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Blue sky at hawaii photo
by Miwa
2003/07/31 宝塚 先日、カミサンとタカラヅカにいってきました。数ヶ月前にコンピュータの前にすわってようやくチケット取ったのですね。日曜日の朝、早起きしてインターネットで予約した。本当に東京はタカラヅカ、すごい人気です。見たのは、「花の宝塚風土記」というレビューと、「シニョール・ドン・ファン」という劇ですね。月組の公演になります。
で、どうだったかというと、結論からいうとオモシロかった、とても楽しめました。 これはもう少女漫画なんだよね、世界が。.ところどころ、あまりの話の展開の少女趣味にフイてしまうんですが、そういうものなのだと思うと、かなり楽しめる。僕は小学校、中学生の頃、妹が買っていた「りぼん」とか「なかよし」を読んでいたので、この世界には抵抗なく楽しむことができましたのかもね...ダメな人はダメだと思うけど。 それにしても、あんまり劇とは関係ないんだけど、びっくりするのは、「組」の内部の身分秩序だよねぇ。噂には聞いていたけど、宝塚の役者さんの中には「席次」があって、それによって「立ち位置」「歌う順番」とかぜーんぶ決まってるからね。で、トップはすごい権力をもっています。何をするのでも、トップは一番オイシイところをもっていきます。「おーおー、オイシイところで、またでてきたね!」っていう感じです。 この身分秩序は、ある意味で、医学部の医局に通じるものがあるね。組のトップというと、80名の役者さん(宝塚では組子と言います)のトップだからね。そう、「ブラックジャックによろしく」を超えた世界が、宝塚にはあるのです。 2003/07/28 eラーニング・マネジメント ようやく、「eラーニング・マネジメント」がオーム社から出版されました。
この本の企画が立ち上がったのが、ちょうど、去年の10月ですね。exCampusプロジェクトが立ち上がったときだと思います。iii onlineの立ち上げから数えますと、2002年4月からのプロジェクトの集大成となります。 ともかく、東京大学情報学環の諸先生方、学生の方々のおかげで、ようやく出版までこぎつけました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 序文にも書かせて頂きましたが、この本は「eラーニングサイトの運用(マネジメント)の実際を具体的、かつ実践的に記述すること」を目的にしています。もし、よろしければご一読いただき、感想などお寄せいただければ幸いです。 2003/07/19 ジャネット先生 実は、密かに英会話のマンツーマンレッスンをはじめました....って、こんなところで公表してたら、ぜーんぜん密かにじゃないけどさ。あまりに英語しゃべるのが苦手なので、ここは自己投資ということで、ドカーン、ガツーンと英会話することにしました。 僕が選んだのは、セブンアクトという会社です。ここは入会金を払えば、あとは1時間3000円でネィティブの講師とレッスンできます。僕の先生は、ジャネットさんで、カナダ出身のとてもキュートな女性です。レッスンの内容は、先生と話し合って決めます。僕は30分をビジネス英会話、30分をフリーディスカッションにしました。ディスカッションでは、毎回、論文なんかを持ちよって、それについて話し合うみたいな感じ。 今日はレッスンでした、予定を少し変更して1時間フリーディスカッション。ディスカッションのお題は、コンピュータテスティングのメリットとデメリットみたいな話。ジャネット先生がお題を設定してくれました。 いやー、まいった、まいった。ていうか、どうして1時間しゃべっているだけなのに、ワキのあたりにホノルルマラソンを完走した後みたいな量の汗をかくんだろうか! まぁ、汗はかきますが、楽しく愉快にやっていきたいと思います。 2003/07/17 泥武士 先日、メガネなどを見に銀座に行った際、こんなところを見つけました、「ファンケルスクエア」
今年になってできたばっかりらしいんですけど、ファンケルのアンテナショップでしょうか、地下1階から最上階までファンケルのお店がはいっています。レストランから、エステまでさ。 でね、お昼になってコバラもすいていたので、その最上階の「泥武士」というレストランで食事しました。
このレストラン、安全で安心な食材しかつかわんレストランです。僕が選んだのは、野菜ランチ?で、カミサンは納豆定食をたのんだけど、とても、おいしかった。特に、かぼちゃのスープが絶品だね、「あー、カボチャさまぁ」って感じでした・・・意味不明。 ていうか、ちょっぴり疲れた自分のカラダにキレイなものがはいっていく感じがよかったです・・・ホンマわかんのかって感じだけどさ、気持ちだってーの、気持ち。 ヘルシーだね、スローフードもいいねー。 2003/07/12 コンピュータテスト 先日、数年ぶりにTOEFLを受験した。別にことさら必要になったわけじゃないんだけどね、自分の英語のチカラがどれほどのものかを知りたくなって、タメシに受けることにしました。TOEFLは英作文のテストがあるので、その採点に数週間を必要とするらしく、結果はまだでてないよ。 が、まー、悲しいことに予定通り、ていうかさ、予想通り、ヒアリングはヘナチョコでした。オイラの耳は動いているのかい、シェリー。救いは、文法とリーディングで、それがなければシオシオのパーだね、全く。まー、しゃーないな。2ヶ月後にももう一度受ける予定で、どのくらいあがるかな、それはそれで楽しみです。 TOEFLテストは、現在、CBT(Computer based testing:コンピュータテスト)で行われているんですね。一部、紙ベースで行われることもあるようだけど、主力はCBTなんでしょう。 このCBT、いわゆるアダプティヴ・テスティング(Adaptive testing)というやつで、受験者の能力(回答結果)に応じて次の問題の難易度を変わっていきます。最初に簡単な問題がだされ、受験者がそれに答えられないと、ダンダンと簡単な問題になっていく。理論的には、項目応答理論というテスト理論のもとに設計されています。 僕、Adaptive Testingを行うCBTを受験したのは、はじめてだったけど、なんだかやりづらいな、これ。正直言ってあんまり好きじゃない。コンピュータ屋さんとか、テスト実施業者にとってはオモシロイし、効率的で、儲かりまっせなシステムなのかもしれないけど、なんか学習者にとっては御利益(オトク)がないんだよなー、それにドラマがない。 まずイヤなのは、「次の問題の提示」は「前の問題の出来不出来」によるから、「あっ、さっきの問題間違った、直そう!」と思っても、前に戻れないわけよ。 あと、なんだかさ、たとえばリスニングの問題とかで、だんだんと自分の前に提示される問題が簡単になっていくとさ、「バカにしてんのか、コノヤロー」と思っちゃうんだよね、思わず、ビンタしちゃいたくなる・・・自分に、ていうか、おのれに。 ていうか、あんまりコンピュータでテストされるってこと、そのこと自体が、どうもオモシロクないんだよね、ドラマがない。紙ベースのテストなら感じるような「緊張感」とか「駆け引き」とかないからオモシロクないんです。 たとえば、紙のテストだったらさ、試験官に「はじめ!」と言われたときにわざと鉛筆をもたないで、腕くんで3分間くらい目を閉じるヤツとかいなかった? 周りの奴らはビビリだす、「アイツ、もう終わったのか」って。気が気じゃなくなる。 あとはこんなヤツとかいなかった? はやくテストが終わったら、わざと鉛筆をバンッとおくのね、教室中に聞こえるような音で。そうすると、教室中の目がそいつに集まる、で、みんな、めちゃくちゃ焦るわけですね。こういうヤツ、僕の高校にはたくさんいましたが、皆さんの高校ではどうでした? 要するに何が言いたいかっていうと、紙のテストには、テストを受ける人間同士が醸し出したり、感じたりする「緊張感」とか「駆け引き」ってのが介入する余地があったと思うんですね。いうなれば「テストはドラマ」なのです。もちろん、それは、理論的にはおそらく「じゃまな変数」なんですが、そういうのがあった。で、それは、クソオモシロクもないテストを受ける側のささやかな抵抗っていうか、楽しみだったんです。コンピュータテストにはそれがないんだよね。クリック、クリックじゃさ、ドラマにならないってーの。 というわけで、半分はヒガミなんだけど、あんまり好きじゃないなー、コンピュータテストは。でも、これからドンドン普及するんでしょうね。儲かるんだろうし。毎日2回もテスト実施できるしね、採点は楽勝だし。 まー、とにもかくにも、このまま、引き下がれないわな、2ヶ月後はリベンジだな。 2003/07/10 ガイアの夜明け 僕のお気に入りのテレビ番組に「ガイアの夜明け」「BB Wave」がある。いずれもテレビ東京のドキュメンタリー番組で、「闘い続ける人」をフィーチャーしている。ネタとしては、ビジネスマンの闘いが多い。プロジェクトXの民放版という感じかな。
昨日の「ガイアの夜明け」は「外食産業の生き残り戦略として業態変化が注目されてるぞ」っていう話だった。外食・レストラン経営を行う親会社が、そもそも多角的なメニュー群を用意しておき、FCの経営状態やその地域への他社の参入状況に応じて、それらを効果的に選択して出店するっていう話だった。その事例のひとつとして、焼肉店「牛角」を中核とした多角的なレストラン経営を行っている「REINS International」が取り上げられていた。
ちなみに、僕が住んでいる町には「牛角」があって、肉好きなカミサンと一緒によく行くんだけど、先日、おうちの近くに、関連する居酒屋である「土間土間」ができた。 「土間土間」のメニューには、「牛角」で提供されているメニューがあったり、ロゴがはいっていたりで、「いかにも牛角と関連ありまっせ」というようなメッセージが客に伝わるように工夫されていた。 まずは、多角的な業態を用意する。その中でコアの業態を抽出し、それを中心にした出店攻勢を行う。状況が悪くなったら、異なる業態への転換を柔軟に行う。異なる業態の進出、転換の際には、コアの業態の知名度やクオリティを後ろ盾にして、ブランディングを行ったり、仕入れを共通化する。 知恵ものだよなー、こういう仕組みを考えることのできる人って。思わず感嘆してしまう。 2003/07/08 もてなすとは 国内・海外とわず出張が多い。加えて、旅行も好きだ。どうもジッとしているのがイヤな性格なのか、おうちで「マッタリ」するのは性にあわない。必然的にホテルに泊まることが多い。 今までいろいろなホテルに泊まってきたけれど、その中でもベストなホテルというのがある。ハレクラニだ。
このホテル、たとえばディズニーランドのミラコスタのように「ドカーン」とかいうパンチはない。ハレクラニはでしゃばらない。あくまで静かに、ゆったりとした時間を提供することをよしとしている。 そして何より、僕が気に入っているのは、このホテルの提供する「肌触りの心地よさ」である。バスタオルとか、バスローブは、言うに及ばず心地よい。そして、それ以上に驚きなのは、洗面スペースの床にも、椅子にも優しいタオル生地が敷き詰められていることである。これがめっぽう、いやいや、アホほど心地よい。 ハレクラニは、そこに泊まる人に、ひんやりと冷たい感覚を感じさせることをよしとしない。このホテルに居る限り、一瞬たりとも、不愉快な感覚を身体に覚えることがない。すべてが海から吹き付ける、あの暖かい風に調和している。 でしゃばらない。しかし、それでいて、一瞬たりとも不快な思いをさせない。それはディテールに対するデザインの力である。そう、神は細部にやどる。ハレクラニのディテールへのこだわりは、たとえその宿泊代が「清水の舞台から飛び降りる系」でも、また来たいな、と宿泊者に思わせるに違いない。 そうだ、「もてなす」とはそういうことなのかもしれない。 2003/07/07 ビジネスとコミュニティ あぁ・・・あぁ・・・朝から書類、ジムっています、2週間分のジム。 昨日、そういえば、こんな本を見つけちゃって、注文しました。
コミュニティと、ビジネスプロセスやマネジメントやマーケティングとの関係を論じた本です。まだザックリとしか読んでいませんが・・・オモシロそうだったので、ここで紹介。 2003/07/05 プレゼンテーション 昨日に引き続きNECA2003ネタ。 あのね、この学会でもうひとつびっくりしたことのひとつに、「プレゼンテーションのうまさ」っていうのがあります。やっぱりアメリカの企業のトップとか、そういう人たちって、プレゼン、死ぬほどうまいわ。NECAは、たくさん企業の人たちがくるから、中には、そういうツワモノがいて、そういう達人芸を見ることができます。 今まで、いろんな人のプレゼンテーションを見てきたけれど、違うんです、芸術に近い。なんだか知らないけどさ、笑いあり、怒りあり、涙ありの「物語」を聞いているように、プレゼンをやるんです。物語っていっても、ウソくささはなくって、むしろものすごく根拠づいている。主張はそれほど奇をてらったことは言っていないんだけど、ものすごく明確で、なにより、その見せ方がうまい。そういうワザ見てて、僕、なんだかさ、自分が恥ずかしくなってしまいました。 あとから聞いたところによると、アメリカにはプレゼンの週刊誌みたいのがあって、結構読んでいる人って多いんだって。こりゃね、修行せなアカンと心から思いました。 2003/07/04 星条旗はどこへいく? ハワイホノルルの学会に参加した後、僕はNECC2003という国際学会に参加するため、シアトルにとんだ。そこでの出来事を、エッセイに書いたのだが、せっかく書いたので、日記にも転載しておこうと思う。 今、シアトルから東京に向かう機内にいる。今日は、アメリカの独立記念日。うーむ、クワバラ、クワバラ、なかなかデンジャラスでリスキーなフライトの真っ最中なんだな。 ドキドキフライトの真っ最中であるが、「鉄は熱いうちに打て」「逃がした魚は泳いでる?(意味が違うか?)」ともいう。知的に愉快に過ごしたシアトルでの数日間で、僕が感じたことを、それが忘却のかなたに消え去る前に、ここに記しておきたいと思う。 シアトルでは、NECC2003という全米の教師13000人以上が集まる国際会議に出席した。この学会、ISTEという組織が運営しており、今年で。現場の教員だけでなく、行政関係者、企業関係者などがたーくさん参加している。本当にすごい人だ。会場は、時に一種のお祭りみたいな興奮状態になることもある。
NECC2003は日本ではあまり知られていない学会かもしれない。どちらかといえば、現場指向が強い学会があるため、日本から大学関係者があまり参加しないせいだと思われる。しかし、NECC2003は、研究を指向する者が参加しても、とってもオモシロイ学会だと思う。もちろん、別に、頼まれたたり、脅されたりされたからそういっているわけではなく、本当にそう思う。
確かに研究者が主体の学会ではないから、発表自体に緻密な仮説や検証が必ずしも含まれているわけではない。しかし、だからこそ「大胆」に、いい意味で「極端」に、かつ「素朴」に、今、アメリカの教育の現場で何が問題になっており、何が求められているのか、アメリカの教育がどの方向に進もうとしているのかが、鮮明にわかる。いや、会場の興奮の様子から、おのずと感じることができるのだ。アメリカの教育業界の動向の最先端を感じることができると思う。 この学会には、エキシビジョンも同時開催される。エキシビジョンでは全米の民間教育関連企業が集結するといっても過言ではないと思う。全米の民間企業がこの会議中に様々な新たな教育サービスのプレスリリースを発表し、プレゼンテーションを行う。エキシビジョン会場は、幕張メッセのような会場で、熱心に見て回るとそれだけで1日はかかってしまうだろう。残念ながら、日本からの企業の参加は、まだあまり多くないようだが、すでに先進的ないくつかの企業は、この学会をベンチマークにしようとしているとも聞いた。来年のNECC2004は、ニューオリンズで6月21日から開催される。
ところで、毎年1度、この学会に日本の小中学校の現場の先生を送り込み、英語でプレゼンテーションをさせるというNPO的活動を5年にわたって続けている今野絵里子さんという方がいる。今野さんは、NECCという組織をオーガナイズし、この活動を続けてきた。もちろん、活動は、今野さんのほか、日本語ベラベラのスペンス君、英語の発音と振り付けを先生方に指導してくれる山崎さんなど、たくさんのスタッフによって支えられている。
今年の発表者は、和歌山県熊野川町立熊野川小学校の山中昭岳先生と、大阪市立生魂小学校の中島清貴先生であった。山中先生は、テレビ会議を用いた交流学習について、中嶋先生はFLASHアニメーションをつかった逆上がりの指導についてのプレゼンだった。お二人は、国内のコンペティションに勝ち残り、NECAで発表なさった。会場は笑いとうなずきがたえず、非常にステキな発表であった。その詳細は、NECCのサイトでごらんいただきたい。
ところで、今回僕がこの学会に参加できたのは、今野さんから機会をいただいたからだ。日本からのICT教育の現状を短くブリーフィングすること、二人の現場の先生を聴衆に紹介すること、二人の現場の先生方のプレゼンテーションをブラッシュアップする活動に参加すること、が僕の役目だった。いずれも、身に余る大役ではあったが、何とかかんとかつとめさせて頂くことができた。今、正直ホッとしている。 NECAでは、自分たちの発表のみならず、同時に開催されているエキシビジョン、様々なシンポジウムに参加させて頂いた。以下、そこで僕が感じた感想を述べる。 ■すべてはNo Child Left Behind (NCLB)のもとに 何をさしおいても、現在の、アメリカの教育界を語る上で、この言葉だけははずせない。日本語にすれば、「落ちこぼれゼロ政策」みたいな感じになるんだろうか。
すべての教育政策、教育財政、教育産業の提供する教育サービス、実践が、このNCLBを前提として戦略的に実行にうつされようとしている。NECAで知り合った現場の教師の一人に本音を聞いたところ、「NCLBがでた当時は、具体策が見えずとまどっていたようだが、ようやく、具体的になってきた。ただし、本当に自分の学校でそれができるのか、不安だ」とのことであった。
■No Child Left Behindとは? それではNo Child Left Behindとは具体的にどのような政策なのか?
アメリカ教育省のプレゼンテーションでは、NCLBの方針のもとに実行される様々な教育プランについて紹介がなされた。その中で特に現在のアメリカの教育界の動向を代表しているなーと思うものを紹介する。
■肥大化するアセスメント産業 こうした国の方針を受けて、民間の教育産業では、アセスメント支援サービス・アカウンタビリティ支援サービスなどが肥大化している。NECC2003では、ちょうど日本のe-learning
worldの2倍くらいの規模でExibisionが開催されているが、民間企業のブースでは、「Assesment drives instruction」「Assenment
support」などの言葉を、頻繁に目にした。
ちょっと前のことになるが、知り合いの米国大学の先生にこんな話を聞いたことがある。
要するに、教育産業の提供可能な有力なサービスとして、評価とかテストが注目されており、その専門性をもった人が優遇される事態が生まれているっていうことなんだろう。
■教師の専門性発達 Exisibionにおいて「アセスメント」に並んで非常に特徴的だな、と思ったブースとしては、教師の専門性発達(Professional Development)のブースがある。NCLBでは、教師の質の向上も求められているが、それを大儀として「指導力をつけなアカンですよー」「ITのスキルがいりますよー」「学位をとりませんかー」というような宣伝文句をかかげる企業が多く見受けられた。もちろん、そうした教師の学習が行われる場として、Webなどが活用されることは、アタリマエのことである。 この傾向は、2003年6月に筆者が参加した、研究系の国際会議(ED-MEDIA)でも同様だった。ED-MEDIAでは、大学のある機関がそうしたサービスを行っていた。性格はやや異なるにせよ、官民、どちらが教師の学習を支援する担い手になるのか、非常に興味深い。
■教育はどこに向かうのか? この本の10章でガードナーは、1) アメリカの教育業界が人間の能力を画一的かつ脱文脈的にとらえており、2)過度のテスト主義に陥いっていると批判している。ガードナーはその当時主張されはじめだした状況的学習論の知見をいくつか引用した上で、「文脈の中で人間の多元的な能力を評価すること」の重要性を主張した。 この本の初版が出版されたのが、1993年。それから10年後、どうもアメリカの教育は彼の期待を全く裏切るかたちで、ちょうど、この本の主張と全く反対の方向へ、狂進しているように筆者には見受けられる。 現在のアメリカの教育、さしずめこんな風にも説明できるであろうか。 人間の能力=学力であり、それは「商品」と同じようなものである。学校とは「工場」である。工場長(校長)は、これまでよりも自由な裁量のもとで工場の生産性をあげるため、経営に専念する。生産性をあげるためには、科学的な根拠をもったプログラム、運営をどんどんと工場に導入する必要がある。また、従業員(教師)の教育水準も向上させる必要がある。間違っても、工場を、勘や経験によって経営してはならないし、授業員の怠惰を許してはならない。非科学的であることは、工場の評価をさげ、ひいては、親会社(連邦政府)からあたえられる工場の資本を減少させる。科学的な方法は、親会社からノウハウとして提供される。 工場は、常に評価の目に支えられている。評価はすべての商品に対して年に1度は行われる。評価の結果がわるければ、工場は改善を求められる。あまりにひどい場合には、従業員の異動も考えられるし、工場の資本のもうひとつの担い手である株主(親)から見放される危険がある。株主は、商品ひとつにつき、一年間で7000ドルを工場に基本的に投資している。株主にも見放され、それでも改善ができなかった工場のたどる末路・・・それは授業員の総入れ替えからなる徹底的なリストラクチャリングと、民間資本への委譲である。 このように、アメリカの教育は「合理主義」「科学主義」「市場原理の導入」といういくつかの原理原則のもと、改革が進行している。その勢いは少なくとも、今回のNECC2003で見た限りは、実践的に可能な方向で、より具体的に具体的に進行しているように感じた。 日本では「総合的な学習の時間」が本格的に実施されるようになったが、一方でそうしたカリキュラムに意義がはやくも唱えられ、「基礎基本」の必要性が叫ばれるという奇妙な混乱状態が続いている。日本の教育が今後どのような方向に進むのか、あるいは、方向を見定めぬまま、すべてはカオスの中にありつづけるのか、本格的に考える必要があるように思った。 そうなんだ、僕らは岐路のまっただ中にいる。 2003/07/01 計画された偶発性(planned happenstance) 先日、ある会議で、John D. Krumboltzという心理学者が主張している「計画された偶発性」という概念を知った。
この概念を説明すると、だいたい以上のようになるだろうか。 いったん、人間の行動(この場合はキャリア)の環境からの制御可能性を全面的に肯定する。で、環境から積極的に人間に働きかけることによって、それをコントロールしようという話だろう。いわゆる、環境決定論ともいえる。 ここまできたところで、ちょっと前に、西森さんと研究室で議論したことを思い出す。あのテレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター(最初間違った番組名を書いていたが、酒井君に教えてもらった。酒井君、ありがとう。)」は、その番組自体の構成が環境決定論だって話だ。 家のリフォームを受けるクライアントは、家=環境のせいで、行動が制限され苦しい生活を強いられている。すべては環境のせいだ。リフォームのプロ=タクミは、環境を修正することによって、そこにすむ家族の生活を変えていく。あの番組の基本的フレームワークはこんな感じだ。 個人的な感想で恐縮だが、「大改造!!劇的ビフォーアフター」は最初はオモシロ勝手見ていたが、何度か見ていると、だんだんとつまらなくなってしまった。なぜだかなぁと考えていたんだけど、もしかしたら、環境決定論的な単純な図式にあきてしまったせいかもしれない。 ひるがえって、計画された偶発性。確かに魅力的な概念だが、「大改造!!劇的ビフォーアフター」に感じたような単純さを感じてしまうのは、僕だけだろうか。 |
NAKAHARA,Jun
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