The Long & Winding Road - 2004/09

     


    
" In the mirror " by Miwa 


2004/09/30 湖

 自分がまだインターネットも、無線ICタグもない時代に生まれて、心からよかったなぁと思った瞬間。

 登下校、無線ICタグで把握(朝日新聞)
  http://www.asahi.com/national/update/0928/003.html

 記事に見るように、子どもに無線ICタグをもたせ、塾や学校などに、彼らがいつ登下校をしたのかを親や教師に送信するのだという。確かに、最近何かと物騒な世の中だから、こういうシステムのニーズは高まっているのかもしれない。まぁ、こういうシステムはPHSのときからあったんだけどね。

 しかしである。

 子どもの方からすれば、こうしたシステムは、迷惑極まりないと思ってしまうのは僕だけだろうか。

 小学校にもいく頃になれば、秘密のひとつやふたつはあるがな。道草する日もあれば、学校にいきたくない日もあるだろう。ケンカして泣いて家に帰るのが遅くなる日もあれば、早退して遊びたい日もあるがな(オレだけか?)。親に言いたくないこと、知られたくないこと、たくさんあるはずである。

 それをすべて知られてしまうとは!!

  このシステムのもとでは、ウソをつくのが限りなく難しい。だって、時間がすべてバレちゃうからさ。自宅から学校に帰ってくるのにかかる時間なんて、いつも決まってるでしょ。

 うーん、確かにウソはワルイコトであるのはわかる。それを賞賛している訳じゃない。でも、子どもには、親に包み隠さず知ってもらうべき事と、別に知ってもらう必要のないことがあるんじゃないかなぁ、と思ってしまう。

  もし僕がこのICタグつけられたらさ、「大丈夫だよ、たまに秘密はあるけど。オレがそんなに信用できないか?」と言いたくなっちゃうように思うんだよなぁ・・・。いや、オレなら言ってるね、絶対。「オヤジも持てばいいんでないの?、一杯会から帰ってくる時間がわかったら、家族が便利じゃん」とかまで言うね。

 まぁ、システムの開発者からすれば、「希望する親」にだけ送信するといっているので、「それは親が決めること!」になっちゃうんだろうけど。でも、思わず聞きたくなりますね。「もしあなたが子どもだとしたら、このシステムを使いたいと思いますか?」・・・可能性の限りなく低い仮定法だね。

 ていうか、無線ICタグっていったら、すぐ「トレーサビリティ」「流通革命」って話になるんだけどさ。産地や農薬使用情報がスーパーで確認できますぅみたいな。でもさ、子どもは、野菜じゃないからさ。

 監視塔・・・そこから放射状に伸びた独房・・・それが「パノプティコン」ならば、このシステムは「施設のないパノプティコン」であるように思う。ミシェル=フーコーが見たら、ぶったまげるぞ。

 お母さん
 ぼくの机のひき出しの中にできた湖を
 のぞかないで下さい

 「第1回一筆啓上賞 日本一短い「母」への手紙」
  李越11歳 引用

追伸.

この日記を読んだカミサンから下記の感想。

子どもなんてすぐに悪い手を覚えて、タグを学校に忘れた、とか言って置いてきそう。人のと取り替えたり。。。タグだけ家に置いて、また遊びに出たり。いつの時代も、なんとか親の目をごまかして、好きなことしよう、と知恵を働かすことは、かわらないような気がします。

悪いことするのを推奨する意味ではないけど、子どもは、そういう知恵が働くような子になって欲しいと思うけどね。「こりゃ一本とられたな」というぐらいの事をしてほしい。まあ、そういいながら、子どもには内緒で、かばんに別のICタグをしのばせといて、内心「まだまだね」と思うくらいがいい。

 ふーむ、確かにそうだ。親子でそのくらいの攻防があるほうがオモシロイし、愉快だし。どうせだったら、「便所スリッパで横からアタマひっぱたかれちゃいましたー」くらいのオリジナリティのある智恵を発揮して欲しい。間違っても、馬鹿正直に、タグを肌身離さず「お守り」のようにもつ子どもにだけは、なって欲しくない。もちろん、これは僕の意見。

 カミサン、なにやら死ぬほど忙しく、会議の途中で、突然鼻血を吹き出して、思わずカラダが浮き上がりそうになったらしい!?、ロサンゼルスオリンピックの開会式じゃないんだから・・・健康には気を付けてくれ。


2004/09/29 1369

 このところ毎日のように、セントラルスクエアにあるカフェ「1369」で朝食をとっている。メニューは、プレーンベーグルとスモールコーヒー。シンプルな朝のひとときである。

 ベーグルがマイブームになったのは、およそ2年前くらいだろう。これまでブームになったものには、「キャラメルコーン」とか、「おから」とかいろいろあったんだけど、今回のベーグルはなかなかのものである。数年を超えて、食い続けても、なかなか色あせない。

 話は変わるが、アメリカにきて心からおいしいと思えるもの - 実際問題、アメリカの食生活は貧弱で心の底から感動することは少ないんだけど - それでも、そのひとつがベーグルであることは間違いない。

 最近は、東京でも美味しいベーグルが売り出されていたり、あるいは輸入したりされてるけど、ちょっとまだ追いついていないなぁと思う。

 1分弱のToast- 表面はパリパリになっても、中はモチモチとする。これである。この食感のギャップこそが、東京のベーグルにはないような気がする。正直いってとても悔しい。

 聞くところによると、こうしたベーグルをつくるためには、ニューヨークの水でなければダメなのだとか。ニューヨークの水がそんなに美味しそうには見えないので、たぶん、ハッタリだと思うが・・・。

 ベーグル表面0.3ミリ程度で、薄くクリームチーズをぬる。この際、ベーグルの両側にチーズを塗らない。片方はプレーンのまま残す。そして、チーズを塗る場合にも、アメリカ人がやるように、ゴッツリつけない。ベーグルがもつ本来の甘みを楽しみたい。

 1369のベーグルは、このあたりでは特においしいと思う。これが毎日の朝の楽しみのひとつであったりする。

 1369は、今日も、学生、大学関係者で朝から適度に混んでいる。多くの人々はコンピュータを広げているか、あるいは、本を読んでいる。蛍光ペンをもって読書しているところを見ると、彼らが読んでいるのは、今日の授業のアサインメントか。

 数ヶ月暮らしてようやく見つけた朝の楽しみ...残り18日。でも、寂しさの反面、嬉しさもある。
 今の気持ちは、文字にはなりそうにない。


2004/09/28 言葉

 この世で一番みじかい愛の詩は

 愛

 と一字書くだけです
 この世で一番長い愛の詩は
 同じ字を百万回書くことです
 書き終わらないうちに年老いてしまったとしても
 それは詩のせいじゃありません

 人生はいつでも
 詩より少しみじかい
 のですから

 寺山修司


2004/09/28 MIT Open Course Ware(オープンコースウェア)

 先日、Open Course Ware(OCW:オープンコースウェア)の執行役員アン=マーギュリスさんと、OCWの研究チームのトップでもあり、僕の所属するCECIのディレクターをつとめるスティーブ=ラーマン先生が、MITが定期的に開催しているフォーラムで、講演を行った。

 MIT Communications Forum
  http://web.mit.edu/comm-forum/

 MIT Open Course Ware
  http://ocw.mit.edu/index.html

 講演終了後には、アンと、OCWにおけるLearning communitiesの可能性について話した。

 ちなみに、Open Course Wareのプロジェクトには、どのような人がいて、どのようなJob discriptionのもとで、どのように働いているか、を知りたい方は、是非下記の本をご参考にしていただければ幸いです。東京電機大学出版局から、近々出版されますです。

吉田文・田口真奈・中原淳(編著)(近刊) 大学eラーニングの経営戦略:成功の条件. 東京電機大学出版会, 東京

 下記は当日のメモ。

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■MIT Open Coursewareの歴史
   ・1999年秋 ファカルティが集められる
     →インターネットが爆発的に普及しはじめた頃
     →他大学はProfitableなOnline educationを実施
      →MITはやや遅れる
     →コンサルタントを集めて分析
      1. 何をやりたいのか?
      2. 何がやれるのか?(1と2は決定的に違うことに注意)
      3. MITがもつコアバリューとは何か?(これが一番重要)
        →コアコンピタンス
      4. 遠隔教育のコストストラクチャーの分析
   ・2000年秋 チャールズベストに諮問
   ・2001年秋 NY TIMES誌にてプレスリリース
 
 
■OCW...Vision to reality
   ・2001年6月 ヒューレット財団、メロン財団からの助成決定
     →ヒューレット財団
       http://www.hewlett.org/Default.htm
     →メロン財団
      http://www.mellon.org/
   ・2002年8月 50コースの公開
   ・2003年9月 500コース
   ・2004年4月 700コース
   ・2004年9月 900コース
   ・最終目標は、1800コース。現在、丁度半分を折り返したところ
 
 
■OCW...reality to future
   ・2005年 1250コースを公開予定
   ・2006年 1550コースを公開予定
   ・2007年 1800コースを公開予定
   ・2008年以降 維持
 
 
■OCWの目標
   1. Counter the privatization of knowledge
     (知識の私事化に対するカウンターをなすこと)
   2. Champions the movement toward openess
     (オープンネス運動の擁護を行うこと)
    ↓
   具体的な目標
    1. MITの授業素材の無料公開をすすめること
    2. Extend the reach and the impact of OCW concept
     (OCWのコンセプトを広めること)
  
  
■OCWのIP(Intellectual Property)方針
  ・OCWの素材はCreative commons
   ・ファカルティは下記を許諾します
    1. ユーザーが使用すること
    2. 教材をそのままのかたちで、あるいは、改変したかたち
     で再配布すること
    ※ただし、非商用利用であること
 
 
■OCWとLearning community
   ・OCWがめざすべきものは「素材の公開」であって
    教育ではない
    →よって、OCWのサイトにはInteractivityは確保されていない
    →しかし、Learning communitiesをつくる実験が行われている
     →実験サイト
      ・http://ols.usu.edu/courses/showforum?ForumID=6
      ・実験サイトには教師も、メンターもいない
      ・学生しかいないところで何が生まれるか?
      ・通常のコミュニティでは、成長とともにBig messを
       生み出すが、OCWの場合はどうだろうか
     →研究目的
      ・どのようにLearning communityが形成されるか?
      ・どのように援助行動が生まれるか
     →ユタ州立大学のDavid Wileyによる研究グループ
      ・Open Sustainable learning oppotunity
       http://oslo.usu.edu/
     →Learning communityに関するOCWの解説URLは文末
     →ちなみ、AnnはこのコミュニティをSelf Manage Learning
      Communityと呼んでいる
 
 
■OCWのインパクト1:問い合わせメール
   ・OCWには、これまで2万件のメールが寄せられたが、そのうちの
    60%は肯定的なもの
     →
   ・残りは下記のようなメール
     ・How to register(ちなみにOCWは登録は必要ない)
     ・Technology Matter
     ・Vendorからの問い合わせ
   ・ネガティブな反応は1%
 
 
■OCWのインパクト2:メルマガ
   ・OCWのメルマガは25000人が購読している
    →http://mailman.mit.edu/mailman/listinfo/ocw-mail
 
 
■OCWのインパクト3:統計情報
   ※下記は2004/09/09の日記より引用
   ※8月16日現在、Open Course Wareの評価レポート
 
  ・コースは5つのMIT school、33の学問分野から集められている
  ・200コースが2004年9月に新たに加わる
  ・毎日平均10894のサイト訪問がある
  ・2003年10月から、32.5億ページビューを記録
  ・215の国々からアクセスがある
    →トップ10は下記のとおり
      1. 中国 1237609ヒット
      2. インド 1065398ヒット
      3. カナダ 850006ヒット
      4. 韓国 822239ヒット
      5. 台湾 725816ヒット
      6. イギリス 548884ヒット
      7. 日本 478544ヒット
      8. ドイツ 412867ヒット
      9. ブラジル 389402ヒット
      10. イタリア 291853ヒット
  ・訪問者の52%は自己学習用にOCWを活用している。
     → 毎日5665人の訪問者がいる。
     → ノースアメリカの訪問者の60%は、自己学習用である。
  ・31%の訪問者は生徒である。
    → 彼らは、OCWを自分がとっている講義の復習に使っている。
    →訪問者は毎日3377人である。
  ・13%の訪問者は教授者である。
    → 彼らはOCWを自分たちがコースを開発するときに使っている。
    →現在、一日に 1416人の訪問者がいる。
  
  
■ユーザーは、なぜOCWを利用するのか?
   ・OCWでは評価を定期的に行っている
   ・評価専門のスタッフを雇用している

    1. Educator
     ・自分のコースをつくる際の参考にする 36%
     ・自分の知識を高める 22%
     ・カリキュラムプランニングの参考 10%
     ・その他 32%

    2. 学生
     ・補習のため 43%
     ・自分の知識を高める 40%
     ・コース選択の参考にする 10%
     ・その他 7%

    3. 自主学習者
     ・知識を高めるため 81%
     ・その他 19%
      cf.自主学習者のビデオがある
  
  
■OCWのMITへのベネフィット
【組織レベルのメリット】
  1. MITのミッションを推進することができる
  2. MITのイメージを向上することができる
  3. 同窓生のプライドを高めることができる
  4. ファカルティ同士のコラボレーションを推進できる

【部門レベルのメリット】
  1. 個々の授業、カリキュラムのShowcaseをつくることができる
  2. 優秀なファカルティのリクルートを促進することができる
  3. 優秀な学生をリクルーティングできる
 
 
■生まれ始めたOCW Betaサイト
  ・RAI university インド
   http://www.rcw.raiuniversity.edu/

 ・Fulbright Open Courseware
   http://ocw.fetp.edu.vn/fetpocw.cfm

 ・Universia
   http://mit.ocw.universia.net/
   http://www.universiabrasil.net/mit/index.jsp

 ・CORE(China Open Resource for Education) 中国
   http://www.njtu.edu.cn/jg/jgws/content/core.htm

■質疑応答
▽OCWの運営コストは?
  ほとんどが人件費です。テクノロジーは市販のStableなソフトウェアを使い、自分たちで開発するようなことはしません。それをしても意味がありません。これまでテクノロジーにかけたお金は、すべてあわせても2500万程度です。あとはすべて人にお金をかけています。

▽OCWで公開するべきLecture Noteがない教授はどうするの?
  確かに何人かの教授はレクチャーノートを持っていません。その場合、彼らのお世話にあたる職であるデパートメントリエゾンに、講義ノートをとらせることもあります。が、生徒に依頼することもあります。生徒にノートをとってもらい、それをファカルティに確認してもらい、OKをもらったあとで、出版します。重要なのは、「Sit in the classroomのスタッフ」と、「Sit out of the classroomのスタッフ」のバランスをとることです。

▽OCWの翻訳サイトができているそうですが、正しく翻訳されてる?
  翻訳サイトの翻訳のクオリティがどの程度であるかをわたしたちは把握していません。そして、もともとOpen Sourceであるということですので、それをコントロールすることはできません。ただし、OCWのスペイン語バージョンであるUniversiaの場合、MITのスペイン語のファカルティに確認したところ、非常に高いクオリティで翻訳されているとのことです。Universiaは、専門の翻訳家を雇い、その翻訳ができあがったあとで、該当する科目を教えているスペインのファカルティに問い合わせ、チェックをしてもらっているとのことです。

▽知的所有権の処理はどうしているのですか?
  知的所有権の処理には専門のスタッフを雇用しています。コンテンツの開発の際には、まず最初にファカルティからすべての資料をもらいますね。そのあとで、私たちの方で、「Suspect(疑い)」例を探していきます。写真、イラストなど、すべてのIP Object(知的所有権オブジェクト)を精査します。
  これまで、わたしたちは3000件の知的所有権処理を行ってきました。そのうちの60%は成功しました。
  今後は、出版社との連携も考えられるでしょう。

▽ユーザーからのFeedbackはどのように処理されるの?
  まずわたしたちの方で選別をします。そして、ファカルティに渡します。その問い合わせに対して、答えるか、無視するかはすべてファカルティにまかせています。

■関連URLなど
Learning communityに対するOCW側の解説
http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Mathematics/18-06Linear-AlgebraFall2002/LearningCommunity/index.htm

Learning communityが設置されたOCWの科目のひとつ
http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Mathematics/18-06Linear-AlgebraFall2002/CourseHome/index.htm

世界の自主学習者からの声
http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Global/AboutOCW/worldreaction.htm

自主学習者から寄せられたメッセージのビデオがあるhttp://mfile.akamai.com/7870/rm/mitstorage.download.akamai.com/7870/Global/videos/mit-ocw-self-learn-220k.rm

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追伸.
  最近、ようやく英語がそれほど辛くなくなってきた・・・。いや、わからんときはわからんよ。でも、相対的に前よりはツライなぁ、と思うときが少なくなってきたような気がする。しかし、あと、僕に残された時間はたったの20日、480時間。留学当時の僕が、今の状態であったとしたら、もっともっとオモシロイ話も聞けたし、もっともっと人と仲良くなれたのに・・・。

 「悔いが残っているか」と言われたら、「残る!」と答えるだろうな、今の僕は。「悔いはある」・・・そりゃ、「ある」んだけど、振り返ってみれば「走り抜けた感」はあるよなぁ・・・この9ヶ月。「走る速さ」は時に早くなったり、遅くなったりはしたけれど、前に進みたかった、僕は。

 最近、帰国が近いせいか、いろんなことを感傷的になって考えます。


2004/09/28 若手の飲み会

 日本教育工学会の年大会が、東京工業大学で開催されています。今年の学会は、学会創立20周年ということで、盛大に開催されているようです。参加できなかったのは残念ですが、帰国したら、誰かに話を聞かせてもらおうと思っています。

 日本教育工学会
  http://www.jset.gr.jp/

 ところで、今年で三年目になりますが、学会開催中に「若手の飲み会」というのを毎回開催しています。今年は、望月君@総合研究大学院大学がディレクターになって、四月から企画してくれました。

 僕は、その会の冒頭に「ご挨拶」ということだけ出させてもらいました。もちろん、ボストンからインターネットでの中継です。この中継は、松河君@大阪大学、重田君@大阪大学が担当してくれました(忙しいところありがとう)。

 システムには、ハイパーミラーを用いました。このシステム、両地点の画像を合成するのが特徴で、あたかも「隣で話しているか」のような感覚で、話すことができます。

 下記はその様子。

それぞれの写真の左部分が、「ボストンから送信している画像」です。写真の右の方が、合成したあとの写真。左の画像と右の画像に、1分のズレがありました。でも、会話はできました。左の写真は、東京工業大学の北澤君ですね。お久しぶり。

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 僕の「ご挨拶」ですが・・・盛り下がらないように、かなり気合いをいれて準備はしてたんだけどね・・・。

 当日、ネットワークの調子がいまひとつで、むこうの映像が見えるのが約一分後、音声はかなりとぎれとぎれ、しかも、こちらが早口でしゃべると、むこうは聞こえなくなる、といった感じで、かなり辛かった・・・。もしかしたら、「場を読めない子ちゃん」とかになってたんじゃないか、と思って、接続をきったあともドキドキしていた(場を読めない子ちゃんにだけは、僕はなりたくないと常々思っているのです)。

※今、日本からメールがきた。やはり「場の読めない子ちゃん」になっていたらしい・・・トホホ・・・なんてことだ・・・I got hurt。これは、絶対に研究テーマになるよなぁ。「遠隔ご挨拶に特化した場の雰囲気を伝えるシステム」っていうのかね・・・はぁ・・・言ってて悲しくなってきた・・・ガクン。皆様、大変お見苦しいところをお見せして、大変失礼しました。

 でも、まぁ、お伝えしなければならない、と思っていたことは、何とか伝えられた1?(僕の声が届いていたのかも実はわかっていません・・・)ので、まぁ、よしとしましょうか。

 今年の参加者は100名を超えています。会場の様子、どうだったんだろう。かなり気になるところです。これは、帰国後、話を聞かせてもらうのをとても楽しみにしています。

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 来年の日本教育工学会も、このイベント、継続していきたいと考えています。「ご挨拶」の中でも述べましたが、このイベントは全くのボランティアで行っています。そして来年継続できるかどうかは、今年に参加していただいた方のご協力が得られるか、どうかです。来年の・・・サクラの咲く頃になりましたら、またアナウンスさせていただきますので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 最後になりますが、この会の運営にご協力いただいた、内川さん@早稲田大学、酒井さん@東京大学、北村さん@東京海上HRA、松河さん@大阪大学、重田君@大阪大学、森下君@静岡大学、寺嶋さん@京都外国語大学、稲垣さん@東北学院大学,山口さん@宮崎大学、尾澤さん@早稲田大学、山田さん、北澤さん、山本さん@東京工業大学...そしてディレクターの望月君@神戸大学...

 本当にお疲れ様でした、そして、ありがとうございました。


2004/09/27 MIT meets Broadway

 先日、在ボストン 日本総領事館から「MIT meets Broadway」というイベント・パーティへの招待状をもらい、さっそく、会場のMuseum of Fine Artsにでかけました。

 在ボストン日本総領事館
  http://www.boston.us.emb-japan.go.jp/

 このイベントは2部構成。一部では、「敗北を抱きしめて」のジョン=ダワーさん、ディレクターの宮本亜門さんが、「日米両国の視点からみたペリー来航のインパクト」について対談するという内容でした。二部では、MFAの1Fでのレセプション。シャンパン、チーズ、ワインなどで参加者と歓談するという内容でした。

 ジョン=ダワーさんは、日米両国の画家の描いた「黒船の絵」「ペリー提督の絵」などを比較して、当時の日本人にそれがどのように見えていたのかを解説していました。

 BLACKSHIP & SAMURAI
  http://www.blackshipsandsamurai.com/

 宮本亜門さんは、ご自身が演出なさった「Pacific overture」というブロードウェイミュージカルの話をしてらっしゃいました。シアターに花道を設置。舞台を日本、花道を海、観客側をアメリカに見立てたステージの構成をおこなったとのことです。

 Pacific overture(解説)
  http://www.cgj.org/150th/html/nyepi1e.htm

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 レセプションで知り合いにご挨拶したあとは、I君と稲葉さん@NIMEと、近くのメキシカンレストランへ。I君は、最近、彼女とケンカしたらしく、その話を聞いてました。「遠距離恋愛でケンカをすると、両方電話をかけて謝りたいんだけど、うーん、どちらも素直になれませんわ状況」といったような感じ。とりあえず、稲葉さんにはI君を紹介できたのはよかった。

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 明日は朝がはやい。
 朝っぱらから、「日本教育工学会若手の飲み会」で「ご挨拶」させていただく、という重大な任務があります。
  はよ、寝よ。


2004/09/26 鼻血

 噴出する鼻血で空が飛べるほど、忙しいです。別の言い方をするならば、アタマの天頂に血が上って、今にもツルッパゲになりそうです。

 帰国までもう少しということもありますが、わたしのスケジューリングミスです。今日だけで何個会議があったでしょう・・・英語も日本語も含めて。やれることと、やらなくてもよいことを、もう少し選別すべきでした。様々な仕事が滞っています。ご迷惑をおかけしている方々へ、ごめんなさい・・・。今、ひーこら、ひーこら、こなしています。

 そして人生は続く。


2004/09/25 査読

 研究者であるならば避けて通れないのが、論文の査読というものです。自分が学術雑誌に論文を投稿したときには、査読を受けることになりますね。一方で、査読をする方に回ります。研究者コミュニティは、このピアレビューのシステムによって支えられている、といっても過言ではありません。

 僕の場合、今までいったいいくつの査読をしてきたか・・・あれっ、どこかに記録があったはずだが・・・まぁ、いいです、どこかに書いてあると思いますが、今はわかりません(笑)。

 が、多いときには月に数本というときもありました。1つの論文を読んでコメントを書くまでに最低数日はかかりますので、結構大変ではあります。おまけに、マーフィーの法則みたいな法則があるような気がします。

 「今、忙しいからどうぞ査読を依頼されませんように、と思っていると、必ず依頼される」

 みたいな(笑)。

 いつも電車の中でシコシコと査読しています。もちろん、月に10本弱の論文を抱える研究者の方もザラにいらっしゃると思います。査読は基本的に奉仕ですからアタマが下がります。

 とはいえ、まぁまぁ大変な仕事ではありますが、基本的には、勉強させてもらう良い機会だと思っています。他人の文献リストを読んで、「こんな新しい本がでたのかぁ」と知ったりすることも多いんです。「あーここがヤバイな」と思えば、他山の石とすればよいわけですし、「ふーん、こうくるか」と切り返し方を勉強することもできます。

 たまーに研究者同士が逢ったときなどに、「今、クソ論文、ドキュン論文読まさせられててさー」と話し合っているのを聞きますが、まぁ、そう思うのは自由。だけど、人前で喋るのはお行儀が悪い・・・少なくとも、僕にはそう見えてしまいます。できれば、やめたほうがいいのになぁとは思います・・・が、それも自由かな。とはいえ、まぁ、コメントの筆が進まなかったりで、ため息がつきたくなることもあります。まぁ、それはそれで、仕方がない。帰りの電車の中で、シコシコと査読に励むしかない、そういうことです。

 でね、この査読ですが、これまで査読を受けたり、したりしていく中で思ったことがいくつかあります。自分が査読をするときには、下記のポイントには気をつけてはいるつもりです。それをまとめてみました。

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1.論文の前提を超えないようにする
  人の査読結果を読んで、たまーに思うのが、このことです。論文にはスコープというものがあると思います。「ここの範囲内について、この条件下で実験を行ったときに、○○と言える」といったことですね。この「範囲」とか「条件」とかを超えて、「ふーん、でも、世の中で重要だといわれている▽▽には触れていないぢゃないか」といわれることが多い気がします。ないものねだり、なのかもしれませんね。その場合、「▽▽を検証すること/文中で触れること」の妥当性、必要性を根拠をもって示してくれるとよいのですが、多くの場合、そうではないようです。

2.「ノーベル賞」級のデカイ問いを聞かない
  たまーにあるのがこのパターンです。ものすごいでっかい問い(ほとんど答えられないアポリア)に対する答えを査読の中に要求してしまう、というやつです。そんなもん、一般論で答えられるかっていう話を査読条件にしてしまう。そんなもんに答えられるのだったら、今頃、「ノーベル教育賞(そんなもんない!)」とってるよ、というぐらい、デカすぎる問い!
  確かに論文にオモシロサやヨミゴタエがなくては、ツライというのはわかるのですが、それがない論文であったとしても、論理の展開が正しくて、かつ、自分の提示した目的に合致した結論が得られているのなら、僕は、そうした論文を採録すべきだと考えます。それが報告されることで、他の研究者が同じ事をしないですむわけですから。

3.要旨、1章、終章に気をつける
  これは自分も心当たりがあるのですが、論文で、要旨、1章、終章が一致していなかったりするものが多いような気がします。要旨では□□を扱うといい、1章では○○について検証する、といい、終章では▽▽を検証してる、みたいな。論文の査読のときには、特に、そこには注意をすることにしています。

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 僕が気を付けているのは以上です。

 それはそうと・・・今日、前から依頼されていた査読2本をようやく片づけることができました。ひとつは英語のものだったので、ちょいと疲れました。


2004/09/24 出る杭は

 誰に聞いたのか、どこで聞いたのか、ぜーんぜん覚えていないんだけど(でも元ネタがあることは事実...)、「これは納得!」と思った言葉があったので、ここに書き記しておこう。

 「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は誰も打てない」

 スバラシイ!
 でも、僕の場合、まずは「出る杭」レベルになることから、スタートせなアカンなぁ。
 あぁ、道のりは長い!

追伸.

 思い出しました・・・石井先生@MITが日経新聞の連載記事の中でお書きになっていた内容でした。


2004/09/23 勤勉な大学生

 先日(9月13日)のASAHI.COMの記事に下記のようなものがあった。オモシロかったので、ここで紹介。先日の日本教育社会学会で発表された、上智大学の武内清教授らの研究知見であるという。 

 その研究によると、現在の大学生は、97年当時の大学生にくらべて、下記のような問いに対して、肯定的な意見をもっているのだという。

 「大学での授業も出席を厳しくとるべきだ」
 「大学は学問の場である」
 「大学の先生は生活や学習を指導した方がよい」

 これだけで結論をだすのは危険だが、要するに、「レジャーランドに暮らす勉強そっちのけの大学生」から「勉学に励む大学生」へと彼らが変化しつつあるという風にも読めるだろう。

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 この日記では、数年前からさんざん「勉強そっちのけ大学生は、今の時代流行らない」と言い続けてきた。

 まぁ、「流行っているか」「流行っていないか」はどうでもいいんだけど、「大学生の時期に何をすべきか」という問いに対する彼らの答えは確実に変化しているように、僕は感じていた。

 大学生がやる気になったというのなら、教育の質を大学も提供するべき責務がある。それがなければ、彼らのやる気は、学習性無気力に変質し、長期的に大学は手痛いしっぺがえしを食らう気がしてならない。


2004/09/22 星田君

 武藤君の大学時代の友達で、現在、日本政策投資銀行につとめている星田君が、うちに泊まっている。夏休みをとって、ボストン、ニューヨークを観光するとのことであった。

 星田君からはいろいろな話を聞いた。大学時代は議員事務所でバイトし、自称「選挙マニア」だったという彼は、政治のこと、政策のことに造詣がふかかった。オモシロイ人に逢えてよかったな、と思う。

 北海道出身の星田君は、僕の高校時代の同期生たちの何人かの消息を知っていた。高校をでて10年。大学の頃は、飲みにいったことのある同期生たちも、日常的にやりとりをしているのは、ごくごく少数になってしまった。その少数のやりとりさえ、盆と正月くらいに限られているような気もするが・・・。

 日本政策投資銀行につとめる、ある男の子は、現在、カリフォルニア大学バークリー校に留学しているらしい。高校時代、生徒会長をつとめていたある男の子は、数年前に司法試験に合格。先日、弁護士として初法廷を迎えたとのことであった。

 ...みんな頑張ってんのやな、と思った。
  そして、数年ぶりに、連絡をとりたくなった。


2004/09/21 イギリスにて

 ロンドンから北部バーミングハムに向かう列車。到着までの2時間、僕はずっと窓の外を見ていた。

 最初のうちは、「疲れ目を直そう」とおもって見ていたんだけど、だんだんと、通り過ぎるものを見ているだけで楽しくなってきた。

 空には、まだらな白い雲が続いている。
  限りなく遠くまで続く丘がある。

 もし電車の中で席をたつイギリス人たちを見かけなかったとしたら、僕は、この光景を生まれ故郷の北海道だと、思い間違っただろう・・・訳もなく、そう確信した。

 耳元のヘッドホンには、サラ=ブライトマンの歌うアルハンブラが流れていた。
  札幌から旭川までの、車窓から風景に、それは似ていた。

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追伸.

 アルハンブラの想い出(MIDI)
  http://www.guitarsound.net/elixir/htm/alhamb_r.htm
 
  サラ=ブライトマン「クラッシック」
  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005RGX8/nakaharalabne-22


2004/09/12-19 m-learning

 1週間ぶりの日記更新になる。この間、イギリスとフィンランドにmlearning(PDA、携帯電話の教育利用)に関する調査旅行にいっていた。メンバーは、山内さん@東京大学、宇治橋さん@NHK Educational/東京大学、 真川さん@ベネッセ、中野さん@ベネッセ、と僕。フィンランドからは、中川先生@金沢大学、小林くん@金沢大学も加わった。

 タイトなスケジュールだったが、自分としては、とても実りのある知見や、よい人たちとのコネクションをもつことができたなぁ、と思っている。この領域は、今が立ち上がり時期である。研究的には、かなり気合いをいれなアカンな、と思った。プロジェクトが始まる前に、謙虚な気持ちになることができてよかった。

 この調査旅行の結果は、来月のBEAT(東京大学大学院ベネッセ先端教育技術学講座)の公開研究会で発表される予定である。お楽しみに!

 BEAT
  http://www.beatiii.jp/

 BEATの公開研究会について
  http://www.beatiii.jp/seminar/index.html

 下記はお写真集である。

m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

まずイギリスについて最初に立ち寄ったのが、ロンドンから列車で1時間30分のブリストルという街にある「NESTA FUTURE LAB」。ここでは、いくつかのアプリケーション、モバイル端末をつかったシミュレーション型教材を紹介してもらった。もちろん、こちら側からも研究、実践の紹介。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

次にいったのは、バーミンガム大学のシャープレス教授の研究室。こちらでは、モバイル端末を利用して、博物館のナビゲーションシステムなどの様々なアプリケーションをつくっている。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

次にBBCのアンドレアさんのところを訪問。BBCでは、中学生を対象に統一試験の問題を携帯電話に配信するサービスをおこなっている。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

ビックベンにてちょっと一休み(左写真)。次に訪問したのは、MWBという政府機関。ここでは、m-learning.orgというプロジェクトを行っている。ヨーロッパ・コミッションがファンドをつけたもの。ちなみに、ヨーロッパでは、Mobilearnというもうひとつの大きなプロジェクトが今年まで走っていた。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

フィンランドに移動。かつて美馬さん@日本科学未来館、関根さん@文部科学省と訪問したことのある「ヘルシンキ工科大学」を再度訪問。ここで、中川先生、小林君と合流。この日は、ヘルシンキ工科大学のメディアラボの10周年記念式典だった。会場は、風船だらけ!かわいらしいセットだった。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

メディアラボにて、草原真知子先生@早稲田大学にお逢いする。数年ぶりにお逢いした。草原先生からは、ケータイの文化的側面に関するお話しをお聞きした。また、草原先生から、メディアラボの学生さんで、携帯電話の教育利用に興味をもっているユルゲンさんを紹介してもらって、臨時の研究ミーティング。彼のつくったソフトウェアを見せてもらう。僕もiTreeをプレゼン。それにしても、最近、だんだんと慣れてきたものだ。いきなり英語で話しても、それほど緊張しなくなったし、へたくそだし冗長だけど、何とかかんとかモノゴトを説明できるようにはなってきた。次は、この状態をいつまで維持できるか・・・それが問題だ。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

関係ないけど、おいしいワインを発見。Hunter Valley, Australia 2001 chardonnay show reserve。数年前にニュージーランドのICCEであったワインにかなり似ているワイン。ここに記しておこう。次の日は、ノキアへ。ここでは、3人の担当者とディスカッションをした。詳細は述べないが、少なくとも言えることは「日本は、今、千載一遇のチャンスにいるのではないかということ。携帯電話のインフラ、そしてサービスがここまで普及している国はない」と確信できた。

  
m-learning(イギリス・フィンランド)
   
  

  

これにてすべてを終了。この日は、Hervisというシーフードレストランにでかけた。ここはものすごく美味しかった。フィンランドにきたら、是非、おすすめ。写真は、ホテルに帰ってバーで飲んでいるところ。ギリギリのスケジュールの中、この数日頑張ってきた。ほとんど観光になどいけてない・・・。開放感からか、とてもお酒が進んだ。

  
中野さんからもらった写真
   
  

  

これらの写真は、中野さん@ベネッセからもらった写真。左は、FUTURELABの前でみんなでとったもの。右は、ピカデリーサーカスにて。

  

2004/09/13 名刺にまつわる話

 社会人になったら避けてとおれないのが、名刺交換という慣習である。日本人は、誰かに会った場合、一番最初に必ず名刺交換をする。僕の場合、一年間で400枚-500枚くらいの名刺を交換している。

 ちなみに、会議の「最初」に名刺を交換するというのは、日本の習慣。アメリカの場合は、最初には交換しないことが多い。

 話をして、「こいつと今度連絡をとって話してみたいなぁ」と思ったら、交換する。名刺交換は終わりになされることがおおいかも(もちろん一概にはいえないが)。名刺交換がおこるかどうかは、自分が相手にどのように思われたのかをはかるよい指標になる。

 日本人はアメリカにきても、会議の冒頭ですぐに名刺を交換したがる。だが、これが通じるのは、日本のことを知っている人に限られると思う。その他の人だったら「ちょっと変だなぁ」と思うのだそうだ。気を付けたい。

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 ちなみに話は飛ぶが、僕は大学生になったら、みんな名刺をもつべきだと思っている。院生は必須。サークル、勉強、研究...何でもいいけど、少しでも大人のいる場所にでると、名刺交換を求められる。

 はやいうちから名刺をもって、スマートに交換できるようになったほうが、その人のためであると思う。

 否、正確にいうと、大学生は、名刺交換が行われる場所、名刺が必要になる社会的関係に、少しでもはやく積極的に関わった方がよいのだと思っているのかも知れない。「大学は4年間有効のレジャーランド」「やってることは昼はサークル、夜はバイト」なんて、もう流行らない。アタリマエのことだけど、そこは勉強するところであり、人に出会う場所であり、社会につながるための場所である。

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 そういえば、また話がブットブが、先日アッチャンの日記で、「名刺を2回もらう」ということの悲哀が書いてあった。一度名刺を交換したことがあるのに、「もう一度交換する」ということは、相互に印象が薄かった、ということである。

 自分の名刺を、同じ人から2度求められたくはないものである。


2004/09/12 近況

 論文を1編脱稿。長い間書いては眠らせ、眠らせては書いていたものだけに嬉しい。ようやく、これで終わった。今は晴れ晴れした気分である。

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 このページでも紹介していた、東京大学大学院 ベネッセ先端教育技術学講座の公開研究会「ケータイと教育の未来」が、100名以上の参加者にめぐまれ、大変盛会だったとのニュースを聞く。とても嬉しい。

 東京大学大学院 ベネッセ先端教育技術学講座
 http://www.beatiii.jp

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 ユーリア=エンゲストロームらが講演を行ったシンポジウム、日本質的心理学会に参加した何人かの人から感想を書いたメールをもらう。とても盛況だったそうだ。参加できなかったことが悔しい。

 特にユーリア=エンゲストロームの理論については、エティエンヌ=ウェンガー、ジーン=レイブらの理論との差異について、メールで「話す」。

 思うに、理論とは「虫眼鏡」である。すべてを説明するグランドセオリーとは、なかなか見いだせるものではない。何かを見ようとすれば、何かを見落とす。要は、自分が何を見たいのか、何を描き出したいのか、否、何を見て何を描き出すことが社会的に価値あることなのかを考えることが、先決であると僕は思う。

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 明日からイギリス、フィンランドに出張。m-learning(モバイル端末を活用した学習)に関して、さまざまな関係機関を回る。とても楽しみではあるが、なにやらイギリス、フィンランドは相当寒いようである。何を隠そう、隠してないけど、僕は超末端冷え性である。ババシャツをリュックにつめた。

 そして人生は続く。



2004/09/11 お手ふきよこせ

 アメリカに暮らしていて、どうにも理解できないことは、たくさんある。

 「毎日朝っぱらからハンバーガとフライドポテトをニコニコ顔で食う」とかね、そんだけ無理してさ、僕が、アメリカ人に媚びたとしても、「おいおい、これは理解できなんぞ」っていうことが、たくさんあるわけです。

 そのひとつにさ、レストランで「お手ふき」をくれないってのがあるわけ。日本だったら、必ず「お手ふき」くれるじゃない、ぬれタオルとかさ、食べる前に。だけどそれがない。理解できないんだよねぇ。

 ていうか、汚いってーの。オレの手だけじゃないだろ、こ汚いのは。オレの「手」のセンサーはかなり敏感に反応してるぞ。日本にいるときよりも、カベとか、公共施設のソファーとか、確実に汚れてる、手がベトベトすることが多いです。オレの手は騙されんぞ。

 たとえばさ、どこのレストランにいったって、サイドディッシュでパンは絶対にでてくるわけよ。このパンをさ、ナイフとフォークで食うアホはいないわけで、必ず手で食べるよね、でも、手をふくものがないんです。

 僕はハッキリ言って、「お手ふき」にはうるさいからね、しょーがないからさ、いっつもレストランに入ったら、まずトイレにいって手を洗う、という。なんか変だよなぁ。

 ベッドに靴脱がないで入るってのも理解できないけど、それはさ、僕がしなければどうでもいいわけで、「お手ふきがないこと」の害に比べれば微々たるもんよ。

 どうでもいいけど、メシ食う前には、手ぐらい、ふけってーの。


2004/09/11 出逢い

 今日、リーガルシーフードのバーカウンターで食事をしていたら、前に座った人と目があって、しばらくとりとめもない話をしていた。

 彼は、Dept. of Justiceで法律顧問として働いている黒人男性。彼の高校生の娘が、このところ急に日本語に興味を持ちだしているらしい。最近、彼女は個人チューターを雇って、日本語を勉強しているのだという。

 僕が「I'm wondering why she wants to learn Japanese(なんでまた彼女は日本語を学びたいんだろう?)」と聞いたら、「そりゃ良い質問だ、ていうかオレがなんでか知りたいよ。親の僕も全く理由がわかんないんだ。急に日本のことを知りたいとか、日本語を学びたいとか、日本に行きたいとか言い出したんだ」

 たぶん、恋愛がらみではないかなぁ、と一瞬思ったけど、敢えてそのことは口にださなかった。たとえば彼氏が日本にいくとか、あるいは、いるとか、日本語を学んでるとか、日本のコミックが好きとか・・・。

 食事をおえ、帰る段になって、「名刺を交換しませんか」と言われた。喜んでという感じで、僕は名刺を渡した。彼の娘は、近いうちに日本にくることを計画しているのだという。そのときに相談にのってほしい、と言われた。

 「もし彼女が日本にくるとか、あるいは日本のことで質問があるということならば、可能な限り、僕は相談にのるよ」と言った。なぜだか知らないけれど、この言葉はスラスラとでてきて、自分でもびっくりした。ここに来る前の僕なら、決して、こんなことは言わなかっただろうな、と思った。

 僕の滞在期間は残り35日。この数ヶ月、ここで僕はいろんな人たちに出会い、優しくしてもらった。そして、かけがえのない経験をした。もし、日本について学びたい、と思う人がいて、その人が僕に連絡をくれるなら、次は、僕がお返しをする番だ。

 異国の地にて、微笑みかけられること、声をかけられること、手をさしのべられることが、どんなに嬉しいか、どんなに心の支えになるか、今の僕には痛いほどよくわかる。「なんつって」かもしれないが、僕はフルブライターである。出来る限りのことはしたい。


2004/09/10 お前、命かけてやってんのか?

 松岡君のことは、この日記でも何度も紹介した。フリーライターを生業として、現在、「西宮市に映画館をつくること」を目的に、多くのワカモノたちを集め、活動している男の子である。

 松岡くんのHP
 http://axis.milkcafe.to/

 その彼の日記の中に、下記のような言葉がでてきた。本当に彼は時々ドッキリとさせることを日記に書く。

お前、命かけてやってんのか?

 どういう文脈ででてきた言葉か、詳しいことは知らぬが、彼が他の人に投げかけられた言葉らしい。この言葉は、彼の心に突き刺さったらしいが、同様に僕の心にも深く突き刺さった。

お前、命かけてやってんのか?

 やってきたとも言いたい気もする。なりふりかまわず走り抜けてきたような気もする。しかし、同時に「ぜーんぜん足りてません」「この人、、なんつってでーす」とも言えるような気がして、不安になる。本当に不安だ。

 こんな夜は、誰かに聞きたい、そして確かめたい。でも、きっとそれは安直な解決だろうし、僕の感情をスッキリさせるだけで、問題の本質から逃げているとしかいいようがない。

 自分で考えなければならぬことを、人に聞いてはいけない。
 慣れた口ぶりで、考えなければならぬことを誤魔化してはいけない。
 そんなとき、人は独りになるべきだ、僕はそう思う。
 沈黙のまま、膝をかかえて考える他はない。

おい、お前、命かけてやってきたのか?


2004/09/09 インタビュー

 先日、永岡先生@早稲田大学、植野先生@長岡科学技術大学が、ボストンにいらしゃった。MITの「ICTと教育」の研究者とのミーティングを僕がオーガナイズした。自分的には学びなおしたことが多かったが、びっくりしたのは、少し前にインタビューしたときと、また状況が変わっていることにあった。本当にこの世界は動きが速いなぁ・・・と思った。英語もかつてインタビューをしていたときよりは、やはりマトモになっていることがわかって、少し自信がついた・・・またこの自信、崩れるんだろうけども。

 以下はそのときのメモ。
 公開できない情報は多い。それについては、省略。

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■ヴィジェイ・クマー博士とのミーティング
  Assistant Provost and
  Director of Academic Computing, IS&T
  http://web/mit.edu/~vkumar/www/

 Vijayは、OKIプロジェクトのMIT側の総責任者。
 この日は、OKIプロジェクト、SAKAIプロジェクトについてブリーフィング。

□OKIの概要
   →LMS、統合型キャンパスシステムをつくるための共通
    インターフェース(OSID)の公開
   →16のコモンコンポーネントから構成されている
   →Open Sourceであるのは、Specification

□OKIの効用
   1. 大学によって異なる機能、システムを使っていても
   インターフェースが共通化されているので、Interoperability
   を確保できる
 
   2. 大学のITコストは、60%以上がシステム統合の際に発生
   する。OKIは、このコストを大幅に削減することができる。
 
□SAKAI
   →OKIで公開されたAPIを基盤として、LMSやオーサリング
    
ツールを開発するプロジェクト

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■アン・マーギュリーズさん
  Executive director, Open Course Ware
  http://ocw.mit.edu/index.html

 アンさんはOCWプロジェクトの最高責任者。
 OCW、国際関係、遠隔教育のブランディング等について議論。

□8月16日現在、Open Course Wareの評価レポート
 ・コースは5つのMIT school、33の学問分野から集められている
 ・200コースが2004年9月に新たに加わる
 ・毎日平均10894のサイト訪問がある
 ・2003年10月から、32.5億ページビューを記録
 ・215の国々からアクセスがある
   →トップ10は下記のとおり
     1. 中国 1237609ヒット
     2. インド 1065398ヒット
     3. カナダ 850006ヒット
     4. 韓国 822239ヒット
     5. 台湾 725816ヒット
     6. イギリス 548884ヒット
     7. 日本 478544ヒット
     8. ドイツ 412867ヒット
     9. ブラジル 389402ヒット
     10. イタリア 291853ヒット
・65のコースがスペイン語、ポルトガル語に翻訳されている。
   → 翻訳は、スペイン・ポルトガルの724の大学連合である
   Universiaの協力によって行われている。
  →http://mit.ocw.universia.net/
・訪問者の52%は自己学習用にOCWを活用している。
   → 毎日5665人の訪問者がいる。
   → ノースアメリカの訪問者の60%は、自己学習用である。
・31%の訪問者は生徒である。
   → 彼らは、OCWを自分がとっている講義の復習に使っている。
   →訪問者は毎日3377人である。
・13%の訪問者は教授者である。
   → 彼らはOCWを自分たちがコースを開発するときに使っている。
   →現在、一日に 1416人の訪問者がいる。

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■スティーブ・ラーマン先生
  Director, Center for Educational Computing Initiatives
  MIT
  http://web.mit.edu/sma/

 ラーマン先生は、SMAプロジェクトのDupy Directorをつとめる。この日は、SMA2プロジェクトの内容について議論。

 SMA2プロジェクトでは、シンガポールの学生がMITの学位、シンガポールの大学からの学位をダブルで取得できる。かかる期間は、1年+1Semester。
  従来のSMA1のプログラムは継続する。こちらの方は、1年でひとつの学位。

 SMA2プロジェクトでは、ライフサイエンスが6つめの教育プログラムとして加わる。より競争的な教育プログラムになる予定。

 他の国がMITに同様の話を持ってきた場合、MITはどのように対処するかを聞いた。1)MIT側にファカルティの数が増えないこと、2)ファカルティの時間と余裕がないことから、他の国への対応は難しいことが予想されるとのこと。

 SMAプロジェクトの授業形態が、講義形式で両地点での相互作用が少ないことについて聞いた。それは遠隔教育だから、ということもあるが、最大の理由は中国の学生が「インタラクティブな授業を好まない傾向がある」ということにあるらしい。先生にものを述べることを彼らは、「Impliteである」と判断しがちであるとのこと。それを変えるためにオリエンテーションなどを行っているが、なかなか難しい。

 MITの教授の場合、研究のかたわらでビジネスをおこすのは日常茶飯事。SMAプロジェクトでは、こうしたアントレプルナーシップを学生たちに伝えている。ちなみに、MITでは、教授が外で仕事を行うと1年に一度「Outside Professinal Action」というレポートを、学部長宛に提出することになっている。このレポートには、外での活動時間、収入を記載しなければならない。そのレポートによって、「どの程度外での活動を行うべきか」について学部長から指導が入ることがある。また、教授が外部で活動を行う場合、MITと競合するような事業は行ってはいけないことになっている。
 
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■iCampus Project(マイクロソフトとMITのプロジェクト)
  フィリップ・ロング博士
  ポール・オカさん
  ベッキーさん
  http://icampus.mit.edu/

 MITとマイクロソフトリサーチの共同研究である、iCampusプロジェクトの概要、研究内容についてブリーフィング。

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■TEALプロジェクト
  センベン=リャオ博士
  ジョン=ボルチャー教授
  http://evangelion.mit.edu/802TEAL3D/

 協調学習クラスルームで実施される、フレッシュマン向けの初等物理学を見学。



2004/09/08 チャータースクール

 2001年に施行されたブッシュ大統領の教育政策「No Child Left Behind Act」については、去年、このページでも取り上げたことがある。

 No child Left Behind
  http://www.ed.gov/nclb/landing.jhtml?src=pb

 星条旗はどこへいく?
  http://www.nakahara-lab.net/researcheressay04.html

 No Child Left Behind(オチコボレをなくそう)とは、1)子供たちに定期的に学力テストを受けさせる。ほんでもって、その結果を公開し、2)親に学校選択の自由を認めさせる。3)成績の低い子どもには補習授業の受講機会を提供する。4)アチーブメントの低い学校は、段階的にスクラップ&ビルドを進めていく。そうしたことによって、基礎学力の習得さえままならぬ米国の子どもたちの基礎学力を向上させることをねらっている教育政策である。

 前にエッセイに書いたとおり、No Child Left Behindは、教育テスト業者をはじめとする教育産業を活性化させた。そのほか、チャータースクールとよばれるたくさんの学校を生み出すもとになった。

 チャータースクールとは、学校をつくりたい親や教師、教育関係者、企業が州や政府にプロポーザルを提出し、契約(チャーター)を取り結ぶことによって公費で運営される特殊認可の学校である。これまでの公教育のあり方とは、微妙に異なったかたちの学校運営となっている。

 以下、「諸外国の教育動向 2002」文部科学省の資料によると、チャータースクールに関しては、既に下記のような指摘がなされているようである。

1) チャータースクールの数は増加する一方で、経営破綻する学校もあとをたたない

2) チャータースクールと通常の学校のアチーブメントテストの結果を比較すると、チャータースクールの方が低い成績であった。

 要は一言でいうと、公教育とは異なる方法で教育を運営したからといって、それが「即」、教育の改善につながるとは限らない、ということであろう。これは、アタリマエのことだ。公教育の力が万能でないのと同じように、民間に力だって万能ではない。

 しかし、同時に、こうしたニュースだけで、こうした試みに意味がない、と結論づけてしまうのは、非常に性急すぎる。

 チャータースクールは、もともと異なる主体によって運営され、教育目標も異なっている学校群である。そうであるゆえ、かつての学校よりも当然アチーブメントのクオリティもばらつきがでてくる。要は、スバラシイ理念と教育方法を有している学校と、そうでない学校には差があるのではないか、と予想される。

 まして、チャータースクールは本格的につくられてまだそれほど月日がたっているわけではない。それが数字になって結果としてあらわれてくるには、より時間がかかる。さらに決定的には、チャータースクールがつくられるのは、貧困などの原因によって、もともと低い学業成績が問題になっていた地域であることはよく知られていることである。そうであるとするならば、チャータースクールの真価が問われるのは、これからであるような気もする。

 いずれにしても、チャータースクールの動きに関しては、今後も注視していく必要がある。なぜなら、チャータースクールの是非に加えて、その背後にはチャータースクールの成否を利用して、「教育は公のものであるのか、それとも民間に委ねるべきものなのか」というポリティクスの攻防が、容易に想像できるから。とりもなおさず、そうした議論を冷静に注視することこそが必要である。

 いずれにしても、また、実際のところそれはどのように運営され、どのような葛藤や問題が内部から生まれ出てくるのかについてのリサーチが必要になってくると思った。


2004/09/08 コウフクについて

 幸福について

 武者小路実篤や、ショーペンハウアーなど、多くの知識人が、このテーマのもとに、著作を発表してきた。「幸福について」は、多くの人々が時にぶつかる問いであり、そして決して一義に答えを求めることのできない永遠の問いなのかもしれない。

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 先日、ある人とそのテーマについて、夜遅くまで話した(大学生みたいだ!)。

 少なくとも僕が話したそのことは、いにしえの知識人たちが思索にふけった「幸福」ではなく、もしかすると「コウフク」とか「コウフク、なんつって」いうレベルのことなのかもしれない。

 しかし、「これから自分たちが、どうしたらコウフクになれるのか」について、僕なりの考え方を話してみた。非常に楽しかった。

「何が実現すれば、僕らは自分をコウフクモノだと思えるんだろう」

 正直言って、今の僕には、「これがコウフクだよなー」と判断する可能性のある状態が、いくつか想像できてしまう。しかし、その中から、「これこそがコウフクだよなー」と断定できるほどの自信は、いまだない。僕の「コウフク」はまだ浮遊している。

 考えれば考えるほどわからなくなって、問いがどうどう巡りになりかけた頃、僕らは話すのをやめた。実はその瞬間に瞬間に、ひとつの考えが浮かんだが、それを口にださなかった。それはここには書かない。

 でも、口にださなくてよかった。
 やっぱり僕には自信はない。


2004/09/07 ボストン日本人研究者会

 昨日、ボストン日本人研究者会で発表を行った。「遠隔教育と大学」に関する発表である。

 発表内容は、米国や海外大学のeラーニング最新動向を解説したあとで、今後、ニッポンの大学、あるいは、ニッポンの高等教育がどのような課題をもつことになるのか、についてであった。

 この会には、ボストン界隈の大学、Harvard Universityや、MIT、Massachusetts General Hospitalなどで留学している多くの研究者の方が参加している。

 おかげさまで、何とかかんとか、無事に発表をすませ、参加者と懇親会へ。何人かの人から「今日は楽しかった。大学のこを考えてみたくなった」という感想をいただいた。お世辞であることは十分承知しているが、嬉しかった。そして、同時にホッとした。

 この研究会をボランティアで主催しているMITの吉積さんには、発表の機会をくださり非常に感謝している。本当にありがとうございました。ボストンで留学することが決まった方は、是非、この研究会に連絡を取ってみて欲しい。


2004/09/06 パッション

 僕が渡米して少したったくらいに話題になっていた映画「パッション・オブ・ザ・キリスト」をビデオで見た。

 メルギブソンが私財27億円をなげうって監督したこの映画、残虐な描写がテンコモリということを聞いていたので、これまで見るのを少しためらっていたのだが、数日前に、ある人に感想を求められたのがきっかけで、見ることにした。

※付記.「英語が話せない」というときに、僕らは「イディオムを覚えてない」とか、「語彙がたりてない」とかそういうことで自分を責めがちである。しかし、英語で話せないときには、そもそも「語るべき内容に関する知識がない」ってことも多い。

 ちなみに、僕は「怖いもの」「暴力的なもの」は全く好きではない。夢にでるから嫌い。小さい頃、みんなは「仮面ライダー」とか好きだったかもしれないけど、僕は大嫌いだった。かならず、その日の夢は悪夢になるから。それよりは、「花の子ルンルン」とかの方がよっぽどいい。僕はそういう子どもだった。

 閑話休題

 「パッション」 - 聞きしにまさるスプラッター系だった。「キリストが死ぬまでの12時間」を容赦なく再現することを目的にしているだけに、本当に「as it is」という感じである。飛び散る血しぶき、肉片。腕と足に打ち付けられる杭。何度目をそむけたことだろう。

 しかし、見たあとで、非常に重苦しい問いがおそってきた。否、それは異常なほど月並みな問いなのかもしれない。しかし、僕にとっては、なんだかいいようのない重さをもった問いでもある。

 果たして、宗教とは誰がために、なぜあるのか

 このことは以前、セーラムに遊びにいったときにも思った。セーラムは魔女狩り裁判によって数十名が殺されたという曰く付きの小さな街である。そこでは、無罪の人々が宗教の名に殺された。アメリカの魔女狩りはまだマシだという話もある。なぜなら、ヨーロッパのそれは数万人という単位であったから。

 そういえば、魔女狩り裁判の詭弁というのを昔聞いたことがある。魔女の疑惑をかけられ、無実のままに激しい拷問にあった哀れな人々に、裁判官は話しかける。

「オマエは魔女か?」

 この問いに対して、「Yes」と答えるならば、その人はすぐに「魔女」ということで火あぶりになる。しかし、たとえ「No」と答えたとしても、彼女は救われない。

「うそだ、この激しい拷問にオマエは耐えている。魔女でなければ拷問に耐えられるわけがない。やはりオマエは魔女である」

 要するに、すべてが決まっている。
  僕にはそうした宗教の一側面がわからない。が、わからないからといって、突き放してよいものだとは全く思えない。なぜなら、僕も祈ることがあるからである。不謹慎極まりないそれなのかもしれないが、僕は、時に何かに許しをこい、何かを願い、祈る。

 ---

 武藤さんによれば、彼の知り合いのある敬虔なクリスチャンは、この映画を見たあとに「感動した」という感想をもらしたのだという。正直にいって、僕はこの映画で全く感動しなかった。

 しかし、僕の心にのしかかる、この問いは、ちょっぴり重い。


2004/09/05 秋の足音

 MITのオフィスにむかって、自分のマンションを1歩でる。その1歩を踏みだす瞬間、まさにその一瞬に、僕は、最近、いつも「秋」を感じる。半袖にひんやりと感じる風。そして、そうであるにもかかわらず、快晴の空。その「青すぎる空」に僕はどこか欺瞞を感じる。

 マサチューセッツ通り沿いの木々を見るがいい。多くの木々はまだ青々とした葉をたたえているものの、いくつかの木の葉にはほんのりと黄色や赤色がのっている。

 道行く人を見るがいい。多くの人々は半袖ではあるが、彼らの皮膚は、あのうだるような暑さのときとは違って、涼しさのおかげで、より引き締まって見える。

 ボストンの短い夏が終わろうとしている。
  マサチューセッツ工科大学には、「class of 2008」のフレッシュマンたちが、集まり始めた。

 夏の終わり - それは新しい学習の季節のはじまりでもある。
 僕のボストン生活も終わりに近いことを、改めて感じさせられた。


2004/09/04 信頼

 昨日、酒井君、荒木さん@ともに東京大学情報学環らとやっている研究会で、「信頼」のことが話題になった。「信頼」がいかに「知的創造」に意味があるのか、という文献をちょうど読んでいたのである。当日は、実際のところ、アメリカ人と日本人、どちらが人を信頼しやすいのだろうか、という話になった。

 「信頼」に関する研究としては、北海道大学の山岸俊男先生の著書「信頼の構造」があまりに有名であり、僕自身もはじめて読んだときは衝撃を受けた記憶がある。

山岸俊男(1998) 信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム. 東京大学出版会, 東京

山岸俊男(1999) 安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方. 中公新書, 東京

 山岸先生の指摘をまつまでもなく、「信頼」が低下した社会では、様々なコストを支払わなくてはならない。

 たとえば、官僚制度はその典型的な社会機制であり、過度のドキュメンテーション、専門分業化、ローテーション、階層構造の命令関係という様々な官僚制の構成要素の背後には、「人間は信頼できない動物である」という人間観が見え隠れしている。

 僕自身は、こちらにきて、「アメリカ人は、よー初対面の人を信頼して、すぐ見知らぬ人に突撃面会するよなー」と思ったことが何度もあったので、「アメリカは高信頼社会である」という仮説に一票を投じたくなった。

 しかし、よく考えてみれば、同時にアメリカは「マニュアル社会」でもある。酒井君の指摘か荒木さんの指摘だったか、どちらかは定かではないんだけど、アメリカ人が「マニュアルを過度に信頼する背景」には、「人間は信頼ならないやつだ!」という人間観があるのではないか、ということであった。研究会では、こういう事例をいくつかとりあげ、あーでもない、こーでもないと言い合った。結局、結論はでなかったけど。

 もちろん、僕らは「信頼の研究者」ではないから、これに結論をつけようとは思わないし、それは不可能である。しかし、それはパーキンスが指摘するまでもなく、知識創造の根幹をなす要因であることは間違いなさそうである。


2004/09/03 甘くねぇな

 このまえ書いた英語論文の要約を、研究室のセンベンさんに見てもらった。お昼時のセンベンさん、少しご機嫌だったので、これはチャンスと思い、たぶん5分くらいで終わるだろうとタカをくくって、気軽に「ちょっと見てくれる?」と頼んだ。

 結局、校正が終わったのは1時間後だった。終わる頃には、ちょっとお疲れモードに入ったセンベンさんがいた。そして、全く僕が書いたとは思えないようなエレガントですっきりした文章が・・・。センベンさんゴメン、そしてありがとう。

 僕の英語力というのは、結局、その程度のものである・・・ため息、正直、それはでてしまう。

 こういうことがあると、来た最初の頃なら、超ディプレスドだろうが、もう200日以上もこちらで過ごしていると、それほど落ち込まない。しかし、アカデミックで流通する英語に直すためには1時間かかってしまうくらいの幼稚な文章を、自分が書いていると思うと、イヤにはなる、僕が。

 決して文法が間違っているわけではない。助動詞だって、時制だって、そこそこ適切に使えているとは思う。しかし、「なんとなく変だなぁ・・・sounds wiered」っていう文章なのである・・・きっと、余計にタチが悪いんだろう。

 センベンさんも「うーん、なんていったらいいのかな、書き方とかスタイルの問題といえばそうなんだけど・・・でも違うんだよなぁ、なんかおやって思うんだよな・・・たぶん、こうは書かないだろうな」と言っていた。トホホ・・・。

 英語、甘くねぇな。


2004/09/02 残り45日をきった!

 早いモノで、僕の米国滞在も残り45日をきった。僕のノートコンピュータのデスクトップのはじっこの方には、「残り○日」が表示されているのだが、このところ目をそちらの方にむけていなかったせいか、気づいたときにはハッとしてしまった。

 今回の滞在で僕に許された時間は、270日。既に、225日が経過したことになる。早すぎる・・・。定期的に自分の課題をチェックしているものの、まだまだやり残していることはたくさんあるし、英語の課題もとてつもなく、黒部ダム並にデカイ。

 ここは腰を落ち着けて、ドカッとひとつのことに取り組みたいのだが、しかし、このところ、プレゼンやら、出張やら、論文執筆やらで、インタビューやら、帰りの飛行機の手配やらで、かなり忙しい。テレビ会議も相変わらずで、明日などは早朝と夜に予定されている。

 月並みな言葉だが、残り45日、後悔のない時間を過ごしたい・・・。
  とはいっても、絶対、後悔するんだろうけどなぁ・・・。


 NAKAHARA,Jun
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