見できないわけがない。 これからも、事態は決してよい方向には進まない。これから大学入学希望者は減る。それに従って、大学も整理が進む。 事態の打開のためには、「米国大学なみの奨学金制度をつくる」などの施策が考えられるが、財団・企業の寄付行為が非常に少ない日本ではそれも難しい。また、企業が大学院修了者を本気で受け入れる体制(給与システム等)をとっていないため、企業に頼ることもできない。ましてや国も財政難である。旧育英会の行っていた奨学金ですら、この先おぼつかない。まさに八方ふさがりである。 教育の市場化論者は、「大学院にいくかいかないかは自己判断・自己責任で」「学歴は受益者負担だろ」と言うのかもしれない。しかし、次世代の若者たちを教育するのは彼らである。産業を主導する基礎研究を進める可能性をもっているのも、彼らである。丹念な社会調査によってデータを集め、ポリシーメイキングに資する可能性をもっているのも、若手の研究者である。つまり、教育は「私的」なものであるのと同時に、「公共財」としての正確をもつ。これを、教育の外部性効果とよぶ。 誰彼かまわず大学院へ、というのは明らかな間違いではあるが、優秀な人材を見極め、それに知識を配分し、ひいては彼らが知識創造していていくための基盤をつくる「国」の責任である。 「大学院生たちの未来」は、他人の問題ではない。 2004/12/10 Moovl 先日、BEAT講座でイギリス・フィンランド出張にいった際に、NESTA FUTURE LABという研究所を訪れた。 NESTA FUTURE LABは、イギリス政府が出資した「教育とテクノロジー」の研究所。「今のニーズに応えるソリューションを開発する」のではなく、「数年後をみすえた教育テクノロジーの開発」を行っている。 NESTA FUTURE LABでは、様々なソフトウェアを開発しているんだけれども、特に僕が興味をもったソフトウェアに「Moovl」があった。先日、「Moovlが公開されたよ」という連絡を所長のKeriさんからもらった。
Moovlは、一言でいうと「インタラクティヴ・フィジックス」のドロー版。重力をもった世界にお絵かきができる。ふつうのドローソフトとは異なり、「四角」や「丸」を描いたとたん重力にしたがって、画面下に落ちてしまう。 うーん、このソフトがどんなソフトかは、体験してみないとわからないかもしれない。 2004/12/09 不安 先日、ある親が言いました。
親、この不安な存在 2004/12/08 眉毛脱毛 うちのカミサンが今年からチャレンジしているものに、「眉毛脱毛」というのがある。眉毛と眉毛のあいだの毛に、「ピカッ」と強い光をあてて行うそうだ。 別に、彼女は「両津カンキチ」ほど眉毛が濃いわけではないので、よせばいいのにと思うのだが、「やってみたい!」のだそうだ。 今日も「ひーこらひーこら」と働いている彼女に、そう言われてしまうと、僕は「いいんじゃない」としかいいようがない。「働けば働く」ほど、「何かをやりたくなってしまう」ものだ。 先日、「脱毛の効果はいかに?」と思って、注意深く、カミサンの眉毛のあいだをみたら、数本、ゆらゆらと揺らめく「お毛様」を発見した。 思いっきりはえてんじゃん! どうやら、「ピカッ」はきいているのかきいていないのかわからないようだ。「働けば働く」ほど、「しょーもないものに手をだしてしまいたくなる」ものなのかもしれない。 次は何にチャレンジするんだろう? 2004/12/07 ハーバードと希望格差 11月1日から、東京大学の客員助手を兼務している、ことはこの日記でもすでに述べた。今までに輪をかけて忙しい毎日を過ごしているが(明日から宮崎大学でカンヅメ合宿!)、とても嬉しいことのひとつに、東大生協の本屋さんで「本を校費後払いでお持ち帰りできるようになった」というのがある。 つまり、事務書類を書いてから会計課に本を注文して、1ヶ月後に納品されるのを待つというのではなく、本屋さんの店内を歩いて、好きな本をガシガシと選んで、「これ校費で払いますから」とだけ店員さんに言って、後は、もって帰ることができるということである。 こんなことをいうと、「なんだそんなことかい!」とおっしゃる方もおられるかもしれないが、フツーの民間企業や組織でできる「アタリマエのこと」が、大学や国の研究機関ではできないのである(泣)。 「すべて会計課を通してください!、書類を書いてください」と通りいっぺんに言われる。で、一ヶ月、ひどいときには数ヶ月待たされることになる。 フツーの民間企業にできる「なんだそんなことかい」だが、その効果は予想以上に大きかった。おそらくこの1ヶ月の僕の読書量は、従来の3倍には増えていると思う。やっぱり、「注文」して「納品」まで1ヶ月というのでは、ダメなのである。必要な知識が、すぐに手に入らないし、書名も忘れがちになってしまう。 「会計課を通しての納品」制度しかもっていない大学/研究機関は、その時点で、ものすごく損をしていると思う。せっかく国立大学法人 / 独立行政法人になったのだから、是非、こういうところから整備していくことを切に訴えたい。 閑話休題 最近おもしろかった本を紹介。 この本は、世界最高水準の医学教育を行っているというハーバード大学医学部と、その関連病院である、マサチューセッツ総合病院で、どのようにして医師を育成しているか、という話。 かつて研究至上主義と揶揄されたハーバード大学医学部は、「ニューパスウェイ」という新カリキュラム導入後、クライアント中心主義に大きく変わることになる。それを行うためには、ファカルティの再教育も必要だった。たぶん、このあたりは田口真奈さんが好きそうな内容。あと、興味を引いたのは、貧富の差による医療格差について。今まさに、日本では「混合診療」が論議されているだけに、興味深く読めた。 著者の山田さんは、「パラサイト・シングルの時代」などで有名な家族社会学者。本書では、日本社会の「リスク化」「二極化」が進んでいる現状を報告。 「オタク的にモノゴトを追求する能力」「人々が何を望んでいるかを的確に把握する能力」をかねそろえた専門職、フルタイム就労が可能な人々が力を増していく一方で、従来の制度のパイプラインから漏れた人々(フリーターら)が、「将来に対する希望」を失い、ひいては社会にとって「不良債権化」していくことに警鐘をならしている。ちなみに、意欲格差(インセンティヴ・デバイド)については、既に苅谷先生も指摘しているとおりである。 本書にはいくつか興味深い指摘があったが、特にムムムと思ったのは下記のとおり。
地球的な規模で、不可避的に二極化がすすみゆく「希望格差社会」。 あなたはその中で、どんな人生をデザインするか? --- 追伸. そういえば、思い出した。田口真奈さん、企画書はできましたか? この日記を見た方で、田口さんにお会いした方は、「企画書どうよ?」と声をかけてあげてください(笑)。 2004/12/05 丹下左膳 カミサンの友達の「りえ」さん、旦那さんの「たけし」くん、カミサン、僕の4名で新橋演舞場に「丹下左膳」を見にいった。 「丹下左膳」は中村師童が初座長をつとめる舞台。他には、辺見えみり、酒井美紀などが出演している。舞台は江戸。100万両の宝の手がかりを有する「茶壺」をめぐるコメディである。 今日で歌舞伎を見るのは3度目だが、今までで一番わかりやすかった。演出は、とてもテレビ的。これは演出家がテレビ畑出身の人だからであろう。音楽、効果音などは、Kill Billの影響もかなり受けているような気がする。 今回のチケットは、りえさんが予約してくれた。 とてもリラックスして、まるでお茶の間にいるような感じで、舞台をエンジョイすることができた。少し値がはるが(とはいっても1等席とは千円しか変わらない)、次も桟敷がいいな、と思った。 りえさん、チケット予約ありがとうございました。 2004/12/05 冬ソナ 今となっては話題にするのも時代遅れな感じがするけれど、先日から、「冬のソナタ」をみている。 このドラマ、僕が渡米中に、カミサンが見て大ファンになっていたけれど、日頃からあんまりにも「フユソナ」「フユソナ」と鼻息をフンフンと荒くしているので、僕も本格的に腰をすえてみることにした。 ・・・なるほどね、数話見て、これは少女漫画的世界だな、と思った。僕はこう見えても!?、少女漫画は好きな方である。昔から妹の「りぼん」やら「なかよし」やらをずっと読んでいた。そして冬のソナタには、「りぼん」やら「なかよし」に通じる何かがあるような気がした。 つまり、冬のソナタの主人公たちのキャラクター設定、そしてその台詞、場面の展開などは、いわゆる少女漫画にでてくるような「恋愛の典型的かつ理想的場面」を戯画化しているのである。 たとえば、「ペー」、じゃなかった、ペーと伸ばすのは「ピンク色の服をきた芸人」の方。「ペ」さんね、短くね。そう、ペ=ヨンジュンさんの演じるチュンサンのキャラクター設定は、少女漫画の主人公にかなり近い。 少女漫画によくでてくる主人公とは下記のような人物である。
どうだ、これである。王道だな、いわゆる。ぴったりチュンサンにあてはまるじゃん。このあいだ、義妹にすすめられて読んだ「のだめカンタービレ」の主人公も、そんな感じだったぞ。 というわけで、このドラマが流行したのは、僕にはよくわかる。その背後には、「韓流」とかいう以前に、既に何十年と少女たちに受け入れられた少女漫画の中のヒーローがいたということではないか、と思う。 --- それにしても、ユジンこと「チェ・ジウ」さんは可愛い。彼女の美しさは、「おにいさん、ひとつ間違うと、あぁ、ふたつもみっつも間違っちゃうかも」と思わせてしまうほどであった(意味不明)。 そしてサンヒョク、オマエはなんてイイヤツなんだ。かわいそうすぎるなぁ、それにしても。胃炎になっちゃうぞ、そのお立場は。 2004/12/04 インストラクショナルデザイン
というような会話、僕はよく聞きます。 一般の人は、こんな会話をしないのでしょうけど、仕事柄、こうした会話を耳にすることがとっても多いです。 確かに、日本で「インストラクショナルデザイナーを名乗っている人は、そうそういないよな」と思いつつも、そのたびに、いつもひっかかることがあります。 それは、
ということです。 これは僕の勝手な理解かもしれませんが、インストラクショナルデザインという方法論を学問的にひもとくと、それを構成する要素は2点に集約できると思います(前々から思っていたことなのでsが、先日、東京大学大学院ベネッセ先端教育技術学講座の公開研究会で、鈴木先生とパネルでお話をさせていただいて、そう確信しました)。
1)に関しては、要するに教材作りの望ましいプロセスです。学習者、あるいは学習環境の分析からはじまって、学習目標を明確にし、「設計」「開発」「実装」「評価」を行う。いろいろな流派はあるものの、結局のところ、いわゆる「Plan - Do - See」を様々に変形したやり方であり、そう変わりはありません。そして、こうしたプロセスにしたがって、教材開発をできる人のことを、インストラクショナルデザイナーとよぶわけです。 2)に関しては、1)のプロセスの、特に「設計」「開発」のあたりにあたる話ですね。実際に教材を開発しようとするときには、教材の構成法を決めなければならない。その際に、重要なのが学習支援理論であるわけです。要するに「どういう順序で、どういう活動を盛りこんでいけば、効果的な学習になるのか」ということに関して、様々なセオリーがあるのですが、それを適用する必要があるんです。インストラクショナルデザイナーは、セオリーに関する知識をフルに活用し、それを適用していく必要があります。 ここで重要なことは、「どのような状況ならばどの理論を適用すべきか」ということに関するメタ理論はない、ということです。そういうものがあればいいんでしょうが、残念ながら、それはない。結局のところ、インストラクショナルデザイナーが、その時々のクライアントの状況、学習目標などにしたがって判断する他はありません。しかし、それは悲観することではなく、教材をデザインするということが専門職に該当することの証左でもあるわけです。ドナルド=ショーンの「Reflectition in Action」をもちだすまでもなく、医者や弁護士も、「状況と対話しながら」、アドホックな判断のもとに、仕事を遂行している。専門職とは元来そういうものなわけです。 さて、上記の2点がインストラクショナルデザインの眼目なのだ、という僕の意見が正しいのだとしたら、そうした活動に従事している人は、日本には本当にいないのでしょうか? それはウソだ、と僕は思うわけですね。 たとえば、企業内研修を担当している人の中には、こうした活動を日常的に行っている人がいます。「オレがこの道20年かけてやってきたのは、インストラクショナルデザインっていうのか?」と思っている人は少なくないわけです。 また、教育番組や通信教材をつくっている人の中には、ことさらインストラクショナルデザインなんて言わなくても、こうした教材の開発を行ってきた人は多いわけですね。 はたまた、教育工学を専攻する大学院生ならば、この手の知識は、知らないでいることが許されない常識です。少なくとも、2)の学習支援理論に関してなどは、知っていてアタリマエでしょう。 つまり、「意識せずにインストラクショナルデザイン的な活動をやっていた人はいたんだけど、敢えて、それをインストラクショナルデザインと呼んでこなかった」というのが、正しいことになります。 それじゃ、むしろ日本になかったのは何か? それはむしろ、「わたしは、インストラクショナルデザイナーなのですよ」と胸を張って、100%の自信をもって宣言することのできる社会的な仕組みではないか、と。具体的にいうのなら、資格、学位、履修証といったものがなかったように思うのです。 それがないと、「わたしはインストラクショナルデザイナーです」とは、なかなか自分からは言いだしにくい。たとえ、意識せずにそれに近いことをやっていたとしても、なかなか自分で言い切ってしまうことは難しいですね。「オマエのやっていることは、インストラクショナルデザインとは言わない」と常に攻撃される可能性をもってしまうわけですから。 だから、誰も言い出さないわけです。言い出しちゃう人は、「わたしは自称インストラクショナルデザイナーです」と自分で予防線をはらなければならない。そういう風にしか、言い出しにくい状況が日本にはあったように思うのです。 確かに、アメリカやイギリスには、インストラクショナルデザインを学べる大学院やサーティフィケーションプログラムがあります。大学院をでればマスター、場合によってはドクターの学位がもらえますね。 また、欧米には、CPT(Certified Performance Technologist)といったようなインストラクショナルデザインに関連する専門資格も複数存在します。これらの資格は、関連する業界団体や学会の参加によって運営されています。 このように、欧米の場合は、学位、資格などが整備されているがために、「I'm an instructional designer」と宣言することが容易になる。対して日本はそうした社会的仕組みがないために、言い出しにくいという構造があるように思います。 どうして、これを思ったかというと、アメリカで暮らしていたときに、「I'm an instructional designer」と言い切っちゃう人の多いこと、多いこと。 そういう彼らに「なぜあなたは自分のことをインストラクショナルデザイナーと呼べるのですか」と聞くと、怪訝な顔をして、こう答えるのね。「だって、学位とったから」「だって、資格もってるから」と。そりゃー、自信をもってそう言います。 それに対して日本は違う。どこか卑屈なというのか、なんだか自信がない。「アメリカにはインストラクショナルデザイナーがたくさんいるけど、日本にいない」といつまでも嘆いていたり(この嘆き節、僕がはじめて聞いたのは今から4年前のことでした)、「わたしは自称インストラクショナルデザイナーです」と自嘲しなければならない状況がつくりだされている。これは、あまりというか、全く生産的ではないと思うのです。 そんな状態では、インストラクショナルデザインという領域の専門家がいつまでたっても育ちませんし、そうした専門職に対する社会的認知や要請も高まりませんね(大学院生の就職にも直結します)。究極的に言えば、「キチンとお金をかけて、キチンとした教材をつくり、評価する」というアタリマエのことが、いつまでたっても普及しません。 あくまで僕の理解が正しいのならば、インストラクショナルデザインという手法を習得する際に学ばなければならないドメインは、もう定義されている。だったら、それをオーソライズする社会的仕組みをはやくつくってしまえばよいと思うのです。 何?もうやってるって、そういう話も時々聞きます。僕自身も、これまで協力の要請を受けましたので、それにはお応えしようと思っています。
教材づくりに関する教育を受けた人、実務に長けた人が、胸をはって、そう言うことのできる仕組みが一刻もはやくできあがることを願ってやみません。 2004/12/03 丸善 このところ、東京駅のすぐ横「丸の内オアゾ」にできた本屋「丸善」によくいく。開放的な空間。非常に背の高い開架にこれでもか、と積み上げられた専門書。時間がたつのを忘れる。 これまで東京駅といえば、八重洲口に八重洲ブックセンターしかなかったが、反対側の丸の内口にも、これで、スバラシイ本屋ができた。会議などで、大手町界隈を歩くことが多いだけに、僕としてはかなり嬉しい。 最近、とみに読みたいと思っているのはエッセイや、文学作品である。要するに、研究費をつかって発注できない本が読みたい、というわけである。 とは思いつつ、実際に本屋にいくと、教育、コンピュータ、経営、経済、政治、哲学など、仕事にからみのある本棚に、どうしても、足がむいてしまう。 さんざんそれらの本棚を渉猟してまわったあとで、文学の棚にいくことになる。そのころには、足が棒のようになり、探す気力をやや失ってる。で、「また今度にしようか・・・ 専門書を読むのは仕事である。それを怠るわけにはいかない。その合間によもうと思っているエッセイや文学は、貴重な時間を使うだけにハズしたくない。どうせ読むんだったら、オモシロイもの、ココロにジーンとくるものを読みたい。 あなたオススメのエッセイや物語、教えてくれませんか? 2004/12/02 難解な 一般的に僕らは「難しいこと」をしゃべる人を、「アタマがいい人だな」と思ってしまう傾向がある。 ある人が「デカルトによる自然概念の構築と形而上学的懐疑」について講演してるところを聞いたら、それがどんなにオモシロい発表であろうとなかろうと、講演者を「アタマいい子ちゃんカテゴリー」でくくってしまいがちである。 しかし、僕は知っている。「難しいことばでしゃべることができる」っていうのは、アタマのよさなんて、ほとんどの場合反映していない。 読んでいる本や、いつも耳にしている会話の中に、そうしたタームがでてくれば、自然と人はそれを自分の言葉として使うようになれちゃうものなのである。 時間がかかる人もいる。すぐにできちゃう人もいるかもしれない。でも、基本的には、どれだけ身近に「難しい言葉や概念」があるかってことが重要である。人は身近にある言葉を自分のもののように扱うことに長けている。たとえ、意味なんてわかっていなかったとしても。 本当にアタマがよいなぁと僕が思える人は、そういう「難しい言葉」を10%くらいの誇張とウソを含みつつ、誰にでもわかるような言葉で、簡単に話せる人のことである。 10%の誇張とウソというところがポイントである。ここで、誇張とウソがゼロであることを願う人は、ロマンティシズムにあふれる人である。そして、僕もそれを願いはする。 「誇張やウソがゼロでないこと」に怒り出す人は、非現実的な人である。あくまで僕の経験であるが、そういう人には、「簡単なことを難しくしゃべる」傾向があるように思える。 2004/12/01 鳥つね 先日、山内さんにランチに連れて行ってもらった親子丼のお店の味が忘れられなくって、最近の僕は、ここに通い詰めています。湯島天神のすぐそばにある「鳥つね」。湯島天神は、東京大学と東京メトロ千代田線の「湯島」駅のあいだにありますね。
ランチに何度かでかけ、いろいろ試しましたが、やっぱり親子丼がベスト。それも1000円の「庶民の親子丼」ではなく、1500円の「上親子丼」です、やはり、少し高いがこれに限る。とはいえ、お金がないとき、給料前は「庶民の親子丼」になってしまうけどね(泣)。 「鳥つねの親子は汁で食う」と評判通り、ここ親子丼は、「つゆだく」&「たまごだく」です。上親子丼になると、トロトロでオレンジ色の半熟玉子を楽しむことができます。 うーむ、美味。 それにしても、なんだかね、この親子丼を食べると、祖母のキヨちゃんに昔つくってもらった親子丼を思い出してしまいます。 彼女のつくる親子丼はまさに「つゆだく&たまごだく」のものでした。両親が仕事で「泊まり」の日とかね、キヨちゃんがうちにきて、僕と妹のお世話をしてくれました。で、よくつくってくれたのは、彼女のお得意の丼モノでした。そのひとつが、親子丼だったわけですね。そんな彼女も、現在、89歳!?・・・長生きして欲しいものです。 鳥つねの味、それは昔懐かしい味。 |
NAKAHARA,Jun
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