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Blue sky at hawaii photo
by Miwa
2003/10/31 近況 ...29日 都内で会議を2つすましたあと、夕方、新横浜の東芝研修所へ。日本総研の荒木さん、企業研究会の西尾さんと、東芝総合人材開発株式会社へ。東芝の中山さんをまじえて打ち合わせ。その後、早々に帰宅。あるプレゼンのアウトラインを決めるのに、異常なほど時間がかかる。 深夜、東京海上の北村さんからうれしい知らせ。企業内教育本、ようやく、すべてのインタビュー先が決まった。 ...30日 各種事務書類をこなし、森田正康君が現在申請しているNPO法人の理事メーリングリストに自己紹介メールを送る。 そういえば、 嬉しいことひとつあったナリよ。先日の健康診断の結果。なんと、わたくしめの肝臓様は、立派に任務をまっとうなさっているとのこと(A判定)。スバラシイ。ひとつB判定だったのは、善玉コレステロールが多すぎるってことだな、多いんだからいいんじゃねーか? お昼、チュラロンコン大学からNIMEの客員研究員として勤務なさっているアヌチャイ先生、西森さんをまじえてディスカッション。Communityの評価について先行研究をまじえて議論(何をもって成功したコミュニティをつくれたのだ、と言える基準についてイロイロと先行研究を検討した)。共同研究をすることになった、久しぶりにかなりエキサイティングする。このプロジェクトに望月君@総合研究大学院大学を誘う。 夜、英会話のプライベートチューターのジャネットとあう。で、1時間レッスン。未だ僕の英語はヘロヘロだが、まぁ、なれてきたことは間違いない。 おうちで夕食。11月後半のセミナー、12月のNIMEシンポのプレゼンをシコシコとつくる。「白い巨頭」じゃなかった、「白い巨塔」に心奪われる。 NHK解説員の早川さんより、12月でNHKで行う講演のスケジュール調整。17日夜に決定。今から楽しみだ。 2003/10/30 学位授与 過日、大阪大学から博士(人間科学)の学位を授与された。通知を受け取った瞬間、何ともいえない喜びがこみあげた。 これまで共同研究でご一緒させていただいた研究者の方々、勉強会などでともに学んだ大阪大学大学院生の方々、実証実験等に参加頂いた多くの子どもたちや学部生たち、そして最後まで熱心にご指導いただいた主査・副査の先生方にあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。 ひとつの区切り、新たなスタート。 2003/10/29 フィールドワーク 今から7年前、僕は、当時、神応小学校の教諭であった苅宿先生の授業を1年間、参与観察させていただく機会に恵まれた。 先日、その頃の写真を苅宿先生からお借りして、自宅のスキャナで取り込み、焼き増しした。焼き増しした100枚をこえる写真の中に、参与観察中の自分がうつっていって、とってもびっくりした。 僕は後ろの方でフィールドノーツをつけている。しかし、このような写真が撮影されていたことも、そして残っていたことすら、全く知らなかった。写真の様子から類推するに、僕の記憶が確かならば、このときは須永先生@多摩美術大学のところの学生さんたちが、苅宿先生の授業に参加し、自分たちでつくった子供用ソフトウェアを子どもたちに見せていたような気がする。 この写真をしばらく眺めていたら、フィールドワークをやってみたくて、仕方がなくなってしまった。帰国したら、フィールドワーク、行おうと思う。今度、入ってみたいフィールドは、あそこにお願いしたいものだ。そこではどんな出来事が起こるだろうか。今から楽しみで仕方がない。 2003/10/28 今がオモシロイとき 企業内教育本、インタビュー先がすべてきまって、執筆を進めている。先日はコラムを書き始めた。現在、序章と終章に何を書こうか、非常に悩んでいる次第である。 今回の本の執筆方針としては、アカデミックな議論の整理を行うことは、据えられていない。それは次回の書籍で行いたい。しかし、そうはいっても、執筆者(企画立案者)としては、キッチリと自分のアタマの中に問題領域の地図をつくっておく必要がある。 人事マネジメント論、労務管理論、テクノサイエンス研究、経営学、社会学、労働経済学・・・浅く広くではあるが、ホントウにゼロから、ゼーゼー、ヒーヒー言いながら、学んでいる。 それぞれの領域の、いわゆる「基本書」と言われるようなものを、十数冊購入し、あとはひたすら読む。重要なことは、いつも使っているテキストエディタで、決まったフォーマットで保存する。あとから検索する場合には、Grepを使えばよい。 集中力も途切れることが多い。つい、コーヒーをいれたり、ゴミをだしにいってしまう。「集中力ねーな、年とったのかな」とも思ったが、それはウソだった。昔から、僕にそんな集中力はなかったことを忘れていただけだった。 この本の企画をたてるにあたって、それぞれのディシプリンがどのようなアプローチをとるのか、についてはある程度把握していたものの、いざ、それらについて自分が何かを語る、ということになると話は別だ、ということに最近気づいてきた。 なにせ、整理がしにくい。それぞれの学問によって、専門用語は異なるし、結論もいろいろである。同じコトを言っているのに、一見しただけでは、全く違っているものを追い求めているような研究も見受けられる。 油断するとすぐにわからなくなる。僕がいつも使っている語の体系ではないから、「はひーっ」て油断するとすぐにわからなくなってしまう。わからないもの、自分の中で整理のできないものを、他人に語れるわけがない。 要するに、自分の中で「ストン」と落ちなければダメなのだ。まずはひとつの領域で本に書いてあることを理解する。そして、関連する領域間で同じコトを言っているものを探す。比較である。次に、継続的に今行っている人材育成担当者に対するヒアリングの声と、照らし合わせる。そこまでできたら、次の課題を探す。 途方に暮れるときもある。寝床で書籍を読んでいて、僕が「ストン」と落ちてしまうときもある。 まぁ、今が大変なときである。しかし、皮肉なことだが、今が一番オモシロイ時なのかもしれないな、と思う。なんか、楽しい。焦らず、腐らず、今日も頑張ろう。 2003/10/27 東京あるき 我ながら「ジジ臭いかな」、と少しだけ思うけれど、最近、週末の晴れた日に、東京を「歩くこと」がお気に入りになってしまった。 もう既に何度も行ったことのある場所。 日々、都内で開かれる会議などに出席するときには、当然の事ながら、電車にのっていくことが多いんだけども、そのときには、見えなかったものが、週末のこのゆっくりとした時間には「見えるようになる」から不思議だ。ギボ○イコ的なシューマツ。 ほほー、あの会社はこんなところにあったのか この日は恵比寿から白金を抜け広尾へ。
この日は聖路加ガーデンのタワーにまずはのぼって、その後、築地方面へ。築地では、懐かしいお店を発見。僕が、上京した18歳のとき、大学合格のお祝いに家族ででかけた寿司屋。築地の朝日新聞社を抜け、汐留へ。
この日は、東京駅近辺を散歩。ブリジストン美術館で絵を鑑賞したあと、大丸東京駅店の8Fでやっている「チーズとワインフェスタ」で、ワインをしこたま購入。試飲して購入することができるので、大変よい。その後、東京駅の1F(丸の内 - 八重洲連絡通路付近)のベーグルショップでランチ。その後、お隣の焼酎屋さんで物色。
なんだか、こうやって「ここ行きました」「あそこでオチャケ飲みましたぁ」って写真をのせて紹介すると、めちゃくちゃ暇そうな人みたいなんだけど、そうでもないんです。いいじゃん、週末の楽しみなんだから。 今度はどの街を歩こうか? 2003/10/26 親 先日、ワタクシ、とある異業種交流会で講演したときのこと。別のプレゼンターの方が、k-12のオンライン・チャータースクールのことを話題にしていた。 このチャータースクール、名前を「K-12 Virtual Academy」という。
通常のチャータースクールはもちろん、フェイス・ツー・フェイスの環境で運営されているが、k-12 Virtual Academyは、「通信教育+オンラインでの学習」という手段で運営されているのだという。 全カリキュラムにしめるオンライン学習の比率は、5年生で20-30%程度である。それは学年に従って上昇するらしい。現在、全米11州が、このバーチャル・スクールを認可し、そこで12000人の生徒が学んでいる。 このチャータースクール、個人的にオモシロイなと思ったのは、k-12.comの学習が「子どもにオンラインでの自学学習を行わせる」のではなく、「親の関与」を積極的に求めるカリキュラムとなっていることである。 たとえば、1日の学習時間を5時間とすると、3時間は保護者の指導によって学習することが期待されているのだという。PCの操作に関しては、主に親が担うらしい。 僕もかつて小学生、中学生を対象にした、学校外の共同学習プロジェクトを経験したことがあるが、そうした状況で子どもにオンラインで学習をさせようとするときには、「親」というリソースをいかに活用できるか、カリキュラムのどの部分に親の関与を求めるのか、がキーになるような気がする。 この種のスクールの社会的意義、および、教育的な妥当性に関しては、議論が必要であることは言うまでもない。もちろん、日本で成功するかどうかは未知数だと思う。しかし、アメリカでは、「最高水準のカリキュラムを収入や居住地にかかわらず受けたい」「自分の子どもの教育により積極的に関わりたい」という親のニーズをとらえ成長しているのだとか。 そんなに、言うほど、アメリカの地域の学校はダメなんだろうか・・・ 2003/10/23 神応小 先日、ちょうど1ヶ月くらい前のことだろうか、港区白金の神応小学校(しんのうしょうがっこう)に行く機会を得た。 キッカケは「フラリ」だった。 恵比寿でカミサンと食事をしていて、「おーっ、食った、食った。腹ごなしにプラプラと散歩でもしていくか」という感じで歩き始めたのが、そもそもの発端。恵比寿の裏側にあるウェスティンホテルを見物して、そこの前の通りをテクテクと歩き、道すがら、掘り出し物のインテリア小物を買い、それでも懲りずにテクテク歩き...。 大きな通りをこえ、「あっ、ここ見たことのある通りだな」と思ったら、そこが、かつて大きなビデオカメラをかついで走った、あの通りだった。 神応小学校に僕が通っていたのは、学部の4年生の頃、今から7年前。卒業論文の執筆のためだった。神応小学校で、「コンピュータを効果的に用いた独創的な授業」をなさっていた苅宿先生にお世話になり、毎週1回から2回、授業観察をさせていただいていた。 当時の僕は完全夜型人間。朝早くおきて、参与観察に必要な機材をそろえ、満員電車にゆられて、広尾へ。数時間の参与観察のあと、フィールドノーツの執筆。フィールドノーツを書くのは、観察時間の数倍の時間がかかった。大変だったけど、充実した日々だった。
あの頃と同じように、大通りから狭い路地に入り、階段を上って、高台にある公園へ。そこを抜ければ、神応小学校である。階段の途中では、高校生の男女と出会った。 「7年前、僕が接していた子どもたちは、今通り過ぎた、高校生くらいの年齢になっているんだろうな...」、そう思ったら、なんだかえらく長い時間を過ごしてきたような錯覚に陥った。 神応小学校についた。7年前とほとんど同じ、少し色あせた校舎が目に飛び込んできた。はからずも、「ワーっ」と声をあげてしまった。校舎を一回り見てまわるのにしばらく時間を過ごし、僕らはそこを後にした。帰り道、何度か後ろを振り向いた。 行きに見た公園では、親子連れがブランコで遊んでいた。遠くに目をやると、7年前にはなかった「六本木ヒルズの銀色のビルディング」が、そびえ立っていた。 2003/10/22 月光 缶ビールでの晩酌まじえた夕食を終え、原稿を書く。なんだか筆ははかどらぬ。否、正確に言うならば、キーボードを押す指ひとつひとつの運びが悪い。どうにも重い。 先日買ったCDのことを思い出し、プレーヤーにかけてみた。 僕のステレオは、もう10年以上前に、ひとつひとつ単品として親から買いたしてもらったもので、まぁ、中には故障している機能もあったりするシロモノだが、今でも騙しだまし使っている。 シャッフル再生の結果、一番最初に、古びたスピーカーから流れてきたのは、「月光ソナタ」。ビートルズの後期の楽曲の中に、月光のコードを丁度逆からなぞったものがあったことを思い出しながら聞いた。確か名前を「Because」といったか。 月光 かつて10年弱通っていたピアノ教室で聞いたのが、はじめてだったと思う。子どものときに聞いても、今、オトナになってから聞いても、相変わらず、もの悲しく美しい。 ベランダから、うっすら白い、空見あげるものの、月は見えない。 2003/10/20 マツタケ カミサンの2番目の妹「ジュンコさん」の旦那さんの岡山の実家から(うーむ、「の」が続く...)、マツタケをいただいた。マツタケは香りが命だという。いただいたマツタケは、前の日の朝にとられたもの。香りが失われないうちにできるだけ早く食べなければならぬ、ということで、夕食は既にすましていたものの、深夜に食べることになった。 マツタケを魚焼き器の上にのせる。本当ならば、「炭焼」がいいのかもしれないが、あいにく七輪を持ち合わせてはいない。火加減はこれでいいだろう。あとは待つべし。 栗焼酎をやりながら食してみた。コリコリとした食感とともに、マツタケ特有の香ばしい香りが口に広がる。栗焼酎ととてもよくあう。 秋の到来を実感する。 2003/10/17 ビジョン ビジョンという言葉ほど安易な使われ方をしているものはない。
こういう語りぐさを、よく聞く。 なるほど、そうした物言いは、一応は理解できる。確かに、ビジョンは必要だ。ないよりあった方がいい。しかし、会議などで議題が硬直した際に、そうした物言いが、いつも無反省に繰り返されるのを聞いていると、どこか釈然としない思いも沸いてくる。 第一に「ビジョンがない!、ビジョンを示すべきだ」と声を張り上げる人に限って、「自分でビジョンをつくろう」なんて、さらさら思っていないことが多いように見受けられる。 どこか、神様のいるような高い場所から、ビジョンが降ってくるようなイメージで、それを語っている。もちろん、万が一、ビジョンサマがポックリポックリやってきたとしても、骨をおってインプリメンテーションする気なんてサラサラなさそうにも見える。 どこぞのファンタジーみたいに、不幸な境遇にあるお姫様を助けるため、白馬にまたがってやってくる王子様よろしく、空から「ビジョンサマ」がポックリポックリとやってくるわけがなんて、そもそもあるわけない。 ビジョンを形作るのは、他ならぬ<あなた>の個々の実践であり、ビジョンは<あなた>の実践に裏打ちされてこそ、ビジョン足り得る。自戒をこめて言うが、ビジョンを求めるのと同時に、<あなた>の手や足は動いているか? 否、正確に言うならば、その手と足を目の前に動かそうとしているか? 僕にはこう思えるのだ。 ビジョンはどこか遠いところから、エッチラ、オッチラ、やってくるものではない。 なみなみならぬ覚悟と苦闘の果てに、ようやく見えるもの。 2003/10/15 日本教育工学会 若手の飲み会 先週末、岩手県立大学で日本教育工学会の第19回大会が開かれました。 僕、教育工学会に参加するのは、今年でもう5年目になりました。なんだか、年々、参加者が増え、また、発表後のディスカッションも、非常に活発なものになってきているような気がします。学会員も2200名を超えたとのことです・・・ついこないだまで1600名とかだったのに。また、プレゼンテーションの技術もみんなうまくなってきている、と感じました。僕も頑張らなければといつもながらに思います。 ところで、恒例の、とはいっても2年目なのですが、若手の飲み会を今年も開催しました。大学や研究室の垣根を越えて、70名を超える方々にご参加頂きまし 今年の飲み会は、先日発足したNPO法人 Educe technologiesの主催のもと、総合研究大学院大学の望月君、静岡大学堀田研究室の学生さん(特に会計係の森下君を中心に)、東北学院大学の稲垣君、東京大学の酒井君のサポートで開催致しました。お手伝いいただいた皆さん、本当にご苦労様でした。非常に盛り上がりましたね!、本当にありがとうございました。
また、この会の開催には、「水越先生を囲む会2002」に参加なさった先生方からのカンパを有効に使わせて頂きました。ありがとうございました。以下、その時の写真。
来年は望月君を中心にこの会を開催してくれるとのことです。非常にありがたいことです、また、頼もしいことですね。 2003/10/14 頭皮のこと ちょっと前のことになるけれど、望月君@総研大に、「テポドン」なみの一言を、浴びせられた。
ガーン!、そのときは、「そんなことねーよ」と適当に返していたが、実は、密かに、それからそのことが気になって気になって仕方がなかった。 「望月君はもしかすると、王様の耳はロバの耳にでてくる子どものような無垢な存在で、実は、僕が薄くなったことに、みんな気づいているんだけど、摩周湖なみに心が透明な彼だけが、指摘できたのではないか」という疑念を持ってしまったのである。
と自分を言い聞かせながら、昔のアルバムなんかをだしてきて、比較してみたけど、うーむ、よくわからん。 だって、アルバムに貼るような写真に、自分の頭皮を中心に映したものなんてフツウないからさ。そういうところに貼っている写真って、フツウはまっすぐ前を向いてニコッとしているもんだろうさ。 というわけで、しばらくそのことを忘れていたんだけど、こないだ、仕事帰りに髪を切りに言ったわけさ。で、いつも行っている美容室のオネーチャンに聞いてみました。
僕の質問にさすがは専門家。
そうか、オレの「ツムジ」は変なのか、と思いつつ、彼女のお言葉にほっと一安心できました。それにしても、ワタクシメとしたことが、頭皮が堅くなっているとは! 堅くなった頭皮を柔らかくするのは、まず第一に、寝る前にでも、毎日モマなアカンらしい。僕の髪の毛の将来は、すべてトウヒ様が握っているわけで、彼のお機嫌を損ねないよう、これから毎日お揉み差し上げるべきだそうだ。 あとは、なるべく熱めのお湯でシャンプーして、そのあとすぐに冷水をかけて、そのあと熱いお湯、また冷水というのを2〜3度繰り返すといいとのこと。修行だよな、いわゆる。 トホホ、トウヒごときに、こんなにやることが増えるなんて・・・。 望月君、君のトウヒ、大丈夫? 2003/10/12 中村うさぎ 中村うさぎのエッセイがこんなに抱腹絶倒だとは知らなかった。そして単に笑えるだけではなく、時に、これほどしんみりと、それでいて力強いコトバで語りかける人だとは。
彼女は、1億円を超えるブランド品の買い漁り、ホスト狂い、はてには美容整形で、非常に有名だが、その文章は時にすこぶる深い。きっとここまでイッテしまった人にしか語り得ぬコトバで、アタリマエのことをアタリマエにサラッと言う、非常に小気味よい。 実は、中村うさぎのことを僕に教えてくれたのは、美馬さん@日本科学未来館だった。3月にヨーロッパに視察に言った際、飛行機の中で「この人はオモシロイ」と勧めてくれた。そのときは、「じゃあ、帰国したら読んでみます」と言ったが、すっかり半年ばかり「うさぎ」の名前は忘却の彼方にあった。 ところが昨日偶然、駅前の本屋に立ち寄った際、「うさぎ」の文庫本を見つけたのです。レジで会計をすませ、電車の車内で読んだものの、笑いをこらえることができず、ずっとニヤニヤしていた。たぶん、ハタから見たら、すこしデ○パな人に見えただろう。こんなに笑ってしまったのは、原田ムネノリ以来だった。 中村うさぎ、もうひとつ気に入ったのは、ウ○コネタが多いことでもある。彼女がウン○ネタを語るとき、なぜかシンパシーを感じてしまう。 上記は彼女のエッセイのごく一部。 2003/10/11 インタビュービデオをデータとする 学会中に、北陸先端科学技術大学の池田先生にお逢いした際、「クリアしなければならない問題はたくさんあるけれど、論文査読の際にショートビデオを提出できれば、実践研究もずいぶんやりやすくなる」というようなお話を伺った。 近年の学会における実践研究系の発表では、質的データを提示する際、被験者のビデオをそのまま使うことが多い。今年の学会でも、いろいろなプレゼンテーションで、そのようなビデオの活用のされ方を見た。 被験者本人の語りは迫真性が高いし、説得力も増すような気もする。次の機会には、自分もトライしてみようと思った。 2003/10/09 ニク汁さんはどこ行った? ちょっと前のことになりますが、カレッタ汐留の中にある「鼎泰豊(ディンタイフォン)」の小籠包(しょうろんぽう)を、カミサンと一緒に食べに行きました。
僕、「にわかベジタリアン」なので、ふだん、あんまりニクは食わないんだけど、このショーロンポーには参ったね。久しぶりに、カミサンと競ってガツガツ食ってしまった。 冗談抜きでオイシイのです。薄い皮の中には、アホほどジューシーな肉汁が、キチンと入っているのです、キチンと。これがウマイッ。 居酒屋とかで小籠包とか頼むと、「あれーっ、ニク汁さんはどこ行った?」って感じのやつ多いじゃないですか。「オマエは小さい肉マンか?」っていうようなショウロンポー。いやー、恥ずかしながら、僕は、そういう「小さい肉まん」がショーロンポーだと思っていた、今の今まで。 今まで食っていたのは何だったんだ? 2003/10/08 Performance Technologist この日はひねもす都内。 午前中、赤坂の全日空ホテルにて某用事。 その後、日本総研の鈴木さんとカフェで打ち合わせ。その後、ある方と逢い、とある公募についての検討。 午後5時30分、虎ノ門のJAPETへ。 会議終了後、岩手県立大学の鈴木克明先生と近くの居酒屋でお食事。 鈴木先生から、「Performance Technologiest」という概念について伺う。近年の米国の教育産業では、従来からの職種である「Instructional Designer」に加えて、「Performance Technologist」とよばれる専門職が注目されているとのこと。研修を行うか否か、どのメディアを使うべきか、といったより高次の意志決定を担う人であるらしい。CLO(Chief Learning Officer)の予備軍といったところか。 鈴木先生と焼酎「魔王」を数杯飲んで、すっかり陽気に帰宅。アシタもイイコト、アリマスヨウニ・・・オヤスミナサイ。
2003/10/06 突然の訪問者 研究室でシコシコと仕事をしていたら、突然の訪問者。 「おやおや、また保険の勧誘か」と思って、かなり感じ悪く迎えたら、なんと、高校の同級生だった「品田くん」だった。 声もでないほど、びっくり!、なんせかんせ10年ぶりの再会だったからね。正直にいうと、最初はわかりませんでした・・・全く。ごめん・・・わからんよなー、まさか高校の同級生が訪ねてくると思わないもんなー。 品田君、今は、ソフトバンクパブリッシングで編集者をやっているとのこと。最近、彼が編集した本をもってきてくれました。ありがとうございます。品田君、「eラーニング・マネジメント」も購入してくれていて、またまた感謝。これを機会に、お互いによい仕事に発展するとよいのだけれども。 品田君とは、かつて「X(エックス)」のコピーバンドを組んだことがあって、「エンドレスレイン」とか「サイレント・ジェラシー」とかを一緒にやりました・・・もう10年前のことになるんだねー・・・いやはや懐かしい。そのとき、僕は、ピアノ担当だったけど、ライブ前に徹夜で練習した覚えあります・・・。 イエにかえって、久しぶりに高校のアルバムをひっくり返してみた。そこに映っていた自分や品田くんの姿を見て、思わず「若っ!」と叫んでしまったけど、懐かしかった。 今まで、あんまり思ったことはなかったけれど、今日、はじめて、高校のときの同級生に会ってみたくなった・・・。 2003/10/05 ちゃぶ台 先日、かつて大変お世話になった恩師にお逢いした。
自分が、今まさにひっくり返そうとする「ちゃぶ台」に乗っているから、その縁に手をかけることすらできない。 そういう時は、ちゃぶ台を、あの海に浮かべるしかない。 2003/10/02 かんたん短歌の作り方 先日、カミサンがオモシロイ本を紹介してくれた。以前、彼女の番組にでてもらったこともあるという歌人「桝野浩一」さんが、ある少女雑誌で短歌講座をやったときの様子をまとめた本。 マスノ教の信者(アマチュア歌人)たちが、毎月、教祖の桝野さんに作品を送り、容赦のない批評をもらうという感じで、短歌講座は進行していく。その中で僕の気に入った作品を、いくつかを引用してみよう。
うーむ、深い、深い、ブラボー。 柳澤さんの最初の「回送のバス」のメタファ、加藤さんの「同じままじゃいられないこと=すごい」という感覚は、スゴイと思う、これは、一度聞いたらさ、「ほほー、そうきましたか」と思うけど、なかなか思いつかないよねぇ、うん、絶対に思いつかないね、フツウの人は。 一番最後の歌は、僕の友人の土田君に言いたいな、と思った。つきあったとたんに、カラオケで歌う歌が変わるヤツっているんだよね、急に目を閉じて歌ってみたりなんかしてさ。みっともないってーの。 というわけでした。以上、本日の話題。 昨日は、午前中に望月君と研究打ち合わせ。望月君には、なぜか、誕生日のプレゼントにスペイン・リオハのワインをいただいた。モッチー、僕のこと好きなの? ダメ、僕はその気はないもの・・・。いずれにしても、ありがとうございました。1995年のスペインワイン、大変おいしゅうございました。 午後は、IBMの奥さんが来研。 そして人生は続く。 2003/10/01 iii online iii onlineの2003年前期の授業公開がすべて終了した。前期に授業を公開なさった石田先生、山内さん、本当にお疲れ様でした。
最後の公開授業となったのは、山内さんの授業の「情報リテラシー論」。この授業では、毎年、非常にユニークな「メディアリテラシーに関するワークショップ事例」が、大学院生の皆さんから提案される。今年提案されたワークシップ事例も大変オモシロいものであった。一般の方でも上記のURLで授業を見ることができます。 2003年度冬学期の「iii online」では、2つの授業を公開する予定であるという。月曜日は荒川忠一先生による「シミュレーション・システム」、水曜日には佐倉統先生による「進化生態情報学」である。初回の授業は、「シミュレーション・システム」が10月6日、「進化生態情報学」が10月8日とのことである。 こちらの方も非常に楽しみだ。 |
NAKAHARA,Jun
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