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" In the mirror " by Miwa
2004/09/30 湖 自分がまだインターネットも、無線ICタグもない時代に生まれて、心からよかったなぁと思った瞬間。
記事に見るように、子どもに無線ICタグをもたせ、塾や学校などに、彼らがいつ登下校をしたのかを親や教師に送信するのだという。確かに、最近何かと物騒な世の中だから、こういうシステムのニーズは高まっているのかもしれない。まぁ、こういうシステムはPHSのときからあったんだけどね。 しかしである。 子どもの方からすれば、こうしたシステムは、迷惑極まりないと思ってしまうのは僕だけだろうか。 小学校にもいく頃になれば、秘密のひとつやふたつはあるがな。道草する日もあれば、学校にいきたくない日もあるだろう。ケンカして泣いて家に帰るのが遅くなる日もあれば、早退して遊びたい日もあるがな(オレだけか?)。親に言いたくないこと、知られたくないこと、たくさんあるはずである。 それをすべて知られてしまうとは!! このシステムのもとでは、ウソをつくのが限りなく難しい。だって、時間がすべてバレちゃうからさ。自宅から学校に帰ってくるのにかかる時間なんて、いつも決まってるでしょ。 うーん、確かにウソはワルイコトであるのはわかる。それを賞賛している訳じゃない。でも、子どもには、親に包み隠さず知ってもらうべき事と、別に知ってもらう必要のないことがあるんじゃないかなぁ、と思ってしまう。 もし僕がこのICタグつけられたらさ、「大丈夫だよ、たまに秘密はあるけど。オレがそんなに信用できないか?」と言いたくなっちゃうように思うんだよなぁ・・・。いや、オレなら言ってるね、絶対。「オヤジも持てばいいんでないの?、一杯会から帰ってくる時間がわかったら、家族が便利じゃん」とかまで言うね。 まぁ、システムの開発者からすれば、「希望する親」にだけ送信するといっているので、「それは親が決めること!」になっちゃうんだろうけど。でも、思わず聞きたくなりますね。「もしあなたが子どもだとしたら、このシステムを使いたいと思いますか?」・・・可能性の限りなく低い仮定法だね。 ていうか、無線ICタグっていったら、すぐ「トレーサビリティ」「流通革命」って話になるんだけどさ。産地や農薬使用情報がスーパーで確認できますぅみたいな。でもさ、子どもは、野菜じゃないからさ。 監視塔・・・そこから放射状に伸びた独房・・・それが「パノプティコン」ならば、このシステムは「施設のないパノプティコン」であるように思う。ミシェル=フーコーが見たら、ぶったまげるぞ。
追伸. この日記を読んだカミサンから下記の感想。
ふーむ、確かにそうだ。親子でそのくらいの攻防があるほうがオモシロイし、愉快だし。どうせだったら、「便所スリッパで横からアタマひっぱたかれちゃいましたー」くらいのオリジナリティのある智恵を発揮して欲しい。間違っても、馬鹿正直に、タグを肌身離さず「お守り」のようにもつ子どもにだけは、なって欲しくない。もちろん、これは僕の意見。 カミサン、なにやら死ぬほど忙しく、会議の途中で、突然鼻血を吹き出して、思わずカラダが浮き上がりそうになったらしい!?、ロサンゼルスオリンピックの開会式じゃないんだから・・・健康には気を付けてくれ。 2004/09/29 1369 このところ毎日のように、セントラルスクエアにあるカフェ「1369」で朝食をとっている。メニューは、プレーンベーグルとスモールコーヒー。シンプルな朝のひとときである。 ベーグルがマイブームになったのは、およそ2年前くらいだろう。これまでブームになったものには、「キャラメルコーン」とか、「おから」とかいろいろあったんだけど、今回のベーグルはなかなかのものである。数年を超えて、食い続けても、なかなか色あせない。 話は変わるが、アメリカにきて心からおいしいと思えるもの - 実際問題、アメリカの食生活は貧弱で心の底から感動することは少ないんだけど - それでも、そのひとつがベーグルであることは間違いない。 最近は、東京でも美味しいベーグルが売り出されていたり、あるいは輸入したりされてるけど、ちょっとまだ追いついていないなぁと思う。 1分弱のToast- 表面はパリパリになっても、中はモチモチとする。これである。この食感のギャップこそが、東京のベーグルにはないような気がする。正直いってとても悔しい。 聞くところによると、こうしたベーグルをつくるためには、ニューヨークの水でなければダメなのだとか。ニューヨークの水がそんなに美味しそうには見えないので、たぶん、ハッタリだと思うが・・・。 ベーグル表面0.3ミリ程度で、薄くクリームチーズをぬる。この際、ベーグルの両側にチーズを塗らない。片方はプレーンのまま残す。そして、チーズを塗る場合にも、アメリカ人がやるように、ゴッツリつけない。ベーグルがもつ本来の甘みを楽しみたい。 1369のベーグルは、このあたりでは特においしいと思う。これが毎日の朝の楽しみのひとつであったりする。 1369は、今日も、学生、大学関係者で朝から適度に混んでいる。多くの人々はコンピュータを広げているか、あるいは、本を読んでいる。蛍光ペンをもって読書しているところを見ると、彼らが読んでいるのは、今日の授業のアサインメントか。 数ヶ月暮らしてようやく見つけた朝の楽しみ...残り18日。でも、寂しさの反面、嬉しさもある。 2004/09/28 言葉
2004/09/28 MIT Open Course Ware(オープンコースウェア) 先日、Open Course Ware(OCW:オープンコースウェア)の執行役員アン=マーギュリスさんと、OCWの研究チームのトップでもあり、僕の所属するCECIのディレクターをつとめるスティーブ=ラーマン先生が、MITが定期的に開催しているフォーラムで、講演を行った。
講演終了後には、アンと、OCWにおけるLearning communitiesの可能性について話した。 ちなみに、Open Course Wareのプロジェクトには、どのような人がいて、どのようなJob discriptionのもとで、どのように働いているか、を知りたい方は、是非下記の本をご参考にしていただければ幸いです。東京電機大学出版局から、近々出版されますです。
下記は当日のメモ。
追伸. 「悔いが残っているか」と言われたら、「残る!」と答えるだろうな、今の僕は。「悔いはある」・・・そりゃ、「ある」んだけど、振り返ってみれば「走り抜けた感」はあるよなぁ・・・この9ヶ月。「走る速さ」は時に早くなったり、遅くなったりはしたけれど、前に進みたかった、僕は。 最近、帰国が近いせいか、いろんなことを感傷的になって考えます。 2004/09/28 若手の飲み会 日本教育工学会の年大会が、東京工業大学で開催されています。今年の学会は、学会創立20周年ということで、盛大に開催されているようです。参加できなかったのは残念ですが、帰国したら、誰かに話を聞かせてもらおうと思っています。
ところで、今年で三年目になりますが、学会開催中に「若手の飲み会」というのを毎回開催しています。今年は、望月君@総合研究大学院大学がディレクターになって、四月から企画してくれました。 僕は、その会の冒頭に「ご挨拶」ということだけ出させてもらいました。もちろん、ボストンからインターネットでの中継です。この中継は、松河君@大阪大学、重田君@大阪大学が担当してくれました(忙しいところありがとう)。 システムには、ハイパーミラーを用いました。このシステム、両地点の画像を合成するのが特徴で、あたかも「隣で話しているか」のような感覚で、話すことができます。 下記はその様子。
--- 僕の「ご挨拶」ですが・・・盛り下がらないように、かなり気合いをいれて準備はしてたんだけどね・・・。 当日、ネットワークの調子がいまひとつで、むこうの映像が見えるのが約一分後、音声はかなりとぎれとぎれ、しかも、こちらが早口でしゃべると、むこうは聞こえなくなる、といった感じで、かなり辛かった・・・。もしかしたら、「場を読めない子ちゃん」とかになってたんじゃないか、と思って、接続をきったあともドキドキしていた(場を読めない子ちゃんにだけは、僕はなりたくないと常々思っているのです)。
でも、まぁ、お伝えしなければならない、と思っていたことは、何とか伝えられた1?(僕の声が届いていたのかも実はわかっていません・・・)ので、まぁ、よしとしましょうか。 今年の参加者は100名を超えています。会場の様子、どうだったんだろう。かなり気になるところです。これは、帰国後、話を聞かせてもらうのをとても楽しみにしています。 --- 来年の日本教育工学会も、このイベント、継続していきたいと考えています。「ご挨拶」の中でも述べましたが、このイベントは全くのボランティアで行っています。そして来年継続できるかどうかは、今年に参加していただいた方のご協力が得られるか、どうかです。来年の・・・サクラの咲く頃になりましたら、またアナウンスさせていただきますので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。 最後になりますが、この会の運営にご協力いただいた、内川さん@早稲田大学、酒井さん@東京大学、北村さん@東京海上HRA、松河さん@大阪大学、重田君@大阪大学、森下君@静岡大学、寺嶋さん@京都外国語大学、稲垣さん@東北学院大学,山口さん@宮崎大学、尾澤さん@早稲田大学、山田さん、北澤さん、山本さん@東京工業大学...そしてディレクターの望月君@神戸大学... 本当にお疲れ様でした、そして、ありがとうございました。 2004/09/27 MIT meets Broadway 先日、在ボストン 日本総領事館から「MIT meets Broadway」というイベント・パーティへの招待状をもらい、さっそく、会場のMuseum of Fine Artsにでかけました。
このイベントは2部構成。一部では、「敗北を抱きしめて」のジョン=ダワーさん、ディレクターの宮本亜門さんが、「日米両国の視点からみたペリー来航のインパクト」について対談するという内容でした。二部では、MFAの1Fでのレセプション。シャンパン、チーズ、ワインなどで参加者と歓談するという内容でした。 ジョン=ダワーさんは、日米両国の画家の描いた「黒船の絵」「ペリー提督の絵」などを比較して、当時の日本人にそれがどのように見えていたのかを解説していました。
宮本亜門さんは、ご自身が演出なさった「Pacific overture」というブロードウェイミュージカルの話をしてらっしゃいました。シアターに花道を設置。舞台を日本、花道を海、観客側をアメリカに見立てたステージの構成をおこなったとのことです。
--- レセプションで知り合いにご挨拶したあとは、I君と稲葉さん@NIMEと、近くのメキシカンレストランへ。I君は、最近、彼女とケンカしたらしく、その話を聞いてました。「遠距離恋愛でケンカをすると、両方電話をかけて謝りたいんだけど、うーん、どちらも素直になれませんわ状況」といったような感じ。とりあえず、稲葉さんにはI君を紹介できたのはよかった。 --- 明日は朝がはやい。 2004/09/26 鼻血 噴出する鼻血で空が飛べるほど、忙しいです。別の言い方をするならば、アタマの天頂に血が上って、今にもツルッパゲになりそうです。 帰国までもう少しということもありますが、わたしのスケジューリングミスです。今日だけで何個会議があったでしょう・・・英語も日本語も含めて。やれることと、やらなくてもよいことを、もう少し選別すべきでした。様々な仕事が滞っています。ご迷惑をおかけしている方々へ、ごめんなさい・・・。今、ひーこら、ひーこら、こなしています。 そして人生は続く。 2004/09/25 査読 研究者であるならば避けて通れないのが、論文の査読というものです。自分が学術雑誌に論文を投稿したときには、査読を受けることになりますね。一方で、査読をする方に回ります。研究者コミュニティは、このピアレビューのシステムによって支えられている、といっても過言ではありません。 僕の場合、今までいったいいくつの査読をしてきたか・・・あれっ、どこかに記録があったはずだが・・・まぁ、いいです、どこかに書いてあると思いますが、今はわかりません(笑)。 が、多いときには月に数本というときもありました。1つの論文を読んでコメントを書くまでに最低数日はかかりますので、結構大変ではあります。おまけに、マーフィーの法則みたいな法則があるような気がします。 「今、忙しいからどうぞ査読を依頼されませんように、と思っていると、必ず依頼される」 みたいな(笑)。 いつも電車の中でシコシコと査読しています。もちろん、月に10本弱の論文を抱える研究者の方もザラにいらっしゃると思います。査読は基本的に奉仕ですからアタマが下がります。 とはいえ、まぁまぁ大変な仕事ではありますが、基本的には、勉強させてもらう良い機会だと思っています。他人の文献リストを読んで、「こんな新しい本がでたのかぁ」と知ったりすることも多いんです。「あーここがヤバイな」と思えば、他山の石とすればよいわけですし、「ふーん、こうくるか」と切り返し方を勉強することもできます。 たまーに研究者同士が逢ったときなどに、「今、クソ論文、ドキュン論文読まさせられててさー」と話し合っているのを聞きますが、まぁ、そう思うのは自由。だけど、人前で喋るのはお行儀が悪い・・・少なくとも、僕にはそう見えてしまいます。できれば、やめたほうがいいのになぁとは思います・・・が、それも自由かな。とはいえ、まぁ、コメントの筆が進まなかったりで、ため息がつきたくなることもあります。まぁ、それはそれで、仕方がない。帰りの電車の中で、シコシコと査読に励むしかない、そういうことです。 でね、この査読ですが、これまで査読を受けたり、したりしていく中で思ったことがいくつかあります。自分が査読をするときには、下記のポイントには気をつけてはいるつもりです。それをまとめてみました。
僕が気を付けているのは以上です。 それはそうと・・・今日、前から依頼されていた査読2本をようやく片づけることができました。ひとつは英語のものだったので、ちょいと疲れました。 2004/09/24 出る杭は 誰に聞いたのか、どこで聞いたのか、ぜーんぜん覚えていないんだけど(でも元ネタがあることは事実...)、「これは納得!」と思った言葉があったので、ここに書き記しておこう。
スバラシイ! 追伸. 思い出しました・・・石井先生@MITが日経新聞の連載記事の中でお書きになっていた内容でした。 2004/09/23 勤勉な大学生 先日(9月13日)のASAHI.COMの記事に下記のようなものがあった。オモシロかったので、ここで紹介。先日の日本教育社会学会で発表された、上智大学の武内清教授らの研究知見であるという。 その研究によると、現在の大学生は、97年当時の大学生にくらべて、下記のような問いに対して、肯定的な意見をもっているのだという。
これだけで結論をだすのは危険だが、要するに、「レジャーランドに暮らす勉強そっちのけの大学生」から「勉学に励む大学生」へと彼らが変化しつつあるという風にも読めるだろう。 --- この日記では、数年前からさんざん「勉強そっちのけ大学生は、今の時代流行らない」と言い続けてきた。 まぁ、「流行っているか」「流行っていないか」はどうでもいいんだけど、「大学生の時期に何をすべきか」という問いに対する彼らの答えは確実に変化しているように、僕は感じていた。 大学生がやる気になったというのなら、教育の質を大学も提供するべき責務がある。それがなければ、彼らのやる気は、学習性無気力に変質し、長期的に大学は手痛いしっぺがえしを食らう気がしてならない。 2004/09/22 星田君 武藤君の大学時代の友達で、現在、日本政策投資銀行につとめている星田君が、うちに泊まっている。夏休みをとって、ボストン、ニューヨークを観光するとのことであった。 星田君からはいろいろな話を聞いた。大学時代は議員事務所でバイトし、自称「選挙マニア」だったという彼は、政治のこと、政策のことに造詣がふかかった。オモシロイ人に逢えてよかったな、と思う。 北海道出身の星田君は、僕の高校時代の同期生たちの何人かの消息を知っていた。高校をでて10年。大学の頃は、飲みにいったことのある同期生たちも、日常的にやりとりをしているのは、ごくごく少数になってしまった。その少数のやりとりさえ、盆と正月くらいに限られているような気もするが・・・。 日本政策投資銀行につとめる、ある男の子は、現在、カリフォルニア大学バークリー校に留学しているらしい。高校時代、生徒会長をつとめていたある男の子は、数年前に司法試験に合格。先日、弁護士として初法廷を迎えたとのことであった。 ...みんな頑張ってんのやな、と思った。 2004/09/21 イギリスにて ロンドンから北部バーミングハムに向かう列車。到着までの2時間、僕はずっと窓の外を見ていた。 最初のうちは、「疲れ目を直そう」とおもって見ていたんだけど、だんだんと、通り過ぎるものを見ているだけで楽しくなってきた。 空には、まだらな白い雲が続いている。 もし電車の中で席をたつイギリス人たちを見かけなかったとしたら、僕は、この光景を生まれ故郷の北海道だと、思い間違っただろう・・・訳もなく、そう確信した。 耳元のヘッドホンには、サラ=ブライトマンの歌うアルハンブラが流れていた。 --- アルハンブラの想い出(MIDI) 2004/09/12-19 m-learning 1週間ぶりの日記更新になる。この間、イギリスとフィンランドにmlearning(PDA、携帯電話の教育利用)に関する調査旅行にいっていた。メンバーは、山内さん@東京大学、宇治橋さん@NHK Educational/東京大学、 真川さん@ベネッセ、中野さん@ベネッセ、と僕。フィンランドからは、中川先生@金沢大学、小林くん@金沢大学も加わった。 タイトなスケジュールだったが、自分としては、とても実りのある知見や、よい人たちとのコネクションをもつことができたなぁ、と思っている。この領域は、今が立ち上がり時期である。研究的には、かなり気合いをいれなアカンな、と思った。プロジェクトが始まる前に、謙虚な気持ちになることができてよかった。 この調査旅行の結果は、来月のBEAT(東京大学大学院ベネッセ先端教育技術学講座)の公開研究会で発表される予定である。お楽しみに!
下記はお写真集である。
2004/09/13 名刺にまつわる話 社会人になったら避けてとおれないのが、名刺交換という慣習である。日本人は、誰かに会った場合、一番最初に必ず名刺交換をする。僕の場合、一年間で400枚-500枚くらいの名刺を交換している。 ちなみに、会議の「最初」に名刺を交換するというのは、日本の習慣。アメリカの場合は、最初には交換しないことが多い。 話をして、「こいつと今度連絡をとって話してみたいなぁ」と思ったら、交換する。名刺交換は終わりになされることがおおいかも(もちろん一概にはいえないが)。名刺交換がおこるかどうかは、自分が相手にどのように思われたのかをはかるよい指標になる。 日本人はアメリカにきても、会議の冒頭ですぐに名刺を交換したがる。だが、これが通じるのは、日本のことを知っている人に限られると思う。その他の人だったら「ちょっと変だなぁ」と思うのだそうだ。気を付けたい。
ちなみに話は飛ぶが、僕は大学生になったら、みんな名刺をもつべきだと思っている。院生は必須。サークル、勉強、研究...何でもいいけど、少しでも大人のいる場所にでると、名刺交換を求められる。 はやいうちから名刺をもって、スマートに交換できるようになったほうが、その人のためであると思う。 否、正確にいうと、大学生は、名刺交換が行われる場所、名刺が必要になる社会的関係に、少しでもはやく積極的に関わった方がよいのだと思っているのかも知れない。「大学は4年間有効のレジャーランド」「やってることは昼はサークル、夜はバイト」なんて、もう流行らない。アタリマエのことだけど、そこは勉強するところであり、人に出会う場所であり、社会につながるための場所である。
そういえば、また話がブットブが、先日アッチャンの日記で、「名刺を2回もらう」ということの悲哀が書いてあった。一度名刺を交換したことがあるのに、「もう一度交換する」ということは、相互に印象が薄かった、ということである。 自分の名刺を、同じ人から2度求められたくはないものである。 2004/09/12 近況 論文を1編脱稿。長い間書いては眠らせ、眠らせては書いていたものだけに嬉しい。ようやく、これで終わった。今は晴れ晴れした気分である。
このページでも紹介していた、東京大学大学院 ベネッセ先端教育技術学講座の公開研究会「ケータイと教育の未来」が、100名以上の参加者にめぐまれ、大変盛会だったとのニュースを聞く。とても嬉しい。
ユーリア=エンゲストロームらが講演を行ったシンポジウム、日本質的心理学会に参加した何人かの人から感想を書いたメールをもらう。とても盛況だったそうだ。参加できなかったことが悔しい。 特にユーリア=エンゲストロームの理論については、エティエンヌ=ウェンガー、ジーン=レイブらの理論との差異について、メールで「話す」。 思うに、理論とは「虫眼鏡」である。すべてを説明するグランドセオリーとは、なかなか見いだせるものではない。何かを見ようとすれば、何かを見落とす。要は、自分が何を見たいのか、何を描き出したいのか、否、何を見て何を描き出すことが社会的に価値あることなのかを考えることが、先決であると僕は思う。
明日からイギリス、フィンランドに出張。m-learning(モバイル端末を活用した学習)に関して、さまざまな関係機関を回る。とても楽しみではあるが、なにやらイギリス、フィンランドは相当寒いようである。何を隠そう、隠してないけど、僕は超末端冷え性である。ババシャツをリュックにつめた。 そして人生は続く。 2004/09/11 お手ふきよこせ アメリカに暮らしていて、どうにも理解できないことは、たくさんある。 「毎日朝っぱらからハンバーガとフライドポテトをニコニコ顔で食う」とかね、そんだけ無理してさ、僕が、アメリカ人に媚びたとしても、「おいおい、これは理解できなんぞ」っていうことが、たくさんあるわけです。 そのひとつにさ、レストランで「お手ふき」をくれないってのがあるわけ。日本だったら、必ず「お手ふき」くれるじゃない、ぬれタオルとかさ、食べる前に。だけどそれがない。理解できないんだよねぇ。 ていうか、汚いってーの。オレの手だけじゃないだろ、こ汚いのは。オレの「手」のセンサーはかなり敏感に反応してるぞ。日本にいるときよりも、カベとか、公共施設のソファーとか、確実に汚れてる、手がベトベトすることが多いです。オレの手は騙されんぞ。 たとえばさ、どこのレストランにいったって、サイドディッシュでパンは絶対にでてくるわけよ。このパンをさ、ナイフとフォークで食うアホはいないわけで、必ず手で食べるよね、でも、手をふくものがないんです。 僕はハッキリ言って、「お手ふき」にはうるさいからね、しょーがないからさ、いっつもレストランに入ったら、まずトイレにいって手を洗う、という。なんか変だよなぁ。 ベッドに靴脱がないで入るってのも理解できないけど、それはさ、僕がしなければどうでもいいわけで、「お手ふきがないこと」の害に比べれば微々たるもんよ。 どうでもいいけど、メシ食う前には、手ぐらい、ふけってーの。 2004/09/11 出逢い 今日、リーガルシーフードのバーカウンターで食事をしていたら、前に座った人と目があって、しばらくとりとめもない話をしていた。 彼は、Dept. of Justiceで法律顧問として働いている黒人男性。彼の高校生の娘が、このところ急に日本語に興味を持ちだしているらしい。最近、彼女は個人チューターを雇って、日本語を勉強しているのだという。 僕が「I'm wondering why she wants to learn Japanese(なんでまた彼女は日本語を学びたいんだろう?)」と聞いたら、「そりゃ良い質問だ、ていうかオレがなんでか知りたいよ。親の僕も全く理由がわかんないんだ。急に日本のことを知りたいとか、日本語を学びたいとか、日本に行きたいとか言い出したんだ」 たぶん、恋愛がらみではないかなぁ、と一瞬思ったけど、敢えてそのことは口にださなかった。たとえば彼氏が日本にいくとか、あるいは、いるとか、日本語を学んでるとか、日本のコミックが好きとか・・・。 食事をおえ、帰る段になって、「名刺を交換しませんか」と言われた。喜んでという感じで、僕は名刺を渡した。彼の娘は、近いうちに日本にくることを計画しているのだという。そのときに相談にのってほしい、と言われた。 「もし彼女が日本にくるとか、あるいは日本のことで質問があるということならば、可能な限り、僕は相談にのるよ」と言った。なぜだか知らないけれど、この言葉はスラスラとでてきて、自分でもびっくりした。ここに来る前の僕なら、決して、こんなことは言わなかっただろうな、と思った。 僕の滞在期間は残り35日。この数ヶ月、ここで僕はいろんな人たちに出会い、優しくしてもらった。そして、かけがえのない経験をした。もし、日本について学びたい、と思う人がいて、その人が僕に連絡をくれるなら、次は、僕がお返しをする番だ。 異国の地にて、微笑みかけられること、声をかけられること、手をさしのべられることが、どんなに嬉しいか、どんなに心の支えになるか、今の僕には痛いほどよくわかる。「なんつって」かもしれないが、僕はフルブライターである。出来る限りのことはしたい。 2004/09/10 お前、命かけてやってんのか? 松岡君のことは、この日記でも何度も紹介した。フリーライターを生業として、現在、「西宮市に映画館をつくること」を目的に、多くのワカモノたちを集め、活動している男の子である。
その彼の日記の中に、下記のような言葉がでてきた。本当に彼は時々ドッキリとさせることを日記に書く。
どういう文脈ででてきた言葉か、詳しいことは知らぬが、彼が他の人に投げかけられた言葉らしい。この言葉は、彼の心に突き刺さったらしいが、同様に僕の心にも深く突き刺さった。
やってきたとも言いたい気もする。なりふりかまわず走り抜けてきたような気もする。しかし、同時に「ぜーんぜん足りてません」「この人、、なんつってでーす」とも言えるような気がして、不安になる。本当に不安だ。 こんな夜は、誰かに聞きたい、そして確かめたい。でも、きっとそれは安直な解決だろうし、僕の感情をスッキリさせるだけで、問題の本質から逃げているとしかいいようがない。 自分で考えなければならぬことを、人に聞いてはいけない。
2004/09/09 インタビュー 先日、永岡先生@早稲田大学、植野先生@長岡科学技術大学が、ボストンにいらしゃった。MITの「ICTと教育」の研究者とのミーティングを僕がオーガナイズした。自分的には学びなおしたことが多かったが、びっくりしたのは、少し前にインタビューしたときと、また状況が変わっていることにあった。本当にこの世界は動きが速いなぁ・・・と思った。英語もかつてインタビューをしていたときよりは、やはりマトモになっていることがわかって、少し自信がついた・・・またこの自信、崩れるんだろうけども。 以下はそのときのメモ。 ----- ■ヴィジェイ・クマー博士とのミーティング Vijayは、OKIプロジェクトのMIT側の総責任者。 □OKIの概要 □OKIの効用 ----- ■アン・マーギュリーズさん アンさんはOCWプロジェクトの最高責任者。 □8月16日現在、Open Course Wareの評価レポート ----- ■スティーブ・ラーマン先生 ラーマン先生は、SMAプロジェクトのDupy Directorをつとめる。この日は、SMA2プロジェクトの内容について議論。 SMA2プロジェクトでは、シンガポールの学生がMITの学位、シンガポールの大学からの学位をダブルで取得できる。かかる期間は、1年+1Semester。 SMA2プロジェクトでは、ライフサイエンスが6つめの教育プログラムとして加わる。より競争的な教育プログラムになる予定。 他の国がMITに同様の話を持ってきた場合、MITはどのように対処するかを聞いた。1)MIT側にファカルティの数が増えないこと、2)ファカルティの時間と余裕がないことから、他の国への対応は難しいことが予想されるとのこと。 SMAプロジェクトの授業形態が、講義形式で両地点での相互作用が少ないことについて聞いた。それは遠隔教育だから、ということもあるが、最大の理由は中国の学生が「インタラクティブな授業を好まない傾向がある」ということにあるらしい。先生にものを述べることを彼らは、「Impliteである」と判断しがちであるとのこと。それを変えるためにオリエンテーションなどを行っているが、なかなか難しい。 MITの教授の場合、研究のかたわらでビジネスをおこすのは日常茶飯事。SMAプロジェクトでは、こうしたアントレプルナーシップを学生たちに伝えている。ちなみに、MITでは、教授が外で仕事を行うと1年に一度「Outside Professinal Action」というレポートを、学部長宛に提出することになっている。このレポートには、外での活動時間、収入を記載しなければならない。そのレポートによって、「どの程度外での活動を行うべきか」について学部長から指導が入ることがある。また、教授が外部で活動を行う場合、MITと競合するような事業は行ってはいけないことになっている。 ■iCampus Project(マイクロソフトとMITのプロジェクト) MITとマイクロソフトリサーチの共同研究である、iCampusプロジェクトの概要、研究内容についてブリーフィング。 ----- ■TEALプロジェクト 協調学習クラスルームで実施される、フレッシュマン向けの初等物理学を見学。 2004/09/08 チャータースクール 2001年に施行されたブッシュ大統領の教育政策「No Child Left Behind Act」については、去年、このページでも取り上げたことがある。
No Child Left Behind(オチコボレをなくそう)とは、1)子供たちに定期的に学力テストを受けさせる。ほんでもって、その結果を公開し、2)親に学校選択の自由を認めさせる。3)成績の低い子どもには補習授業の受講機会を提供する。4)アチーブメントの低い学校は、段階的にスクラップ&ビルドを進めていく。そうしたことによって、基礎学力の習得さえままならぬ米国の子どもたちの基礎学力を向上させることをねらっている教育政策である。 前にエッセイに書いたとおり、No Child Left Behindは、教育テスト業者をはじめとする教育産業を活性化させた。そのほか、チャータースクールとよばれるたくさんの学校を生み出すもとになった。 チャータースクールとは、学校をつくりたい親や教師、教育関係者、企業が州や政府にプロポーザルを提出し、契約(チャーター)を取り結ぶことによって公費で運営される特殊認可の学校である。これまでの公教育のあり方とは、微妙に異なったかたちの学校運営となっている。 以下、「諸外国の教育動向 2002」文部科学省の資料によると、チャータースクールに関しては、既に下記のような指摘がなされているようである。
要は一言でいうと、公教育とは異なる方法で教育を運営したからといって、それが「即」、教育の改善につながるとは限らない、ということであろう。これは、アタリマエのことだ。公教育の力が万能でないのと同じように、民間に力だって万能ではない。 しかし、同時に、こうしたニュースだけで、こうした試みに意味がない、と結論づけてしまうのは、非常に性急すぎる。 チャータースクールは、もともと異なる主体によって運営され、教育目標も異なっている学校群である。そうであるゆえ、かつての学校よりも当然アチーブメントのクオリティもばらつきがでてくる。要は、スバラシイ理念と教育方法を有している学校と、そうでない学校には差があるのではないか、と予想される。 まして、チャータースクールは本格的につくられてまだそれほど月日がたっているわけではない。それが数字になって結果としてあらわれてくるには、より時間がかかる。さらに決定的には、チャータースクールがつくられるのは、貧困などの原因によって、もともと低い学業成績が問題になっていた地域であることはよく知られていることである。そうであるとするならば、チャータースクールの真価が問われるのは、これからであるような気もする。 いずれにしても、チャータースクールの動きに関しては、今後も注視していく必要がある。なぜなら、チャータースクールの是非に加えて、その背後にはチャータースクールの成否を利用して、「教育は公のものであるのか、それとも民間に委ねるべきものなのか」というポリティクスの攻防が、容易に想像できるから。とりもなおさず、そうした議論を冷静に注視することこそが必要である。 いずれにしても、また、実際のところそれはどのように運営され、どのような葛藤や問題が内部から生まれ出てくるのかについてのリサーチが必要になってくると思った。 2004/09/08 コウフクについて 幸福について 武者小路実篤や、ショーペンハウアーなど、多くの知識人が、このテーマのもとに、著作を発表してきた。「幸福について」は、多くの人々が時にぶつかる問いであり、そして決して一義に答えを求めることのできない永遠の問いなのかもしれない。 --- 先日、ある人とそのテーマについて、夜遅くまで話した(大学生みたいだ!)。 少なくとも僕が話したそのことは、いにしえの知識人たちが思索にふけった「幸福」ではなく、もしかすると「コウフク」とか「コウフク、なんつって」いうレベルのことなのかもしれない。 しかし、「これから自分たちが、どうしたらコウフクになれるのか」について、僕なりの考え方を話してみた。非常に楽しかった。
正直言って、今の僕には、「これがコウフクだよなー」と判断する可能性のある状態が、いくつか想像できてしまう。しかし、その中から、「これこそがコウフクだよなー」と断定できるほどの自信は、いまだない。僕の「コウフク」はまだ浮遊している。 考えれば考えるほどわからなくなって、問いがどうどう巡りになりかけた頃、僕らは話すのをやめた。実はその瞬間に瞬間に、ひとつの考えが浮かんだが、それを口にださなかった。それはここには書かない。 でも、口にださなくてよかった。 2004/09/07 ボストン日本人研究者会 昨日、ボストン日本人研究者会で発表を行った。「遠隔教育と大学」に関する発表である。 発表内容は、米国や海外大学のeラーニング最新動向を解説したあとで、今後、ニッポンの大学、あるいは、ニッポンの高等教育がどのような課題をもつことになるのか、についてであった。 この会には、ボストン界隈の大学、Harvard Universityや、MIT、Massachusetts General Hospitalなどで留学している多くの研究者の方が参加している。 おかげさまで、何とかかんとか、無事に発表をすませ、参加者と懇親会へ。何人かの人から「今日は楽しかった。大学のこを考えてみたくなった」という感想をいただいた。お世辞であることは十分承知しているが、嬉しかった。そして、同時にホッとした。 この研究会をボランティアで主催しているMITの吉積さんには、発表の機会をくださり非常に感謝している。本当にありがとうございました。ボストンで留学することが決まった方は、是非、この研究会に連絡を取ってみて欲しい。 2004/09/06 パッション 僕が渡米して少したったくらいに話題になっていた映画「パッション・オブ・ザ・キリスト」をビデオで見た。 メルギブソンが私財27億円をなげうって監督したこの映画、残虐な描写がテンコモリということを聞いていたので、これまで見るのを少しためらっていたのだが、数日前に、ある人に感想を求められたのがきっかけで、見ることにした。
ちなみに、僕は「怖いもの」「暴力的なもの」は全く好きではない。夢にでるから嫌い。小さい頃、みんなは「仮面ライダー」とか好きだったかもしれないけど、僕は大嫌いだった。かならず、その日の夢は悪夢になるから。それよりは、「花の子ルンルン」とかの方がよっぽどいい。僕はそういう子どもだった。
「パッション」 - 聞きしにまさるスプラッター系だった。「キリストが死ぬまでの12時間」を容赦なく再現することを目的にしているだけに、本当に「as it is」という感じである。飛び散る血しぶき、肉片。腕と足に打ち付けられる杭。何度目をそむけたことだろう。 しかし、見たあとで、非常に重苦しい問いがおそってきた。否、それは異常なほど月並みな問いなのかもしれない。しかし、僕にとっては、なんだかいいようのない重さをもった問いでもある。 果たして、宗教とは誰がために、なぜあるのか このことは以前、セーラムに遊びにいったときにも思った。セーラムは魔女狩り裁判によって数十名が殺されたという曰く付きの小さな街である。そこでは、無罪の人々が宗教の名に殺された。アメリカの魔女狩りはまだマシだという話もある。なぜなら、ヨーロッパのそれは数万人という単位であったから。 そういえば、魔女狩り裁判の詭弁というのを昔聞いたことがある。魔女の疑惑をかけられ、無実のままに激しい拷問にあった哀れな人々に、裁判官は話しかける。
この問いに対して、「Yes」と答えるならば、その人はすぐに「魔女」ということで火あぶりになる。しかし、たとえ「No」と答えたとしても、彼女は救われない。
要するに、すべてが決まっている。
武藤さんによれば、彼の知り合いのある敬虔なクリスチャンは、この映画を見たあとに「感動した」という感想をもらしたのだという。正直にいって、僕はこの映画で全く感動しなかった。 しかし、僕の心にのしかかる、この問いは、ちょっぴり重い。 2004/09/05 秋の足音 MITのオフィスにむかって、自分のマンションを1歩でる。その1歩を踏みだす瞬間、まさにその一瞬に、僕は、最近、いつも「秋」を感じる。半袖にひんやりと感じる風。そして、そうであるにもかかわらず、快晴の空。その「青すぎる空」に僕はどこか欺瞞を感じる。 マサチューセッツ通り沿いの木々を見るがいい。多くの木々はまだ青々とした葉をたたえているものの、いくつかの木の葉にはほんのりと黄色や赤色がのっている。 道行く人を見るがいい。多くの人々は半袖ではあるが、彼らの皮膚は、あのうだるような暑さのときとは違って、涼しさのおかげで、より引き締まって見える。 ボストンの短い夏が終わろうとしている。 夏の終わり - それは新しい学習の季節のはじまりでもある。 2004/09/04 信頼 昨日、酒井君、荒木さん@ともに東京大学情報学環らとやっている研究会で、「信頼」のことが話題になった。「信頼」がいかに「知的創造」に意味があるのか、という文献をちょうど読んでいたのである。当日は、実際のところ、アメリカ人と日本人、どちらが人を信頼しやすいのだろうか、という話になった。 「信頼」に関する研究としては、北海道大学の山岸俊男先生の著書「信頼の構造」があまりに有名であり、僕自身もはじめて読んだときは衝撃を受けた記憶がある。 山岸先生の指摘をまつまでもなく、「信頼」が低下した社会では、様々なコストを支払わなくてはならない。 たとえば、官僚制度はその典型的な社会機制であり、過度のドキュメンテーション、専門分業化、ローテーション、階層構造の命令関係という様々な官僚制の構成要素の背後には、「人間は信頼できない動物である」という人間観が見え隠れしている。 僕自身は、こちらにきて、「アメリカ人は、よー初対面の人を信頼して、すぐ見知らぬ人に突撃面会するよなー」と思ったことが何度もあったので、「アメリカは高信頼社会である」という仮説に一票を投じたくなった。 しかし、よく考えてみれば、同時にアメリカは「マニュアル社会」でもある。酒井君の指摘か荒木さんの指摘だったか、どちらかは定かではないんだけど、アメリカ人が「マニュアルを過度に信頼する背景」には、「人間は信頼ならないやつだ!」という人間観があるのではないか、ということであった。研究会では、こういう事例をいくつかとりあげ、あーでもない、こーでもないと言い合った。結局、結論はでなかったけど。 もちろん、僕らは「信頼の研究者」ではないから、これに結論をつけようとは思わないし、それは不可能である。しかし、それはパーキンスが指摘するまでもなく、知識創造の根幹をなす要因であることは間違いなさそうである。 2004/09/03 甘くねぇな このまえ書いた英語論文の要約を、研究室のセンベンさんに見てもらった。お昼時のセンベンさん、少しご機嫌だったので、これはチャンスと思い、たぶん5分くらいで終わるだろうとタカをくくって、気軽に「ちょっと見てくれる?」と頼んだ。 結局、校正が終わったのは1時間後だった。終わる頃には、ちょっとお疲れモードに入ったセンベンさんがいた。そして、全く僕が書いたとは思えないようなエレガントですっきりした文章が・・・。センベンさんゴメン、そしてありがとう。 僕の英語力というのは、結局、その程度のものである・・・ため息、正直、それはでてしまう。 こういうことがあると、来た最初の頃なら、超ディプレスドだろうが、もう200日以上もこちらで過ごしていると、それほど落ち込まない。しかし、アカデミックで流通する英語に直すためには1時間かかってしまうくらいの幼稚な文章を、自分が書いていると思うと、イヤにはなる、僕が。 決して文法が間違っているわけではない。助動詞だって、時制だって、そこそこ適切に使えているとは思う。しかし、「なんとなく変だなぁ・・・sounds wiered」っていう文章なのである・・・きっと、余計にタチが悪いんだろう。 センベンさんも「うーん、なんていったらいいのかな、書き方とかスタイルの問題といえばそうなんだけど・・・でも違うんだよなぁ、なんかおやって思うんだよな・・・たぶん、こうは書かないだろうな」と言っていた。トホホ・・・。 英語、甘くねぇな。 2004/09/02 残り45日をきった! 早いモノで、僕の米国滞在も残り45日をきった。僕のノートコンピュータのデスクトップのはじっこの方には、「残り○日」が表示されているのだが、このところ目をそちらの方にむけていなかったせいか、気づいたときにはハッとしてしまった。 今回の滞在で僕に許された時間は、270日。既に、225日が経過したことになる。早すぎる・・・。定期的に自分の課題をチェックしているものの、まだまだやり残していることはたくさんあるし、英語の課題もとてつもなく、黒部ダム並にデカイ。 ここは腰を落ち着けて、ドカッとひとつのことに取り組みたいのだが、しかし、このところ、プレゼンやら、出張やら、論文執筆やらで、インタビューやら、帰りの飛行機の手配やらで、かなり忙しい。テレビ会議も相変わらずで、明日などは早朝と夜に予定されている。 月並みな言葉だが、残り45日、後悔のない時間を過ごしたい・・・。 |
NAKAHARA,Jun
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