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2001/07/01 アカウンタビリティ 仕事や研究プロジェクトへの参加を僕自身が他人に頼むとき、なるべく気をつけていることがある。それは、かの人に、仕事のミッション、かの人の役割と権限、仕事の期間と拘束時間、期待される成果、報酬あるいは成果、成果の共有の方法などをなるべく具体的に最初に提示することだ。「不明な部分はいまだ不明です、ごめんなちゃい」とハッキリ言う。今まで僕が他人に紹介したことのあるタスクの場合、だいたいこれらのことを説明していると思う。 僕の態度を「アメリカナイズされすぎなんじゃない」という人もいるが、北海道から東京にでてきて、大阪にいって、またまた東京にやってきちゃった人間に対して、アメリカナイズもクソもあったもんじゃない。あえていうなら、「北海道、大阪、東京ごった煮風」と言ってくれ。ということは、「北海道+大阪+東京=アメリカ」なのか? ていうのは、僕自身が好きではないのだ、これらのことをボカされて、曖昧なままに「かかわること」を強制され、自分の貴重な時間が失われていくのが。自分の研究としてやりたいことやアイデアはまだまだある、学習への欲望もどん欲だ。故に、時間の浪費は避けたい。
これが僕のポリシーだ。 とまぁ、ここまでは僕の理想を述べたのだけれども、これがなかなかうまくいかないんだな。日本の慣習というのか、文脈依存主義というのか、情報をなかなかくれないことが多い。また、こういうことを述べると、「何がこのケツ青の若造が!」と怒っちゃう人もいるから難しい。 でもさー、ハッキリ言って、他人にモノゴトを頼んで、それを責任もってやってもらいたいのだったら、こういうことはキチンと相互で了解し合意の上で、いわば契約した上でやった方がいいと思うんです。場合によっては、契約書をかわしても、こちらとしては嬉しいくらい。少なくとも僕はそういうことに真摯でありたいし、気持ちよく仕事がしたいと思います。こういう思いに年齢は関係ない。 それにこういうことをボカしていると、IT系の場合、大変なことになるんです。たとえば、共同で知恵を出し合ってつくったシステムやコンテンツの著作権を誰がもつか、特許権は誰がもつか、開発されたシステムに類似するシステムが既に特許をとっていて、訴えられちゃった場合、誰が訴訟に対応するか、など問題なんか数えだしたらキリがない。 システム開発やコンテンツ開発にはリスクがつきものですが、情報がお互いに開示されていて合意されていないと、リスクが生まれた際のマネジメントが全く不能になっちゃう。 無責任で報酬とか成果だけもらえればいいじゃんと思うかもしれないけれど、それはこれまたいい面もあるんだけど、イヤな面もあるんだよねー。無責任は馴れ合いとかもたれ合いとかを生んで、結局、あんまり生産的な仕事ができない気がするし、それ以上に、その状況につきあうのがシンドイ。自分から積極的に提案もできず、かといって、かかわることをやめることもできず。これは精神的にかなりフラストレーションがたまります。 こう思っているのは僕だけかなーと思っていたら、結構、僕のまわりの人は多いみたいです。先日も、あるところで、こういうタスクマネジメントの話に盛り上がりました。教育とテクノロジーを研究している人は、みんな忙しいので、きっと同じ思いに至るのでしょう。 とにかく自分だけは気をつけることにします。アカウンタビリティ、僕は果たします。被害者いたらゴメン。
2001/07/03 デジタルコンテンツと知的所有権 このところ論文&研究系のお仕事が多かった。今井さんのショートレターは掲載決定。西森さんの雑誌論文も最終段階へ。僕のCSCL2002原稿は無事に脱稿、現在ヴィゴツキー本を書いている。CSCL2002の方は、西森さんもきっと脱稿するだろう(一緒にボルダーに行きましょう)。 阪大系のプロジェクトは、若干EVAに遅れがあるものの、順調そのもの。8月中にすべての実験を終えることができるはずだ。山場を迎えているのはProject SCIO。明日はその会議が一日中あります。 Project Sphereは来週システム構築を終了、いよいよ実験計画をたてることになる。システム相談の方も、今月は2件ほど抱えているが、何とかかんとかやっている。 ところで、最近、読んだ本の中でオモシロかったのが、「デジタルコンテンツと知的所有権」というヤツだ。要するに、著作権とか特許権のことを解説した本である。いやー、よくこんな細かい解釈考えられるなー、感心するわ、アンタ。僕は絶対に法律とかダメだろうな、おおざっぱだし。 ちょっと練習問題。アナタ、どう思いますか?
いやー、こんなに著作権てめんどくさいとおもわんかった、ていうか、興味はないんだけど、めんどくさすぎ。 いわゆるコンテンツビジネスっていうのは、権利ビジネスだから、それをおこなう人は、これを全部クリアせなアカンねんけど、こんなに労力をかけたらビジネスになるんやろか。こんなに面倒くさいから、コンテンツって、何だかコンニャクみたいに実体のないコトバしてるくせに高価なんだろうか。いやー、ゴメン、僕はいいわ。
2001/07/04 潮騒 一丁離れた駅前通りでは、人々の歩行を縫うように車が行き交い、時々救急車のサイレンが鳴っている。都会の喧噪は、あと5分で次の日を迎える今になっても、いまだやまない。僕は眠気を全く感じず、ノートブックを開く。 深夜にコーヒーを飲むと、眠れなくなるのはわかっている。それでも、論文を書いているとき、コーヒーとタバコだけはやめることができない。極めて不健康。行間から、この不健康さが読み手に伝わらなければいいなとボンヤリと思う。電話... 電波の調子が悪いのか、受話器から雑音が聞こえた。声の向こうに聞こえる雑音は、最初から最後までやまない。ザーッ、ザッー。調子が波の音のようだ。 南の島の潮騒は、不健康な僕を魅了する。
2001/07/06 アツなきところにパフォーマンスは生まれない 今日は、加藤先生@NIMEの科研実験のため、茨城大学へ出張でした。今回の実験は、鈴木先生@茨城大学のヒューマンインタフェース関係の授業の学生さんたちに、「マニュアルをグループでつくってください」という課題を与えたら、どういう条件で創発的分業が起こるか、をエスノメソドロジチックに見るというものです。結果は詳しい分析を待たなければワカンナイんだけど、少なくともいえるのは、自由放任、何でもいつでもコミュニケーションできる環境では学生さん達の間には、パフォーマンスの高い分業は生まれない、ってことです。 僕は、以前、阪大の西森さん、杉本さん、三菱総研の浦島さん、NHK Educationalの荒地さんと一緒にrTableという分散環境下における「お話支援システム」を開発したことがあって、このシステムは学習者が分散環境で討論する際に、形式的な議論の役割を交代で担うというシステムだったんですが、今日の実験結果は、rTableのデザインコンセプトがあながち間違っていないってことを「ちょこっと支持」しているように思います。 rTableから学習者に付与された役割っていうのは、厳密なものじゃなくって、別に学習者はそれを無視して議論を続けることもできるんです。学習者を自由放任にはしないで、少しだけアツをかけるっていうのかね。学習者にはそういう曖昧な制約っていうか、自分がなにをするかをわかるための枠組みみたいなものが必要なんだと思います。この件に関しては、鈴木先生@茨城大学と楽しいディスカッションができました。 実はrTableは、リリース当初から「学習者に強制的に役割をふる」というデザインコンセプトがかなり不評で、それはひとえに僕らのコミュニケーション能力不足ってことなんだけど、少し自信を回復しちゃいました。 ところで訪問した日は、七夕の前日ってことで、目の保養もできちゃった。茨城大学教育学部の学生さんは、七夕には浴衣で登校するってのが、カルチャーみたいです。男の浴衣はどうでもいいっていうか、全く興味ないけれど、女性のそれはいい。後ろから見れば、みんな吉永小百合に見える?
2001/07/07 大学の授業 クーラーの取り付け工事を待っている間、自宅のデスクトップでブラブラといろんな人のWeb日記を読んでいました。仕事をしようと思ったんだけど、データがはいっているノートパソコンを忘れてきてしまって、羽をもがれた鳥、クリープのないコーヒーみたいな状態だったのです。 個人的にタメになり、かつオモシロかったのは、山城さん@大阪大学大学院(http://203.174.72.111/singo-y/memory/diary200106.html)の6月25日の日記。大学における授業のことをネタにかかれています。なるほどねー。以下は、山城さんの日記に紹介されていたリンクです。
授業、みなさん大変な努力をしていらっしゃるのですね。考えてみたら、僕も学部時代、教育学部にはいってからはかなりマジメに授業にでていたけれど、教養学部のときなんて、ダメダメ人間だったからなー。だいたい、寝てるか、欠席かだもんな。僕は友達いなかったんで、注意されることはそうそうなかったけれど、私語もタイガイうるさかったね。でも、僕らの頃はまだマシだったのかもしれない。僕がまだ学部1年の頃には、PHSがではじめで、まだみんなあんまりもっていなかったからさ。ケイタイなんて金持ちボンボン、嬢ちゃんしか持ってなかった。ポケベルは少しずつみんな持ち始めるようになったかな、僕は持たなかったけど。 僕はペーペー助手なので、授業なんかは持ったことはないけれど、僕だったら、どうするかな。たぶん戦略たてるんだろうな、きっと。でも、こういうのはドライにやりたいと思います、あまり感情的にならずに。
2001/07/08 CAMP テクノロジーと教育に興味のある人は、もうみんな知っていると思うんだけど、けいはんなにCAMP(http://www.camp-k.com/)なるものがある。CSKのトップだった大川さんのつくったコドモのためのワークショップセンターで、今年度から運営されている。 ここのディレクターをしている森さんとは、去年、東京でお逢いして、お台場のメディアラボのエキシビジョンを案内してもらった。当時、森さんはMITの客員研究員だったが、現在はここでワークショップディレクターを務めるかたわら、ロンドン大学大学院の遠隔教育コースで学んでおられると聞いた。 企業のメセナ活動というのは、一時期流行して、もうはやらないのかもしれないけれど、そういうもんでもないだろう。こういうスペースがあり、運営がなされていることは、非常によいことだと思う。この中からクリエィティヴな作品がでてくることを祈ってやまない。
2001/07/09 戦意喪失 先日の土曜日、エアコンの取り付けのために工事の人を待っていた。午前8時にはイエにいてください、と購入した際に、「ビ○クカメ△」の店員さんが言ったので、朝早くからずーっと待っていたんだ。 でも、こない、こない。いつまで経っても誰もこない。 結局、工事の人がきたのは夜の8時。昼下がりには、烈火のごとくキレていたが(たぶん僕のカント的性格をご存じの方はこのキレ方を予想できると思われる)、最後の方にはもうどうでもよくなった。戦意喪失。 最近、クロネコヤマトとか日通とかの宅急便では、競争が激化しまくっていて、荷物の受け取り指定が2時間ごとにできる。情報テクノロジーを駆使した荷物追跡システムのおかげだ。まぁ、ここまではやらなくってもいいと思うんだけど、12時間も待たせてカスタマーを戦意喪失させてしまうとは何事か。 途中不安になって、何度か問い合わせの電話をしたら、「最近暑いせいなんですよ」とか「下請け業者にトラブルが発生しまして」と悪びれずに全く違う理由を言っていた。言うに及ばず、これは暑いとか寒いの問題じゃない。また、下請け業者の問題でもない。要するに、「販売店が下請け業者に対する発注状況を把握できず、同日にオーヴァーブッキングしたこと」が原因である。情報管理戦略とそのためのソリューションがなさすぎるのだ。 実は、先日エアコンを購入した際に、レジうち、伝票処理、下請け業者への発注の様子を見ていて、モノスゴイ不安だったんだよな。伝票はカーボンが薄くてなに書いてあるか判別に苦労するし、下請け業者への発注書は、時代遅れのオフコンみたいのに入力したあと、レターボックスの中に100枚くらいつっこんであるだけだし。店員さんにモノを聞くと、すぐにわからないので調べてくると言ってどこかに言っちゃうし、2枚に配達伝票をわけてくれと言ったら、「伝票をわけると、忘れられちゃって配達されないおそれがある」なんてヌカスし。 あっ、ここ、情報のフローがよくなさそうだな。なんか煩雑そうなシステムだなー。 と直感的に思ったら、やっぱり案の定だもんな。 午後8時、ようやくエアコンの取り付け屋さんがきた。作業すること2時間。僕も可哀想だが、エアコンの取り付け屋さんも可哀想だ。思わず、同情してしまった。 もう二度と「ビ○クカメ△」では買いたくない。ていうか、買うこともないだろう。
2001/07/10 エアコン取り付け 先日の日記で、「エアコンの取り付けで戦意喪失ネタ」を書いたけれども、この話には後日談がある。というのは、取り付けにきたのは、親子だったのだね。お父さんは、荒井注に似たオッサンで、子どもは茶パツのお兄ちゃん。 取り付け作業は茶パツ兄ちゃんがやっているんだけど、時々、荒井注が口をだす。「コードの長さを全部アタマにいれてから、作業をやれ」「ドレーンがねじれてるぞ」「アホ!床に傷がつくだろ」なんていう風に。でも、茶パツくんが困っているときには、荒井注はだまって作業を補助するのです。この二人の会話というのか、相互作用というのかがオモシロくって僕はかなりの時間、作業を見ていたりした。コトバは悪いんだけど、とても仲が良さそうだった。 それにしても、まさに徒弟制度。プロだ。うまく二人の間に分業ができていて、かつ茶パツくんが「うっせーな」と言いながらも学んでいて、僕のそれまでの不機嫌は、いつのまにかどこかにいっちゃった。 前の日記で書いたとおり、僕は下請けのこの親子を全く恨んでいない。憎たらしいのは、情報をマネジメントできず、こんな親子に「夜遅く」になるまで働かせ、「彼ら自身は悪くないのに、カスタマーにアタマをさげさせること」を強いる大手量販店なのだから。 エアコン取り付け。こんなところにも「道」があったか。なかなか深いぞ。
2001/07/11 すがって生きるもの
ちょっと前に、高校時代の麻雀仲間と久しぶりに電話でビールを飲みながらはなしたときの友人のコトバである。 彼は電話の前にも飲んでいたらしくかなり酔っぱらっていたので、覚えていないと思うが、僕は実はビールをチビリとしか飲んでいなかったので記憶は定かである。いつもは女の子の話とか麻雀の話(僕はギャンブルは好きではない、正確にいうと、やりあきた)とかしかしないのに、就職して数年経つうちにこんな話をするようになった。 「まぁまぁ、そうはいってもしゃーないわな、これ。何とかなるって。」と言ってはみたものの、そういう僕の慰めも、友人の落胆ぶりを癒すことに全く寄与するはずもなく。 どうも深く飲んだときに僕らの世代の中には、こういう諦めというのか厭世感をかもしだしちゃうやつって1人や2人はいるみたいです。要するに、学歴や終身雇用とか年金の制度とかね、いわゆる「すがって生きていけるもの」がなくなってしまったのが悲しいらしい。 でも、彼の諦めというか厭世観については、「うーん、なるほどなー」と一定の理解を示すものとしても、僕としては、「辛けりゃボケろ」的にノホホンとしているところがあるな。 すがって生きていけるものはないかもしれないが、そうせずとも、僕らにはまだまだ自由に動くアタマとアシがあるぢゃないか。
2001/07/12 格差はどうよ? ちょっと前から予想していたとおり、最近になって(小泉首相になって)、「競争原理」と「結果の不平等」という二つの原則がにわかに注目されるようになってきた。7月11日の朝日新聞では、「日本の予感」と称して、この問題を扱っている(ちなみに、僕自身はこの記事の朝日の論調はあまり好きではない)。 要するに、自由競争(市場化)を行えば、持つモノはさらに持つようになり、持たぬものは持たないままか、さらに持たなくなってしまう。つまるところ、貧富の格差がドンドンと広がっていく。この格差を是正するべきか、それとも促進するような政策をとるのか、どちらかを日本が選ぶ岐路に立っている、というわけである。 デジタルの世界では、こうした格差のことを「デジタルディヴァイド」という。多くの社会調査が、デジタルの世界に親和性の高い文化は、裕福な社会階層に多いこと。そして、ディジタルデヴァイドはどんどんと拡大する傾向にあることを指摘している。 ところで、僕はこのディジタルデヴァイドに関して、とっても気になることがある。それはね、日本ではケイタイにインターネット接続機能がついたおかげで、いまや多くの若者がインターネットの利用者として統計なんかでは計上されているんだけどさ、ケータイでしかメールやWebを楽しんでいる人っていうのと、コンピュータでもそうしたことができる人の格差がモノスゴイなーってこと。 ハッキリ言ってしまうけど、今のケイタイのインタフェースはとてもとても思考の道具じゃないから、それを使って知的作業を行うことはものすごく困難なわけで、少しアタマの使うことなんかは支援できない。 それは嘆くことじゃなくって、もともとそういうコンセプトで作られていないデヴァイスだから、仕方ないんだろうけど、コンピュータの機能と比べたら雲泥の差になっちゃう。ケイタイメールって、多くは「飯食ったかー」とか「大阪にすむ中学生の男の子です」みたいな軽いコミュニケーションスタイルでやりとりされるでしょ。ケイタイメールで議論をしている人ってあんまり見たことがない。いたら怖いけどね。 でも、コンピュータを使っていようと、ケイタイであろうと、結局、メールもできるし、Webも見ることができるわけでね、どちらもインターネットを使っているっちゃー使っていることになっちゃうのだね。 でも、事実にあぐらをかいて、「なんだインターネットなんかケイタイだけでいいじゃんか」とか言って、若者の一部がコンピュータを嫌がっちゃって、それもOKなんて教育政策が言い出したら、コンピュータを使って他者とコミュニケーションしつつ知的作業を行える若者との間のデジタルデヴァイドはものすごく拡大するだろうなぁって思います。 だって、ケイタイっていうデヴァイスは何か新しいものをクリエイトするような使われ方じゃなくって、誰かがつくったコンテンツをコンシュームするのが基本だからね。この二極分化はデカイと思うんだよなー。ヤバイと思うんだけど。 いずれにしても、こうした格差は知らずしらずのうちに進行するものだから、気がついたときには遅いわけで、至急に何らかのコンセンサスが必要になると思います。
2001/07/13 ゴーンさんの下で働きたいですか? 文庫本「ゴーンさんの下で働きたいですか」を読んだ。カルロス=ゴーン、瀕死の状態にあった日産自動車を立て直した外国人経営者として有名だ。この本では、ゴーンが実行したリバイバルプランの革命のプロセスを詳細に記述していた。 ゴーンの革命には、ゴーン独特の語録が付随している。「危機感」「コミットメント」などがその典型だ。これらのコトバはゴーンが頻繁に用いたもので、日産の社内ではそれ以来合い言葉のように、つまりは、shared repertoireとして人々に語られたという。 要するに言いたいことは、「危機感こそが組織変革にとって重要である」「いったんコミットメント(約束)したら、それは達成する義務を負う」ということである。 組織の変革というものは非常に抵抗が強い。たとえば、日本は現在、国の機構の変革をおこなおうとしているが、既得権益をもったものはそれをなるべく手放したくない、よって抵抗は当然起こりうる。変革を迫られているものが、変革を担う張本人だったりするから、よけいにタチは悪い。そうなったら、あとは黒船しかないのか。 黒船のことを恐れつつも、どこか黒船の来訪と変革に期待する。そんな矛盾したメンタリティの中に、多くのヒトビトはある。
2001/07/14 2つのテクノロジー テクノロジーには2種類がある。ひとつめは、デキタテテクノロジー。このテクノロジーは、いま生まれたばかりのテクノロジーで、それをインプリメントした事例は、先進的でオリジナリティがあるって評価されることが多い。それをインプリメントするためには、制度的にもかなり無理をすることが多い。 ふたつめは、テアカテクノロジー。もはや仕様や発展の可能性が望めないけれども、多くのヒトビトが安心して使える確固たるノウハウが蓄積されたテクノロジー。それを実現する制度も確立しているものである。 本来ならば、デキタテテクノロジーを使って、多くのヒトビトが安心することのできる使用感を、最小限の努力で保証できればいいんだけど、多くの場合、そうはいかない。デキタテテクノロジーをつかってしまうと、ユーザビリティが低下してしまうことが多く、それの使用に関するヒトビトのコンセンサスがなかなか得られない。アカデミックにいうならば、クリティカルマスが得られないのだ。 デキタテテクノロジーとテアカテクノロジー。このダブルバインド状況はかなり痛い。開発やデザインの際には、いつもこれとの戦いになる。どちらのテクノロジーを好むかは、かの人の知識や経験に大きく依存するが、僕としては、テアカテクノロジーで自分の工夫をまじえたインプリメントを行うことを目指す方が、ショウにあっている。 テアカにまみれたテクノロジーだって、少し工夫するだけでオモシロイことはできるんだ。そうした工夫ができないときには、自分でデキタテをつくればいい。
2001/07/16 西森さん、めでたい! 西森さん@大阪大学大学院がNIMEに来訪した。Project BASQUIATの日本教育工学雑誌への原著論文が採録決定したとのお土産つきの来訪だった。共同研究者の一人としてとっても嬉しい。本当にお疲れさまでした。 今日は「会議+書類たくさん」で少し疲れていたが、夕方まで西森さんと研究のミーティングができたのはとってもよかった。やはり研究だ。これほどエキサイティングなことはない。 でも、それだけになっちゃうのはイヤだから、プライベートな生活もキチンと守れる大人に僕はなりたい。もうそれ以上、望むものはない。夏のパソコンやザウルスの新モデルなんかいらない。お酒もいらない。いらないったらいらない。 僕はそれらを願う、それ以外の何がいろうものぞ。
2001/07/17 ER的な 今日は朝から各種事務手続き。お昼からは、国際交流基金日本語国際センターにて会議。日本語教師のためのWebサイト構築の外部アドバイザーとしての役割だった。今日の課題は、Webサイトのサイトフレームワークづくり。担当の古川さん、島田さん、麦谷さんと僕でのディスカッションだったが、皆さんの勉強熱心さと熱心さには、アタマが下がる想いがした。 明日は、放送大学の番組打ち合わせのため、虎ノ門へ。あさっては、阪大の前迫先生と会議がある。会議が続くが、それが終われば3連休。勢いで乗り切ろう。 帰ってきてご飯を食べて「救命病棟24時」をビール片手に見た。病院系、医者系のドラマというと、ERを思い出すが、このドラマのツクリコミもすっかりERなんだよな。医者ひとりひとりがそれぞれの人生と患者をもち、ストーリーが複雑に絡み合いながら展開する。研修医役の不思議な雰囲気をもっている女優さんがかわいかった。癒しだなー。
2001/07/18 放送大学にちょこっと出演! 阪大の菅井先生からのご依頼で放送大学の授業の1コーナーに出演することになった。ロケは7月30日大阪で。スタジオ収録は、8月15日である。今日は、その打ち合わせ会議に出席するために、虎ノ門へ。 会議終了後、山内さん@東大とスターバックスでミーティング。来年度以降の研究方針、各種プロジェクトの進捗状況をお互いに確認した。
2001/07/19 蚊 いやー、シュールなゲームがでたものですね、電車のつり革広告で知りました。プレイステーション2の「蚊」っていうゲームです。 ソニーコンピュータエンターテインメント(SCE)によれば、「蚊」は以下のように説明されています。
でかした! 実際にゲームをやっているわけじゃないから知らないけれど、オモシロイ、このコンセプト。中原的には、「せがれいじり」以来のヒットです。プレイステーション2のハードウェアをもってすらいない僕に言われるのはイヤかもしれないけれど、今年のゲームコンセプト大賞をあげたい。ていうか、いわゆるRPGとかのゲーム・オブ・ザ・ゲームって、時間がない僕としてはやる気すらしない。その点、血を吸うのは10秒で終わるから僕向けだ。 ところで、このゲーム、マニアの間ではこんな意見もあるようです。
いいじゃん、アンタに迷惑かけてるわけじゃないんだから。
2001/07/20 メラトニン 二ヶ月前の海外出張でメラトニンなる睡眠薬を買ってきた。加藤先生@NIMEおすすめのこの一品は、正確には薬(くすり)ではなく、サプリメントである。要するに、眠くなる食品と言ったところか。効果のほどはよくわからんが、確かに眠くなるような気もするし、たいした変わらない気もする。だが、この薬を飲んだ日には、朝までずっと起きていることはないので、やはり効果ありなんだろう。 出張にいくと、僕は眠れなくなるという話をしばらく前にしたけれど、そういうときとか、あと寝過ぎた日の夜とかに僕はこの薬を飲む。この日記を書く少し前にも飲んだんだけど、まだ効果はない。かえって、文章を書いているので、目がさめたくらいだ。 今日は、一日中、本の執筆をしていた。先週、今週と会議、出張、会議なので、腰をすえて原稿に取り組みたかったのである。このところの忙しさは、ひとえに様々な研究プロジェクトを掛け持ちすぎたことに起因している。でも、「前進を続けるために、常に次のアイデアを準備しておかなければならない(ロザベス・モス・カンター)」というのもまた事実なわけで、特に僕の研究領域の場合、それも致し方ない。 ところで、結果はどうだったかというと、「いやー、原稿はかどりました」と、書きたいところなんだけど、途中で煮詰まってしまって、もうダメ。前から欲しいと思っていたプレステ2を近くのTSUTAYAで衝動買いしてしまい、結果として、僕のワークプレイスはグランツーリスモ3のサーキットになってしまった。いやー、まいった、まいった。 今日がダメでも日はまた昇る
2001/07/21 正しい本屋の歩き方 先日、D論指導の前まで、ちょっとまとまった時間があったので、本屋にいった。僕は、本屋が好きである。ビール飲みながらプレステもいいけれど、本屋はその10倍心地よい。ところで、就職するまでオウチでビールを飲むことはなかった僕だけど、最近、オウチでビールを1本だけ飲むようになった。腹もでてくるし、避けたいことなんだけど、飲まななー、やっぱり。飲まな、やってられんでー、しかし(別に深い意味はない)。 閑話休題 ところで、本屋といえば、まとまった時間がある場合、皆さんはそこをどのように回るだろうか。自分の興味関心のある書棚とか雑誌コーナーにしかいかない、という声も聞こえてきそうだが、僕に言わせれば、それは本屋を正しく歩いていない。 正しい本屋の歩き方というのは、まず、一番自分が興味関心のない書棚から一つ一つ本を眺めることからはじまる。「医学とか政治学とか、なんかあさってだなー」「ドクターコパ、儲けすぎだぞ、バカヤロー」と思いつつ、辛抱強く歩いていると、ふだんは気づかないんだけど、実は自分の専門領域と関連する異領域の本をさがすことができる。しかし、そこで買ってはいけない。オンラインショッピングでいうならば、ショッピングカートにいれるくらいにしておく。つまりは、まだこの段階では「オカイアゲ候補」としてのだ。 で、最後に自分の興味関心のある領域の本を見て、すべての本を見終わったら、もう一度、最初に戻り、一冊ずつオカイアゲ候補を検討していく。あまり買いすぎると、翌月のカードの支払いがキツクなる。僕の経験からすると、所得の5分の1を書籍代がこえると、涙目状態になるから、注意が必要だ。 で、本をいそいそとレジに持っていって本屋をでたら、まだ終わってないぞ。おまけがあるんだな。本屋の近くにある、あるいは本屋の中にある喫茶店にはいって、一冊ずつ今購入したばかりの本を愛でる。特にこの段階では、目次に目をとおしておくとよい。そうすると、自分の中の「読みたいメータ」が上昇し、いわゆる「積ん読(ツンドク)」になることを避けることができる。 かくして、正しい本屋の冒険は終わる。皆さん、お試しあれ。
2001/07/22 無礼なメール 以前、ある先生がこんなことを言っていました。
このハナシを聞いたのは、ずっと前のことで、すっかり忘れていたんだけど、最近、ていうか、昨日、僕もこれと同じ非常に不愉快な思いをして、思い出しちゃいました。おまけに依頼内容は明らかじゃなくって、何をやればいいのかぜーんぜーんわかんない。 僕の方針としては、こういう無礼なメールには答えません。あるいはヒヨッテ答えたとしても、丁重にお断りします。 仕事をやるならやる。やらないならやらない。中途半端なのはイヤです。どうせなるなら気持ちよくバリバリとやりたいですが、それができなそうなので、時間と労力の無駄です。期待に反してお役にたてずに申し訳ございません。
2001/07/24 たこ焼きや、コイツは新しい 最近、お気に入りのお店があります。それは某駅ビルにある「たこ焼き屋」という名前のお店です。 この店、何がオモロイかっていうと、たこ焼きという屋号に反して、実は定食屋+飲み屋という実体のワケわからなさです。これは新しい、オモロイ。 普通、屋号っていうのは、一番ウリにしたいものをかかげると思うのですが、このお店でたこ焼き頼んでいる人って、ほとんどいないです。非常にお魚がおいしいお店なので、みんな焼き魚定食とか煮魚定食ばっかり。でも、かなり繁盛しています、本当にやすくておいしいから。 うーん、経営学の教科書にはない戦略だなー。深い、たこ焼き屋。
2001/07/25 TEELeX 今日は、山内研究室のM2の中杉さんと、Project SCIOでお逢いしたWebデザイナーの岩岡さんが来研しました。TEELeXというVRシステムがNIMEにはあるのですが、その見学です。見学後、リアリティに関して少し議論ができたのがよかった。 特に中杉さんのシュウロンのハナシは、本当にオモシロイと思いました。Wearble + Augmented Realityとはねー。教育工学会でも発表するらしいので、是非、みなさんお聞きください。教育工学会にもメディアアートが出現するとは。愉快でたまらない。
2001/07/27 eLearning world 2001 浦島くんと荒地さんと一緒に東京ビックサイトで開催されていたeLearning world 2001へ。eLearningはじめてのエキシビジョンということで、かなりの人がいた。ブースも盛況。たとえば、レイルという会社の技術力、感動しました。スゴイ。 でも、気になったこともあったなー。eLearningという概念が生まれて、それはとってもアタラシイ概念であるはずなのに、その概念のもとに開発された人工物の底流には、伝統的な学習観が脈々と流れており、かつてきた道をメディアをかえて、もう一度歩いているようなものもポツポツ見受けられた。 ハッキリ言うけど、「eLearningって学習とか教育のサイトだろー、だったら、学習とか教育とかって、かくあるべしだろ、オイラの経験からふまえて。テストだろー、学習進捗状況の管理だろー、コンテンツだろー、あとは掲示板とかメールとかつけとくか、ヨノナカじゃ、コミュニティが大事だとかって言われてるし!」という安易な発想は、あまり生産的な環境をうまないような気がします、これは自戒をこめて。 このシステム構成で本当に、学習者はうれしいだろうか。これで学習者にメリットがあるシステムになっているだろうか。そんな根元的なところから思考を出発させるところに、eLearningの未来があると思う。そして、もちろん、これは僕の課題でもある。 夜は、例のたこ焼き屋ならぬ魚屋で飲んだ。おばちゃんが元気なかったなー、今日は。疲れているのかな。
2001/07/28 八重州ブックセンター 我が家に宿泊した浦島氏とともに、八重州ブックセンターへ。彼と一緒に、僕も再度JAVAを勉強することに。浦島くんフェイバリットのJSPとServeletの本をまずは買った。 Microsoftの.NET構想にからみ、僕らが得意にしていたVisual BasicやActive Server Pagesは今後大きく仕様を変えることになる。どちらかといえば、Cっぽくなるのかな。無駄にはならんが、もうビルに左右されるのもいい加減イヤになった。てなわけで、JAVA。昔お勉強していた頃の知識、役にたつだろうか。 あと、経営学、組織論の本を買い込む。コトラー、ポーター、ドラッカーなどの代表的な著作をカートにいれた。今月のHarvard Business Reviewは、知識について。慶応大学の安西先生がメタラーニングのことを書いていた。この雑誌をパラパラやっていて、びっくりしたのは、エティエンヌ=ウェンガー。ナレッジマネジメントコンサルタントとして、ビジネスの世界に進出していた。さすがは、ウェンガー。 あと、情報デザイン入門という本がでていた。まだ読んでいないけれど、コミュニティのデザインについてもふれられている。 やはり本屋は楽しい! |