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2003/04/25 マンマ・ミーア ちょっと前のことになるが、劇団四季の「マンマ・ミーア」をカミサンと二人で見にいった。
母親の日記を盗み読みした彼女は、父親の可能性がある3人の男に招待状をおくるのだが・・・。 これでもか、これでもかと歌われる音楽はすべて、スウェーデンのロックグループ「ABBA」のもの。みんなが一度は聞いたことのある音楽ばかりである。 また、役者同士の掛け合いも非常にオモシロイ。特に母親とその友人2人はベテランを起用しているので、とってもやりとりがうまい。 このミュージカル、見たあとでとっても幸せな気分になれた。よかった、よかった。 おうちに帰ってきて、素晴らしいエンターティンメントを生み出す劇団四季についてお勉強しようと思い、本を買ってみた。 この本、やや文章の言い回しは独特だが、創設者の浅利慶太氏が、どのような志をもって、いかなる苦労の末に、劇団四季を立ち上げたのかが、よくわかる。特に印象的だったのは以下の記述だ。
この言葉は、浅利氏が1965年、ある演劇のパンフレットに寄稿した内容だという。 「せりふ」がわからなく、演出の意図もわからない、政治色に染まった演劇こそ「演劇」と言われる傾向のあった戦後の演劇界。いろいろと揶揄されたり、非難されたりしながらも、浅利氏は、そうした演劇に波紋を投げかけた。 丁度、先日から浜野保樹氏の「表現のビジネス」を読んでいたのだが、そこの内容とだぶらせながら、以上を寄稿したその真意を考えた。 たぶん数年前の僕だったら、上記の浅利の言葉には全く反応すらしなかっただろう。 僕は何に渇いているのだろうか? 2003/04/23 ブラックジャックによろしく 漫画を読まない時期が続いた。 昔、中学校の頃は、少ないおこづかいの中からやりくりして週刊誌を買い、狂い読みしていた時期もあったが、それも長くは続かなかった。なんだかオックウになって買うのをやめてしまった。 高校になると、クラスに一人は週刊誌を学校にもってくるヤツがいて、そいつをおだてた。休み時間に貸してもらうことは難しそうなので、授業中に貸してもらい、読んでいた。 大学になると、特に大学院生の頃は、死ぬほどカネがなかったから、漫画を買うならオカズをひとつ増やした方がいいな、と思っていた。 というわけで、大学に入ることから、漫画、読まない時期がしばらく続くことになった。。 でも、最近、僕には少しハマってしまった漫画がある。「ブラックジャックによろしく」だ。 主人公の斉藤君は医学部を卒業したばかりの研修医。月収わずか3万8千円。「ブラックジャックによろしく」は、研修医の斉藤先生が、研修の間、各医局を回る際に引き起こす様々な葛藤をモチーフとした物語である。 斉藤先生は、若さ故なのか、それとも彼があまりに情熱的であるのか、研修の最中、医局という組織、学会の常識や慣習にぶち当たり、戸惑い、悩み、絶望していく。 斉藤君の情熱というのか、一心不乱さには、時についていけなくなるけど、彼の葛藤をすかして見た先にある医療の現実には、何だかやるせなくなってしまう。
先日新聞を読んでいたら、医局人事の弊害をとりのぞくために、いくつかの大学で試行的に組織改革が進んでいるのだという。そういう動きもあるんだ、と少しホッとした。 全くの門外漢の僕が言うのは何だが、いずれ僕だって病に伏せるときがくる。どこの誰かは知らないが、医者のお世話になるときは、確実にくる。 改革に期待したい。 2003/04/21 exCampus ver1.0公開 本日、exCampus、ついに、ver1.0の公開にこぎつけました!
今日、午後6時から、プロジェクトの全体会があったんだけど、すべてのアジェンダが終わった後に、一気にプログラムをアップロード! 今回のアップロードでは、管理ツールのマニュアルも公開致しました。 ファイル転送が終わった瞬間、メンバー全員で拍手! 今日の朝、メールチェックをしたら、昨日のうちに、exCampusを活用して、e-learningサイトを構築なさった方から、利用報告、バグレポートをいただきました。 非常にウレシイものです、よかった、よかった。 2003/04/16 近況 iii onlineの新学期の立ち上げ、exCampus ver1.0の公開に必要な作業が佳境を向かえている。前者は明日4月17日から始まりディレクションは西森さんが担当する。後者は4月21日に公開され、僕がディレクションを行うことになった。
現在、メンバー全員で、1)バグチェック、2)管理ツールの充実、3)コンテンツの充実・マニュアルの整備などを急ピッチで進めている。 同時に、NIME教材事業の開発作業も進行している。こちらは、僕がディレクションを行うわけではないが、NIME側のスタッフと開発者をつながなければならない。現在、急ピッチで作業進行中。 同時に、MATE Projectの授業もキックオフだ。滋賀大学、兵庫教育大学で授業がはじまっている。評価ツールの実装で、松河くんに作業を依頼している。松河君は論文執筆中ながら作業を急いでくれているようだ。 そういえば、昨日は、松河君、中原、西森さん、望月君で「松河論文をもむ会」をやった。松河君は、モミモミされすぎて昇天気味だったが、たぶんよい論文を執筆してくれるんだろうと思う。 同時に、exCampus本の〆切が迫っている。昨日ある程度書き殴ったので、あと僕の担当は30ページくらいかな・・・。 そんな中、CIECのPCカンファレンス、日本教育工学会第19回大会の「研究方法論」に関するシンポジウムでのプレゼンテーションのオファーをいただいた。どちらも身に余るようなオファーである。 前者は西森さんと行くことを了承してもらった。PCカンファレンスには今まで参加したことはないので、非常に楽しみである。会場は鹿児島。
京葉線の車窓には、夕日が映えた海が広がっていた。 2003/04/13 カキとプチ道楽 楽しかったあのときを思い出して書こう。 実は、かなり前のことになるけど、我が家で、「北の味覚パーティ」というのをやった。「イクラ」や「サケ」などの北の味覚を肴にしたパーティである。 パーティには例のごとく、カミサンの友達が参加して、ワイワイガヤガヤ・・・ややギャーギャー・・・と盛り上がったが、当日用意した肴でも、一番人気だったのが、「カキ」である。 カキは、殻つきのものを、北海道の厚岸(あっけし)にある「笹原水産」から直送してもらった。
笹原水産のカキは1個70円。とても新鮮、信じられないくらい味が濃い。渋谷でカキ食ったら、しょーもないもんでも、アンタ、1個300円から450円はするね。 笹原水産のカキは、本当はナマでバクバク食えるほど新鮮なんだけど、あんまり僕自身は生ガキが好きではないので、殻のついたままレンジでチンして7分間。これをそのまま食べる、食べる、食べる。これ以上の「味覚」はないなって思いました、おいしゅうございました。みんな奪って食べてた。
雑誌「BRIO」にでてくる人たちみたいに、オカネをガッツリかけて贅沢するのは「道楽」といいます。いやー、僕もね、「道楽」できるほど、資本がありゃーしたいけどさ。ていうか、泣いても、吠えても、死んでも、墓まで行っても、無理だってーの。 というわけで、前にワインのところでも書いたけどさ、僕はオカネをかけないで、おいしいモノを食べる方法を探ります。言うたら、プチ道楽だ。「なんつって道楽」と言ってもよいかもしれない。僕には、なぜかこういうときだけよく動く「目」と「耳」と「足」があるので、それを駆使すれば、何とかなるだろう。 ちなみに、この日用意したワインは、すべて1000円以下のものです。だけど、これがね、めちゃめちゃ気合い入れて探したから、絶対にわかんないと思うよ。 また一仕事終えたら、ホームパーティしたいねー。今度はいつよ・・・トホホ。 追伸.
2003/04/12 お許しを ワタクシ、若輩モノ故に、ケツ青く。 2003/04/11 ヴィノスやまざき カミサンの仕事場は渋谷。 ということで、お互いに仕事がはやく終わったときなど、渋谷で待ち合わせて夕食、ということが、我が家の場合、結構多いんですね。 僕の勤務するNIMEは渋谷から1時間くらいあるんだけど、たまに渋谷にでて、街を歩くのは、刺激にもなるんです。おー、こんな店ができたか、とか、こんなモンがハヤってんのか、とかブツブツ言いながら歩く。 あと、幕張に大型書店はないので、このときとばかり、書店を歩き回ったりして。「渋谷は遠いなー、めんどくせーな」と言いながら、実は、結構楽しみにしている時間であったりはするわけです。 その際に、待ち合わせの時間まで1時間程度あるとすると、一軒立ち寄るのがここです。
ヴィノスやまざきは、輸入ワインの店です。店には、小さなワインカウンターが設置されており、そこで店で売っているワインをティスティンググラスで試飲することができる。気に入ったワインがあれば、すぐに買っていけます。試飲したワインは、1割安く購入できるからオトクかも。 ちなみに今週の試飲できる白ワイン(僕は白ワインが好きだ)は、以下のとおり。
オススメは、ロロニスかな。農薬を使わず、テントウムシちゃんで害虫を殺す、というとってもエコなワインだ。ワインラベルはテントウムシだから、すぐにわかるとおもいます。 2003/04/10 オモシロそうな本 オモシロそうな本を見つけた。 中野さんと言えば、数年前「ワークショップ」という本をお書きになった方です。 ワークショップと言えばさ、そうだ、日本教育工学会春の合宿で先日久しぶりに苅宿先生にお逢いして、ワークショップの話をしていたんだけど、そのとき先生はこんなことをいっておられました。 「僕らの知っているワークショップだけじゃなくって、少し領域が違ってくると、いろんなワークショップがあるんですよね。」 そうなんだよねー、ワークショップは一筋縄ではいかない。目的、組織、参加者が異なれば、運営方法もかわってくるし、それを一概にマニュアル化したり、定義づけたりすることは、非常に難しい。 でも、だからといって、「ワークショップ万歳、経験マンセー」って言っちゃうことは、僕はしたくない。「ワークショップは定義できない!」と開き直るのも好きじゃない。まして、「ワークショップは定義できないから評価できない」っていうのは、もっと好きじゃない。 そうじゃなくってさ、「思考停止」するんじゃなくって、「ワークショップ的なもの」を重ねてすかしてみていくことで、その輪郭がおぼろげながらに少しずつ語る、みたいなアプローチが必要なのかな、とも思います。美しい言葉だけで語るのではなく、その裏側も、組織論も含めて、生の言葉で語り、語られるっていうかね。 たとえば、甲南女子大学の上田先生に献本いただいた上記の本なんかは、学びと「スピリチュアリティ<つながりの感覚>」の関係を示唆する、とってもよい本だと思います。 ワークショップを語りゆくプロセス、このワークショップ的なるもの! 2003/04/06 コンセプト 「コンセプト」という言葉を聞くたびに、最近、違和感を感じることが多い。 否、正確に言うならば「コンセプト」という言葉に反応しているのではなく、「コンセプトになっていないコンセプトが美しい言葉で否定されること」に敏感になってしまっているのかもしれない。 「コンセプト」とはすべての根幹である。 たとえば、モノヅクリをするときに「コンセプト」は最初にゆっくりと時間をかけて構築されなければならない。そしてそれがいったん決まったら、たとえリーダーであったとしても、否、リーダーであるからこそ、よほどのことがない限り、それを揺るがしてはいけない、それを疑ってはいけない。 コンセプトを否定することは、自分のリーダーシップ、自らに対する信用を否定することである。それをおこなわざるを得ないときは、自らが覚悟を決めて潔くおこなった方がいい。自らが覚悟を決めず、美しい言葉でコンセプトを否定することは、決してしてはならない。 どんなに開発が難航しようとも、その根幹をなすコンセプトが失われれば、すべてが音をたてて崩壊してしまう。 美しい言葉で誤魔化しちゃいけない。 2003/04/05 キダム ちょっと前のことになるけれど、カミサンとキダムを見に行った。 「サルティンバンコ」で世界中を魅了した「シルク・ドゥ・ソレイユ」の新しい作品である。 実は、僕、「サルティンバンコ」はおうちにあるビデオでしか見たことがなく、それと比較しての感想しか言えないんだけど、この2つの決定的な違いは、物語性にあると思われる。 キダムには、パフォーマンスに加えて、物語がある。 夫、妻、子どもからなるある1つの家庭に、首のない「名もなき通りすがりの者(キダム)」があらわれる。そこからはじまる不思議の世界。その世界には、3人それぞれの、いつも望みながら、これまでかなえられなかった願望が反映した光景があふれていた。 それにしても、シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマンスは、とても人間ワザとは思えない。フツウの人がやったら「ウデポッキリ」、否、背骨ポッキリだと思う。アンタラ、何食ってるんだ、一体・・・。 2003/04/03 その教材が流通しないわけ 今日はちょっと前に書きためていたエッセイをessayのコーナーに掲載しました。もったいないので、ここにも転載しておきます。今日の御題は、教材の流通について。 おいおい、ほぼ一年ぶりのアップデートになるんですね、エッセイのコーナー。言いたいことはたくさんあるんだけど、なかなかまとまった時間がとれず書けませんね。 うーん、否、それは違うかな。 言いたいことを言いたいときに、都内各所の飲み屋さんなどで大放談しているために、たぶん、「気合い入れてエッセイ書くべ!」という風にならないのかもしれませんね。 よく働き、よく飲め、とは昔の人はよく言ったものです。うちの祖母の口癖でもありました。 よく飲んで、朝がきたら気分爽快。昨日の「言いたいこと」は、アタマからすっかり流れていってるのかもしれない。そうだとしたら、僕は随分幸せな境遇にいることになります。 あー、幸せだ。 ところで、今日のお話は、教材がなぜ流通しないのか、循環しないのかというお話です。僕は教育工学というガクモンを専門にしているのですが、そのような領域にいると、「教材を流通させよう」という話はよく聞きます。たとえば、こんな具合でしょうか。
この手の話、よく聞きます。本当によく聞く。 要するに、誰かがつくった教材をインターネット上のデータベースに登録しておく。で、それができれば、原理的に誰でもダウンロードできるので、教材が流通するハズだべっていう話です。 実際、この手の話は今にはじまったことじゃなくって、1970年代CAI全盛の時代にもありましたし、それ以前にもありました。 だけども、この手の話、うまくいっているモノを、僕は、申し訳ないんだけど、知らないんです。いや、ある瞬間は、うまく行っていたこともあるのかもしれないけれど、維持ができない。 中には維持すらできないもの、つまりハコだけできて全くコンテンツが入らないようなモノも多々見受けられます。なぜでしょうか・・・。昔から試みられていることなんですよ。それ自体、もし実現すればスバラシイことだと思いますが、なぜか機能しないんです。 僕なりにその理由を考えてみました。先日、駅前のジムに行ったんですね、久しぶりに。そこのトレッドミルで走りながら考えてみた、汗かいてひーひー言いながら。 少なくとも以下のような理由が考えられるのではないでしょうか。
なんだ、そんなことかいな、もったいつけやがって、このタコ!と思った方がいるかもしれませんが、このアタリマエのことが不問に付されて、いろんなハコが開発されてるってこと、多くはないでしょうか。 1に関しては少し考えてみればアタリマエなんですが、教育の聖性っていうんでしょうか、すぐに<教師のボランティア精神>を前提にして、モノゴトを考えてしまいがちなんですね。 自分のために教材を開発する人は多くはいないと思うけど、少なくはないと思います。でも、他人の使用を前提にして教材を開発して、まして教材を登録するなんていうコストを引き受ける、しかも多くの場合無償で!、っていう人は、かなりレアかもしれません。 いや、いないわけじゃないですよ、でも、それはデータベースが意味をなすくらいまでのポピュレーションかっていうと、かなり疑問です。なぜそういう存在がレアなのかって?、だってその人の立場たってみてください、何のオトクもない。 まして、登録の際に異様に細かいデータを入力したり、設定したりしなければならない場合はさらに事態は深刻になることが多いと思います。だって、そのデータでオトクなのは、データベースの開発者側、提供者側じゃないですか。その当人は全くトクをしない。
とおっしゃる方がいらっしゃるのかもしれませんが、それはおそらくそうはならないと思います。顔もわからない利用者のことをおもんぱかって、それらの作業を引き受ける人はかなりレアです、もしあなたがその立場なら、なかなかできないことだと思うのですが、いかがでしょうか。 2に関しては、4ともリンクしてますね。教材があったら、ダウンロードまではするかもしれない。でも、ダウンロードできることと、カリキュラムに導入して使えることは全く別のことです。 他人の使用を前提にして教材を開発するっていうのは、大変なことなんですが、それ以上に大変なのは、それを他人のカリキュラムの中に導入して使ってもらうことです。それが可能になるためには、他人が教材をどのように使うのか、というモデルが想像できなきゃならないのです。これは生半可な想像力ではできません。この生半可ではできないことを、低く見積もりすぎなんです。HTMLを書ければ、教材はできると思いこんでる。 3に関しても、データベースが教材のクオリティアシュアランスまでしてくれるわけではありません。それを実行するのは、結局は高い専門性をもった人なのですね。つまり、よい教材と悪い教材を見分け、教材の見せ方を工夫し、クオリティアシュアランスをするためには、高度なエディティング能力をもった人があたる必要があります。 先日、ドイツに海外視察にでかけたのですが、そこであるNPOの方にお逢いしました。ドイツ教育省とドイツテレコムがお金を半々でだして立ち上げた「教育の情報化NPO」とでも言えるのでしょうか。そのNPOも実は教材のデータベース化をやっているんですね。そこでは、元雑誌の編集者が、教師たちが登録してくれる教材のクオリティアシュアランスにあたっているそうです。採用されたものには、数万円の謝金が支払われるそうです。 5はこれらの神話が重なってたどり着いた最後の終着点ですね。重要なことを全部すっとばして、意志決定を何一つおこなうことなく、結局、最後はデータベースのスペックとか、OSのスペックとか、ネットワークの帯域しかアタマにない。で、<こだわり派>とか言っちゃう、もうアホかと!
僕のアタマに思いついた理由はこんなところです。 誤解を避けるために言っておきますが、僕は、教材をシェアするというアイデア自体を否定しているわけではありません。既述したとおり、それ自体、もし実現すればスバラシイことだと思います。 でも、教材の流通を実現するには、数々の神話や思いこみや淡い期待を捨てて、教材の流通に関与する人々がどのようなベネフィットのもとで、どのように動くかをしっかり想像しなければならないと思います。 2003/04/01 僕のシンネンド 僕のThinkpadからそのメールが送信されたのが、10月17日。そのとき、exCampusプロジェクトははじまった。 秋が終わり、冬をこえ、桜の咲く頃になり、約半年。ようやく、exCampusプロジェクトの成果が今日公開された。exCampus ver0.9(β版)のリリースである。
この一週間、7日間でプロジェクトのメーリングリストに流れたメールの数は、500通を超えた。メンバーの中には、この一週間、一桁の睡眠時間しかとっていないものもいるのではないかと思う、否、確実にいる。 今から考えても、壮絶なバグ取り、壮絶なサイトチェックだった。僕の作業量の見積もりミスのおかげで、プロジェクトのメンバーには、多大なる迷惑と負担をかけてしまった。それはすべて僕の責任だ、お詫びしたい、そして、同時に心からお疲れさまでした、ありがとうございました、と言いたい。 公開されるexCampusのバージョンが0.9であることから、容易に想像がつくように、現在公開されているexCampusには完全に実装されていない機能、十分な検証テストを終えていない機能が含まれている。完全な実装は、4月21日頃になる予定だ。さらにそのあとには本の出版も控えている。 2月21日の記者発表以来、多くの方々からexCampusに対するお問い合わせをいただいた。それらの方々には、またお待ちいただくことになるのかもしれないが、メンバー一同、少しでも使いやすく、わかりやすく、シンプルでいて、オープンなものをつくるために、心を砕こうと思っている。お許しいただきたい。 ともかく、4月1日今日、exCampus、そしてexCampus.orgはオープンした。オープンはほぼ午前12時と同時だった。さて、これから12時間、明日の昼まで、数日間徹夜していたメンバーが深い眠りにつけるように、プロジェクトのメーリングリストを閉鎖しようと思う。 オヤスミナサイ・・・。 |
NAKAHARA,Jun
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