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" In the mirror " by Miwa
2004/07/15 How to survive? MIT Career Officeが開催した「How to survive the first year of assistant professor」というパネルディスカッションに参加した。このパネルは文字通り、今年MITでPh.D.を取得した人たち向けのガイダンスの役割を担っていて、多くのPh.Dホルダーたちが参加していた。
アメリカの高等教育の制度では、Ph.Dを取得しアカデミックな場で生きていこうとすると、彼らはまず「Assistant Professor(助教授)」という職につく。「講師(Instructor)」になることもあるが、これは特定のテーマに対して、短期間に教授を行うものにつけられる。 ちなみに、日本でいうところの「助手」はない。日本で助手は、Research Assistant や Research Associateと訳される。これをそのままアメリカ人にいっても一般に意味が通じない・・・というか確実に誤解されるから注意が必要である。Research Assistant や Research Associateは、研究室で雇用されている大学院生が名乗ることが多い。 話を戻して、Assistant Professorは、ファカルティ(教授団)ではあるが、テニュアトラック(終身雇用を約束されること)にはのっていない。数年契約で雇用されている。 ティーチング、グラントライティング、ラボマネジメントや、委員会など様々な職務をこなし、同時に研究業績をあげることができれば、Associate Professor(準教授)に昇進し、そしてテニュアのあるProfessor(教授)に昇進していく。もちろん、途中で契約を解除されることもある。その場合は、自ら新たな職を探さなければならない。 今日のシンポジウムでは5名のパネリストが、Assistant Professorとして一年目をどのように乗り切ったのかを、自分の経験に基づきながら話していた。初任者である、なにせ見るものすべてが新しく、経験は皆無である。そして多くの場合、とても忙しい。 話を聞いていて印象に残ったのは、1人目の話者のキムさんと、2人目のパネラーのキンバリー。 キムさんは、UCバークリーで分子生物学のPh.Dを取得。彼女にとって大変なことは「Teaching」と「Managing people」であるとのことであった。Teachingに関しては、1時間の授業の準備に10時間をかけているとか。「Managing people」とは、ラボの学生達をどのように教えていくか、彼らの実験をどのようにオーガナイズしていくか、ということである。 キンバリーは、化学工学のPh.D.をMITで取得。大変なことは、「Teaching」「Grant writing」などであるとことであった。Teachingには、やはり死ぬほど時間をかけているとのこと。 --- MIT Career Officeでは、このほか「CVの書き方ワークショップ」「CV書き方コンサルティング」などを行っているそうである。MITには、「MIT Writing Center」や、FDを担う「MIT Teaching learning laboratory」がある。
こうした組織には、必ずといっていいほどスペシャリストがいる。彼らの手厚い援助を受けながら、一人の「学生」が「ファカルティ」になっていく。その過程を考えると、不思議と感慨深かった。 ※今日の日記の内容は大学によっても異なる。上記の記述が当てはまらない大学も数多くある。アメリカは過度な一般化がとっても危険。 2004/07/14 イタリアン ボストンにはイタリアン人街がある。地下鉄「グリーンライン」の「ヘイマーケット」という駅を降りて、歩いて3分。ノースエンドとよばれる地域である。 そこを道行く人は、当然の事ながらイタリア人が多い。新鮮なパスタなどを売る雑貨屋もあれば、エスプレッソを楽しめる喫茶店もある。そして、何よりも多いのはイタリアンレストランである。治安はすこぶる良い。聞くところに寄ると、イタリアマフィアが締めているからだとか。 今まで何件かのレストランにいったが、下記は、その中でおすすめのお店。 --- Terramia 前菜の盛り合わせがオトク、パルマハムやチーズなどがでてくる。金曜日などは、非常に混むので、予約がお勧め。 --- セーラムストリートのコーナーにある、オープンカフェ風のお店。パスタが美味しかった。僕らが食べたのは、ラビオリのボロネーゼ、チキンのホワイトソースペンネ。あっさりとしたBaccoサラダも美味しい。 2004/07/13 「私の教育論」 ちょっと前の話になるかも知れないが、とても興味深い記事を目にした。お茶の水女子大学の耳塚先生の指摘である。
この指摘を読んで、全くそのとおりだと思った。そして、同じような感情を、僕もこれまで何度持ったことだろう。 世の中には、「わたしの教育論」をオムニバス的に語らせる書物やテレビ番組などが多く存在する。ある人は「スパルタ教育が重要だ」といい、ある人は「人間性豊かな子ども時代がすべて」だという。「基礎学力こそすべて」とい人もいれば、「問題解決能力が今のわたしをかたちづくった」という人もいう。そうした語りは、「今ある自分の地位を得るためには、自分が受けてきた教育が必要なのだ、だから今の教育は変わる必要があるのだ」という論理展開を暗にもっている。そういう書物やテレビ番組を目にするたびに、僕は、教育研究者の一人として、何となく居所の悪い感覚を覚えてきた。 人の数だけある、いわゆる「素朴な教育学理論」をどれだけ積み重ねてみたところで、「次の時代の教育をいかに構想するか」の「根拠ある、かつ、具体的な施策」は生まれ得ない。なぜなら、それらの多くは、素朴すぎる私的な経験であるからである。それら自体に、あるいは、人と経験を共有することに意味がないと言っているわけではない。しかし、次世代の教育政策や議論を建設的に行うには、あまりにナイーヴすぎると思うのだ。それにもかかわらず、国の教育を左右する現場で、「私の教育論」が重視され、そして消費される現実が不思議で仕方がなかった。 確かに、「わたしの教育論」を戦わせることで、「今ある教育」が「不完全なもの」であることを弾劾することは可能かも知れない。教育には、宿命的に完成形はない。それは、常に終わりのない改革のまっただ中にあるべきである。故に、今ある「不十分な教育のあり方」を対象化するきっかけとして、人々の素朴教育学理論が機能するのは、もっともなことである。そして、多くの場合、それはカタルシスとしても機能するだろう。しかし、カタルシスに酔いしれるだけで、その後の問い - 「それでは何を根拠に、どのような教育を行えばよいのか」について明確な答えを出し、建設的に議論を進めていくことは忘れてしまってはいけないと思う。闘いは今はじまったところなのだ。 誤解を避けるために断っておくが、「わたしの教育論」を共有する場も重要である。特に、教育問題を探索的に見いだそうとするときには、よい方法論なのかもしれない。その意味で、僕は、それが不必要だとは全く思わない。しかし、それが過度に重視され、その正当性が問われることなく、大きな物語に回収され、根拠なく教育システムや制度の構築に反映されるとき、不利益を及ぼしかねない。 今、必要なことは「わたしの教育論」を超えることだと思う。具体的に言えば、理論や調査や評価 - いわゆる教育学研究の知見を背景として、そうしたことを根拠にしながら、ひとつひとつ、新しい教育のカタチや実践のあり方を研究者自らが構想する、あるいは、つくりあげていくことだと、僕は思う。 ちなみに、分析するだけでは不十分であると僕は思っている。 データをさんざん分析したり、理論をゴリゴリと整理した論文の最後で、「あとの具体的な解決策は別の機会に譲る」と書いていながら、実際に、その後で、回答や処方箋を記述した「別の機会」を僕は見たことがない。いつになったら「別の機会」がくるのか、いつになったら、具体的な教育のあり方や実践を提案してくれるのか、思わずツッコミを入れたくなる。それは多くの場合、論文のレトリックであって、それ以上でも以下でもない。 まずは「わたしの教育論」を超えること。その上で、分析し、具体的な教育のあり方や実践を構想したり、つくりあげたりすること。それは困難かもしれないが、僕がめざしていきたい地平である。 2004/07/12 エンターテインメント ボストンに暮らし、はや6ヶ月。ここで暮らすことのメリットのひとつに、「エンターテインメントを楽しむことができる」ってのがある。 もちろん、日本にいるときだって、エンターテインメントにはなるべく足を運ぶようにしている。楽しみのひとつでもあり、僕にとっては、仕事のためでもある。「オマエの仕事は研究だろよ、関係ねーだろ」と思う人もいるかもしれないが、それは違うと僕は思っている。この話は長くなるので、今度、飲んだときにでもしたいのだが、間接的にそれは仕事に関係してくるという実感が僕にはある。だから、カネはないが、いくらお金がかかっても、やむなしと思ってる。 もちろん、別に仕事をしないで、ボストンでエンターテインメント三昧しているわけではない。週末を利用することもあるが、必ずしもそれに限定されているわけではない。 ボストンは、1)そもそも文化的催しの数が多いこと、2) サマータイムが導入されていて陽が長いこと、3)多くの催し物が午後8時からスタートすることなどから、非常に、エンターテインメントを楽しみやすい環境にあるのだと思う。 ここ2週間くらいで見たエンターテインメント。 ---
追伸. 2004/07/11 無礼な 僕は野球をあまり見ません。 でも、野球のことをあまり知らない僕でも、下記の某オーナーの発言には、ひっかかりました。この発言は、セパ両リーグの合併問題で、某大球団オーナーから某選手代表に浴びせられたボーゲンですね。
この言葉が本当のことかどうかは知りませんが、もし本当だとすると、腰砕けです。この人は、メディアの長になっているだから、当然、この発言がメディアに取り上げられ、世論をつくりだしてしまうことがわかっているはず。それにもかかわらず、言っちゃいました・・・ってのが、もうビックリです。メディアリテラシーないかも。誰か、僕の開きっぱなしの口を閉めてくれ。 それにしても、僕は野球にそれほどコダワリはないのでよいのですが、本当に野球が好きな人が聞いたら、怒るのと同時に悲しむだろうなと思いました。本当に野球を好きな人たちを悲しませる・・・そのことがとても残念に思います。 2004/07/10 ダイガクとシジョー 7/3の日記「ニッポンの大学:ビミョーなバランスのマネジメント」に対しては、何人かの方々からメールをいただきました。 その中で、僕がハッとさせられたのは、東京大学教育学部で同期だったBさんからのメールでした。彼女は、現在、某大手メーカに勤務なさっています。 下記はBさんのメール(読みやすいように一部改)。
なるほど・・・深い。 確かにそうかもしれませんね、そこには僕は全く気づかなかった。Bさんが、ここで指摘しているのは、下記のとおりです。
そして、これを大学に敷衍して考えると下記のようになりますね。もちろん、大学の提供する教育サービスが、一般的なメーカの提供する「製品」と同じかどうかというのには議論の必要があります。しかし、仮にそれをいったん認めると、下記のような仮説が成り立つ。
このBさんの予想が確かなものであるならば、いずれ、大学は教育の質とは異なる部分で勝負をする時代に突入するはずです。もしかすると、こうした事態は、この日記をお読み頂いているあなたの子どもの世代のことかもしれない。 近い将来のダイガク - それは、あなたが、かつて夢見ていた大学ですか? 2004/07/09 育成の違い 最近、アメリカと日本の「人材育成のやりかたの違い」について、実感をもって「わかる」機会が多い。 常識的には、日本の人材育成は、いわゆる「プログラム化されてないOn Job Training」。要するに、「仕事をやりながら覚える」といったかたちで人材育成がなされる。 それに対し、アメリカは「プログラム化されたOff Job Traning(たとえば、体系化されたコースやプログラムを受講し、資格証明をうける)」である。 これらはいわゆる「ステレオタイプ」であるけれど、細かいことはここでは述べない。とにもかくにも、そういう風に認識されることが多い。 簡単な例をだそう。 たとえば研究者の場合、日本の研究者養成の方法というのは、典型的な「プログラム化されていないOJT」である。もちろん、これは大学や研究室の文化の違いもあるから一概にはいえない。しかし、様々な方法があろうが、一般的にマスターの頃から継続的に自分の研究テーマを何とかかんとか立ち上げ、先輩や教授に指導されながら、実験計画をたて、被験者を集め、開発も行い、インプリメンテーションをこなす。そのうえで、評価も行い、学会論文をしあげていく。 どちらかというと、授業におけるアサインメントなどはあまり重要視されていない傾向がある。修士論文を執筆し、無事博士課程に進んだら、さらに研究を進め、学会論文を何本か書き、就職したり、学位を取得したりする。 このプロセスは、明示化されたプログラムではない。多くの場合、研究室の様々な人に助けられながら、徒弟的にアドホックに学習が進む。 これに対して、米国は全く事情が異なる。大学によっても異なるが、一般的には大学院在学中には、学会論文は書かない。修士課程、博士課程の半分くらいは、ひたすら授業にでて、アサインメントをこなす。修士論文を執筆するところも、あまり多くない。博士論文が最初の論文執筆であることもザラである。その博士論文をまとめて、多くの場合、職をゲットする。 こうした人材育成方針の違いは、何も研究者だけじゃない。たとえば、カミサンの職業であるディレクターもそうらしい。 日本の場合、こと某局の場合、大学卒業後数ヶ月から1年で、すぐに自分の番組を担当し、「卓」にすわってキューをだす。少なくとも1年をたつころには、一通りのディレクションを経験する。ロケもいくし、編集もする。美術セットも発注するし、台本も書く。もちろん、これらの仕事は、見よう見まねで覚えるしかない。 しかし、どうもアメリカの場合、ディレクターというと、大学院レベルのフィルム学科や映像学科などをでて、そこで自分の作品を幾つもつくった人がなるものであるのだという。だから当然、年齢はこちらの方が高くなる。 先日から彼女は、大学院のサマーコースに通っているが、その場で自己紹介のときなどに、自分が「ディレクターであること」を述べると、驚愕されるという。若すぎるからである。中には、「オマエが本当にディレクションをしているのか?」と質問してくる人もいるらしい。 どちらがよいのか、という2者択一のレベルの低い議論はしたくない。こうした人材育成の手法は深く文化に埋めこまれているものである。それだけをとりだして、印象批評したところで、何ら建設的な議論にはならない。 それはそれぞれにメリットもあれば、デメリットも持ち合わせている。たとえば日本の場合、OJTがうまく成立している場合がいいが、先達からのサポートがない場合、それは「放置プレイ」になりかねない。また学ばなければならないことが体系化されていないため、ともすれば知識が虫食いになるおそれがある。 MITのある先生に聞いたところによると、アメリカの大学院にも問題はあるとのことであった。博士論文がすべてのゴールであるため、「博士はとったけれど、それから何をしていいかわからない病」にかかる人も多いのだという。また、そもそも「アサインメントはこなせるし、人の研究はよく覚えて批評できるんだけど、自分の研究がさっぱりできない病」にかかる人もいるという。 この手法に関して、結局のところ、どんな国にいようとも、優秀な人材育成を行える場というのは、日米2つの方法がミックスされているものであると僕は思っている。 たとえば、日本で数多くの研究者を輩出している研究室の場合、確かに授業でアサインメントをこなさないかわりに、勉強会やネットワーキングの機会が非公式的に組織化されている場合が多い。そうした場では、本を読むことがリクアイアメントにもなるし、人々の話題に最新の文献の話がでる。そもそも論文を書くときには、多くの先行研究を調べる必要がある。「読書」が「先生から与えられたリーディングリスト」や「アサインメントをこなすため」に必ずしも限定されていないため、自ら書籍に埋もれる「読書人」も多い。 アメリカの場合だって、しかりである。学会誌のピアレビューほど厳しくないものの、授業のファイナルレポートは、本当にシビアなものもあると聞く。また、ファカルティのプロジェクトにRAとして雇用される場合も非常に多い。その場合は、自分の学んだことを活かして仕事を遂行することが求められる。 このように両者の育成システムは全く異なるものの、それを子細に見ていくと、案外、「学び方」には共通点があるのだと僕は思っている。決して表面的な違いだけに惑わされてはいけない。ステキな学びの場というものは、必ず、様々な学び方が組み合わされているものである。 そして、これはアタリマエのことだが、アメリカの大学をでようと、日本の大学をでようと、「スゴイ人もいれば、スゴクない人もいる」。「できる人はできるし、できない人はできない」。それが、この文章の中で唯一の、もっとも確かな事実ではないかと思う。 --- 追伸. これらのビデオ、オシャレ系の洋服屋や雑貨屋などで売っていたから、存在は知っていたが、はじめて見た。日本でも1年前くらいに話題になっていた。これ、どうやって撮影したんだろう、という映像も数多く含まれている。オススメは、ミシェル=ゴンドリーの作品。 DIRECTORS LABEL スパイク・ジョーンズ BEST SELECTION DIRECTORS LABEL ミシェル・ゴンドリー BEST SELECTION DIRECTORS LABEL クリス・カニンガム BEST SELECTION DIRECTORS LABEL スペシャル・トリプル・パック 2004/07/08 美術館 あと1週間ほどで、高校時代の友人(麻雀仲間&飲み友達)の加茂くんがボストンにくる。大阪大学大学院を修了後、某食品メーカーの研究所に就職というのが彼の経歴。専門はタンパク質の研究。現在は、イソフラボンの開発に携わっている。 彼の滞在は2日しかないが、美術館を訪ねたいのだという。彼がくるのは週末なので、僕も一緒にMuseum of Fine artsに出かけようと思っている。 Museum of Fine Artsには、とても1日では見切れないほどの、作品が展示されている。数ある絵の中でも、僕が一番好きなのは、ルノアールの「ブージヴァルの踊り」と、ゴーギャンの「Where do we come from, What we do? Where are we going?」である。 休日のブランチを楽しんでいる多くの人の微笑みの中で、踊る男と少女 - これは前者のモチーフである。後者は、人間が生まれてから死ぬまでを広大なキャンパスに表現した、いわば叙事詩のような絵。 Museum of Fine artsの横には、イザベラ・ガードナー美術館というものもある。ここは、ボストンの文化活動を支えるパトロネージュであったイザベラ=ガードナー婦人がたてた私立美術館。 所蔵品もさることながら、内部の庭園がとても美しいとのことである。実は、恥ずかしながら、この高名な美術館を、何度も耳にしていながら、僕は訪れたことがなかった。 これは良いチャンスだ、加茂くんとこの美術館にも足を伸ばそうと思う。 2004/07/07 「意図的な教育」で何が悪い? 東京大学大学院情報学環の酒井君、荒木さんと一緒にやっている「王様研究会」で、ふとしたことから、「意図的な教育の是非」が話題になった。 もう少し具体的にいおう。要するに僕らの間で問題になったのは、「教師などの第三者によって、意図的につくられた / 意図的にデザインされた教育というのはよくないのか」ということである。 世の中に流布する教育論 / あるいは人々が素朴にもっている教育信念には、「意図的に子どもに教え込むのではなく、子ども自身に自ら問いを見つけさせるべきだ」というのがとても多い。この背後には、「学習の場をつくる人間が意図的であること=教え込み」といったような、あまりに単純で凡庸な図式が見て取れる。 こうした語りに、僕は今まで何度であってきただろう。特に、教育に関して、何らかのロマンティシズムを感じる人に、その傾向は強い。 たとえば僕が「あなたがこの教材で学習者に一番学んで欲しいことはナンですか?」と聞くと、「いいえ、わたしから学習者に学んで欲しいことを押しつけるのではなく、彼らが自らモティベーションをもって学べるコミュニティを準備したいのです・・・」ということばがかえってくる。要するに、教える側から意図的に何かを学ばせるのは、悪だと考えている節がある。 この問題、いつだったか、前に一度、何か自分なりに答えをだしたことがあるなぁと思っていたら、自分のホームページに雑文を発見した。
この雑文を僕が執筆したのは、大阪大学大学院に通っていた修士1年の頃。ここで僕は、「教師の意図のなき実践」を「よき実践」と認識することが夢想に過ぎないことを述べている。 「猿がすかしっ屁をこいたレベルの僕の雑文」とは全くクオリティが異なるが、お茶の水女子大学の耳塚先生が、同じようなテーマで下記のような小論を書いていらっしゃる。
耳塚先生は、「子どもたち個々人の発達可能性は無限であり、それがある種の環境の中で開花することを期待し、学校や教員を個の可能性を拓くための支援者として位置づける、ある種のイデオロギー」、僕の言葉でいえば、いわゆる「非意図的な教育」に「ロマンチック教育学」の成立をみている。 言うまでもないことだが、改めて断言する。 教える側の意図が反映してない教育なんて存在しない 意図的にデザインされてない交流学習なんて存在しない どんなに美しい言葉におき変わろうとも、これら命題の意味するところはかわらない。
2004/07/06 スンさんとディナー、韓国のこと 韓国企業「サムソン」から、MIT Media Labの客員研究員として渡米しているスンさんと一緒に、ハーバードスクエアでディナーを一緒にした。 スンさんとはいろいろな話をしたが、印象的だったのは「現在、サムソンのプロダクトの80%が海外に輸出されている」という話。 その理由としては、1) 国民の余剰所得が少なく、購買力がまだ成熟していないこと、2)韓国は日本の人口の約半分なので、そもそもマーケットが小さいこと、があるのだという。その結果、多くのプロダクトは、自国ではあまり売れないのだという。 しかし、一方で、韓国はこのところIT関連で急成長を遂げていることは周知のとおりである。特に「ITを活用した教育」「教育の情報化」に関しては、成長率は非常に高い。日本を既に凌駕したと指摘する人も多い。 数年後、韓国はどのように変貌するのだろう。 2004/07/05 ゲーム 先日、北村さん@東京海上HRAからご紹介があって藤本さんという方と知り合いになりました。藤本さんは、現在、ペンシルバニア州立大学大学院で教育工学のPh.Dコースに在籍していらっしゃいます。
藤本さんのご研究は、教育にゲームをどのように応用するか、ということだそうです。ご自身、Serious Games Japanというサイトを運営なさっています。まだ僕も全部は読み切れていないけれど、とてもオモシロイ内容です。。
この領域の研究動向は、前に藤江くん@前・東京大学情報学環、現・任天堂に教えてもらったことがあるけれど、今まさに発展してますって感じで興味深いですね。 まだ藤本さんには一度もお会いしたことがないので、今度、帰国したおりにでも、是非、お逢いしたいものです。 2004/07/04 独立記念日のボストン 今日は独立記念日。日曜日だっていうのに、朝っぱら早くから、でかけてきました。朝は9時に連邦ビルの前でのセレモニーに参加。その後、10時から旧・州議会場で行われた「独立宣言書の読み上げ」を見てきました。 夕方には、昨日と同様、チャールズリバー沿いのチェストナットに行きました。言うまでもなく、ボストンポップスのコンサートと花火を楽しむためです。 僕らが着いたのは午後6時頃。チェストナットに入るセキュリティチェックを何とかすり抜けることができました。僕らが入場後数分して、中への立ち入りは禁止されましたので、来年お出かけになる方は、もうすこし早くでることをお勧めします。 会場には、昨日とは比較にならないほど人がいました。集まった人の数は、約45万人だそうです。 8時30分からはじまったコンサートは、10時半に終わりました。途中、ツアイコフスキーの1812のオーバチュアなどのときには、花火が打ち上がります。 本格的に花火が行われるのは、10時30分のコンサート終了後。花火は完全にコンピュータ制御だそうで、BGMにあわせて爆発が起こる。これは日本とは全く異なる形式ですね。本当に感動しました。 以下、昨日の写真+ビデオと、来年、独立記念日にボストンにこられる方のために、Tipsをまとめましたので、ご覧下さい。
2004/07/03 独立記念日前夜 7月初旬のボストンは、お祭り騒ぎである。 今から226年前の1776年7月4日、ここボストンの州議会場において、独立宣言書にサインがなされた。 13州のイギリス植民地は、「この植民地は、今や自由で独立した国家である」という言葉のあとに、アメリカ合衆国になった。だからアメリカ人にとって、この日、そして、この日のボストンは、特別な意味をもつ。一般にアメリカ人は、やはり愛国心がとっても強いように思える。街には、小さな星条旗をもった人が溢れている。 僕はバリバリ日本人なので、それほど、この国の建国には興味がない。しかし、この時期は、ボストンポップスオーケストラが、いろいろな特集を組む。カミサンとは、以前から、「独立記念日前後はボストンポップスを満喫しよう」と申し合わせていた。 2日の夜には、今期4度目になるホールでのコンサートにいった。3日、4日はチャールズリバー沿いのナットシェルと言われる場所で野外コンサートが行われるから、その日が最後のホールでのコンサートとなる。 この日の演目はガーシュウィン。席はオーケストラ席を予約した。この席のお客さんは、テーブルを囲んで座り、ワインやアペタイザーなどを味わいながら、音楽を聴くことができる。ワインを飲みながら、大好きな「Rhapsody in blue」の生演奏を聴くのは、最高だった。かなりアレンジがはいっていた。 今日(3日)の夜は、シートやベーグルなどをもって、ナットシェルにでかけた。僕らがついたのは6時前後。既に、ナットシェルには、たくさんの人たちが、8時30分からはじまるコンサートの開始をまっていた。
グレンミラーの「In the mood」や、ツァイコフスキーの「1812」。定番曲満載の2時間だった。この日は、丁度、明日(4日)の本番のリハをかねているらしく、途中で、ラジオの収録などが行われていた。ちなみに、明日のコンサートでは、オーケストラの音楽にあわせ、花火が打ち上げられる。その様子は、全米に放映されるとのことだった。 明日日曜日は、朝からクインシーマーケット付近で様々なイベントが行われる。日曜日ではあるが、朝早くおきて出かけようと思う。 2004/07/03 ニッポンの大学:ビミョーなバランスのマネジメント 先日、ジャーナリストの菅谷明子さんとMITでお逢いし、お話しをしました。菅谷さんは、数年前、海外の教育現場で注目されていた「メディア・リテラシー」を紹介するご著書を出版された方です。近年では、公共図書館についての御著書も上梓なさいました。 当日お話しした内容の多くは、菅谷さんが今後進めていきたいと思われている「大学教育」についてでした。 いつものごとく、僕は、まとまりなく話していたのですが、その中でひとつだけ、自分が今回留学しなかったら起こらなかったであろう認識の変化に気づきました。 それは・・・うーん、既にどこかで書いたのかも知れませんが、「大学には、社会の公共の知的基盤をつくる責務がある」という考え方です。結論からいいますと、どんなに大学が競争的立場に置かれたとしても、そうした考え方を決して捨ててはいけないのだと思うようになりました。現在大学は「公共の知なんてどうでもいいし時代遅れだ。これからはお金をもらってサービスを提供するのが大学なのだ!」という考え方が体制をしめている。しかし、僕は、それが過度に行き過ぎるのは問題があると思っています。しかし、同時に、「公共の知をつくるのだ」という名目でこれまでの大学のあり方が、「そのまま」あり続けるのも問題があるとも思っている。 結論を最初にいいますと、これからの大学は、「サービス提供機関としての大学のあり方」と「公共の知を生み出す大学のあり方」、両者のバランスをうまくとりながら、マネジメントされるべきだと思っている、ということです。ペーペーの助手が大学一般を語るなって? 若いやつが教育のこと考え、語って何が悪い!・・・オマエは若くないって・・・失礼しました。 閑話休題 正直にいいますと、かつての僕にはこういった考え方は薄かった。タテマエではもちろんわかってるつもりでしたが、それが自分とどういう関係があるのか、僕にはわからなかった。 留学する前の僕は、「大学は、社会に教育をサービスとして提供する」のだと考えていました。もちろん、すべて信じていたわけではありません。むしろ、この問題をトレードオフ(二者択一)の問題として把握していたという方が、正確かも知れません。 この2つ、一見しただけでは、さほど言っていることは変わらないのかも知れませんが、ひとつだけ重要な差異があります。それは、「責務」という言葉と「サービス」という言葉の差です。 後者が「サービス」というからには、サービスを受ける主体と、サービスをうけるかわりにやりとりされる対価があるはずです。そして、必然的に「サービスを受けられる人」と「サービスを受けられない人」が絶対にでてくる。 それに対して、前者は「責務」です。私立大学でも公立大学でも、大学が税金で運営されていることは否めぬ事実です。そして「責務」という言葉のウラには、「一応、社会のみんなの役にたつこと」を目指すっていう理想があります。サービスをうける主体は必ずしも個人をさしません。 とまぁ、ここまで単純な二分法で考えてきましたが、重要なのはここからです。 アメリカの大学 - 過剰な一般化ですね、ハイ・・・少なくとも僕がこれまで見聞きしていたMITやハーバード大学では- 「サービス」と「責務」をうまく使いこなしながら、大学経営や研究室運営を行っているように思うのです。要するに、どっちかを2者選択するのではない。要するに2分法をこえて、うまく両者の機能を両立させようとしているように見えるのです。 ある場面では、知的資本を企業などに提供するかわりに、莫大な研究費を企業や外部団体から獲得する。あるいは、自らの智恵を「サービス」として切り売りする。これがサービスとしての側面ですね。 その一方で、地域の人たちや、学問領域に関心のある人たちを巻き込んで、いろんなプロジェクトを立ち上げたり、フリーで議論に参加できる様々な機会を提供している。これが「責務」の側面。 でも、ポイントは「責務」といっても、別に堅苦しくない。「エライ先生の議論を壇上から拝聴させていただきます」式のムサクルシイ会議ではなくて、そこにはCokeとAu Bon Painのサンドイッチがあって、それらをつまみながら、智恵を交換しあう場。そこはイヴァン=イリッチ風にいうならば、コンヴィヴィアリティあふれる場ということになるでしょうか。 こちらにきて、僕はそうしたことを試みている研究者を何度も見てきました。彼らはファカルティとして人々の尊敬を集めていた。
2004年4月1日、ニッポンの国立大学は明治以来の大改革を断行しました。実は、その真っ最中に僕はボストンにいたわけで、それがどのようなものであるのか・・・そのインパクト、僕にはまだわかっていません。 でも「民間の経営手法を取り入れる」だとか、「学長の権限を強くする」「大学間に競争原理を導入する」だとか、まぁ、いろいろ言われています。もちろん、これまでの大学には様々な非効率な部分があったように思われますので、そうした様々な経営手法を、僕は、すべて否定することはできません。程度問題なのですが、そうした原理は「全く不必要」であるとは僕には思えないのです。 しかし、重要なことはこの改革の背後には「大学は教育サービスの提供手段である」という考え方が色濃く出ている。そして、その色が濃いだけに、ともすれば、「大学が社会の公共の知をつくる責務をもつ」という側面が忘れられてしまう可能性がある。 つまり、問題がトレードオフとしてとらえられ、「公共の知なんてどうでもいいし時代遅れだ。これからはお金をもらってサービスを提供するのが大学なのだ!」と単純に考えられることが、一番怖い気がするのです。 単純な事例をだしましょう。 たとえば、これまで大学の個々の研究者が行う研究会には、必ずモグリの人がいて、まぁ、いろんな社会的背景をもった人が参加していました。こういう機会がだんだん失われて、研究費を負担してくれてるスポンサーだけに限定したセミナーしかやらなくなるだとかってことが、近い将来にどんどん起こってくるかもしれない。 また、お金をもっている学生しか相手にしないようなプリステージャスなコースをつくって、そこでは一流講師や会社の重役などとネットワーキングする機会がふんだんに与えられているとかね、そういうことが起こりそうに思えるのです。
日本では、教育は「ビジネス」として把握されず、聖性が付与されやすい傾向があります。昔から「教育でお金をとるとは何事だ」という考え方がありますね。 こうした考えにははっきり言って賛成できない。これも僕にはどうかと思うのです。「学ぶため / 知るには授業料が必要である」・・・これはアタリマエのことです。こうした「教育を聖なるもの」として把握する「過剰なまなざし」が、教育産業の発展を妨げてきたし、質の向上に寄与しなかった可能性がある、僕はそう思っています。 もちろん、これを手放しで認めることはできない。ここに論理の飛躍があることはわかっている。「お金をとれば質があがる」というのは、明らかなる論理の飛躍。「市場のチカラにまかせれば、質はよくなる」と素朴に思いこんでいる人、結構多いんですが、「その根拠は?」とたずねると、「だって、競争が起こるんだから質あがるでしょ!」と返してくる。で、さらに「どうして競争だと質があがるの?」と聞くと黙ってしまう。 そういう人たちは、「市場」というものを、どこか万能かつ中立な主体に見立てているのではないでしょうか。確かに、市場のチカラにまかせれば、質があがることはある。しかし、そうならないものも多い。いわゆる「悪貨は良貨を駆逐する」というヤツです。市場のチカラにまかせても、質があがらないものも多いのです。こと、公共領域に関して市場は万能ではない。「個人のシアワセやリエキの追求」と「社会厚生の追求」のディレンマをどう解消するか、という研究領域 - 公共経済学の知見に詳しいです。 しかし同時に、すべての教育が市場化され、サービスとして物象化されるのは考えものですよね。極化(Polarization)現象というのでしょうか。これまでひとつの価値が世の中の人に信じられていればいるほど、こうした極化が起こりやすいのです。新しい案を熱狂的に信じることが、人々のルサンチマンとなるからです。 そうではないのです。僕が思うに、今の大学に必要なのは、「サービス」と「社会に対する責務」の微妙なバランスであるように思うのです。そして、そうした微妙なバランスをとりながら、組織を発展させていくマネジメントだと思います。 いつでしたか、カミサンとドラッカーの「非営利組織のマネジメント」に関する本をよんだことがあります。そのときに、こんなような一節に出逢いました。二人でなるほどな、と思ったことがあります。
「ニッポンの大学」、そして「ニッポンの研究者」は、この微妙なバランスをマネジメントできるのでしょうか。 この問題、どんな人にとっても無縁な話ではないと思います。子どもをこれから生む予定のある方は言うまでもないですが、大学を卒業して数十年たつ方、大学に行ったことのない方にも、間接的に影響は及ぶような気がします。断じて他人事ではないのです。 皆さんはどう思われますか? 2004/07/02 Sex and the city TBS(ケーブル31チャンネル)にて再放送されている大人気ドラマ「SEX AND THE CITY」を見ている。
このドラマの舞台はニューヨーク、マンハッタン。 ジメジメしてるんじゃなくて、むしろスタイリッシュ。セクシーでいながら、スマート。 おっと、日本でもDVDが売られてるんだねぇ。話がオモシロイので、英語のヒアリングにもいいかもしれない。 それにしても、こういうドラマが日本にあってもいいな、と思う。昔のトレンディドラマってこのノリだったんだろうか・・・あんまり覚えてないけど。 イヤ、なんか違うんだよなぁ。まぁ、いずれにしても、「冬のソナタ」とは対局のドラマです。 2004/07/01 オペラ座の怪人 ちょっと前のことになるが、先日、休日を利用してニューヨークに出かけ、ミュージカル「オペラ座の怪人」をみた。 このミュージカル、実は、僕にとっては2回目の鑑賞になる。最初に見たのは、今から約11年前。僕はまだ旭川で暮らす高校生だった頃だ。 旭川から電車にのって2時間。札幌駅前には劇団四季のテントが開設されていた。すごく「シバレた日」だったことを覚えている。凍えそうな身体が、テントに入ったら暖まった。テントでの3時間のスペクタクルはあっという間だった。 実は、このときが僕にとっては、はじめてミュージカルというものを見た瞬間で、エライ感動して帰ってきたのを覚えている。 帰りの電車では、思わず(予定通りか・・・)ビールを買って、一緒にいった連れと、今見てきた光景について、盛り上がった。 それから11年・・・ 久しぶりにみた「オペラ座の怪人」に、僕はあの頃と同じように感動した。落ちてくるシャンデリア、クリスティーヌの美しい歌声、仮面舞踏会での華やかな衣装とダンス、そして言いようのない怪人の悲しみ。 興奮冷めやらぬままにマジェスティックシアターをでた。ふいに、「ひとつの考え」がアタマをよぎった。 「このミュージカル、もう一回、見に来るような気がするな・・・きっと。そのとき、僕は、どんなことをしているだろうなぁ・・・。」 この11年間の中で、僕のまわりで起こった様々な出来事。そして、次に僕がこのミュージカルを見にくるまでに、僕が経験するであろう多くの出来事。 そのとき、僕は何をしていて、何を感じているだろうか。 |
NAKAHARA,Jun
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