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" In the mirror " by Miwa
2004/08/31 その頃 先日、自分のコンピュータに入っている音楽ファイルを、適当にクリックして聞いていたら、あることに気がついた。 僕のコンピュータには、数多くの洋楽がエンコーディングされているのだが、その音楽がリリースされた年に偏りがあるのである。自分のコンピュータに収録されているファイルを、年代順に並べて調べてみると、なぜか、洋楽ばかり聴いていた年が何となく推察できる。 どうも僕が洋楽を聴いていたのは、1)小学2年生の頃、2)小学6年生の頃、3)高校生1年の頃、4)大学2年生の頃に集中しているようである。 たとえば、1)の小学2年生の頃に聞いていた洋楽は、圧倒的にビートルズである。これは、イトコの「たーちゃん」の影響によるところがたぶんに大きい。彼の大好きだったビートルズを、彼を尊敬してやまない僕も、当然のように好きになった。一子相伝、北斗神拳のようだな(笑)。 2)の小学6年生の頃には、マドンナ、シンディ=ローパー、スティービー=ワンダー、ボン=ジョビ、U2、カイリー=ミノーグや、ケニーロギンス、マイケル=ジャクソン、デッド=オア=アライブ、ヴァン=ヘイレン、フィル=コリンズなどを好んで聞いていた。 これは、僕がステレオセットに凝っていた頃である。当時の僕は、いかにFMラジオから音質よくカセットテープに録音できるか、について日々研究していた。ipodの普及し、音楽はすべてCD音質に近いものをボタンひとつでダウンロードできる今となっては、考えられない「課題」であった。 その頃の僕といえば、「録音レベルを効果的に設定する方法」とか、「ドルビーBとCとHX PROは何が違うか」とか、「単品デッキをおくときには、スタビライザーをどのようにつければよいか」、「お金がないばあい、スタビライザーの代用になるものには何があるか」といったような話題 - 要するに、僕らはステレオオタだったのだ - にとりつかれており、「たーちゃん」と、「あーでもないこーでもない」といつも話をしていた。たーちゃんには、「ビートルズ」のみならず、「音質」について徹底的に影響を受けた。 あと、思い出すのはフィル=コリンズは、当時、僕が好きだった女の子がよく聞いていた曲である。彼女がNHK旭川局の「ある番組」のファンである、ということを知った当時の僕は、その番組にフィル=コリンズの楽曲をリクエストしたことがあった。いつものように番組を聞いていると、自分のリクエストした楽曲が流れた。そのときの気恥ずかしさと後悔 - 「ヤベー・・・アカン、ホンマにやってもーた・・・」は、今でもはっきり覚えている。 今から考えると、「おませ」な僕も僕だが、小学6年生でフィルコリンズとは、彼女も相当渋い趣味をしてるなと思う(笑)。まわりの女子(敢えて、ジョシと呼ぼう)は、「ヒカルゲンヂ」とかでキャーキャーしているのに。 3)高校生1年の頃になると、趣向がまた変わる。この頃には、ロクセット、エイス=オブ=ベイスなどを聞いているのがわかる。 そして、大学2年の頃には・・・趣向は一転し、当時行っていたクラブで聞いていたラップ・ヒップホップ系に変わる。この頃僕の大ブームは、2pacや、WarrenGなどである。何だか、一気に「脱力系」だな・・・。 --- その頃の自分がどんな思いで、その楽曲を聴いていたのか・・・そのことを考えたら、「随分、年が過ぎたんだなー」と思った。 僕のコンピュータには、今でも、「その頃」がつまっている。 --- 追伸. 滞在期間も残り少なくなってきたので、カミサンが「記念だから」と、MIT / ハーバード近郊で写真をとってくれました。もう少しで、オレ、帰るんだなぁ。
2004/08/30 飲み過ぎ注意報 ちょっと前のことになるが、教育NPOにつとめるイベッタさんと、今年からハーバード教育大学院に通う武藤さんに声をかけ、うちでささやかな夕食を食べた。 カミサンがつくった和食をつまみながら、4人でいろいろな教育のことを話した。僕自身は、なんだかその日はかなり飲み過ぎてしまい、「拙さ1000%の英語」ではあったが、自分の教育研究の「夢」らしきものを語ってしまった・・・ような気がする・・・またやってしまった・・・。 うちのカミサンとイベッタさんは、例のごとく、日本のKids show(子ども幼児番組)ネタで盛り上がっていたようだ。 カミサンは、昨日、帰国の途についた。イベッタさんには、kids show関係の雑誌や論文、そしてそこで働く人を多く紹介してもらった。盛り上がっている2人を見ながら、「この関係が帰国後も続けばよいな」と思ったことを・・・ぼんやりと、覚えている。 2004/08/28 MIT学長 今、あることが学内で話題になっている。MITに、創立以来はじめて女性の学長(プレジデント)が誕生したことである。 前任者であるチャールズ=ベストは、学長職を14年つとめた。彼の業績としては、連邦政府のMITに対する研究予算を大幅に引き上げたことなどがあると言われている。また、OCW(オープンコースウェア)やSingapore MIT アライアンスなど、様々な教育がらみのプロジェクトも彼の強い後押しによって成功した。 チャールズ=ベストの後をついだのは、スーザン=ホックフィールド博士である。ホックフィールド博士は、ローチェスター大学で学部時代を過ごし、ジョージタウン大学にて生命科学の博士号を取得。その後、エール大学のファカルティ、学部長、副学長などを歴任し、今の地位をえた(自分の大学出身者から学長を選出せず、優秀な人物であれば、他大学からであっても引き抜くというのは、さすがはアメリカという感じがする。)。
みんなが話題にしているのは、もうひとつ理由がある。むしろ、そちらの方が話題になっていると言ってもおかしくない。「力ある人が責任ある立場につくのは当然だ」と思っているところがあるから、学長が女性であるかそうでないかで話題はあまり続かない。それよりも興味深いこと、それは、「工学の王国」のようなMITで、はじめて生命科学出身の研究者が学長になったことである。 MITが「バイオテクノロジー」に力をいれていることは、前に日記でしたと思う。日本でも最近はそうだと思うが、こちらの大学での「学長の権限」は、非常に大きい。彼女の学長選出は、今後のMITの研究をうらなう意味でも興味深い。 2004/08/27 チャールズホテル 例のごとくボストンの美味しかったレストラン紹介。今日のレストランは、チャールズホテル内にある「RIALTO」
その日はアペタイザーに「ソフトシェルクラブのフライ、ハーブのサラダあえ」、アントレには「ポークのテンダーロインステーキ」と「シーフードトマトシチュー」を注文。特に感動したのは、「ソフトシェルクラブのフライ」。甲羅ふくめてカリカリとすべてを食べることができ、クリスピーでとても美味しかった。値段はアペタイザーで15ドル前後、アントレが20ドルから30ドル。しかし、最初から最後まで裏切られることはなかった。予約はしていった方がよいと思う。 2004/08/26 Time to say good bye 少し前のことになるが、休日、カミサンとラスベガスに出かけた。彼女は、もう数日後に帰国する。この3ヶ月間彼女が通っていた学校が、先日ようやく終わったので、「最後のお楽しみ」ということで、週末に旅行することにした。
ラスベガスといえば、カジノが有名だが、お金もあまりないので、25セントや5セントのスロットでしこたま遊んだ。1$以下の金額ではあるが、チリもつもれば山になる。結局、かなりの額をすってしまった。 今回のラスベガス訪問で、僕らが最も楽しみにしていたのは、ショーを見ることであった。各ホテルが目玉にしている無料ショーやアトラクション、シルクド=ソレイユのショー、レビューショーなど、十分に堪能した。 シルクド=ソレイユのショーは、「O」を見た。「O」がこれまでのシルクド=ソレイユのショーと異なるのは、「水」を演出に取り込んでいるところにある。仕掛けがふんだんに盛り込まれた水槽に、シンクロナイズドスイミングと体操を組み合わせた演技が展開する。 水に注目した演出のオリジナルティは高く、その芸術性は圧倒的である。 ラスベガスでは、ベラッジオというホテルに泊まった。このホテルは、噴水ショーでとっても有名なホテル。 噴水ショーは、正直言って圧巻だった。特に、アンドレア=ボッチェリとサラ=ブライトマンが歌う「Time to say good bye」にあわせて水が噴き出しているのを見たときは、「綺麗だなぁ」、心からそう思った。 2004年、夏の思い出の一コマ。 2004/08/25 専門職 今、機内でこの日記を書いている。とある空港で離陸前にサンダーストームにあい、4時間のディレイ。ようやくテイクオフしたこの便は一路、目的地をめざしている。 30%の「諦め」と70%の目的地への期待が支配する機内で、僕は、今、ある雑誌を読み終えたところだ。リクルート ワークス研究所の雑誌「WORKS」の6月-7月号(No.64)である。 日本では、もう既に次号がでているのかもしれないが、先日、ようやくアメリカに転送してもらった。 この号で最も興味深かったのは、「企業内プロフェッショナルの時代」という特集であった。この特集は、「最近の企業が専門職人材の獲得、そして育成に積極的になりはじめたこと」に焦点をあてている。 この特集に掲載された記事のうち、特に東京大学教育学部の矢野眞和先生の記事は、とても興味深かった。
この記事によれば、「専門職に参入するための障壁としては、教育年数(いわゆる学歴)が最も高く、その所得は学校教育と職場経験によって上昇する度合いが高い」のだという(矢野 2004)。 要するに、専門職に就きたい人は、就業前にもしっかり勉強し、就業後にもやはりキチンと職場で経験を通して学び続ける必要があるということであろう。そして、今後の企業はこうした人材を獲得し、育成していくことの仕組みづくりを行う必要があることは言うまでもない。 また矢野先生はこのような指摘も行っている(文脈により筆者加筆・補足)。
わずか9ヶ月の短い滞在であるが、その僕の実感をもってしても、米国の労働者の間に対する、この「非対称な関係」を如実に感じることができる。そして、米国のような2極分化した労働形態となることを積極的に避ける施策を、すみやかにインプリメントしていくことが重要であると思う。 このほか、本書では「ナレッジワーカーと組織」という特集も組まれていた。先ほどの特集でいうところの「専門職」が、今、どのような就業を望み、企業はそれにどのように答えようとしているか、を扱った特集であった。 記事によると、いまや北米では「知識労働を支えるナレッジワーカーたちは、企業への忠誠や規律への従属を避け、フリーエージェント化していること」を扱っている。この類の話は、数ヶ月前に読んだトマス=マローンの近刊にも触れられていた。 --- 専門職をめぐって、教育のあり方が揺れ、そして労働者の関係が変わろうとしている。その動きの背後で、教育を専攻する僕には何ができるだろうか。 残り1時間のフライトは、そのことを考えてみようと思う。 2004/08/24 寄附 アメリカの文化や教育を支える原動力のひとつになっているものに、篤志家や企業などによる「寄附」という行為があるように思います。大学、博物館、美術館はもちろんのこと、様々な文化教育活動、事業、施設が、様々な「寄附」によって支えられているようです。 たとえば、あなたがボストンポップスのコンサートにいくとしましょう。ボストンのシンフォニーホールには、入り口をはいったすぐのところに、寄附の感謝プレートがあります。寄付額に応じて、いろんな人たちの名前が黄金のプレートに刻まれている。 アメリカの大学の場合、講座や研究室自体が、寄附によって成立している場合も多いですね。その場合は、教授の名前の前に「○○プロフェッサー」という風に、名前がついている場合があります。 音楽施設や大学ばかりでなく、美術館や博物館も同じですね。展示室や閲覧室の中には、人名がついているものがありますし、そもそも展示品自体が寄附されている場合もあります。 この他、各種の財団、たとえば「ヒューレット財団」や「カーネギー財団」のおこなっている「研究・事業助成」も「寄附」のいっかんとみなせば、さらに範囲が広がりますね。これらの財団は、本当に数多くの文化事業、教育プロジェクトに資金を提供しています。 たとえば、MIT Open Course Wareの主たる財源は、財団からの助成ですし、先日NYでお逢いしたカレンさんによると、Blue's Cluesの番組制作も莫大な助成金によってまかなわれていたそうです。 日本の文化教育関連施設でもある程度の額は寄附されているのかもしれません。でも、どこかに行って「あー、これって寄附でできたんだ」と気づかされる頻度が、圧倒的にアメリカの文化・教育施設を利用しているときの方が高い、というのが僕の実感でしょうか。というのは、「これは○○からの寄附によるものです」「このプロジェクトは○○からの助成によるものです」という記述を至る所で目にするのです。こないだ出かけた公園のベンチでさえも、名前が記してありました。 よく言われることですが、アメリカの場合、ある程度お金に余裕ができた人は、次に社会貢献を行って「名前を残す(名誉を残す)」ことを考えると言います。また、企業の社会貢献活動も重視されていて、評価指標になっていると聞きます。もちろん、これらの人や企業が何の理由なしに、これらの尊い活動を行うのではないのであって、その背後には政府の行う税制優遇があるようです。 しかし、寄付の活発さを支えるもうひとつの要因として、僕たちが注目したいと思うことは「寄附される側の非常なシビアな競争」ではないかと思うのです。このことは、昨日ご紹介した菅谷さんの御著書「未来をつくる図書館」にも触れられていることですが、アメリカの教育・文化施設は、どこかの篤志家や企業の「寄附」を「口をあけて待っていること」はないということです。むしろ、大きな施設には、資金を集めてくる専門職がいて、積極的に自らの施設の活動をアピールし、篤志家や企業をまわったり、イベントを行ったりして、寄附をつのる。 あるいは、あなたが教育NPOなどに勤務する専門職である場合には、グラントの募集を虎視眈々とねらうことになる。頻繁に、助成団体の担当者のもとに出向き、彼らの興味関心をさぐりつつ、魅力的なプロポーザルを作成する。 寄附という自発的な行動の背景には、寄附される側の積極的なプロモーション活動と、激しい競争があるということが重要ではないかと思うのです。 寄附がふんだんにあればいいってわけじゃない。寄附の背後に競争があり、それを最大限活かすかたちで運営される。もちろん、政府もそうした寄附をうながす戦略的な税制措置をつくる。そうしたビミョーなバランスの上に、活力ある文化活動や教育活動が展開されるのではないか、と思うようになりました。 --- ふりかえって、寄附という観点からすると、日本の文化・教育施設は相当に疎いのではないかと想像します。もちろん、僕はその実態を知りません。来館者として、あるいは学習者としてそうした施設や事業にかかわる限りにおいて、その背後に「寄附」を感じることが少ないという意味です。 もし、それが事実である場合、その理由を「篤志家がいない!」だとか「企業は金儲けばかりしている!」という風に非難するのは簡単なのですが、どうも理由はそれだけじゃないような気もするのです。 むしろ、篤志家や企業を前にして、自分の組織のあり方を説明するプレゼンテーションを行い、「寄附を行いたい」と思わせるだけのアピールを行ってきたのかどうかということ、つまりは「寄附される側の姿勢」も同時に問われるべきではないかなと思うのです。 少なくとも僕は大学のことしかわかりませんので、話を大学に絞ります。 大学の場合、大学教員は、これまでも競争的資金や委任経理金(寄附)をもらうために、そうした活動を行ってきました。こうした活動は、非常に重要視されていますので、今後、さらに加速していくことはあっても、減速することはないでしょう。しかし、こうした活動は、基本的には、自分の研究室、自分の研究を促進する目的で行うものです。「大学全体に対する寄附」を促したり、運営したりする活動ではありません。それは個々の研究者の職務内容を超えていると思います。 それでは、大学全体としてそうした活動を企画・統括・広報する部門がこれまであったのでしょうか。僕自身の狭い経験で恐縮ですが、「寄附を申し込む書類」が準備されていることは知っていますが、大学事務サイドにそのような専門家 - 専門家といわずとも部門がいたという話は聞いたことがありません。 --- 寄附をする側は、自分の寄附が最も役立てられることを望みます。自分が行った寄附が有効に役立てられる可能性の高いところに寄附を行いたいと思うのではないでしょうか。 過去の取り組みから、あなたの行った寄附がどのように役立てられ、その寄附がどのように社会に貢献しうるのかを,「寄附される側」がアピールしあう時代が、日本にも近い将来くるような気がしてなりません。 2004/08/21 孵化器 先日のニューヨーク出張のもうひとつの目的は、ジャーナリストの菅谷明子さんから、「ニューヨークにいった際には是非!」とオススメいただいていた2つの図書館を訪ねることにありました。ニューヨーク公立図書館の分館である「舞台芸術図書館」と「科学・産業・ビジネス図書館」です。 前者の「舞台芸術図書館」は、俳優、監督、芸術スタッフなど舞台にかかわる人に利用される専門図書館で、リンカーンセンターの中心部にあります。 後者の「科学・産業・ビジネス図書館」は、起業などを含む新たなビジネス創出をめざす人々の支援を目的にしていて、マジソンスクエアやユニオンスクエアからほど近いところ、要するにマンハッタンのど真ん中に位置しています。 当日は、どちらも多くの人々によって利用されていました。菅谷さんは、御著書「未来をつくる図書館」の中で、これらの図書館が、新たなビジネスや舞台を生み出す「孵化器」として機能していることを指摘していますが、まさに、そこでは日本の専門図書館では考えられないほどの多種多様なサービスが、そこで展開されているようでした。 2004年7月3日の日記で、僕は、「これからの大学はサービス提供機関としてのあり方と公共の知を生み出すあり方、両者のバランスをうまくとりながら、マネジメントされるべきだと思っている」ということを書きましたが、まさにその後者の場として、これらの図書館が既に機能しているようでした。
この2つの図書館については、菅谷さんの御著書に詳しい記述がありますので、興味がおありの方は、是非、そちらをご覧下さい。 この日の夜には、菅谷さんから教えて頂いたJAZZバー「ビレッジバンガード」にいって、とても素敵な時間を過ごすことができました。演奏は、本当に素晴らしかった。
最後に、ニューヨークのステキな場所を紹介して頂いた菅谷さんにこの場を借りて、感謝致します。ありがとうございました。 --- 付記.
5番街からすこしだけ離れたところにあるベトナム料理のお店。「シュリンプとエッグプラントのカレーソースあえ」と「チキンとライスのクレイポット」を注文。アメリカでベトナム料理を頼むと、「とても大味で、巨大な一品」がでてくることが多いが、ここのものはとても繊細。とても満足できた。 2004/08/21 800チャンネルの衝撃 先週末から、NYにカミサンと行ってきました。今回のNY訪問の目的のひとつには「テレビ関係者へのヒアリング」がありました。今回お逢いしたのは、幼児番組「Blue's Clues」にリサーチャーとして関与していたカレンさん、NYタイムズテレビジョンで記者をなさっているカルビンさんです。
カレンさんは、ハーバード教育大学院の修士課程プログラムTIE(Technology in Education)を数年前に卒業し、現在は、Educational Consultantとして活躍なさっています。この日、カレンさんからは、どのような手続きで番組をFormativeに評価していったのかについてお話しを聞きました。現在彼女は、ディズニーチャンネルなどでコンサルティングを行っているそうです。 カルビンさんとは、本当にいろいろなことを話しましたが、僕としては「多チャンネル時代」のトピックがとても印象的でした。 周知のとおり、アメリカは「多チャンネル時代」にとうの昔に突入しています。カルビンさんによると、デジタルケーブルテレビのチャンネルを含めると、いまやチャンネル数は800を超えているとのこと。 専門チャンネルが林立するなかで、どのように他チャンネルと差異をつけ、閲覧してもらうか・・・チャンネルがいくら増えようと、視聴者が見ることのできる「チャンネル」は1つなのです。限られたパイをめぐって、どの放送局も必死です。このような状況下では、「どれか1個でもよいから、あたる番組をつくることが重要」になるそうです。そのために、莫大な予算を1つの番組に選択的に集中させる。1つでもよいから話題になる番組をもつことが重要で、それを持たない放送局は、サバイブできない。 ケーブルでの競争が加熱する一方で、昔ながらのローカル局は少しずつ視聴者を失っていっているそうです。「多チャンネル時代の大競争時代」とはそういうものなのか・・・と不思議な気分になりました。「多チャンネル化」というのは、日本にいたときも知ってはいましたが、実感がなかったからでしょう。 この動きは、いずれ日本でも加速するのでしょう。おそらくは、アメリカや他国でつくられた番組が翻訳されて日本でも放映されるというシナリオで、競争が激化するのではないかなと、根拠なき予想をしてました。 また、所得階層によって視聴するチャンネル数が異なっているということも聞きました。富裕層はデジタルケーブルテレビを導入し、数百チャンネルを見る機会を得ることができる。それに対して貧困層は、35チャンネルに限定される。教育機会、文化資本の観点から、これは長期的に影響を及ぼすのではないかなと思いました。 2004/08/20 ビジネスモデル 先日「2004/08/08」の日記の中で、僕は、「大学のeラーニングを持続的に推進するためには何が必要か?」という問いに対して、下記のようなことを書きました。
これに対して何人かの方々からメールをいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。 その中のひとつに、産業能率大学 経営開発本部 e-Learning開発センターの古賀さんからのご指摘がありました。
古賀さんによりますと、上記の3者に加え「大学経営の中でeラーニングのビジネスモデルが描ける人が必要である」とのことでした。「大学でeラーニングを継続していくことは人的にも金銭的にも大変なことであるから」、そうしたプランニングを行う専門家が必要であるとのことでしょうか。 なるほど、確かにそうかもしれません。 教員やインストラクショナルデザイナーはビジネスモデルの専門家ではありません。eラーニングを持続させるビジネスモデルを構築し、そこに適切な人員を配置していくのは、また異なる職種の人とのコラボレーションが必要になってくるようにも思えます。いわゆるSWOT分析からはじまって、ブランディングなども行わなくてはなりませんね。 思い起こせば、MIT Open Course Wareは、その設立当初、あるシンクタンクに遠隔教育事業の可能性について調査を依頼しました。OCWが立ち上がる当初、MITは、「遠隔教育」という観点からすると、他大学に相当出遅れていたのですね。 他大学とどのような差異をもった事業を立ち上げ、持続的に運営していけるか・・・シンクタンクのビジネスモデル構築の専門家と「ITと教育に見識のある教員」の度重なる会議が開かれることになりました。それによる結論が、「無料で授業素材を公開するという社会貢献活動に特化し、そのための資金を財団から引き出す」であったことは非常に有名なことです。 「はぁ、大学にビジネスモデル?、学問の塔にそんなものは必要ない!」 という意見をお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、僕はそう思いません。確かに日本の大学は「非営利活動」を行っていますが(アメリカには営利大学も数多く存在します)、たとえ、その事業が非営利のものであったとしても、それを「支えて」いくためには、「持続可能なモデル」が必要だと僕は思います。かえって、「非営利活動」の方がビジネスモデルを構築するのは難しいのですが、詳細はここでは述べません。 持続的な推進 - 口にだすのは簡単ですが非常に難しいことです。 しかし、ひとつだけ確かなことは、それは多くの専門家の智恵を結集して、可能になるということでしょうか。 2004/08/19 BEAT第二回セミナー「ケータイと教育の未来」 東京大学大学院 情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座の公開研究会が下記の要領で開催されます。
2004/08/18 Instructional Design 僕のメルマガを御購読頂いている君島浩さん@防衛庁から、先日メールをいただいた。 君島さんは、富士通に長く勤務し、現在は防衛庁にてInstructional Designの研究、実践をなさっている方である。僕と君島さんとは、一度、学会の講演終了後、東京大学工学部にある「松本楼」でお逢いしたことがあった。
君島さんは「ソフトウエア技術者協会」という団体の教育分科会をオーガナイズなさっている一人である。
「教育」や「学習」の観点から「企業」を見つめる研究会はそれほど多いわけではない。残念ながらこの研究会に僕自身は参加したことはないが、HPを拝見したところ、企業訪問やワークショップ、事例研究会など、活発な活動がなされているようだし、そうだとすれば、非常に貴重な会だと思った。 2004/08/17 有名人blog 先日知り合いからこんなサイトを教えてもらいました。
blogが流行をとおりこして、いまや新しいメディアになっているのは周知の事実。それにしても、これからこうした有名人の情報発信は、もっと多くなっていくんでしょうね。 下記は例。 --- --- 感度の高い人のblogは、オモシロイ情報が集まるものです。僕の場合、そういう人たちのサイトはすぐに「はてなアンテナ」に登録して、「何かオモロイことはないかな」と毎日チェックしています。Asahi.comなども公式サイトも当然見ていますが、そういう個人のサイトから情報を得ることも、本当に多くなってきました。 --- しかし、blogといっても、Web日記でも何でもいいんですが、サイトをドカンとつくることは簡単です。しかし、情報を常に更新し続けるのは本当にホネがおれる。 僕はblogこそもっていませんが、その労力というか(それが愉しみでもある)、苦労は想像ができます。有名人blog集に収録されているblogの中には、もはや残骸のようになっているサイトも数多く見られました。 オモシロイblogが今後、どんどん増えるとよいな、と思います。 2004/08/15 お役立ち 最近、僕がよく利用しているサイトに下記がある。 このサイト、「あくあさん」という方が様々な楽曲を自らピアノ演奏し、そのファイルを無料で公開しているものである。 カバーしている楽曲は、バロックのバッハ、古典派のベートーベンやモーツアルト、ロマン派メンデルスゾーン、そしてショパン、ラフマニノフまで、かなり広い。ここで公開されている楽曲はすべて著作権切れであるので、こうしたことができるのであろう。 なにせ、家にあるCDをもってこなくても、研究室などでインターネットにつながっているPCさえあれば、すぐに音楽を聴けるのがよい。 僕はもともと「ながら勉強」は全くできない人間のだが、自分が昔習っていたせいもあるんだろうか、ピアノ以外はなぜか例外である。文章を書きながらピアノを聞くと、筆がはかどることもある。ということで、このサイトには、非常に感謝している。 こうしたサイト、世界中に他にもあるのだろうが、まだ調べてはいない。どなたかご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。 2004/08/14 大学とは何か? カミサンが、今日のメトロ(ボストン市内で最もよく読まれているフリーペーパー。地下鉄の出入り口でただで配布している。ボストン市民の多くは、これを読んでいる)で、Northface universityという大学を紹介する記事を見つけてきた。少し考えさせられたのでここでも紹介。
Northface universityは、アクレディエーションを受けている営利大学。現在、学士(コンピュータサイエンス)の教育プログラムを提供している。 この大学の特徴は、そのカリキュラムの中にリベラルアーツの科目が一切ないことにある。実務家、一線のプログラマーをファカルティに迎え、大学1年の頃から、徹底的なコンピュータに関する実務トレーニングを行う。 学費は2年間で600万。これは一般的な大学と同じである。現在、この大学には、マイクロソフト、IBM、オラクル、ユニシスなどが資金・物品の供出を行っている。これらの会社は、ここを卒業した学生が、自分の会社に入学してくれることを最初から当て込んで、寄附を行っている。 記事はだいたいこんなことが書かれていた。
朝の通勤電車の中でメトロを読み進めて、そのカリキュラムがあまりに専門学校的というのか、実務を中心に組まれていることにびっくりした。そして、同時に、「これは大学なのか?」と、はたと考え込んでしまった。 日本では、設置基準の緩和が先行している大学院の方から、従来の大学とは異なる実務中心のカリキュラムが組まれ始めている。その動きは、おそらく、大学院をこえ、大学学部にも波及してくることだろう。かつて「大学」と呼んでいたものとは少し毛色の異なる<大学>が、近い将来、どんどんと生まれてくるのだろうか。 果たして、「大学」とは何なのだろうか。 この問いに対する答え、制度や法律によりかかって答えるのは簡単だけど、実は奥は深い。 2004/08/13 経堂すずらん通り 今の東京の自宅マンションが、やや手狭になってきているので、最近、引っ越しを考えている。書類や書籍などは、幕張の研究室になるべく移動させているものの、どんどんとモノがたまっていく。 さて、どこへ引っ越そうかとしばらくいろいろな場所をWebで調べていたが、ふと、ひっかかったのが、経堂という町だ。学部1年の頃、住んでいたことのある場所である。 経堂駅前には小田急、ピーコックなどのスーパーもある。駅前から1キロ程度にわたっては、「すずらん商店街」という地元商店街がのびている。18歳の頃、僕は、ここを歩き、大学に通っていた。世田谷にありながらも、下町の雰囲気を残したよい街であった。
駒場時代の頃の僕は、この商店街で、4本150円のなすびや、数百グラムで100円のもやしを炒めて、2合のごはんと食べていた。夜は新宿の飲み屋でバイトをし、かといって、勉強を思い切りサボルわけにもいかず(東京大学は教養時代の成績で、希望の専攻に進学できるかどうかが決まる)、それはそれで忙しい日々を過ごしていた。 ふたたび経堂に住む - その前に先立つものを用意せねばならぬなぁ・・・ 2004/08/12 教育プロフェッショナルの世紀 次なる著作の企画書「教育プロフェッショナルの世紀」を、シコシコとつくっている。 企画の詳細は、まだ明らかにはできないが、ここ数年やりたいと思っていたことのひとつであるから、企画をつめていくのは楽しくて仕方がない。8月1日、8日の日記にも連続することではあるが、「教育」を今よりももっともっとオモシロく、かつステキなものにしていくドライビングフォースのひとつになるのは、プロフェッショナルだと僕は思う。この主張に、プロフェッショナル先進国アメリカの知見やデータをいれて、本にしたい。 この企画、実は書籍、イベント、他媒体が連動する「1粒で3度おいしい」企画をめざしている・・・フフフ。 しかしながら、帰国後の忙しさの中で、ホンマにできるのかいなと思ってしまう。しかし、そんなことを考えていてはツマラナイ。うまくパフォーマンスを発揮できるチームを組んで、目的を達成したい。 2004/08/11 When I'm sixty four ビートルズの「When I'm Sixty-Four」という曲が、みんなの話題になった。
歌詞はおおよそこんなところである。
要するに、男の人が女性にうたった歌だね。
とさ、ちょっとオチャメに妻に問いかけるみたいな。 小学生の頃からのビートルズファンの僕としては、この曲はずっと前から知っていたけど、歌詞をキチンと読んだのはこれがはじめてで、少し考えてしまった。 前にどこかで読んだことがあるんだけど、「あなたは老後、どのように暮らしたいですか?」って、熟年夫婦に聞いたら、男性の方は「妻と一緒にゆっくりと時間を過ごしたい」と答えるんだけど、女性の方は「気のおける仲間と一緒に旅行とかして過ごしたい」って答える傾向があるんだって。完全な願望の非対称。要するにかみ合ってない(笑)。 もちろん、こうした意見は、もはやステレオタイプ化した見方ですね。そんな男の子ばかりではない。 でもさ、28歳にして一瞬想像してしまいました・・・「オレの老後はどうなんだろう・・・プレゼントひとつももらえない寂しいツルッパ○かな」と。 まぁ、「タダモノではない64になってやる」と思ったけどね。あるいは、「冷遇されたら、親子三代まで続くスサマジイ呪いをかけて死んでやる、覚悟しろよ」と、思いました、結局(笑)。 2004/08/10 セットクリョク クラスメート、韓国人のキムさんと話していたときに印象に残ったこと。 彼女は、大学で経済を学んだあと、貿易関係の職につき、数年働いたあとで、BUで学んでいる。
まぁ、これは他愛もない冗談だから、論理の飛躍があるのはわかっているけど(笑)・・・「政治学科の先生は、政治にたけてるか」「医学部の先生は健康か?」というと、それは違うだろうから。でも、確かに、教育研究していて、教え下手、学び下手なのって、キビシイなぁと思った。 2004/08/09 近況 まずは仕事。 重要な会議。このたびの米国滞在中のインタビューをもとに、日本に向けて情報を発信。結果はともかく、今僕が感じていること、これが一番よいのではないか、と思ったことは述べたつもりである。 CoPプロジェクト、体制を立て直してリスケジューリング。メンバーのみんなの協力で、めどがたった。 Project Mate。来年2年間の計画を話し合う時期に。「教師のコミュニティ構築」という観点からの研究体制の確立へ向けて、調整を行う。 Project i-bee design。東京大学での実験が終わった。八重樫さんによると、非常によい結果がでたとのこと。 プロジェクト以外で、嬉しい知らせ2件。本当におめでとうございます! そのほか、原稿×2、校正×1、論文査読×1。査読は、可能な限り引き受けることにしているが、毎度のことながら大変なんだけど、よい機会だと思って勉強させて頂いてます。なるほどね・・・こうやればこうなるか・・・こう書くと、こう切りかえされる余地が残るか・・・。 --- 次に勉強。 先週1週間は、Boston Universityの大学院のサマーコース等に通い、1日いっぱい、外出しっぱなしの日々が続いている。いい加減、少し疲れた。泥のように眠った週末。 --- 最後はプライベート。 金曜日、カミサンのサマーコースの友人、エイドリアン、ジョーダン、ケイトリン、ミラをよんで、ホームパーティ。武藤さんも参加。カミサン、朝から張り切って準備。茶の湯の精神「一期一会」、非常に重要である。パーティでは、自由に食べ物をとる形式にしたが、「おでん」が好評。意外なことに、特に「こんにゃく」が超人気だった・・・。 ちなみに、僕がこの滞在中に、アメリカ人に喜ばれたお品を下記に列挙。 ---
--- 土曜日、Museum of scienceで開催されている、映画「ロード・オブ・ザリング」の企画展に行く。ロード・オブ・ザリングで使用された衣装、小道具などが展示されているほか、どのように映像をつくったのかを展示している。企画展にはたくさんの人がつめかけていた。特に昼間は、予約なしでは入れないほど。
ロード・オブ・ザリングのメイキングプロセスは、驚異的だった。トールキンの指輪物語という「2次元のテキスト」から、3次元の「Middle Earth」や、各種のキャラクターが生まれたわけだが、その創作のプロセスに関与した様々な人々のインタビュー映像なども展示されていた。とても興味深い。 土曜日夜は、ハーバードスクエアでディナー。満腹、ハラいてー。 --- そして人生は続く。 2004/08/08 大学のeラーニングを持続的に推進するために 「大学のeラーニングを持続的に推進するために、何が必要ですか?」というのは、これまた非常に大きなテーマですね。いろいろな答え方ができそうです。ある人はシステムだと答えるかも知れません。ある人は、教員の資質と答えるかも知れません。それも真実なのでしょう。 しかし、この問いに対する答えは、今のところ、下記のように答えることができます。 ---
--- 実は、上記の知見は、今度出版予定の本から引用した知見です。
1)と2)に関しては、1章担当の吉田文先生が「eラーニング実態調査」のデータを参照に、3)に関しては、田口さんと僕とで行ったこの数ヶ月の訪問調査の結果をもとに、論じています。4)は僕の私見。 単純に言いますと、この本でわたしたちが明らかにしたことは、「eラーニングを持続的な事業として推進するドライブになるのは、組織である」ということですね。一言で言いますと、非常に陳腐な結論のように思えるのかも知れませんが、それを調査結果や、ヒアリング結果などで論じています。 「組織なら情報センター(旧:大型計算機センター)があるぢゃないか」とおっしゃる方がいるかもしれませんね。 確かに「情報センター」はあって学内のIT基盤の整備に尽力していると思うのですが、eラーニングというのは、それとは別に進める必要があるのです。そこに、「ITと教育に見識のある教員」「専門職」、「事務官」が配置され、彼らのコラボレーションのもとに、持続的な事業を推進していく必要があります。 この本、11月に出版の予定です。 書籍では、去年、計数百名の方が御参加頂いたメディア教育開発センター研修「オンライン・コースの手法と戦略」で講師をつとめていただいた先生方からの原稿が収録されています。また、混乱するeラーニングのテクノロジーについて、概念整理などを行った章もあります(西森さん・中原とで担当しました)。 東京大学、玉川大学、青山学院大学、佐賀大学、東北大学など、国内の先進的な事例が収録されています。
是非、ご興味があらば、ご一読いただけると幸いです。 2004/08/07 シルク=ドゥ=ソレイユ 先日、シルク=ドゥ=ソレイユの最新作「VAREKAI」を、カミサンと一緒に見に行った。
シルク=ドゥ=ソレイユの講演は、独特の色彩際だつコスチュームに、体操とパフォーマンスをミックスした演舞。シルク=ドゥ=ソレイユといえば、かつて「サルティンバンコ」で一世を風靡し、一昨年は「キダム」のロングランがきまったことで記憶に新しい。ラスベガスでは、「O」が上演されている。 これら2つに比べ、最新作「VAREKAI」では、さらに演出の妙が際だっていた。VAREKAIは、ギリシア神話イカロスの物語を題材にした演舞。そのテーマはシリアスなものであるものの、幕間に繰り広げられるパフォーマンスとの組み合わせが絶妙で、観客を決して飽きさせない舞台であった。 帰り道、カミサンと、どの部分の演出が特に際だっていているのか、そして通常のショーではなぜそれが不可能であるのか、何を工夫すればそれが可能になるのか、を話し合った。 とても面白かった。 2004/08/06 Hard Fun 朝早くから夜まで、いくつかの「学校」で学ぶ日が続いている。いうても起きるのは、そう早くはない。が、授業で使われる言語はすべて英語。かつ1日中、授業がある。非常に疲れる。 とはいえ、「シオシオのパー」「やる気なし夫」になっているわけじゃない。「Hard Fun(厳しいけれども、学ぶことは楽しい)」という言葉が、僕らの研究領域にはあるが、まさにそれである。 カミサンともどもエンジョイしている。今しかできないことである。 --- 先日、教育に関する事をネットで調べていて、下記の大学付属センターを見つけた。下記は自分のためのメモ。
両者ともセンターから発信されている情報が多く、その更新が早い。 2004/08/05 教科書 NHKの横田さんの紹介で、Cambridge Studiosのボブとランスさんにお逢いすることができた。横田さんと、ボブさん、ランスさんは、今から約10年前、地理教材開発の国際プロジェクトに従事していらっしゃったという。 ハーバードスクエアの日本料理屋「竹村」で昼食をとりながら、いろいろなことを話したが、「民間教育会社とグラントのこと」「大学の教科書会社のこと」など、いくつか僕にとって印象深いことがあった。 前者で、改めてその仕組みに驚いてしまうのは、ボブやランスさんのような教材製作会社の人が、NSF(全米科学財団)などのグラントに応募し、その厳しい審査をくぐり抜け、様々なプロダクトをつくる、という仕組みである。 彼らの会社は、これらのグラントに応募し、大学学部生(Undergraduate)向けの教材制作のほか、初等・中等学校の教師の専門性向上(Professional development)のための教材作りを行っている。グラントが通れば、かなり大きな金額が手に入る。そのお金を元手に、プロジェクトをおこし、そこで大量の人を雇用する。 日本でグラントというと、すぐに思い浮ぶのは、「実証実験」とか「プロダクトの試作」であろう。しかし、彼らが獲得しているグラントは、決して、研究や実験のため「だけ」使われているのではない。 金額が多いので、実際にプロダクトとして使われるものをつくることができるのだ。しかし、その一方でプロポーザルの通過は困難を極める。リソースの選択と集中。そして、そのリソースを民間教育会社にも解放している点は、非常にオモシロイと思った。 --- 後者については、少し考えさせられた。ボブやランスさんは、数年前よりマグロウヒル(大手教科書出版会社)のもとで、大学教科書付属のDVD教材、eラーニング(Web教材)を開発している。
彼らはいう。
この彼らの指摘は、僕にとっては非常に新鮮だった。 確かに、どんなにアメリカの大学院教育の生徒数が多いといっても、学部教育には圧倒的にかなわない。アメリカの高等教育の中では、ハーバードやMITの提供している教育の形態は、圧倒的なマイノリティなのである。その学部教育をめぐって、民間教科書会社の間でこのようなバトルがあるとは。 日本の場合、出版業界はどのように動いているのだろうか。 2004/08/04 タングルウッド 先日の日曜日、ボストンからバスで3時間のところにある、タングルウッドの森に、ボストンシンフォニーオーケストラのコンサートを聴きにいく。指揮者は、小澤征爾とジョン=ウィリアムズら。このコンサートだけは、ボストン滞在中に、絶対に聴きにいきたかった。いよいよ願いがかなう。
当日は、あいにくコンサートの途中から雨が降り出した。僕らのチケットは、芝生の券だったので、ずぶぬれに。別にチケットをケチッたわけではない(僕は、こういうとき、ドカーンといく性格である)。僕らの参加したツアーに、オザワホールの中での座席はなかったのである。まぁ、おそらく、雨の中、傘を差してコンサートを聴くのは、これで最初で最後だろうからよしとしよう。 今日の演目は、コープランド、タケミツトオル、ショパン、リストのラ・カンパネラ、ビバルディなど。知っている曲が多くてよかった。 雨が降ってよかったことは、コンサートの途中から、芝生席の人たちが、ホールの中に入れて、舞台のすぐ近くで鑑賞できたこと。僕ら夫婦は、小澤征爾が指揮をふる、ちょうど真横で見ることができた。また、演奏を終えた小澤征爾が、何度も僕らの前をとおった(ニアミス20cm)。ミーハー中原としては、それだけで昇天してしまいそうになる。
最後の曲で、オーケストラは正規の「ボストンシンフォニーオーケストラ」の老練な楽団員から、若者たちににかわった。周知のように、タングルウッドでは、世界中から年に1度有望な若者を集めて、世界の演奏家達がボランティアで教育を行っている。この様子は、前にNHKの番組でも取り上げられたから、知っている人も多いだろう。 若者たちに、そう、次の世代を担う小さな音楽家たちに、一生懸命、髪を降りみだし指揮をする小澤征爾を見ていると、何とも涙がでてきた。そんな彼の感謝に報いるべく、彼らは必死に演奏していた。また、舞台の最後では、若者達は足を踏みならし、小澤征爾らに感謝のアンコールを求めていた。 2004年8月1日 - この日、オザワホールにて演奏した若者の中から、次の時代を担う音楽家がでてくるだろう。彼らの何人かは、どしゃぶりのタングルウッドを、いつまでも覚えているかも知れない。そんな場所に居合わせることができて、僕らはシアワセだった。 タングルウッド、そこはアメリカが誇る音楽の殿堂であるのと同時に、ステキな学びの場でもある。 2004/08/03 ジャパン・ナッシング 今、話題になっているリーダーシップ教育のNPO法人「インスティテュート・オブ・ストラテジック・リーダーシップ(Institute of strategic ledership)」。その代表理事をつとめる野田さんのエッセイを見つけた。
野田さんは、1988年からマサチューセッツ工科大学やハーバード大学で学んでいる。1988年といえば、確かバブル経済の最高潮期で、日本の株価は3万円をゆうに超えていた時代ではなかったか。(ちなみに、当時、僕は中学生。朝のNHKニュースで「株価が3万円・・・」云々というニュースをよく聞いたことを思い出す。僕が株を始められる頃には遅すぎるのではないかと思い、はやくオトナになりたかった) 野田さんの下記の文章からは、その当時と今とで、日本に対する世界の人々の関心がどのように異なっているか、がよくわかる。
それにしても、ジャパン・バッシング(Bushing)から、パッシング(Passing)を通り越して、ナッシング(Nothing)とは・・・。まずは、この言葉の意味を冷静に受け止めることも必要なのだろう。 しかしまぁ、とはいえ、そこで萎えてしまったりはいけないわけで、野田さんが、Institute of strategic leadershipをはじめられたように、日本内部からいろいろな再生への試みが生まれてくるのだろうか。 「これから」である。 2004/08/02 宿題 センベンさん夫妻とチャイナタウンでお食事。彼らの息子のテンテンはとても可愛かった。うちのカミサンの顔をみて、何度も何度も笑っていた。見てるだけでオモシロイんだろう、きっと。 帰ってきて宿題。何を隠そう、いや、隠してないけど、今、僕はある大学院のサマーコースをとっている。「Flashを使って教育素材をつくる」「Flashとサーバサイドスクリプト・データベースの連携」がテーマ。宿題はっきり言って、ツライ・・・。本もよまなあかんし、レポートはかかなアカンし・・・こりゃしばらくかかるな。現在、別のコースをとっている、カミサンもさっきから勉強している。この年になって夫婦で宿題に精をだすとは、思わなかった。 考えてみれば、僕は、「宿題をやる」という行為が苦手なのだ。自慢じゃないが、中学校、高校とだされた「宿題」をまともにやったことがない。さすがにゼロではないが、極力やらず、どうしてもやらなければならないときは、適当にやり過ごして、今に至ってきた。勉強したくないってわけじゃなかった。むしろ、なんだか、人に言われた範囲の中で、勉強するのがあまり好きではなかったのかもしれない。かといって、人に言われた範囲を超えて勉強することもしないんだけど(笑)。今から考えれば、若気の至りの極みである、ごめんなさい。 しかしながら、この授業「あー、こういう風に教えればいいのか」「教材づくりの宿題をだすときに、この順番で課題をだせばよいのか・・・」と、違った意味でとても勉強になっている。特に、「Paper prototying」と「interaction design」という概念が興味深かった。 今回僕がやっているのは、まさにインストラクショナルデザインのプロセスそのものなんだけど、こういうことは、やはりきっちり学ぶ必要があるように感じた。 インストラクショナルデザインが、僕の研究領域で提唱されたのがやや歴史が古い。そして、現在、そのものを研究にすることはなかなか難しい。しかし、「今、なかなか研究として成立しないこと」であっても、「教える必要があること」は多いと思う。 「それは研究として成立しないよ、古いこというねー。今は、学習環境デザインの時代だよ」といったことを言う人もいると思うが、僕自身は、それは間違いではないかと思う。 要するに、きっちり学ぶ必要のあるものは、やっぱり学ぶべきである。なんかトートロジーくさい結論ではあるが、そう思う。 というわけで、キツイ宿題ではあるが、何とかかんとかやるしかない。 2004/08/01 ここからはじまるわたしの研究 前々から日記でご紹介していたとおり、「ここからはじまる人材育成 - ワークプレイス・ラーニングデザイン入門」という本が、中央経済社から発売になりました。
・・・といった本です。是非、どうぞ、書店で見つけましたら、お買い求め下さい・・・お願い(笑)。もし書棚に埋もれていたら、平積みになっている本の上にこの本を、そっと、重ねて置いてください(笑)・・・くれぐれもそっとね、見つかっちゃダメだよ。 この本の出版にわたり、僕は「編著者」としてかかわったわけですが、執筆者の方々には大変助けられて、何とか、かんとか、やりとげたといった感じです。 巧みな話術で企業の方々から重要な話をひきだす北村さん@東京海上HRA。原稿脱稿前に渡米してしまった筆者の仕事を引き受けてくれた荒木さん@日本総研。筆者の執筆企画を最初に聞いてくれ、いろいろアドバイスをくれた浦嶋さん@三菱総研。ただでさえ大変な事例の執筆を2つも引き受けてくれた松田さん@青山学院大学。そして、様々な企業を筆者らに紹介してくれる労をになってくれた小松さん@NTTラーニングシステムズ。 この場を借りて執筆者の方々には、御礼を言いたいです。皆さんの協力がなければ、この本は完成しなかったと思います。ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。 さらには、各企業の人材育成担当者の方々にも、貴重な時間をさいていただき、本当にお世話になりました。 システムエンジニア部門から、教育部門に配属になり、学習者のケアに急がしい毎日を過ごしている富士ゼロックス(株)の山崎さん。 皆さんからは本当に貴重なお話しを伺いました。編者として、皆さんのお考えや、思いといったものを十分に反映できたかどうかは、心許ないのですが、もしそれが不十分なものだとしたら、すべては編者の責です。ご堪忍ください。ともかく、何とか本が完成しました。どうもありがとうございました。
ところで、僕にとって、編著者となるのはこの本で3冊目です。はじめて書いた本は「社会人大学院へ行こう」。次が「eラーニングマネジメント - 大学の挑戦」ですね。3冊とも、企画をゼロから立ち上げ、最終的な編集作業まで担当してきました。 これ以外に、共著者としての著書はいくつかあります。今年もおそらくあと数冊ほど出版されると思います。しかしながら、編者をつとめる本、特に企画段階からかかわった本というのは、やはり思い入れがひとしおなんですね。それぞれの本には、読者の方々に伝えたい思い入れみたいなものがあります。 周知のとおり、本というメディアは論文とは違うものです。論文を執筆する際には、一般には「わたし」「わたしたち」の主語を消すことが求められます(良いか悪いかはここでは述べません)。そして、ピアレビュー(Peer review)に耐える必要がありますので、過剰な表現やレトリックも消されます。文章は体系的に、簡潔に「One conclusion」にむかって、構成されなければなりません。 それに対して本は違うと思うのです。決して、「Two conclusion」あってよいというわけではないです。本もやはり究極的には「One conclusion」であるべきだと、僕は思います。 要するに言いたいことは、本は読者の方々に向かって、論文よりも自由に問いかけることができると思うのです。表現手法も自由ですし、レトリックなども使えます。レイアウトも自由ですし、構成も自由。本は論文よりも、「著者である私が読者に直接的に問いかけることのできるメディア」であるように思っています。 誤解を避けるために言っておきますが、僕は論文を書くことも、本を書くことも好きです。でも、それは少し異なった知的作業であるように感じます。もちろん、こういう位置づけは、研究者によって異なるのが当然だと思います。ですが、少なくとも、僕は、本をそのように位置づけ、これまで編集を行ってきましたし、きっとそういう本をこれからも編集・執筆していくでしょう。
話が回り道しました。それでは、「ここからはじまる人材育成」を企画する段階、編集していく段階で、僕には、どのような思い入れがあったのか。 それは端的にいうと、下記の3点です。
「端的に言う」と述べつつ、3つもありますね、全く端的ではない(笑)。でも、上記は、3つに分けていますが、結局はひとつのことを言っていますね。この本で、僕は「企業の人材育成と教育研究/学習研究が、もっとむすびつきを強めるべきだ」ということを述べたかった。 そうだ、そのことを僕は主張したかった! 「主張」とは・・・なんかデカイ話になってきましたね。「デカイことばかり言っていると、ナマイキだって思われるよ」って、いろいろな方から暗に忠告を受けることがたまにありますが、ありがとうございます、みなさん、僕のことをご心配いただいて。
話がまたそれましたね・・・。じゃあ、この3つを次に解説していきましょう。 まず、1)ですが、これについては何度も日記で述べてきましたし、本のコラムでも述べました。従来の教育学研究、学習研究では、「企業」が「学習の場」として把握されることは、非常に少なかったと言えると思うのです。 誤解を避けるために言っておきますが、全くないわけじゃない。たとえば、ワークプレイス研究、一部の教育社会学などでは、企業を対象にした研究が行われおり、重要な知見を生み出してきています。しかし、それらの研究の多くは、「学習環境で起こっていることを見る/分析すること」を主目的にデザインされていたのではないかと思います。「学習環境をデザインする」という観点からすると、かなり少ない。 「なにおー、インストラクショナルデザインがあるぢゃないか」といぶかる方もいるかもしれない。しかし、インストラクショナルデザインは、主に北米を中心に盛んですが、日本ではこれまで非常に研究事例はあまり多くないと思います。 このことは、先行研究をたどらずとも、それを証明することができます。教育学は一般に大学の教育学部で教えられていますが、日本の教育学部に、企業内教育を対象とする研究部門や講座を抱えているところは、非常に少ないはずです。皆さん、お暇でしたら、「ぐぐって(Google)」みてください。本当に少ないことがおわかりいただけると思います。 むかーし、大学学部時代にならったことで恐縮ですけれども、日本の企業と大学の間の接合というのは、「専門性」を重視する欧米とは異なると言われてきました。 さすがに最近は違っているとは思いますが、日本の企業は学生にはあまりスキルや専門知識などを期待していなかった。それよりは、学生にはまっさら(タブラ・ラサ:白紙の意味)の状態で企業に入って欲しい。で、必要な知識や技能は、OJTや企業内教育でたたき込もうとする傾向がつよかったと言われています。それならば、重要なのはそうした教育で学べる力とそれに耐える力ということになる。いわゆる「学習力」と「忍耐力」です。 で、本来ならば、そうした人物を就職試験で見極めたいんだけれども、膨大な数の志望者の能力を短期間に見分けるには制約がある。コストがかからず学習力、忍耐力のある人間をえらぶ指標として機能するのは、大学入試だったというわけです。だから、企業は大学の偏差値にしたがって、採用活動をしていると言われていました。それには否定的な意見もあったのかもしれませんが、きわめて合理的な判断であり、意志決定だったのです。 ここでポイントになるのは、日本企業は「必要な知識や技能は、OJTや企業内教育でたたき込もうとする傾向が強かった」ということです。日本企業の競争優位を支えるのは、企業内教育によってつくられた「人材」であった。そして、そうであるならば、「企業の中の学習デザイン」の問題をもう少し研究する領域があってもよいはずなのに、実際には、そうはならなかった。 ごめん、その理由については僕にはわかりません。でも、なぜだかわからないけれど、この関心にジャストミートするような研究領域は、今まで教育学の中では市民権を得てこなかった。で、僕はそうした領域が教育学の中でもっと扱われた方がいいのではないかな、と思うようになりました。
次に2です。 これについては、以前に日記「2004/06/12」で書いたことがありますね。 もちろん、簡潔な記述も有効なのですよ。全く否定しているわけではないのです。しかし、もう少しコンテキストに配慮したリッチな記述をしなければ、他人に、その試みの善さを伝えられていないように僕は思うのです。 たとえば、その最たる例である「箇条書き報告」の、決定的な欠点は、「学習者の実際の姿」や、それを「デザインした人の実際の行為」が見えないことです。こういう「具体性」が見えないと、どういうことになるかっていうと、「なんか具体的な様子はわからないんだけど、ともかく、すげーな」っていう感じで思考停止してしまうように思います。 今回の本の事例部分の執筆では、とにかく「具体にこだわる」という方針をたてました。 「誰が、何を目的に、どういう学習者を対象として、どんな教材を用いつつ、どんな価値を提供し、その結果、どんなよいことがおこったのか」について、なるべく「分厚く」記述することを試みました。もちろん、少しやりすぎているところもあるし、これが最善だとは思いません。編集を終えたあとで、いくつかの問題点も、わかってきました。これについては、また別のところで述べますが、今後の課題になることでしょう。
最後の思いは、1とリンクしています。大学にそういう研究部門ができるのと同時に、そこを卒業した「教育学や学習研究を学んだ人たち」が、もっと企業の人材育成/教育部門にエントリーしてほしい」ということですね。 一般に、教育学部には教員養成を主目的にした教育学部と、そうでない教育学部があります。前者の教育学部を卒業した人は、教員になるのがアタリマエでした。 しかしながら、教育学部をでても、教員になれないという状況がここ数年続いていた。
最近は少し改善したという話も聞きますけど、教育学部をでた人が、教員以外のキャリアパスをもってもよいのではないかと僕は思います。学習は何も学校だけに限られた問題ではない。学習はどこにでも偏在しているのです。もちろん、企業の中にでも。たとえば、企業の人材育成部門や、教育部門などのキャリアパスもあったほうがいいのではないかと思うのです。 ちなみに、上記は学部の話でしたけど、大学院生だってそうです。大学院をでて、企業の人材育成部門などにつとめるスペシャリストが、もっともっと増えるべきだと僕は思います。 そういえば、この間、反社会学講座を読んでいたら、あるデータを見つけました。
なんと、恐るべき事に、アメリカでは1年間に教育学博士が6716人、教育学修士が12万9066人(2000年度)生まれるそうです。対して日本は何人かというと、博士号が90名。教育学修士が4368名だそうです。うそーというくらい違いますね。なんぼほど多いねん! アメリカと日本の人口差は約2倍です。高等教育のもっている強さは、アメリカが桁違いに違う。はたまた、反社会学講座にあるように、アメリカの43%の教員が修士号取得者だそうです。でも、これらの事柄をすべてあわせて考えてみても、修士号、博士号取得者が多いですよね。だって博士号が日本の60倍以上、修士号は30倍近くなのですから・・・。世界的にも見ても、信じられないほど多い。これには他の説明原理があるはずですよね。 これはデータに基づいていっているわけではありませんが、その違いを説明するには、修士号とか博士号の先に開けるPossibilityやその意味が、日米で異なると思うのです。 たとえば、日本で教育学博士をもっていたら、間違いなく大学に勤務するしかないと思うんだけど、それがアメリカでは違うと解釈できるのではないか、ということです。アメリカのEd.Dにはその他の道がある。逆に言えば、Ed.Dをとっても、大学には勤務しない人が多い。はたまた、日本で教育学修士というと、博士課程に進学することを前提にして取得する場合か、現職の先生がリカレント教育として取得する場合がほとんどであると思うんです。それがアメリカは違う。Ed.Mをとって、教員以外のスペシャリストになる場合がある。研究開発型の教育NPOに勤務する場合もありましたね。前にご紹介したイベッタさんがそうでした。 日本では、資格とその後のキャリアパスがかなり固定化しているのに対して、アメリカは違うということですね。要するに、アメリカの方が、教育学を学んだ人が活躍できる場が、別に、大学や小学校・中学校・高校だけに限らず、いろいろ広がっているといことです。 そういえば、先日ASTDに行きましたが、そこで発表している企業の人材育成部門の人に、本当にいろんなところで、Ed.M、Ed.Dをもった人が活躍していてびっくりしました。 もちろん、この以外にも説明もつきますね。アメリカ社会は日本とは比較にならないほどの学歴社会だと言いました。そして、それ故に、学歴インフレを起こしているというのもそのひとつでしょう。また、これも何度も日記で書いたとおり、アメリカと日本の大学院生活は恐ろしいほど違っているというのもあるでしょう。基本的に、「できる人はできる」というのは日米両国で変わらないと思いますが、簡単に、両国の修士号や博士号、そのもつ意味、取得者のポテンシャルや志向を、同等とみなすのは、大変危険です。 まぁ、アメリカの修士・博士についてはもうこのくらいにしましょう。 ともかく、僕は日本の企業内教育の現場に、教育や学習のことを研究したり、勉強した人がでてくるといいな、と思っています。学部生であっても、大学院生であってもです。別に学歴をつめばいいと思っているわけではありません。教育学を学んだ、学習について研究した - その知見が生きる知識となって、役立てられる場所が増えればよいな、と思うのです。
さて、以上、僕がこの本に書いた思いを3つ述べてきました。しかし、その思いはひとつです。「企業の人材育成と教育研究/学習研究が、もっとむすびつきを強めるべきだ」ということ。それなのです。 いやー、しかしならがその思いは、あまりに壮大ですね(笑)。でも、僕にとっては、この小さな本が、この壮大さに対する最初の1歩なのかな、と思っています。 僕は、このような思いを胸に、これから、このフィールドでいろんな研究をしていきたい。その希望は、次から次へとわいてきて、まるで、飲んでよし、つかってよしのカルデラ温泉のようです。それにしてもやらなければたくさんあります。理論的整理もそのひとつですね。あと、事例だって、まだまだ収集する必要があります。できれば、開発研究もやってみたいです。 千里の道も1歩よりはじまる、ということわざがありますね。むかし、ならった覚えがあります。 僕はようやく最初の1歩、踏み出したようです。 |
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