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sunset at promised
place
2002/08/01 2度目の新婚
僕の両親が、オヤジの仕事の都合で札幌に引っ越した。旭川の家には妹だけが残っている。数年間たてばまた旭川に戻るということであるが、結婚以来、旭川以外の場所で暮らしたことのない彼らが、別の場所、それも大都市で過ごすのは大変なことだと思う。 カーペットを買った。 いつ建てられたものなのか解らぬほど古い彼らの住む社宅。内部は、思ったよりもリフォームされていて綺麗だった。それを二人で素朴に喜んだ。
どっちが言ったのか、僕は知らないけれど、そんな言葉がふいにでた。 二人の子どもは既に巣立った。二人だけの生活が、数十年前の記憶の片隅にある新婚生活がまたはじまった。 そして人生は続く。 2002/08/02 学習心理学 先日、「学習心理学の現在」という授業を東京理科大学で行った。200名の学生が参加する一斉講義だった。これまで、いろいろな場所でプレゼンテーションをしていたけれど、今回が一番人数が多くって、最初は結構びびった。 よい講義ができたかどうかはわからないけど、僕個人としては大変勉強になったし、スリリングでエキサイティング、リスキーでセクシーな経験だった(意味不明)。 最初は緊張していたけど、だんだんどうでもよくなって、自分の言葉で語り始めたら(北海道弁+東京弁+関西弁のごった煮語)、さらに語りたくなって、あっという間に時間が過ぎた。ムムム、これはやめられないかもしれない、素直にそう思った。 それにしても準備は正直に大変だった。結局2週間ほどあーでもない、こーでもない、とプレゼンをつくっていたような気がする。しばらくはクールダウンが必要かもしれない。だけど、また今度機会があったときには、是非やってみたいと思う。 東京理科大学の諸先生方、学生の方々、この場を借りて感謝致します。ありがとうございました。 2002/08/05 名作 NHKアーカイブスという番組がある。 NHKがこれまで半世紀にわたってとりためてきた秀作のドキュメンタリー、たとえば、NHK特集やNHKスペシャルを、コダシに放映しているものである。 放映は数年前からはじまっている。放映された番組、特に教育とか経済関係の番組を、何本か見たが本当にオモシロイ。 たとえば、日本の素顔「幼き受験生たち〜受験にっぽん〜」。 1960年代、日本が高度経済成長を迎える前の、まだ貧しかった頃の日本。そこには、将来のバラ色の生活を賭け、試験用紙と格闘する受験生たちがいた。トム&ジェリー風のBGMがバックにながれている。 孤軍奮闘ならぬ、一致団結して奮闘する子ども、親、教師。皆、学歴という神話を信じていた。
いつの日か神話は色あせる。映像技術も色あせる。しかし、秀作、名作と言われる番組でディレクターが主張したかった、その一点は古さを感じない。 曇りや曖昧さのない明確な一つの主張は、年をとらない。 2002/08/07 外化 今、僕にはヒソカなマイブームがある。 オンライン上の学習を成否するメンターとよばれる人々。そういう人たちをどう養成すればよいのか、そういう諸問題に対応する研究はないと思っていたのに、実際はあったんだな、先行研究テンコモリだったんだな、これが。 文献を読む。糸をたぐる作業である。リファレンスがリファレンスをよぶ。 あまり知られていないのかもしれないが、メンタリングに関しては、いろんな知見が、様々な研究者によって外化されている。一般に、この手の知見は、外化するのが難しいのにもかかわらずである。 状況にかなり依存するところが多いし、局所的な真実であっても、それが一般化できるかどうかは怪しいものだから、外化することをためらう人もいるだろうけれど、それでも彼らは「It is extremely difficult to define...」なんて言いながら、今、自分がつかんでいるものすべてを外化する。 それは完全ではないかもしれないし、オモシロい知見ではないかもしれない。そんなことは彼らが一番よく知っているのかもしれない。でも、それにもかかわらず、彼らはなんとかかんとか言葉を紡ごうとする。 こうした研究を目にするとき、僕は感動してしまう。 何に感動しているかっていうと、知見そのものじゃない。というより、研究者の「外化する」ということに対する欲望であり、アカウンタビリティの取り方にである。それはなかなかマネできない。
自分で評価メソッドを創りたいのかは知らないが、それを追い求めるあまり、基本的な評価メソッドを軽視する雰囲気がある。あるいは、中には、「自分がつくった学習プログラムは非常に複雑だから、評価できない」という人もいる。 他者にアカウンタビリティをはたすことのできない、非明示的で複雑な学習プログラムが他者、すなわち学習者に伝わるとは思えない。どうも矛盾しているように思う。 けだし、なにがしか、自分が引き起こしたある出来事に対して、他人がある程度了解可能なかたちで、外化すら、説明することをあきらめてはいけないと思う。それは努力目標なのかもしれないし、もしかすると、無駄なアガキなのかもしれない。が、それでも、僕らは言葉を紡がなければならない。僕はそう思う。 2002/08/8 西森邸訪問 先日、田口さん、田村さん、町田さん、中原、カミサンで新婚ホヤホヤの西森さんのオタクにお邪魔した。はじめてオクサマにお逢いした。とても明るい気さくな方だった。
たこ焼きやお好み焼きを食べた。西森さんの結婚式の写真等を、皆で見た。人の結婚式の写真を見るのは、なんだか照れてしまう。僕が照れるのは、どう考えてもオカシイのに。 大勢でおしかけてスミマセンでした、たのしゅうございました。 2002/08/19 追い込まれてる 最近、いろいろなことに追い込みをかけられている。 モノゴトをゆっくりと考えるというよりは、迫ってくる情報をちょっとだけ加工して、右から左に流しているような生活が続いている。体調もあまりよくない。 右から左に流れてるだけいいぢゃないか・・・人は言うかもしれないが、それはそうでもない。ちょっと加工したぶんだけ、手の先に痕跡や温もりは残っているけれど、やっぱり「流れちゃってる」わけだから、自分の中にほとんど蓄積が残らない。 ピンチかもしれない。 去年、聖域なき健康改革を実施し、禁煙・ダイエットに成功したが、そろそろ研究生活改善プログラムを実施・断行するときかもしれない。 2002/08/23 ビデオカメラ 夏休み最後の駆け込みレジャーなのかもしれないが、最近、空港にいくと、親子連れをよく見る。子どもが小さい場合は、60%くらいの割合で、親はビデオカメラをもっている。それほどまでに普及しているんだろう。 でも、いつもそういう光景を見ていて気になるんだけど、親御さん、ビデオカメラの撮影方法、少しはトレーニングした方がいいと思う。 手ぶれ、ブルブルどころの話じゃない。ひどい人になると、腕までふって、撮影している。おとーさん、なんて言って呼びかけられたら、ビデオがまわったまま振り向いちゃったりする。 たぶんイエに帰った後、家族みんなで見る映像は、ブルブルなはずだ。ブルブルならよいけれど、グルングルンかもしれない。 カラダの弱いおじいちゃんや、おばあちゃんは、あまりの映像の揺れに酔ってしまうかもしれない。おじいちゃん、ひとくちゲロで、おばぁちゃん、もらいゲロは、あまりいただけない事態だろう。 さらにかわいそうなのは、その子どもだ。せっかくの子ども時代の思い出が、ブルブルで、大人になってそのビデオを見たときに、「あー、俺は子どもの頃から、ブルブルだったのか・・・」と消沈してしまう可能性がある。 ビデオカメラに液晶モニタがついたことから、それを見ながら撮影する人が多くなった。液晶モニタを見ながら撮影すると言うことは、余計に脇が固定しないから、ぶれやすい。 ビデオカメラ撮影法、場合によっては、義務教育にいれた方がいい。文部科学省、ホンキで考えよう。将来の子どもたちのために。 2002/08/24 プレゼンテーション 来週の月曜日、某シンクタンクで2時間ほどお話をすることになった。テーマは、「コミュニティ・オブ・プラクティス:学習論と知識創造マネジメントの交差」だ。 1900年から現在にいたるまでの学習理論、経営学理論をざっと垣間見て、その交差点としてコミュニティ・オブ・プラクティスを位置づける。で、コミュニティ・オブ・プラクティスを実装する際のポイントを、いくつか紹介するという感じである。 プレゼンテーションが得意なひとたち、プレゼン大王たちの前でプレゼンテーションしなければならないのは、結構緊張する・・・てか。まぁ、ナントカなるだろう。 それにしても、なぜだか知らないけれど、僕のプレゼンの成功/非成功は、最初の一声で決まることが多い。最初、自己紹介したときに、「あーこれ、アカンな」とか「おっ、えーやん」とか一瞬考える。そのときの第一印象が、そのあとのプレゼンの展開に反映することが多い。なぜなんだろう。 まぁ、なんとかなるだろう。 2002/08/27 隠し酒 9月からカミサンが部署異動になるということで、先日、構成作家兼ディレクターの大房さんをはじめとするスタッフの面々の方が、ささやかな宴会を開いてくれた。いつものことながら、僕も参加させてもらった。 宴会は小さなお店で開かれたが、そこで、とってもオイシイ日本酒にであった。由利正宗(ゆりまさむね)の山廃純米 隠し酒である。
僕は、日本酒はあまり飲まないようにしているんだけど、この酒はすごい。フルーティーで飲みやすい、だけれども媚びていない。とってもバランスがよい。 帰ってきてWebで検索したら、一件だけこのお酒を買えるオチャケ屋さんを見つけた。秋田の地酒 酒の金勇である。
早速、ホイホイと電話して注文した、ウキッ。 ちなみに、このお酒、生酒なので栓を開いたら3日以内に飲まなくてはならないそうだ。うーむ、酒はイキモノである。 それにしても、素敵なオサケを紹介してくれて・・・もとい、このような宴会を開いていただき、スタッフの皆様、ありがとうございました。 2002/08/28 僕らはラーニング・ゲリラ のっけから悪いんだけど、毒はくよ。
とか、
とか、そういう物言いを目にすることが多いんだけど、そういうの、もひとつだと思う。 アメリカで流行っているとかいう、その「ココロミ」を紹介して、日本は遅れているってオシエテくれるのはアリガタイのだけれども、で、どうよ?アメリカで生まれた、その「ココロミ」や「クワダテ」が、日本でそのまま輸入できるってのはそもそもアリエナイでしょう。 「アメリカでこんなココロミやこんなクワダテが流行していて、そいつは重要だ、推進せなアカン!」、と自らケツをまくって主張するのなら納得できるけど、自ら主張すらせず、「あとはみなさん頑張ってー、わたしゃ、カヤの外から見てるから。知識あるワタシは指摘する人、体力あるアンタは頑張って実現する人、フフフ」みたいな感じはちょっとな、と思います。 「日本は遅れてる」とか「日本に輸入できない」とか、「ニホン、ニホン」とそれにこだわるのなら、「遅れたニホン」を嘆いたり、「ニホンへの輸入のムズカシサ」を指摘するだけでなく、代替案を示して欲しい。代替案とは言わずとも、ホンの少しの、あなたの工夫を見せて欲しい。 僕らは、いつだって陽気なラーニング・ゲリラになれる。 人に迷惑かけないゲリラ。プレイフルな学習の場を創造する喜ばしいゲリラに、僕らはなることができるのです。 ほんのちょっとの工夫さえあれば、どんなに遅れた学習環境だって、思わず笑みのこぼれる小粋な環境、ちょっとプレイフルな洒落っけのある環境になるだろう。僕ら自身の手でつくりかえることができるだろう。 僕らにはやれることがある。ススンデイルとかいうアメリカを横目で見るのも結構だけども、僕らは、今、動き出すことができる。 動き出せ! 2002/08/29 年休 昨日の日記では、「ラーニング・ゲリラーッ」とかワケのわからない毒吐いていたけど、あんまり毒吐くと、天国に行けないよ。 今日は年休取って一日オウチにおりました。 最近、ほんとうに体調が悪いのです。このままいくと、重大なエラーにつながりそうだったので、おうちでシンナリとしていました。 で、おうちで、たまっていた原稿を書いていた・・・。 今かかえている原稿で、最も難航しているのは、社会人大学院本です。 先日、2名の社会人大学院経験者の方、特にビジネスバリバリ系の方にお逢いし、インタビューさせていただいた結果をまとめているのですが、これ、結構大変です。お二人の話はとってもオモシロく、示唆に富むのですが、いかんせん、それをまとめるワタクシの文章力に問題があります。 今まで、いろんな場所で「AERAみたいな文章っていうかさ、インタビューをもとにした原稿っていいよねー」と言っていたけど、これ、書くの結構難しいです。なんというかリズムがなかなかつかめません。論文とか専門書のリズムとは違うんだよなぁ。 あー、今日も結局あんまし進まなかった。 というわけで、皆さんもオカラダには気をつけてね。ご自愛くださいね。 2002/08/30 渋谷 僕の大好きな、常に動き続ける街がある - 渋谷。かつて、この街は中心に川が流れる街だった。文字通りの「谷」だった。 ハチ公を横目に見ながら、スクランブル交差点を歩く。猥雑だ。この猥雑ぶりは、猥褻ですらある。 渋谷は常に動き続ける。大学の教養時代を、僕はこの街で過ごした。しかし、今、僕が見ている渋谷は当時の「渋谷」じゃない。基本的な路地のストラクチャーこそそれほど変わらぬものの、違う、かなり違う。 あの店もなくなった、この店ができた。これ、いつのまにできたん?これ、いつのまになくなった? 数ヶ月もいかなければ、あなたの渋谷は、今あなたが目にしている渋谷とは異なってしまう。 そんな渋谷の動き続ける様を描き、好評を博している新聞がある。
シブ経メールNEWSというメーリングリストも毎週一度配信している。変わり続ける渋谷を目にしてみよう。
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