The Long & Winding Road - 2001/06


2001/06/02 サンフランシスコへ

 本日より、スタンフォード&バンクーバに出張である。今回の目的は、Stanford Learning Labとの遠隔協調実験と、スタンフォード&バンクーバの研究施設を訪問することである。ところで今回の出張では、ガシガシ写真をとるぞと思ったが、結局、面談が結構忙しくてあんまりとれなかった。撮影した写真を以下に公開するので、見ていただきたい。

  • 2001/06/02-08 スタンフォード&バンクーバ出張
  •  成田からサンフランシスコ国際空港までは、飛行機で約8時間。成田で、永岡先生と待ち合わせして、すばやくチェックイン。永岡先生はさすがに海外になれていらっしゃる。永岡先生のゴールドカードを使って、成田の待ち時間はJAL SAKURA LOUNGEへ。はじめてのLOUNGEだったので、非常にウキウキした。

     この中ではあんなことや、こんなことや、そんなことが行われているらしい

     と思ってラウンジの中にはいったが、ドリンク&スナック&電話がフリーになっていて、たくさんの外国人さんがおしゃべりを楽しんでいた。少し残念。ていうか、アタリマエ?
     永岡先生が、僕のノートパソコンで、スタンフォードでのプレゼンテーションの最終修正を行っているあいだ、僕はラウンジをブラブラ探検。

     フライトは約8時間。数時間眠ることができた。いつもは全く眠れないのに、やはり疲れているのだろう。強烈な時差ぼけでサンフランシスコ国際空港へ。エキスプロラトリアム見学後、湾岸沿いをぶらぶらしてホテルへ。強烈な睡眠が僕を襲う。


    2001/06/03 J○L

     今回の出張で楽しみにしていたことのひとつに行きと帰りの飛行機があった。日程の都合でJ○Lに乗ることになったのだ。

     今まで海外にいく際は、日本の航空会社に乗ったことがなかった。すべて格安航空券。それも「エッ、そんな会社あったっけ?」というような航空会社を選んだこともあった。

     今回は、J○Lだ。J○Lといえば、機内サーヴィスとかも充実しているんだろうな、綺麗なお姉さんがあんなことやこんなことをしてくれるんだろうなー、なんて淡い期待を抱いた。

     で、感想は・・・。

     ちょっと期待はずれちゃったかなー。お姉さんは綺麗だったけど。

     ちなみに、太平洋線を往復しまくっている一岡さんから聞いた話によると、席と席の間は、J○Lが一番狭いらしい。ちなみに、一番広いのは、AN○。また、機内食の今ひとつで、その充実度は、圧倒的にAN○とか、海外の航空会社の方がいいんだって。それにもかかわらず、J○Lが一番高いんだって・・・。

     残念、カンチャン、頼むよ、アンタ。次回に期待!


    2001/06/04 生ロイピー

     なんと、朝起きると寒い。何が何だろうが寒い。でも、それが自分が発熱しているせいだとは全然気づかない。サンフランシスコというところは、昼は日差しが強いが、朝晩冷え込むというのを聞いていたので、たぶん、そのせいだと思っていた。でも、いくらアツイ風呂にはいっても、寒い。

     きゃー、発熱、熱暴走!

     僕はそこで一気にブルーになる。
     僕と不運にもおつきあいいただいている方なら、結構ご存じなことだが、実はこーみえても、僕はカラダが強くはない。どちらかといえば、弱い方である。かつ、さらに悪いことに、僕は病気に気負けしてしまう軟弱モノである。軟弱モノで何が悪い、と開き直ることはできても、病気には勝てません。僕の心はどんよりと曇る。しかし、今日は楽しみにしていたSRI訪問とスタンフォード大学ラーニングラボ訪問だ。これはいくしかない。

     SRIにつく。アポイントメントは僕がとったので、レセプションでCLT(Center for Learning Technology)の外山さんを呼んでもらう。レセプションのおばはんが怖いことはどーでもいいか。電話には無事、外山さんがでて、ビバリヒルズ青春物語のスティーヴみたいなにーちゃんに案内されCLTへ。

     スティーヴに外山さんを紹介され、CLTの中へ。中には、TAPPED INの責任者であるSchlagerと、1999年のCSCLでMiddle Spaceを主張したHoadleyがいる。Schlagerから、SRIとCLTの説明。続いて、やはりSchlagerからTAPPED INの説明を受ける。

     Markからは、

    1.TAPPED INは9042名からなる一大コミュニティに成長し、mall-shopping center化していること
      
    2.1995年当時からユーザインタフェースがどのように変化してきたのかの説明。これは非常に興味深かった。でも、詳細は秘密。
      
    3.現在のTAPPED INの運営は、Face to face Meeting と組み合わせてることもあること
      
    4.TAPPED INのMentorは約12時間ボランティアによって担当されていること
      
    5.今のところ評価は行っていないこと
      
    6.今後は、social networkについての研究をしていくこと

     などが語られた。これだけじゃないんだけど、まー書くと細かくなるから、もっと知りたい方は個人的にメールをください。

     続いて、Hoadleyは、

    1.CSCLのデザインは、Making information socialでならなければならないこと
      
    2.その際、注意しなければならないことは「information alone doesn't work(library)」であり、「communication alone doesn't work(discission board)」であること

     などが語られた。Hoadleyはこの話をCSCL99のPaperの中でもしているけれど、この意見に全く僕も同感です

     最近のWBTの設計を見ていると、「ナレッジマネジメント機能」や「コミュニティ機能」と称して、検索エンジンやWeb MailやBBSを、ただ実装しているだけのものが多いんだけど、そういう機能を実装したからといって、「コミュニティ」とか「ナレッジマネジメント」が実現するはずない。そこで問われているのは、そういう機能を「解釈」し、人々の社会的な活動に結びつけることのできかってことだと思います。

     二人のプレゼンテーションのあと、続いて永岡先生からNIMEの役割と日本のVUの現状のプレゼンテーションがあり、多くのCLTの研究者、またカーネギー財団から飯吉さんがこのプレゼンテーションにお昼(Brown bag)をもって参加された。

     そのあと、いよいよでたー。でたー。尊敬するロイ=ピーに僕は逢えちゃった。生ロイ=ピー。決して原宿でブロマイドは売っちゃいないけど、彼はこの業界の先駆者であり、CLTのディレクターを務めている。

     ロイ=ピーは、何とも熱っぽく、そして親切に、今、自分が行っている研究の話をしてくれた。話は1時間くらい続いただろうか。なにやら、彼は近年、Teachscape(www.teachscape.com)という会社のディレクターを兼任し、ブロードバンドに対応した教員研修用のWebサイトの開発・運営を行うという。

     彼のビジネスモデルは明快で、「国・州・地方」のうち、教員研修の予算を握っている「地方(district)」を対象とした教員研修パッケージをつくり、売り込むというものであった。ピーは自分のオフィスに僕らを招待してくれ、teachscape社のプロモーションビデオと開発中のWebサイトを見せてくれた。

     プロモーションビデオ、Webサイトのデザインは申し分なく、かつ、ユーザのbandwidthに対応したビデオを再生できるようなシカケもなされていた。ただ、こういうサーヴィスは、ジョージルーカス教育財団やカーネギー財団、さらにはインテルの教員研修プログラムでも実験的に行われている。Teachscapeの今後が楽しみだ。

     このあと、ESCOTプロジェクトのディレクターを務めるロシュエルにあって、数学や科学の教材の共有と再配布の基本的枠組みについて話を聞いた。

     SRIの訪問は、僕にとって、ものすごく感動的だったし、タメになった。質問しまくり、聞きまくりの数時間だった。いやー、おもしろかった。

     とまぁ、そんなハイな気分でSRIをでたのはいいが、やはり熱には勝てず。帰りに、Extra StrengthのTylenorをかって、ホテルでダウン。もうひとつの訪問先、Learning Labにはいけずじまいだった。今回はそこで遠隔協調実験を行うつもりだったんだけど、実験は、ほぼ成功だったと聞く。みなさん、ホントウにお疲れさまでした。そしてお役にたてなくてすみません。


    2000/06/05 University of California Berkeley Extention

     朝、起きてみたらなぜか快調。昨日のヤマイはどこいった?

     今日は、University of California Berkeley Extensionへの訪問だ。モーテル6の駐車場で、永岡先生、加藤先生、大林組の一岡さんにあって、車で一路Colmaへ。車の運転は僕が担当した。はじめての右ハンドルの運転だったけど、余裕じゃん。カリフォルニアのフリーウェイはプレステのグランツーリスモみたいだった。

     ColmaからはBARTでDowntown Berkeleyへ。駅からほど遠くない綺麗なビルディングにUCBK Extentionはあった。面談は、そこのディレクターであるヒルさん。

     ヒルさんはとてもわかりやすくUCBK Extentionについてざっくばらんに話してくれた。ヒルさんによれば、

    1.オンラインとFace to Faceを適宜組み合わせることが重要であること
      
    2.学習者の動機を向上させるため、CD-ROMやテキストなどのHybrid Deliverryを行っていること
      
    3.しかし、それだけでは不完全なので、Group Excersiseをおこなっていること。学習者をグループにして、お互いにがんばろうねー、どこまでできた?などという話ができるようになれば、学習の動機は自ずとあがるらしい。
      
    4.コンテンツをつくるためには、コンテンツエキスパート(講師)、インストラクショナルデザイナー、グラフィックデザイナー、HTMLデザイナーがチームを組んで、7ヶ月から9ヶ月かけること
      
    5.コンテンツの著作権は大学に属すること
      
    6.オンラインテスティングは認証とセキュリティの関係からやるつもりはないこと
      
    7.UCBK Extentionの参加者は5000人いるが、ドロップアウト率は40%であること。その理由は、学習者のLife course changeによること。
      
    8.オンラインコースとF2Fコース(Face to Face Classroom)は、前者が120コース、後者が800コース存在していること
      
    9オンラインコースのメンターの資格は、修士号と、1年以上の教育経験があること
      
    10.システムは非常にシンプルで、日本のWBTに存在するような学習者進捗度管理や、コース管理などは行っていないこと。つまりは、Assignmentの有無でしか、学習者の進捗度を確認していないこと
      
    11.カリキュラムは週に対応するLessonsと、そのサブカテゴリのTopicsから構成されており、テキストとグラフィック、あるいはビデオの配分を考えた構成になっていること
      
    12.グラフィックには、マウスカーソルをあわせるとテキストがあらわれるようなシカケを行っていること。テキストばかりだと、学習者はキチンと読まないらしい。故に、グラフィックに頼ることになるんだけど、それだと内容が深まらない。だから、そういうシカケを行っているらしいです。
      
    13.すべてのカリキュラムにはGroceryと称する用語集へのリンクがなされていること
      
    14.掲示板のユーザインタフェースは、左半分フレームをツリー表示にして、クリックされたメッセージの属するスレッドを右半分フレームに表示する形式。今回訪問したいくつかの機関では、この形式を採用しているところが多かったですね。
      
    15.掲示板の書き込みは、アサインメントの投稿と、教師 - 学習者の質問応答がほとんどだが、質疑応答でさえ、一週間に1から2通しかないこと
      
    16.掲示板での学習者同士の相互作用は、あまり起きないこと。それを教師が強く促していること

     などが述べられた。個人的には、WBTを設計する際のコンテンツデザインに、インストラクショナルデザイナーがキチンとかかわっていることが印象的だった。こういうことが専門職として成立するのだろう。

     最も成功していると言われているUCBK Extention。なかなか話しにくいこともあったと思うが、ヒルさんによれば、以上が現状のようだ。

     ミーティングのあとは、UCBKを散策。カフェテリアで昼食をすましたあと、有名な時計台を横に見ながら、一路、BARTにのって、サンフランシスコ国際空港へ。

     バンクーバについたのは、20時だった。レンタカーを借りて、ホリデーインへ。まだまだ出張は続くぞ!


    2001/06/06 微熱

     微熱。
     朝おきたら、かなりイヤな予感。あまりにビックなサンドイッチを半分だけ食べてホリデーインのロビーへ。手持ちぶさたなので、スタバでCoffee of the dayを注文。そうこうしているうちに、永岡先生、加藤先生ともにロビーに集合。

     今日の予定は、元サイモンフレーザ大学で遠隔教育プログラムのディレクターを務めていたトム=カルバーをたずねに、彼の新しい大学TechBC(Technical Colledge of British Columbia)へいくこと。あとは、University of British Columbiaの構内にあるWebCT社を訪ねることである。WebCTは現在、世界で一番シェアをもっているWBTである。このWBT、ものすごいスピードでヴァージョンアップがなされており、ユニコードにも対応するようになるみたい。

     TechBCは、サリー市のショッピングモールの中にある大学で、いやー、大学の姿もここまでくればかなり壮観。でも、今のTechBCの仮の姿で2003年には新しいキャンパスへの移転が決まっているという。

     トム=カルバーにあったあと、TechBCのディレクター、Johnに話を聞いた。聞いたことは以下のとおり。

    1.TechBCはInformation Technology、Bussiness Technology、Interactive Artの3コースをもつ大学で、現在のところフルタイムの学部生3年生がいる。スタッフは150名。コースの多くはオンラインで提供されている。ちなみに、教官の数は25名程度。学生はほとんどが高校を卒業したばかりの学生で、中にはESLの学生もいる。
      
    2.コースは99年に15本、2000年に200本、2001年に300本用意している。
      
    3.コースのデリバリーモデルは、大きく分けると(1)週に9時間のFace to Faceの授業+週に9時間のオンラインコース、(2)100%のオンライン授業、(3)一週間ごとにオンラインと講義をいれかえるものがあって、それぞれ全体の60%、10%、10%をしめているそう。授業内容に応じて、バランスを保ちながら運営されている。
      
    4.オンラインコースの提供は、独自Webアプリケーションを利用している。
      
    5.オンラインコースは75%の学習者がブロードバンドアクセスで受講しており、80%の生徒が自宅にコンピュータをもっている。
      
    6.コースの作成は、(1)R&Dチーム、(2)プロダクションチーム、(3)コースリサーチャー、(4)デリバリーチームにわかれて行われる。
      
    7.R&Dチームは、JavaやWeb Technologyに明るい3名のWeb開発者、1名のグラフィックデザイナー、Educational Analistから構成される。Eucational Analistは、先ほどのデリバリーモデルを吟味し、コースやコンテンツのストラクチャー、コースの目的、評価の方法などを決定する。
      
    8.プロダクションチームは、VideoやFlashなどを作成するメディアディレクター、インストラクショナルデザイナー、ソフトウェアデザイナー、エディター、デジタルライセンススペシャリストから構成される。デジタルライセンススペシャリストは、著作権等の処理にあたる。
      
    9.コースリサーチャはそのまんま。リサーチを担当する。
      
    10.デリバリーチームは、コーディネータと2名のシステム管理者から構成される。
      
    11.これら多くの人々がかかわるコース作成は、1つのコースを作成するために4ヶ月をかけて行われる。忙しすぎて研究するヒマなんてないとのこと。

     TechBCでは、面談後に、TechBCというロゴのはいったトレーナなどのおみやげをもらった。とても、街でブイブイ言わせられるシロモノではないが、なぜだかうれしかった。NIMEもトレーナとかTシャツをつくって、来訪者に配ると喜ばれるかもしれない?

     この面談後、有名な心理学実験の現場へ立ち寄り、中原の車でUBCへ。非常に迷ったが、何とか到着。WebCT社のミッチェルが出迎えてくれた。

     WebCT社では、384kのテレビ電話を用い、ヴァンクーバのオフィスとボストンのオフィスを結んで、会議が行われた。IMSやAICC、SCORMへのWebCT社の対応を探った。標準化について、ボストンの担当者が、

    「我々はオープンにどんどんとしていく。WebCTはオープンアーキテクチャなのだ。このプラットフォーム上で、すでに多くのコースウェアが開発されている。Interoperability(インターオペーラビリティ:相互運用性、あるいは互換性)は十分あるといえる。故に、その上でSCORM等の標準化に貢献したい」

     と語っていたのが印象的。僕の英語理解に関する限り、標準化に対応するかどうかは、かなり玉虫色というところでしょうか。

     僕は全くをもってWBTの標準化に興味はないんだけど、難しい問題なんでしょうね。デファクトスタンダードは、現在の地位がおちるようなことはしないだろうし、各社ごとに思惑があるんだろうし。

     WebCT社をでて、ヴァンクーバの市街地ガスタウンに戻り、車をおいて食事。その後、無事にホテルについた。イヤー疲れた。ずっと微熱が続いているしなー。明日は帰国!


    2001/06/08 日付変更線

     真っ暗になった機内で上映されていた映画が終わる前に、日付変更線を越えた。今からは、明日。目に見えない架空の線を一瞬のうちに通り過ぎることで、昨日は過ぎていった。

     海外にでると、いつも戸惑うのは、その国々の生活習慣でも、言語でもない。言語や生活習慣には、戸惑うというよりも、あたって砕ける。それらを自由に操れるわけでも、順応できるわけでもない。あたって砕ける。

     どうしても戸惑うのは、時間だ。東京で誰かが過ごした時間を、5000マイル離れた僕が過ごす。日常的な感覚からかけ離れたこうした時間に僕は時に戸惑い、なぜか切なくなる。

     日付変更線を越えた。時間は共有される。そんなことを微熱のアタマで想う。


    2001/06/09 発熱

     いやー、参った。5月の後半から、プロジェクトがどんどんと押してきて、ほとんど休みがとれないままに、出張にいってしまい、パロアルトで発熱するも、それをごまかし、ごまかししていたら、帰国後、やっぱり発熱です。

     僕はカラダがあまり強くないので、結構、カラダ想いな方だと思うのですが、疲労にはかてんてーの。てなわけで休みます。


    2001/06/13 事件

     先日、大阪の小学校でトンデモナイことが起こりましたね。白昼、学校に出刃包丁をもった犯人があらわれ、児童8名を殺害なんていうのは、にわかに信じられないことです。実は、この事件、僕は帰国後、成田空港で知りました。電車の前にすわっていた人の持っていた新聞にそのことがのっていたのです。思わず目を疑い、穴があくほど他人の新聞を見つめていたら、その人が僕にこう言いました。

     ホントウにヒドイ事件ですね、日本の学校もアメリカみたいになるのでしょうか。

     確かにホントウに心が痛む事件です。そして、かの人のいうように、この事件はちょっと前にアメリカ、コロラド州で起こったハイスクールでの銃乱射事件を思い起こさせます。

     ところでマスコミは相変わらずこの事件についていろいろな意見や論評を流しています。その中でも気になるのは現場の教師に対する酷評です。「子どもを守れなかった」として教師が非難の矛先に少しずつなりはじめています。

     確かに「子どもを守ること」は教師の理念であり、倫理なのかもしれません。それを否定する気は毛頭ありません。しかし、「子どもを守れなかったこと=教師の無責任」とする単純で単細胞で凡庸なマスコミの論調には、首をかしげざるをえません。

     出刃包丁をもった人間に、素手の何の訓練もうけていない教師が立ち向かえるでしょうか。聖職たる教師だからという、ただそれだけの理由で立ち向かえることができるのでしょうか。

     たとえば、常に危険性のともなう銀行とかなら、行員にはそうした訓練も行われているかもしれません。しかし、銀行だって行内で出刃包丁をもった人間が暴れ出したら、それ相当の被害はでるはずです。

     つまり、何が言いたいかというと、学校であろうと、銀行であろうと、今回のような事態はリスク管理の範疇を越えているということです。熱意や情熱や理念だけで、解決できる問題ではありません。それを想定したシステムの不在なのです。もちろん、こうした事態のリスクを回避するシステムをつくることはできますが、それにはそれ相応のコストが必要です。そして、コストを負担するのは我々ですので、それには議論が必要です。

     今回の事件は痛ましいです。そのいたましさの前にはコトバを失ってしまいそうになります。でも、そのことが一本的な教師の非難、学校のオープン化への非難につながるのなら、それはそれで大問題だと思っています。


    2001/06/14 世の中のうねり

     今日は、いずれも会議で東京駅のサテライトキャンパスを2つおとずれた。ひとつは国立大学がやっている東京駅キャンパス。ひとつは、某有名私立大学がやっているもの。いずれも社会人や企業人をターゲットにしている。特に後者は、さながら空港のエグゼクティヴラウンジのようだった。受付には、おねーちゃんが二人すわり、そこにおとずれる人々を迎える。

     先日の出張時で、僕ら一行はTechBCというショッピングモールの中にある大学をおとずれたんだけど、近年こうした動きがかまびすしい。社会人を対象として新規顧客獲得を行わざるを得ない大学と、都市の再開発の動きが二つ結びつくと、こういうことになるのだと思う。銀杏が並木をつくる大学のイメージは、急速に失われつつあるといったところか。

     ところで、最近、毎日のように感じることなのだが、僕のまわりの世界、特に高等教育をめぐる動きがものすごく早くはやく感じられる。それを「うねり」というコトバで形容するのならば、「うねってうねってキューッてなる」くらいに激しく動いていると思う。
     先日、MITは自らの授業をすべて無料でインターネットで公開することを決めた。

    http://web.mit.edu/oki/index.html

     これはいわゆる「オープンソース」式のビジネスモデルをとっているのだと思う。RedHatがそうであるように、コンテンツは無料で公開しても、オーソライズやサポートは無料じゃないよーってな感じでビジネスをしようとしている。

     日本もこの動きは例外じゃない。国立大学の独立行政法人、民営化。そして雇用対策としての大学院への社会人の100万人の受け入れ、現在60単位まで認められている遠隔講義の単位の拡大。まぁ、一ヶ月ででるわでるわ、大激震だ。まだ具体的な姿は見えないけれど、こちらも「うねってうねってキューッ」だな。

     戦略をもって大学同士が戦わざるを得ない、大競争時代がはじまろうとしている。


    2001/06/16 居酒屋のアルバイト

     昔、大学学部生のときに僕は居酒屋でアルバイトをしていたことがある。最初はホールで、次はバーテン。時給は安いし、疲れるし、夜は遅いしで、疲れるバイトナンバーワンだったが、これがなかなか「耳の穴」くらい深い世界だった。

     僕が密かに愉しんでいたのは、お客さんの会話を聞くことである。

     「なぁ、今日、これからどうしよっか」
     「ウチくる?」

     なんていう会話なんて聞いた日には、下半身サンバですぅ。

     「今年の新人はトロいんだよ」
     「そうそう」

     なんていう会話を聞いた日には、「うーん、この会社では学習システムが確立されていないんだなー」と思ったりしたものだ。

     先日、ある居酒屋で飲んだ。オヤジ臭いって言われるかもしれないけど、就職してから飲むことが多くなった。居酒屋のおにーちゃんやおねーちゃんを見ていて、ふと昔を思い出した。遠い昔みたいだ。


    2001/06/18 近況

     土曜日。早朝電車にとびのって、Project SCIOの会議へ。本日は、コーディネーションに関する会議。サーヴィスの名前を決めるところで煮詰まるも、何とかコンセプトを決めていく。

     会議の間、山内さんと大学の未来について話す。先日、文部科学省から続けざまに発表された「私立・公立・国立あわせてトップ30に予算を重点的に配分する」「国立大学の民営化」「社会人を100万人大学院へ」「そのための遠隔講義の設備の増強」など。大学は激震が走っている。その後、「来年、どんな研究をしよっかーという話」。

     会議終了後、MELL Projectの会議へそのまま出席。現在画策しているWorkshopの案について、水越先生に話す。MELL Projectのサブプロジェクトとして実施されることになった。会議終了後、皆さんとお食事。

     日曜日。朝、CSCL2002の原稿を脱稿。ネィティヴチェックのため、原稿を大阪のセシリアさんにe-mailで転送した。セシリアさんにはいつも感謝している。僕のプアプアイングリッシュは頭痛もんだろうに。ありがとうございます。

     サイトのリニューアルを開始。リニューアルを思い立ったのには、いろいろと理由がある。僕も戦略的に生きなければならぬのだ。でも、半分死にかけた。なにせ、ファイル数は1000をこえている。

     協調フィルタリングを用いたCSCL開発プロジェクトをたちあげるための予算申請書を作成。ドクター論文の一章に入る予定。

     夜、中山美穂・トヨエツ主演のドラマを見る。スピッツの「遙か」はいい曲だ。中山美穂もいいけれど、優香はアタマから食べちゃいたいくらい可愛い。このドラマ、何度か見逃したが、たまに見ている。最初は脚本にドタバタ性がありすぎて、嘘くささがあったが、最近は文学的なセリフ回しがナイス。トヨエツのセリフは、ところどころに伏線がはってあって、うまいなーと思う。

     あぁ、明日は朝、プログラマーとのミーティング。その後、会議。そろそろドクター論文の続きもせねば。そういえば、本の一章、どうなった。

     そして人生は続く。


    2001/06/19 ビジネスホテルのこと

     どうしてこんなに独自性というか、コンセプトがないのか、理解できないものにビジネスホテルがある。どこにいっても同じ部屋のつくり、何をたべても同じ朝食。比較可能なのは、もはや値段だけくらいしかない。今日のホテルもそんな感じだった。

     これは旅館でもやっぱりあてはまる。同じような夕食に、朝食。同じような浴衣に、同じような布団。これじゃ、ミズキアリサの「花壱」じゃないけれど、ダメだよねー。

     いつも何か違うものが見たい、聞きたい、経験したい。これは僕だけの要望なのだろうか。僕自身がマイノリティなのかどうなのかはわかんないけれど、ビジネスホテルに泊まるたびにいつも思ったりすることです。


    2001/06/21 うたかた

     幸せっていうのはな、死ぬまで走り続けることなんだぞ

     吉本ばなな「うたかた」

     私生活は非常に愉快この上なかったけれど、このところの僕は研究方面で確かに煮詰まっていた。僕の目の前を日々うねりゆくビットストリーム、10個のプロジェクト。一般にプロジェクトというものは、個数で表現されるものじゃないと思いながら、それらは確実に増えていった。その流れに身を委ねることに心地よさを感じなくなってからしばらくたっていた。eLearningというコトバもコンテンツというコトバも虚ろに響いた。それは事情を知っている僕にとってすれば、すべては実体のない「うたかた」に見えた。それでいて、カラダを若干壊しかけながらも、着々とタスクだけはこなす日々が続いていた。

     今日、三菱総研の浦島君にあった。彼との話は、生き方戦略から最近のWeb技術・データベース技術にまで多岐に及んだ。ものすごく楽しい時間だった。

    「毎日言いたいことがたくさんある。こんなに考えたことは学生の頃にはなかった。それを日記にしたら、ものすごい量になるんだろうな」

     飲み屋からの帰り、彼はそんなことをふと口にした。小柄な彼にもいろいろあるんだろうなーと思った。

     お互いしゃべりたいだけしゃべり、感情を出したいだけ出したら、すっと気持ちが楽になった。

     まだはじまったばかりだよ

     横断歩道に群れる人の群れ、動き、表情。彼と別れてしばらくそこでボーッと人間観察をしていたら、ビートたけしの映画「キッズリターン」の最終シーンをふと思い出した。

     まだはじまったばかりだよ


    2001/06/22 じいちゃんのこと

     今日は僕の母方のじいちゃんの命日である。僕が小学2年生だった、あの夏、じいちゃんはこの世を去った。天気のよい暑い日だった。学校から帰ってみると、どことなくオウチの雰囲気が変だった。いつものように、友達のイエに遊びに行こうとすると、オヤジが僕を居間に呼んだ。

     朝は言わなかったけれど、早朝、じいちゃんが死んだんだ。だから、これから村井さんちにいかなければならない。友達には事情を言って

     人は生まれながらにして不治の病にかかっているという。そして、この日記を書いている一瞬一瞬の間に、他ならぬ僕も死に一歩一歩近づいている。しかし、当時、小学2年生だった僕には、死というものがまさかそんなに身近なものだとは思わなかった。じいちゃんにあって、その冷たくなった顔に触っても、その意味すらわからなかった。ただ、声をだして泣いた。冷たくなったカラダを一生懸命手で温めだけど、じいちゃんは戻ってこなかった。

     じいちゃん、あれから17年たったけど、元気かな。機関車の運転手だったあなたは、そちらの世界でもD51を運転しているのでしょうか。僕は愉快に生きてるよ。

     外は雨。窓の遠くで警笛が聞こえた気がした。


    2001/06/26 メールのこと

     なんかいっつも忙しい、忙しいと言っているような気もするけれど、このところホントウにアタマが休息するヒマさえない。書類が終われば、会議。会議が終われば、今度は違う会議。そのあいだに電話がはいり、訪問者がきて、毎日パニックである。もはやゆっくり考えるヒマは、電車の中だけという感じになってるんだけど、その電車の中の時間さえ、ビジネス英会話とメールの整理に追われちゃう。

     今日、ある開発ミーティングである人にこんなことを言われた。

     最近、中原さんのメールって、だんだんとそっけなくなってますよね。昔は一通のメールの容量が今よりもずっと重かったし、引用してコメント、引用してコメントというスタイルを守っていたじゃないですか。最近だと、メール全体を引用して、その上にコメント書いてますよねー。ひとつひとつにコメントを書かなくなっているでしょう。昔はヒマだったんでしょうねー(笑)。

     そのとおり。このところ、僕のメールはそっけない、おもしろくない、丁寧でもない。それは重々わかっているんだけど、事務的にガシガシとメールを書いていかなければハマッてしまうから、しかたなしにそうしているところもある。

     今より少し前の僕は「メールは文学だ!」だとかいつも嘯いていた。自分が文学的なメールを書いていたのかはしらないけれど、快いメールを書きたいとはいつも思っていた。そんなときが懐かしい。


    2001/06/27 School of Internet

     人に、日本で一番進んでいるヴァーチャルユニヴァーシティはどこかと聞かれたら、僕は迷わず慶応大学のWIDEプロジェクトの一環である、SOI(School of Internet)をあげる。

    大川恵子他(2001) 次世代インターネットを利用した高等教育環境の構築実験:GIOSプロジェクト 情報処理学会 Vol.42 No.1

     使われている技術の安定さ、運用実績ともに、ここが一番だと思う。やれ、実証実験だ、次世代だというよりは、非常にいいと思う。なぜなら、キチンと1000人の学生を相手にしても動いているから。事例として紹介できるまで、キッチリと運用されているから。

     次世代テクノロジーを追い求めることも重要だけれども、テクノロジーをきっちり運用していくテクノロジーもそれに負けないくらい重要だと僕は思う。一度、その運用体制なんかをインタビューする機会がないかなーと思っている。



     NAKAHARA,Jun
     All Right Reserved. 1996 -