The Long & Winding Road - 2000/02


2000/02/01 進め、BASQUIAT

  BASQUIATの開発がいよいよ佳境にはいってきている。従来のインターフェースはあまり使い勝手がよくないとのことから、新しいインターフェースを開発することにした。今日は、午後7時から深夜4時まで開発チームで作業をした。本当に疲れた。

 いくら疲れたとしても、カタチのあるモノが、今、生まれようとしている。この瞬間が好きで、僕は研究をやめられない。


2000/02/02 絵

 本当に忙しい日だった。日中は論文を書き、夜はプログラミング。前の日も午前5時までBASQUIATのミーティングがあったから、疲労はピークに達しているんだろう。でも、眠気はなぜかない。信じられないほど意識はクリアだ。このまま朝までワークをこなしていても、なぜか大丈夫そうな気がする。でも、気分は憂鬱だ。ミジンコなみの少しだけの複雑さが僕にもあるんだろう。

 NTTデータから発売されている水彩というソフトウェアを入手した。こんな夜は、お絵かきでもすれば気でもはれるかもしれない、と思い早速遊んでみることにした。
 
 心の絵
 
 かつて学部時代にフィールドワークさせてもらった都内のある小学校のアトリエでは、心の絵というテーマで子どもたちが自分の心象風景を描いていた。こないだPTAのパソコン教室にいったときには、親に連れられて教室にきていた女の子が、やはり自分の心象風景なのだろうか、被写体のない絵を描いていた。

 午前2時30分、約1時間かけて僕はひとつの絵を描いた。


2000/02/04 ケヅカくんのこと

 僕の研究室にケヅカくんという後輩がいる。今日は、彼とゲーム業界とIT業界の未来について話す機会を得た。ケヅカくんは就職活動、僕は論文の修正に追われていたから、忙しい中でのお話になったが、オモシロかった。未来は誰にもわからない、そんなことは百も承知している。そしてわからないからこそ、未来の語りには個人の価値観がでる。そんなきわめて個人的な話に花をさかせていた。

 彼はいう。ゲーム業界にこれ以上ハードの進化は求められていない。それよりも今必要なのはエンターテインメントとしてのゲームよりも、コミュニカティヴなゲームへの移行である。自分はいずれそのようなゲームのパラダイムを動かす人間になりたい。

 頼もしい若者だなぁと思った。元来負けず嫌いな僕は、後輩の彼に負けることを潔しとしない。僕もがんばらなくては、と改めて思った。

 最近、ある人事担当者の話を小耳にはさんだ。かの人いわく、今、就職活動にくる女の子と男の子を比較すると、女の子の方が「使えそう」に見えるらしい。問題関心ははっきりしているし、将来のビジョンも持っている子の方が多い。だから、男の子をなるべく採用しようと思っても、結局、面接をやっているうちに女の子を採用してしまうことになってしまう、困ったことだ。

 こんな話をしたからといって、僕は別に女の子に「勝て」とか、そういうことを言いたいんじゃない。そんなことじゃないんだ。

 「問題意識」や「将来のビジョン」が曖昧であるが故に、誰にでも好かれる「優しさ」をもった男の子たちへ。

 己、一匹の侍たれ!
 自戒をこめて


2000/02/05 料理のこと

 自分で言うのも何だが、僕は結構「料理すること」が好きである。まぁ、「食うこと」くらいしか楽しみがないから、自ずからそれに対する関心が高まったという感じだ。かつては大学に行く前に、「郁恵・井森のお料理バンバン」を見ていたこともあった。ホントにこんな番組名だったのかどうかは忘れた。番組の冒頭に「お料理バンバン、お料理バンバン」とかいうテーマ曲が流れていたような気がする。

 独り暮らしをはじめるとき、僕は一冊の本を手に入れた。「男の料理」とかいう本で、独り暮らしを始める男の子にとってのバイブルみたいな本だった。でも、この本の欠点は、その通りにつくると、決して「うまくない料理」ができることにあった。レシピ通りつくると「うーん、やっぱり男の料理だよねぇ」というシロモノが確実にできる本でした。タイシタもんだ、なかなかつくれないぞ、そんな本。

 いつ頃からであったろう。料理の本を見ずとも何とかかんとか、材料を適当に鍋にぶち込み、適当に調味料をいれて、適当に味付けができるようになったのは。今となっては、ほとんどレシピを見ずとも、適当な料理をつくれるようになった。どうして自分がそんなワザを習得できたのかはわからない。でも、ひとつだけ言えることがあるとするならば、敢えて「男の料理」をゴミバコに捨てて、時に失敗を繰り返しながら、刻々と変化する鍋の中の食材に応じて「いかにも料理的な行為」を適当に実践したみたことにあるのだろうか。鍋の中の食材がグツグツ煮えてきたら、いかにも料理人のように、「塩」をふってみるだとか、できもしないくせに「フライ返し」を敢えて試みてやけどするだとか、そういう「いかにも料理的な行為」の実践が僕を道場六三郎にさせた。ホンマか。

 頭の中でいろいろウダウダ考えてプランをたてて、それをそのまま実行しようとするよりも、実践した方がいいようだ。そして、これは料理だけに言える事じゃないような気もする。


2000/02/06 街を出て書を読もう

 そろそろ帰省が近づいてきたようだ。お正月も帰らなかったから、しばらくぶりの帰省になる。やるべきことはやってしまってから帰省して、ゆっくり時間を過ごしたいと思っている。そのせいで、今は地獄のような有様になっているが、それは致し方ない。

 最近、論文の執筆にたて続けに没頭していたので、ヘロヘロになりかけている。もちろん、まだ4月までに2本の論文を仕上げなければならないから、気を抜いてもいられないんだけど、帰省の期間は少しそれからは離れて、ゆっくりと本でも読んで過ごしたい。たまっている本でまだ読んでいないものが何冊かある。この期間に、書とにらめっこしながら身につけたい技術もある。本当にいい機会だと思う。

 街を出て書を読もう。


2000/02/12 私的なものに対する公的なまなざし

 最近、人とお会いする機会が多い。完成した修士論文や雑誌論文の原稿をもって大阪をでて、それに対するコメントをいただいたり、アドバイスをいただいたり。どの方々も時間がない中を、僕のために時間を割いてくれていることがわかっているので、こちらも結構気合いがはいる。もう少しで一段落しそうだ、がんばろう。

 先日、あるデザイン系の専門学校の成果発表会にふらっといってきた。たまたま通りを通ったら、発表会をやっているというので、フラリとはいっただけの話だ。結構オモシロかった。特に、僕の目を引いたのは、自分の彼氏や彼女の日常の姿を日記風にモティーフにしている作品が多かったことだ。中には、チューをしているものや、ヌードや、まぁ、ここでは書けないような作品もあった。イヤっ。関西のおばはんなら、きっとこのような叫び声をあげるだろう。言っておくけど、芸術だかんね。
 
 僕はハタと考え込んでしまう。僕らの世代の常識からすると、このように自分の最もプライベートな存在(彼氏や彼女のこと)を、あえて公衆のパブリックなまなざしのもとにおく行為が、どうしても恥ずかしいものと思えてしまうからだ。そのときに一緒に行っていた同じ年代の連れも同じような感想を述べていたから、このような感覚は僕だけに限定されるものではないはずだ。いやいや、別に悪いと言っているわけじゃない。先日作品を展示していた学生と僕は数年しか年が違わないのに、この数年のうちに、プライベートとパブリックの感覚に少し断絶があるんだろうと思う。そう思ったら、少し悲しくなってしまった。

 あんまりそういうことを話していると、「オマエも年をとったな」と言われてしまうからやめよう。みなさん、どう思いますか?


2000/02/15 Don't Worry, Be Happy

 僕が中学生だったころ「カクテル」という映画があった。親の目や近所の人々の目に触れないように綿密に計画をたて、ある女の子と見に行った覚えがある。トムクルーズ演じるひとりの青年が、大都会マンハッタンにでてくるところから映画ははじまる。学歴も身よりも持たない彼はマンハッタンで仕事を探すが、それほど社会は甘くない。結局、彼はひとつのバーにバーテンとして働くことになる。およそ、信じられないような華やかな世界。しかし、ひとりの女性との出会いによって、彼は虚飾に満ちているこの<華やかなるもの>に疑いを持ち始める。

 Don't Worry, Be Happy

 映画「カクテル」の中に挿入されている一曲だ。昔、「天才たけしの元気がでるテレビ」という日本テレビの番組に「元気をだしてはじめての告白」というコーナーがあったのだけれども、そのテーマ曲としても使われていたし、何だったかのCMにも使われていたような気がする。先日、縁があってこの曲を入手することができた。久しぶりに聞いたらあまりに懐かしくなった。

 今、東大のかつての学部のかつての学生控え室でこの日記を書いている。目の前にはスピーカーがあって、そこからボビーマクファーリンが「Don't Worry, Be Happy」と僕に語りかけている。

 なんだか知らないけれど陽気になってきた。これから、かねてより「飲み友達」としておつきあいいただいている現場の先生と飲みに行く。陽気に飲もう、陽気に。


2000/02/16 - Manace -

 昔々、僕がまだ中学生だったころ、「イヤだ、キャラが違う」と言って散々抵抗したのに市内の弁論大会に出場させられたことがある。そのときの僕の論題が「独り言」だ。まわりは「環境問題」だとか「いじめ」だとか「動物愛護」だとか、「いかにも弁論ですぅ」というようなベタな論題が多かった。こちらは「独り言」だ。内容はおおかた忘れたが、確か日々中学生として暮らしていた僕が素朴に感じた学校の中の矛盾だとか、そういう内容だったように思う。「いわゆる中学生らしく生きていくことを生徒に求めることが、どれほどの葛藤を生徒に与えることになるか」を皮肉っぽく独白してみた。最初に「この論には結論などないこと」「独白であって弁論ではないこと」を断った上で、「それでよければ聞いて欲しい」と御願いした。でも、僕が「中学生の葛藤」を独白したからといって、そのことで別に学校を変えて欲しいなんて思わなかった。誰かにそのことを訴えたいとも思わなかった。やっぱり「独り言」だったのだ。

 幸か不幸か、僕の弁論は、なぜか人によってはかなり「ウケ」た。僕を引率してきたアワイ先生は調子にのって、「中原、次は道内の弁論大会だな」とかいうので、これは「キャラ違いにもホドがある」と思って、原稿をその場でビリビリに破いて側溝のドブの中に捨てた。先生は、「こら、オマエ何をする」と言って狼狽していたけれど、そんなこと、僕にはどうでもよかった。「やだベンベン」とか言って、さっさと帰った。若かった。

 最近、人から「中原君はなぜ、そして、いつごろから教育の領域を自分の専門に選んだの?」と聞かれた。その場はお茶を濁して、あとからイエに帰ってうんうん唸って考えてみたけれど、どうもその答えは箇条書きにはできないようだ。中学生の頃から、衆人を前にして「独り言」するというパラドクスを演じていたから、その頃から教育に関心がなかったと言えばウソになる。僕の親戚には「学校のせんせい」が多かったことも、その関心を支えていたのかも知れない。とにかく、この問いに関しては、どうも機能論的に答えがでるものではないらしい。教育学部の学生に同種の問いを投げつけたら、おそらく、「人の役に立ちたい」だとか「子どもの笑顔を見たい」という答えが返ってこようが、確かにそういう側面もあるけれど、そんな「紋切り型の理由」で自分の専攻を説明する気にはなれない。

 そういえば、こないだある人と議論になった。議論は些細なことからはじまったけれど、注目すべき論点があったように思った。つまり、「そもそも誰に教育を語り得ることができ、誰がある事象をもって教育的だと見なし得るのか」という問題であった。

 考えてみればこの問いはモノスゴク難しく、それでいて、教育を語ろうとする人々にとっては脅威になる問いだ。「そんなの常識的に判断すればすぐにわかるじゃん! 学校のことや子どものことを語れば、教育を語ることになるじゃん!」とうそぶく人には、もう一言付け加えよう。「それは教育を語っていることになるのですか?」と。
 自分が形而上学的な思考の迷路に迷い込んでしまっていることは自覚しているが、僕は時にこのような一連の問いを朝から晩まで考えていることがある。もちろん、わからないことだらけだ。「わからない」というその不安をもって、やはり、僕は「教育」を語ろうとする。

 今、一編の論文が脱稿寸前である。あと、もう少し加筆・修正を加えれば、この論文も教育の論文として他の人々の目にふれることになるだろう。
 僕には何が語り得るのだろうか。この論文が「独り言」にならないことを祈りつつコンピュータに向かうことにしよう。


2000/02/17 NHK教育生放送「たったひとつの地球」見学

 今日は、山内さんのご紹介でNHK教育「インターネットスクール:たったひとつの地球」の生放送を見学させてもらった。ここで僕が見たもの、そしてそこから得たインプリケーションはどだいこの日記におさまらないから、別に「生放送のエスノグラフィー」として公開しよう。ともかくも、このような場を与えてくださった山内さんとNHKの箕輪さんに感謝致します。お忙しい中、本当にありがとうございました。

  • 生放送のエスノグラフィー
  •  生放送を見終わったあとは、NHKエデュケーショナルのミーティングルームをお借りして、山内さんと研究のミーティングを行った。自分のやるべきこと、やりたいこと、やらなければ故郷に帰れないものがよりはっきりとした。そのあとは、甲南女子大学の上田先生と山内さんと僕とNHKエデュケーショナルの荒地さんで、NHKの喫茶店で、すこしお話しする時間がもてた。ジョージルーカス財団の「ジェダイスクールをつくろう」という話や、最近上田先生が行ったワークショップのことなどを話していた。まだ自分の中で消化しきれていないので、ここでは語らないが、大変インプリケーションにあふれる話だった。

     それにしても、「インターネットスクール:たったひとつの地球」では「あのねのね」の清水国明さんをこの目で見てしまった。大変気さくな方だった。赤とんぼを歌ってくれとは、言えなかった。それだけが心残りだったりする。


    2000/02/20 こち亀とクリスマス

     先日から北海道へ帰省している。ゆっくり本を読もうと思ったけれど、なかなかそうもいかない。勉強をしているわけじゃないが、久しぶりに帰ってくるので結構するべきことがある。

     昨日、ある女の子と話していて、吹き出してしまったことがあった。彼女は、最近、異性と別れたばかりだ、というところから話は始まった。別れた理由は一言でいうと、彼女の交際していた異性には「知的好奇心」というものがなかった、とのことだった。彼女が異性に求めるもの、それは男らしさとか、そういうものではなくて、知的なものへの欲であり、それをもとにした日々の生活の改善への志向だという。まぁ、贅沢な欲だなぁと思う。そんなことないかい?

     でも、彼女を少し弁護しておくと、彼女のいう「知的なもの」とは、それほど大げさな話じゃないようだ。何も食事をしているときに、「ニーチェを語れ」ということではないらしい。たとえば、彼女は絵画を見ることが好きなのだが、かの男性はそういう知的な香りのするものを一切拒絶し、それを共有することのできるような男性ではなかったらしい。彼女いわく、自分はそういう異性をずっと求めて今まで生きているのであるが、なかなかそういう異性はいないのだという。僕も男として耳が痛い話だ。まぁ、よい教訓として覚えておこう。

     さて、僕が吹き出してしまったのは、彼女が別れを決意する出来事である。それはクリスマスであったらしい。1999年12月24日、彼女は彼と市街地で待ち合わせをしていた。映画を見て、お食事をする予定だったのだという。どんな映画を見るか、という選択は彼にまかせた。彼女としては、リュックベッソン監督の「ジャンヌダルク」を見たかったらしいのだが、それとなく自分の意志は彼に告げ、あとの選択は彼にまかせたらしい。しかし、彼がチケットをとった映画は・・・・。

     彼女いわく:

    「いやいや、いいんだよ、別にわたしはそれでも。おもしろいしさぁ。わたし結構好きだから、そういうのも。でもさぁ、はじめてのクリスマスだよ。クリスマスに映画見るってときに、何も「こち亀」のチケットを取ってくることないんでないの? 何が悲しくて、クリスマスに両津カンキチ見なきゃならないの? いや、別にいいんだけどさぁ、おもしろいから・・・・。映画館に他にカップルがいたかって?、そんなのいるわけないじゃん、まわりは小学生ばっかだよ!

     どうも、彼女が納得行かないのは、知的好奇心とかいう問題じゃなく、むしろ、その男の間の悪さというか、場を読む力の欠如なのかもしれない、と思った。本当に勉強になった一日だった。そうか、「こち亀」はダメなのかぁ・・・。でも、その男の子、いいキャラしてるなぁ。僕、友達になりたいよ。


    2000/02/21 オカンの嘘、ヘロヘロ嘘

     人は生きている中で必ず嘘をつく。そして、嘘をつくたびに言い訳でとりつくろうとして、さらなる嘘をつく。嘘も方便、嘘には許せないものもあれば、花も実もある嘘もある。畢竟、嘘は人間のつくりだす意味世界を豊かにすることに間違いはない。

     嘘の中でも聞いていて笑ってしまうような嘘もある。許せない嘘なのだけれど、もう怒る気力さえなくなってしまい、ヘロヘロになってしまう嘘。うちのオカンは、たまぁにそんな嘘をつく。

     たとえば、妹が外出中に、イエに彼女宛の手紙が友達から届く。うちのオカンはそれが気になって気になって仕方がない。知りたくて知りたくて仕方がなくなる。思い切って封をあける。あぁやっちゃった・・・と心の中では思いつつ、手紙を見てしまう。しかし、困るのはこのあとだ。妹がイエに帰ってきて、自分宛の手紙が開封されていることを知ったら発狂してしまうだろう。困った彼女は、そんなとき嘘をつく。

    オカン「今日、あんた宛の手紙きてたよ」
    妹「あぁ、ありがとう」
    ・・・
    妹「あのさぁ、この手紙、お母さん、あけなかった?」
    オカン「いや、あけてないよ」
    妹「だって、封が変になってるじゃん」
    オカン「配達されてきたときから、封が開いてたよ」
    妹「そんなわけないべさ」
    オカン「そんなの知らないって。郵便屋さんかもしれないよ」

     封が途中で誰かに開かれて配達される手紙が、どこにあるんだってーの!

     こんなこともあった。たとえば、妹が二階にあがって異性と電話をしている。その異性のことはオカンは知らないはずなのに、かねてより妹の部屋をガサ入れして、異性からの手紙なんかを発見しており、そのことを既に知っている。でも、オカンはすぐには妹に異性のことを尋ねない。よせばいいのにこんな風にいう。

    (妹、二階で電話をしていたが、電話が終わり二階から降りてくる)

    オカン「○○くんかい?」(電話が終わった妹に向かって)
    妹「なんで、そんなこと知ってるの?」
    妹「にいちゃん(僕のこと)が言ったの?」
    オカン「いやぁ、別に」
    妹「にいちゃん!、あんた何でそういうこと言うの?(殴りかかってくる)」
    にいちゃん「そんなこと、オレは知らんって」
    妹「じゃあ、何でそんなこと、お母さんが知ってるの? どこで知ったの?」
    妹「わかった、なんかの手紙見たんでしょう。なんで、そういうことするの?」
    オカン「いや、別に、さっきテレビで、○○くんって名前がでたからさぁ」
    オカン「テレビで出ていた○○くんていう名前を、口に出して言っただけ」

     テレビに都合良く、○○くんがでてくるかってーの。
     もう少しアタマを使って、ウソをつけってんだよ。

     オカンのつく嘘。以上、2つの事例で示したとおり、本当に腰が砕けてしまいそうな嘘だ。もう怒りを通してヘロヘロになってしまう嘘だから、これを「ヘロヘロ嘘」と呼ぼう。そんな嘘にたまに出会うとき、僕は憎たらしくもあり、なぜか微笑ましくもあるという変な気分に襲われる。オカン、君のキャラは関西でもやっていけるぞ。


    2000/02/21 Kids Returnと顔パック

     今日、ビートたけし監督の「Kids Return」を見た。「シンジ」と「まぁちゃん」という2人の悪ガキ高校生。高校時代、彼らはいつもツルんで悪さばかりしていたが、高校を卒業をしてから、シンジはボクサー、まぁちゃんはチンピラ道とそれぞれの道を歩むようになる。しばらくは二人ともそれぞれの道を順調に歩み始めるが、しかし、そうした時間は長くは続かない。結局、シンジは試合で大敗し、まぁちゃんは兄貴分にハメラれてチンピラ業界を追われる。
     この映画の最後、久しぶりにあった二人は、授業をフケて自転車を二人乗りしていたあのころの高校の校庭にもどってくる。かつてのあのときのように、自転車の前にはシンジ、後ろにはまぁちゃんが乗っている。

    シンジ「まぁちゃん、おれたち、もうおわっちゃったのかな。」
    まぁちゃん「バカヤロー、まだはじまっちゃいねぇよ。」

     切なくもあり、懐かしくもあり、そしてなぜか勇気づけられる映画であった。

     僕が映画を見終わり、余韻に浸っている頃、妹が二階から降りてきた。しばらく映画の話をしていたが、彼女はおもむろに顔のパックをやりだした。接着剤みたいなゲル状のものを顔にぬったくったため、彼女の顔はまるでエアロビの選手のように光りかがやいている。そんな彼女の顔を見ていると、なんか映画の余韻なんてぶっとんでしまい、僕も顔のパックがやりたくなった。あんまり塗りすぎたためか、このメールを書いている今、僕の顔は強ばり、しゃべることもままならなくなってきた。パックが固まってきたのか、顔の自由がきかない。この光り輝く顔だけは他人には見せたくないな。

    じゅん「ひとみ(妹のこと)、パック、まだとれないのかな」
    ひとみ「バカヤロー、まだ固まっちゃいねぇよ」


    2000/02/22 学び、何人たりとも犯すことのできぬもの

     専攻のせいか、いろいろな人からコンピュータに関して質問を受ける。電子メールをどうやってうてばよいの?、とか、ホームページって何?、とかそういう質問がほとんどだ。可能な限り良心的に、そしてわかりやすく対応することを自分のポリシーとしており、それがどこまで成功しているかはわからないが、これからも、そういう質問にはできるだけ答えていこうと思っている。

     そういえば、このあいだも近所のおばさんのうちに電子メールの打ち方を教えに行って来た。おばさんは50代後半の専業主婦。今までパソコンにふれたことは一度もないという。去年、おじさんの退職をきっかけにパソコンを買って、ISDN回線まで引いたけれど、インターネットを使用することは、今まで一度もなかったのだという。キーボードを使って文字をうつこともままならないため、結局、一通のメールをうつのに2時間程度かかってしまったが、おばさんは、この日、生まれてはじめて電子メールを経験した。

     「おばさん、電子メール届いてたよ」

     こういうときは、僕も本当にうれしい。

     去年ぐらいからだろうか、大学のそばにある小学校の週末PTAコンピュータスクールにも時間の許す限り行っている。スクールは毎月一回開かれており、講座の先輩の杉本さんが主なコーディネートを行っている。ここでは、ホームページを作成したり、電子メールを体験したりすることが中心的な活動になっている。講座のコーディネートを行っている杉本さんも苦労しているようだが、このような試みが長く続くことを願ってやまないし、今後もできる限りお手伝いを続けていこうと思っている。

     このような経験からか、最近、年輩の人々の学びが元気だなぁと思うようになった。生涯学習(Life-Long Learning)などというとアマリにも「美しい話」に回収されてしまいそうだから、あんまり言いたくないのだけれど、近年、「学びたい」という欲望は、確実に年輩の人にも広がっているのだなぁと思う。教育の世界では、子どもが学びから逃走する自体が深刻な問題になっているが、往々にして年輩の人々の学びは、動機づいていることが多い。

     学びは何も子どもの専売特許ではない。学びは生けとし生きるものすべてに付与された権利であり、何人たりともそれを犯すことはできない。そして、それが犯されたときこそ、怒りをもって振りかえれ!

     かつて、学部時代、時の指導教官がいつも口にしていたコトバの意味がようやくわかりかけた気がする。学ぶことというのは、そもそも、そういうものらしい。

     僕のオヤジとオフクロも、今年から「旭川青年大学」というものに通うことにしたらしい。月に一度の講義を聴く「大学」なのだが、それでも、彼らは学びたいと動機づいている。彼らには、生涯、学習者であってほしいと切に願う。

     学習を研究領域に選ぶものとして、僕は「学習者(Learner)」が好きである。そして、自分も生涯、学習者でありたいと思う。何も難しいことではない。よりよく生きようとする人間には、学習は必然的に生じている。そういえば、このところ大学が危機に瀕しているという教育言説があとをたたない。制度上はそうなのかもしれないが、そんなことはない、と僕は思う。大学が「Community of Learner(学習者共同体)」として組織されるいいきっかけになるのではないか、と提案するとしたら、それはあまりに楽観すぎるだろうか。


    2000/02/24 同窓会

     先日、中学校のころの同窓会があった。急に日程が決まったのだけれども、クラスの3分の1くらいの出席があった。当時の担任アワイ先生の出席もあり、会は大いに盛り上がった。

     かつては、同じ場所に集い、ほとんど同じ目的にむかって、同じような学校生活を営み、同じように中学校を去っていった仲間たち。顔や体型、つまりは外見に若干の変化があったとしても、その振る舞いや言葉遣いのどこかに「かつての少年/少女」が垣間見える。

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     真っ赤な髪をしているけれど、幸せな家庭を築いているというキタちゃん。ジャージを着て宴会にあらわれたキタちゃんを見ていると、かつてサッカー少年だったキタちゃんを思い出しました。
     先日立派なイエを建て、二人の子どもの父親になっているイサオ。同窓会の帰りに、ミスタードーナツによって、家族におみやげをかっている君の姿を見ていると、どこか頼もしく感じました。
     かつて卓球少年でマジメ一辺倒だったキヨ。ずいぶん、あか抜けたね。
     中学生のときの姿のまま、大人になったトシアキ。声変わりしましたね。
     童顔だったヨシヤスくん。自分では「顔が伸びたぁ」と言っていましたが、信じられないくらい「オトナっぽく」なりました。
     お寿司屋さんで10年間働いているというザカ。コトバは少ないけれど、ザカの発する一言一言が重く聞こえました。
     保母さんをしているというナッチ。辛いこともあるようだけれど、頑張ってください。
     今年で職を辞し結婚するという三上さん。どうぞ、お幸せに。
     地元の病院で看護婦さんをしているというセイノさん。ずいぶん、あか抜けましたね。びっくりしました。
     結婚して一児の母というウッチー。子どもを育てるのは大変らしいけれど、頑張ってください。
     あと3年で退職だというアワイ先生。ゲンコツの痛い先生だったなぁと、昨日、帰りの車の中で思い出しました。中学時代はいろいろご迷惑をおかけしました。すまんねー。
     最後に今回の会をOrganizeしてくれたヒラノさん。本当にありがとう。

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     かつて中学時代、僕は「大人になる」ってことがどういうことを意味するのか、よくわからず、「大人になりなさい」とか親に言われるたびに、首をかしげていた。少なくとも「大人になる」ということは、「大人になった」からといってレンジみたいに「チーン」って音がするってわけじゃなくって、コトバに表しようのない昨日のような日を迎えるってことなんだなぁって思う。僕もがんばらなくては、次にみんなに逢える日まで。

    追伸.
     女性の記憶力にはびっくり。当時、僕に好きな女の子がいて、修学旅行でその女の子と一緒に夜景を見にいきたく思い、その子の女友達をソフトクリーム1個で買収し、まんまとそれに成功した、とか。そんな話、忘れろってーの。他に覚えることあるだろ!


    2000/02/25 ディズニーという癒し

     帰省して1週間がたっている。このところ、ビデオを借りてきて見ることが多い。北海道のビデオレンタルショップは、内地のショップに比べ品数がかなり充実している。おそらく、冬の北海道にはそれほど娯楽がないからだろう。どうしても内地では見つけることができなかったフェリーニの作品なんかが平気でおいてある。でも、今、僕がはまっているのは、ウォルトディズニーのアニメーションである。

     アラジン、ポカホンタス、トイ・ストーリー、バグズライフ、ムーラン、ライオンキング、美女と野獣・・・毎日数本ずつ見ているため、結構な数になってきた。これまでディズニーは「ガキのもの」と思ってきたのだが、今一度見ると本当にオモシロイ。はまってしまう。「どうせディズニーだろ」とバカにしている御仁は見ることをおすすめする。

     何の気なしにディズニーを見ているわけではない。作品のプロット、アニメーション技法、Computer Graphicsを使っている場所などをいちいちチェックしながら見ていく。こういうものは、自称「ツクリテ」として、どうしても気になって仕方がない。気にしないようにしても、気になって仕方がない。ディズニーのアニメーションは、万国で楽しまれるエンターティンメントである。「万人」に楽しまれる「エンターティンメント」をつくりあげるために、たとえば作品のプロット、表現技法にはどのような工夫がなされているのか・・・僕の関心はそこに注がれている。心理学をかじったものなら誰もが知っているソーンダイクの「物語文法」のことなんかを考えながらディズニーを見る。これに関しては、改めてどこかで語ることにしよう。これだけでかなりの「大ネタ」になる予感がしている。来年の遠隔講義の内容は「ディズニーのアニメーション」にしようかな。「教育情報工学」とかいう講義で、「ディズニー」はヤバイかな。でも、僕のアタマの中では立派に「つながっている」んだけどな。

     しかし、そうであるからといって、「ツクリテ」としての「まなざし」は、ディズニーのアニメーションに注がれる僕の「まなざし」をすべて支配しているわけではない。目の前に繰り広げられるファンタジーに注がれる僕の「まなざし」はそれ以外の何かを求めている。心に働きかける物語の力、それを人は「癒し」などと呼ぶらしい。


    2000/02/26 日経トレンディ - 旭川版 -

     本日、雑誌論文を脱稿した。かなり苦しんで書いたのだが、何とか締め切り前に無事に出すことができた。まずはBASQUIATプロジェクトチームのメンバーに「お疲れさまでした」と静かに言いたい。ほか、面倒な試読を担当してくれた今井さん、コメントを付与してくれた様々な人々に感謝している。本当にありがとうございました。

     それにしても、これは僕だけなのかも知れないが、自分の書いた「論文」というのは、どこか「自分の娘」みたいに思えて仕方がない。言うたら、「娘よ」という名演歌を歌った芦屋ガンノスケの気分だ。今まで水や餌をあたえて、大事に育てたのに・・・それなのに、それなのに、今、娘は僕の手を離れて大海に飛び出そうとしている。いや、それが娘の宿命なのかもしれない。イカズゴケになってパラサイトシングルとしての一生を僕のアタマの中で過ごすよりは、僕の手を放れてくれた方がよっぽどいいなぁと思う(ごめんなさい、アンチフェニミンで)。でも、離れるのは心が引き裂かれる思いがする。だから、論文を出し終わったあとの僕というのは、どこかボーッとしている。娘を失って生きていくカテを失った「ショボクレオヤジ」のような顔だ。でも、ショボクレオヤジのようになっているのは2日間くらい。そのあとは、またせっせと「つぎの娘育て」をはじめている。ナンボ、娘、おんねん!

     さて、ショボクレオヤジの話はもういい。いよいよ今日の主題の「旭川のトレンディ」について話そう。旭川を離れて上京したのが、はや7年前。その様子は、僕が知らないあいだにモノスゴク変わってきているようだ。一週間しかここにいなくても、その「変化」は痛いほどよくわかる。ここに暮らす生粋の「旭川人」にはかえってその変化がわからないのかもしれないが、僕のように1年に2度くらいしかこの地に帰ってこないものにとっては、その「変化」がモノスゴク「奇異」に見える。
     以下、旭川のトレンディを列挙してみよう。

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    学びブーム

     おじさんもおばさんもうちのオトンもオカンも、学びブームである。「学び」と言っても偉そうなもんじゃない。青年大学に行ってみたり、地域の住民センターの講座にでたがっていたり、とにかく、何か新しいことをみんな学ぼうとしている。切り絵だとか、パソコンだとか、学びたい内容は、その人によって違うので一概には言えない。数年前まではそんなことはなかったから、これはやはりブームなのだろう。動機付け理論の理論家が見たら泣いて喜ぶほどの「動機」をもっているのも彼らの特徴だ。
     僕はいつも大学にいるので、やはりそのことを考えてしまうのだが、これらの「学びたい人々」をメンバーとした学習者共同体として大学が機能すればいいのに、とつい思ってしまう。特に教育学部には、今、存亡の危機が訪れているんだとか、おじさん、おばさん助けてよ。

    卓球ブーム

     旭川市は数年前より市内のスポーツ施設はすべて無料である。こんな様子を見ると、暮らしの豊さに関する都市と田舎の格差にため息をついてしまいそうになるが、それは紛れもない事実である。そして、旭川のスポーツ施設には、今、全国的に流行している「卓球ブーム」が訪れている。たとえば、ウィークエンドなんかにこれらのスポーツ施設に行ってみると、その様子は痛いほどわかる。そこらへんの高校生や中学生が楽しそうに卓球をしている。世の中変わったもんだ。
     こないだニュースでは、渋谷の卓球場が前年比3倍の売り上げを記録している、という報道をしていた。厚底靴をはいてヤマンバみたいな顔をした高校生が卓球をしている様子が映し出されていた。渋谷では1時間以上待つのがアタリマエらしい。

     卓球やりたきゃ、田舎においで。

    イタリアンブーム

     旭川の市街地も、僕の実家のある「カムイ」もイタリアンの店が続々オープンしている。内地で「イタめし」が流行したのが、丁度バブル期だったことを考えると、「ナンボ、遅れとんねん!」と小突きたくなるが、北海道と津軽のあいだには「海」があるんだから仕方がない。
     ちなみに、上京するまで僕はドリアとかカルボナーラを知らなかった。上京してはじめてこれらの「オシャレ料理」を食べたとき、心の底から、「世の中にはこんなウマイものがあったのだ」と感激にむせび泣いた。うちのオカンがつくるパスタは、「焼きそばに毛がはえたようなお品(この一品、想像するとものすごくホラーなお品だ)」だったのだ。まぁ、いい。イタリアン食って、大きくなれよ。


    2000/02/27 Supplement : It's hard to say I'm sorry

     It's hard to say I'm sorry

     イーグルスの名曲である。邦題は「素直になれなくて」という。キャメロン・ディアスの「There's something about Mary」が「メリーに首ったけ」と訳されていることから考えれば、随分美しい翻訳だと思う。

     素直になろうと思う。意地をはっていては、Playfulになれない。それは本末転倒だ。
     素直になろうと思っている。なれるような気がしている。

     癒された。今日はホントウにいい日だった。


    2000/02/29 恋は孤悲

     先日脱稿した論文は、ソフトウェアの開発研究であった。僕らが開発したのはComputer Supported Collaborative Learning(CSCL)のソフトウェアである。簡単にいうと、コンピュータを使って、いろんな背景をもった人々がコミュニケートしながら、知識をつくりあげてきましょうーよ、っていうこと自体をサポートするソフトウェアをつくっている。すでにもうわかったことを「暗記」するためのソフトウェアではなくて、革新的でワクワクするような知的にオモシロイことを「つくっていく」ためのソフトウェアである。
     でも、いつも僕がこうしたいわゆる「ハードな開発」を行っているわけではない。どちらかといえば、「モノヅクラー」としてハードな開発をやる一方で、一方文学っぽい研究というか、質的な分析的研究も行っていきたいとも考えていたりする。質的な分析的研究も、僕にとっては「ものづくり」であり連続しているから認知的不協和はおこらない。

     最近、あるネットワーク上の学習共同体の質的分析を行っている。これは、埼玉大学の美馬さん、茨城大学の山内さん、そして都立明正高校の吉岡さんとの2年間の共同研究で、都立の高校生と若手の科学者をむすんだ「科学する学びの場」をつくりあげる研究である。YSN明正プロジェクトと名付けられたこのプロジェクトには、およばずならば、僕もM1のころから参加させていただいている。
     1年間に科学者と高校生のあいだでやりとりされたメッセージは、2300件。現在の僕の仕事は、そのメッセージひとつひとつを読み、話の流れを確認しながらカテゴリーを付与していくという作業だ。現在、カテゴリーを付与し終わったメッセージの数は1000件。メッセージのデータベースは毎日更新されている。残りはあと、1300件「しか」ない(この「しか」には淡い期待がこめられている)。

     ひとつひとつのメッセージには、いろいろな話題が交差している。科学者が相手であるけれど、生徒はフツウの高校生なので、話題は「科学の話」に限られない。科学の話が一番多いのは事実であるけれど、それだけがすべてではない。学校における日常の出来事から恋愛に至るまで多種多様な話題が、折に触れ語られている。その中で、僕が興味惹かれたのは、K君と数学者Nさんのメッセージのやりとりであった。

     最初のうち、K君は授業でのわからないところや授業の報告などの科学的な話題を科学者と話している。しかし、K君はこのとき、ある女の子に恋をする。そして、彼のメッセージは次第に「恋」のお話になっていく。今日、あの女の子と図書館であった、今日は目があった、などというK君の日常の出来事が語られている。
     Nさんは、厳格な若手数学者である。最初のころの彼のメッセージは、科学の、それも数学の理論に偏っている。しかし、K君とのメッセージのやりとりをめぐって、彼は意外な一面をみせはじめる。実は、澁澤タツヒコが好きだったり、源氏物語を読んでいたりという一面が表にではじめるのである。
     かくして、K君とNさんは、K君の恋愛をめぐって相談をしはじめる。しかし、恋はなかなか成就しにくいもの。K君の恋もあまりうまくいかない。Nさんは、そんなK君を慰める。

      万葉集には、恋とは孤悲と表記してあります。
      (中略)
      人を成長させるものは、其れしかないでしょうね。
      「おんなはオレの成熟の場であった。」
          (「Xへの手紙」by Hideo KOBAYASHI )

     恋は孤悲。

     学習の場には、そのような話題は似つかわしくない!とおっしゃる御仁もいようが、敢えて僕は言いたい。学習の場だからこそ、こういう話題が必要なのだ!
     K君は今回のやりとりを通して、自分とは関係ないと思っていた科学者、それは典型的に「白衣」をきて実験室でボコボコやっているんだけれども、そんな科学者を身近に感じたという。このKくんの科学者に対する認識(パースペクティヴ)の変化は、おそらく、彼の「科学」に対するパースペクティヴにも影響を与えたことであろう。科学はそんなに遠いところで行われている「ヨソゴト」なんかじゃない、彼はそう考えるようになった。それこそが今まで見失われてきた科学の学びであるに違いない。
     コミュニケーションを認知的側面と情意的側面にわける二分法、そんなアタマの中にこびりついたデカルト的産物はふっとばせ! 新しい学習の可能性は、そんな一歩からはじまる。

     恋は孤悲。


    NAKAHARA,Jun
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